15 美幸vs.咲耶
12月6日(金) 午後4時 期末テスト最終日
外は、冷たい冬の雨だ。
……ぱらぱらと小刻みに、車体を雨粒が叩く。
「……やっと会えたわね……ずいぶん時間が経っちゃったけど」
「返事に時間がかかって、すみません」
「……突然あんな手紙もらって、びっくりしたでしょ。そうそう返事できないよね」
軽自動車の車内に、屋根を叩く雨粒の音が響いてくる。
それに被さるように、エンジンの振動も低く伝わってくる。
カーステレオは切ってあるから、あとは温風が吹いてくる音だけ。濡れた制服も、ほどなく乾くだろう。
「呼びつけて、ごめんね。でも、ちょっと話したくなったの」
美幸さんとは、駅のロータリーで待ち合わせた。
二人だけで話せるところがいいわよね……ということで、そのまま車の中になった。美幸さんが温かいコーンスープと、コーヒー……どちらがいい?と聞いてくれたので、コーンスープをいただいた。
「……私に、覚悟、と言いました。だから、今日は覚悟してきたんです」
こくん、とスープを飲み込む。
温かいものがお腹に落ちていく。
「……どんな、覚悟?」
美幸さんに訊かれて、つばを飲み込んだ。
「……センセイのことなら、どんなことでも受け止める、という覚悟です」
「……若いのね」
沈黙になると、さーっという雨音がひときわ大きく聞こえる。美幸さんは、しばらく黙ってから、口を開いた。
「文化祭……高校なんて、何年ぶりかしら。漫研……じゃなくて、創作部?ずいぶん活発に活動してるのね。部誌の出来も、凄かった……まさか、先生と生徒が結ばれる漫画が載ってるとは……思わなかったけど」
ちろり、と美幸さんの瞳がこちらに向けられた。
射るように、深く鋭い。
「……!」
息が止まった。
あれを見たら……あの絵がセンセイだと美幸さんなら気付く……だから、私を……。
顔がかーっと火照ってくる。
「あの漫画、祐司は知ってたのよね?顧問なんでしょ?」
「……センセイには秘密で、ちょっと、あの、いたずらで……」
「部長なのに……いけない子ね。祐司もだらしないなぁ……」
美幸さんが、にっこりと笑う。
笑みを崩さないまま、話を繋いでいく。
「私と祐司はね、小学生の頃からの知り合いなの」
「……はい」
「出会った頃の祐司は、本当に危うかったのよ」
「……危うかった、ですか?」
会話の流れにそぐわない単語を聞いたように思えて、聞き返した。
「うん、危うかった……お母さんを亡くして、すっかり心を閉ざしてた。会話もできないくらい、頑なで……私はなんだかほっとけなくて、ずっと一緒にいた……弟ができたみたいだった」
ずっと一緒に――ずきん、と刺さる。
「祐司はちょっとずつ明るくなった……中学、高校、大学……ずっとおんなじで。学年が違うから、入学や卒業はばらばらだったけどね」
「……存じ上げてます。美幸さんのこと……父が少し、調べました」
美幸さんの目が細くなった。
「あら……まだパパに甘えるお年頃だった?」
お子様扱い……今のは悪手だ。
「すみません……従姉にだけ、手紙のことを相談したんです。そしたら従姉が父に漏らしました。父は心配性なので……」
「……ずいぶん、愛されてるのね」
「……」
「ごめんなさい。悪気はないんだけど……じゃあ、私のことも、それなりに知っているのよね?」
「……一通りのことは、父が調べたもので、読んでいます」
ふうん……美幸さんは、興味深そうな顔をして、私から書類の内容を聞きたがった。
私も、隠さずに話した。生年月日や住所などの個人情報から、学生時代のセンセイとの関係。高校での文芸部活動、大学時代に専攻した明治期の文学や、それをテーマにした卒論……そして、大学時代に佐竹さんと付き合っていたことや、センセイと恵里さんの関係といった極めてプライベートな話……。
