14 「こころ」の授業 四
11月26日(火)
――私はその友達の名をここにKと呼んでおきます。私はこのKと小どもの時からの仲よしでした。
「先生の遺書は、ついにクライマックスだ。子どもの頃からの親友Kが登場する。先生は大学二年生の半ばを迎えていた」
――寺に生れた彼は、常に精進という言葉を使いました。(中略)私は心のうちで常にKを畏敬していました。
「Kは中学時代に医者の家へ、跡継ぎとなるべく養子に出された。医者を継ぐ勉強のためにもらっていた学費だったが、Kは勝手に医学の道を外れ、自身の学びたい学問へ突き進んだ」
先生よりも常に優秀だったK。順調に大学に受かったが、家を騙していたことがばれて、養家からも実家からも勘当されてしまう。
Kは自分で学費を稼ぎながらギリギリの大学生活を続け、結果追い詰められてノイローゼになる。援助を申し出ても受け取らないKを、先生は下宿に同居させる。二人分の下宿代をこっそり支払って、プライドを傷付けずに援助を受け入れさせる作戦だった。だが、奥さんには反対された。
――そんな人を連れて来るのは、私のために悪いからよせといい直します。なぜ私のために悪いかと聞くと、今度はむこうで苦笑するのです。
「奥さんは、きっと先生とお嬢さんの恋に、Kという存在が邪魔になる可能性を見抜いていた。それでも、先生の親友を助けたい、という気持ちにおされて承諾してくれた」
下宿に移り住み、何ヶ月か経つと、精進第一だったKも、奥さんやお嬢さんへの態度をやわらげていく。先生はそれを、以前の自分のように眺めて満足な気持ちになる。
――今まで書物で城壁をきずいてその中に立て籠っていたようなKの心が、段々打ち解けて来るのを見ているのは、私に取って何よりも愉快でした。
「この年度の終わり、九月にお嬢さんは女学校を卒業した。先生とKも卒業まであと一年。この頃から先生の心境に変化が起きる。ある日先生が大学から帰ると、Kとお嬢さんが二人で話していた場面に出くわす。それを皮切りに先生はお嬢さんとKの間柄を疑うようになり、嫉妬心に苛まれる」
先生はKに、お嬢さんへの好意を打ち明けて牽制しようと思いつつも、なかなかその機会がつかめない。
何も言えず年が明け、年始の挨拶で奥さんとお嬢さんが留守にした日。Kが、突然恋の悩みを打ち明けてくる……Kもお嬢さんへ片思いをしてしまっていた。
――彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。(中略)その時の私は恐ろしさの塊といいましょうか、または苦しさの塊といいましょうか、何しろ一つの塊でした。
自分より優秀だ、と内心で畏れていたKが、恋のライバルとなってしまったことで、先生は酷く取り乱し、焦る。Kの邪魔するためには、手段を選んでいられない、と自分を見失っていく。
先生の本心に気付かず、信頼を寄せてくるK。先生は内心で、それを利用しながら、いかに恋を諦めさせるか策略を練る。今までの主張との矛盾を諫めるようにしながら、Kを禁欲的な生き方に戻るよう誘導していく。それでも先生は安心できない。
先生は奥さんに、お嬢さんと結婚したい、と直接申し込んでぬけがけする。奥さんはその場で結婚を承諾し、お嬢さんの気持ちについても「本人が不承知のところへ私があの子をやるはずがありません」とにこやかに請け負ってくれた。
「……お嬢さんは先生のことを以前から想っていて、結婚を受け入れる気持ちでいた、ということだ。Kを下宿に住まわせたことで、先生自身が嫉妬にかられる状況を引き寄せただけだった。普段は善人なのに、あるとき急に悪人になって、親友を裏切る……先生自身も、いつの間にか叔父のような『加害者』になってしまった」
先生は結婚に有頂天になりつつも、同時にKへの裏切りをどう謝罪すればいいか悩む。奥さんやお嬢さんの目が気になって、家の中で謝る勇気がもてない。そのまま数日が経ち……謝る機会のもてないまま、Kは深夜に自殺してしまう。
死体を発見した先生は、自分の世間体を気にして、脇にあった遺書を確認する。Kの遺書には、自分は薄志弱行で望みがない、とだけ動機が書いてあった。先生を責める言葉も、お嬢さんのことに触れる言葉もなかった。
――私は「助かった」と思いました。もっとも世間体の上でだけ助かったのですが、その世間体がそのときの私には何より重要なものに思えたのです。
「周囲から見れば、Kは親に勘当され、追い詰められた青年。先生はKを献身的に助けようとした親友……先生に同情してくれる人はいても、裁いてくれる人はいない。でも、先生自身はどんな罪を犯したかわかっている。教科書に収録されているのはここまでなので、テスト前の授業はひとまずおしまい。長い作品なので、しっかり読み返して、テストに臨んでほしい」
テスト返却後の授業で、この先は取り上げる。
Kの自殺の後……時間を経て最終的に先生が自殺するまで、まだ続きがある。