惑いと想い
話を聞くに、ノエルは先ほどまで幽体離脱したような状況であったようだ。
ノエルがくずおれたあの瞬間、ノエルの意識は自分の身体を離れ上空から俯瞰しているような状態であったという。
そしてそのまま何処かへと引っ張られていった、ということらしい。
そんな状況であったから、何処へ行けばいいのか、ということも分かっているというわけであり――
「んー……それで、結局何があったの?」
今聞いた話から分かるのは、どうやらやはりと言うべきか、今も轟音の響いてくる方角に目的地があるらしい、ということだけである。
肝心のどうしてこんなことになっているのか、というところは分からないままだ。
しかしアレンがそう尋ねると、ノエルは僅かに眉をひそめた。
とはいえ、それは言い難いような何かがあったというわけではなく、単純に言いたくとも言えない、ということのようだ。
「……それがあたしにもよく分かってはいないのよね。あたしがそこに辿り着いた時には、既に始まってたから」
「始まっていたって、何がですか? ……まあ、この音のことなどを考えれば、何となく想像は付くのですが」
「……戦闘?」
「と言っていいのかは分からないけれど、少なくとも男が暴れてはいたわね」
「男って……さっきまで案内してくれてたあの人のことじゃないよね?」
そう尋ねたのは、今分かっている情報の中で、最もあったら嫌なことだからだ。
少なくともその場にノエルにアレを渡した子供達がいるのは確実であり……その子供達は魔族でもある。
さらには、あの男の言葉などから察するに、子供達のことを同胞と認めているわけではなさそうだ。
必要だと判断すれば容易に攻撃対象となるだろうことは、既に目にしている通りである。
もっとも、それはないだろうなと思ってもいたので、これはあくまでも可能性を潰すためのものでしかないが。
もしもそうであったのならば、ノエルはもう少し動揺しているだろうからだ。
果たしてその推測は正しかったようで、ノエルは首を横に振った。
「パーシヴァル、といったかしら? 彼も確かにあの場にはいたのだけれど、暴れていたのは別人よ。というか、そもそもエルフではなかったわ」
「あの男の方がそこにいて、エルフではない方が暴れていた……もしかして、先ほど尋ねてきたという方でしょうか?」
「……その可能性が高そう? でも、どうして……?」
「さあ……? 言ったように、あたしが着いた時には既にその男は暴れていたもの。この音は主にそのせいだから、今も暴れているのでしょうね。そういうわけだから、その男が本当にさっき尋ねてきた人物なのかも分からないわ。元からここにいたのかもしれないし」
「んー……確かに、その可能性も否定はしきれない、か。ちなみに、その男ってどんな人だったの? 年齢とか外見とか」
「年齢……? そうね……見た目は三十前半ってところだったかしら? どちらかっていうと軽装で……あと、何となく偉そうで嫌らしそうな男だったわね」
偉そうや嫌らしそう、ということはともかくとして、明らかに子供でないというのならば、やはり外からやってきた者の可能性が高そうだ。
アンリエットが連れてきたのは染まる前の子供達だけのはずであり、大人がいるという話は聞いていない。
無論聞いていないだけの可能性はあるものの、今のところは除外して考えても構わないだろう。
「で、そんな男が……アレは多分ギフトでしょうね。魔法には見えなかったから、おそらくは何らかのギフトの力で爆発を起こして攻撃してたのよ。パーシヴァルのことを」
「え……? あの人が攻撃されていたんですか?」
「……やっぱり侵略者だった?」
「どうかしらね……? 何となくそんな感じではなかったような気もするけど……。ああそれと……おそらくだけれど、正確には彼のことを攻撃していたわけではないと思うわ。彼は背後にいる子供達のことを庇っている様子で、その男も子供達のことを狙っているようなことを言っていたもの」
「なるほど……」
庇われていようとも、攻撃をされているのならば当然のように恐怖は感じる。
それで助けを呼んだ結果、色々な偶然が重なりノエルが本当に呼ばれてしまった、というわけか。