「ずいぶん、丁寧に調べられてるのね。恥ずかしいなぁ……あなたを苛めたくなってきちゃうけど……おあいこと言えば、おあいこか。でも、ならあの件も……いや、知ってたら、わざわざこうやって来ないか……」
あの件……。
「美幸さんが、文化祭の日、私に言ったようなことについては……父の書類にもありませんでした……でも、センセイが大学3年生のとき、恋人の恵里さんが亡くなってます。その方に関係していたのではありませんか?」
恵里さん……その名前を聞いた美幸さんは、ふぅーっと長い息を吐いた。そのままシートにゆっくり身体を沈め、缶コーヒーを一口飲んだ。
……視線を前に向けたまま話し始める。
「……あの子とは大学で知り合ったの。同じゼミってこともあって、よく本の話したり、お酒飲んだり……」
「そのグループに、センセイも……」
「うん、祐司も、私の付き合っていた佐竹もね。そのうち……祐司が大学2年の頃から、恵里と付き合いだした。恵里、すっかり祐司のことが好きになっちゃってて……ぶっきらぼうなのに、祐司って本当によく見てるっていうか……優しすぎるところあるでしょ。恋愛でいろいろあって、落ち込んでいた恵里の話を聞いてあげてるうちに、一気に気持ちが傾いちゃったみたいで」
なんだろ。
センセイ、変わってないなぁ、と思ってしまった。
きっと優しくしちゃって、そのまま、好きになられちゃって……ああもう。
「そして、恵里と私が卒業するまで、二人は付き合ってた。でもね、本当は、私は祐司が好きだったし、祐司も私が好きだった……私が望めば、なんだって、してくれるくらいね」
……なんだって、で区切ってくる美幸さん……キライだ。
「だから、あるべき形に、もう周りを傷付けてでも、戻そうって。私は祐司に言った。そして……酷いことをした」
「……酷いこと……」
「……恵里を裏切ったの。私と恵里が大学を卒業してのんびりしていたあの春……私と祐司は一緒に恵里を裏切った……恵里は、ずっと約束した祐司を待ってた、と思う」
「センセイは……浮気をした、ということですか……」
「浮気といえば、浮気なんでしょうね……でも、祐司がずっと私が好きだったって、私はわかってた。私も、ずっと祐司が好きだった。そのお互いが、触れ合おうとすることって、そもそも浮気なのかしら……あなたは、どう思う?」
美幸さんの言おうとすることはなんとなくわかる。でも、自分が恵里さんの立場だったら、きっと堪えられない。そんな辛い、そんな後回しの扱い……昔の話とはいえ、ちょっとショックを受けてる自分がいる。
でも、センセイだって人間だ。しかも大学時代だ。若かったんだ。間違いだって……。
「……センセイだって、間違いくらい」
「……そうね。謝って許してもらったり、恋が壊れたり……なんらかの、続きなり、結末なりがあるのが普通よね……でも、そうはならなかった」
「……?」
「……恵里が、この世から消えてしまったから」
美幸さんの表情……笑顔なのか、泣き顔なのか、わからない。
ただ、まっすぐこっちを見ている。
「祐司は、謝ることも、許してもらうことも……振ってもらうこともできなくなった。裏切った罪……彼女を死なせた罪だけが、私と祐司に残った」
美幸さんの瞳にこもっている感情が読み取れない。
「今でも、私と祐司は恵里の命日に、お墓参りをする。そこにお墓があることが……私たちの罪の証明なの」
どんな言葉を美幸さんに返したらいいのか……わからなかった。
センセイが犯した罪……美幸さんと、二人で背負った罪。でも、それは裏返せば、どうしようもなく強い絆なんじゃないか……あれ、私、何考えてる……。
◇
しばらく黙ったあと、わざと明るくしているのがわかる声で、美幸さんが口を開いた。
「……ねえ、円城さん、一つ、お願いがあるんだけど、いいかしら」
「はい」
「今度、創作部で集まるわよね。クリスマスに」
「……はい」
「そのときだけど……」
……やはり美幸さんは、しっかりこちらを調べてきていた。