尚、話を聞くにノエルはそんな光景を前にただ見ていることしか出来なかったそうだ。
何かをしたくとも、そもそも身体すらまともに動かず、悔しい思いを抱えていることしか出来なかった、と。
「だから、アレンには本当に感謝してるわ。下手したらあのまま全てが終わるまでずっと見ていることしか出来なかったかもしれないのだもの」
「そうですね……もしそうなっていたら、わたしも悔しく思っていたでしょうし」
「……ん、同感。どんな理由があろうとも、子供を攻撃するのは許せない」
そんなことを言っている三人を横目に、アレンはさてどうしたものかと思っていた。
確かにアレンとしても子供を攻撃するのは許せないと思う。
だが、その男とやらが一体どんな理由で襲ってきたのかはまだ分からないのだ。
判断を下すには、色々と情報が足りていなかった。
そしてその情報次第では……アレンは動かないかもしれない。
そもそもアレンは現状、どちらにも肩入れする理由がないのだ。
ここには一晩世話になったとはいえ、それだけである。
男……パーシヴァルはノエルの同胞とはいえ、それを言ったら襲ってきたという男が人類種であったらどうするのかということになってしまう。
さらには、本当に襲われているのは悪魔の子供だというのだ。
こう言ってしまっては何だが……彼らには襲われるだけの理由がある。
だからこそここに匿われているのであり、その男の襲うだけの理由があるのだとすれば……果たしてアレンにはそれを邪魔するだけの理由があるのだろうか。
襲われているのがリーズ達であったのならば、そんなことは考えもしなかっただろう。
あるいは……前世のアレンでも、細かいことを考えることなく、とりあえず子供達を助けていたかもしれない。
だがアレンは既に英雄ではない。
英雄であることを放棄した身の上だ。
誰彼構わず救ってみせたところで、その先に待つのは虚しさだということを知ってもいる。
特に、子供は残酷だ。
怯えを隠すこともなく、恐怖に満ちた目を向けてくる。
怖いと、何の悪気もなく告げられるからこそ、それが何よりも辛いのだ。
幸いにも、今のところそういったことは起こっていないが……今回もそうだとは限らないのである。
所詮アレンは、強大な力を持っただけの人間だ。
自分が辛い思いをするかもしれないと分かっていながらも、見知らぬ誰かのために躊躇なく動けるほど、人間が出来てはいない。
それでも前世の時は、目的があった。
導いてくれる誰かがいた。
自分がやらねばならないと、奮い立つ事が出来た。
しかし今はそんなものはない。
それなのに、まだ動かなければならないのだろうか。
動く事が、出来るのだろうか。
ふと頭に浮かんだそんな思考に、アレンは小さく息を吐き出した。
つい先日に前世の頃の夢を見たせいか、どうにも普段はあまり考えないようにしていることを考えてしまっている。
よくはないことだ。
とはいえ、それは分かってはいるものの、これがアレンの本音であることもまた事実である。
――まったく、こういうことを考えたくないから平穏な暮らしを望んでいるというのに。
しかもそれが果たせるかもしれないと思ったばかりの場所でこんなことが起こるなど、呪われているのかとでも思ってしまいそうな状況である。
だが何にせよ、まだ結論を出すには早すぎるだろう。
それは、リーズ達が取るだろう行動に関しても同様だ。
許せないと言ってはいるものの……男の理由が正当なものであると思ったのならば、あるいは男の側につくこともあるかもしれない。
万が一にもほどがあるというか、ほぼ考えられることではないが、有り得ないと言い切るには情報が不足しすぎているのだ。
せめて男の目的でも分かれば、もう少し考えることも出来るのだが――と、そんなことを思った時のことであった。
そういえばと、ノエルが何かを思い出すように虚空へと視線を向け――
「ふと思い出したのだけれど、どうしてこんなことを、って言ったパーシヴァルに、あの男はこんなことを言っていたわね。――悪魔を殺すのに、理由なんて必要なのかよ、って」
そんな言葉を口にしたのであった。




