倒れたノエルとその原因
――全知の権能:天の瞳。
ノエルがくずおれた瞬間、アレンは惜しみなく全知を用い、ノエルの全身を眺めていた。
必要とあれば理の権能の使用も躊躇うつもりはなかったが、そこで眉をひそめたのはどうすべき迷ったからだ。
アレンの目には何一つ異常が感知されなかったのである。
しかし実際にノエルは倒れており……かといって全知は絶対だ。
間違っているように見えるのならば、それは前提か常識の方が間違えているのである。
ならばこの状況では一体何が間違っているのかと言えば――
「……そもそも不調ではない、ってとこかな? 正常だからこそ倒れたって考えると……」
思考の整理を兼ねて呟きながら、視線を移動させていく。
慌ててノエルへと近寄っていくリーズを横目に、ノエルだけではなくその全身を含めて眺める。
全知は強力すぎるがゆえに、扱いが難しい。
単一的に処理できる問題であれば即座に回答を得ることが可能だが、複合的な要素が絡むと途端に処理しきれなくなってしまう。
状況から適切な推測をしなければ、正答を導き出すことは出来ないのだ。
だが幸いにも、今回は比較的簡単に状況を推測することが出来た。
似たようなものを、つい先ほども目にしていたからである。
「ノエル待っていてくださいね、今癒しますから……!」
「あ、リーズちょっと待っ……いや、念のためにリーズにはノエルを癒してもらって、ミレーヌに頼んだ方がいいかな?」
「え? え、っと……?」
「……ミレーヌ何かすることある?」
「うん。さすがに僕がノエルの服をまさぐるわけにはいかないだろうしね」
「まさぐる……? あの、アレン君一体何を……?」
「ちょっと探し物をするだけだから心配無用だよ。さっ、リーズは続けてて」
「は、はぁ……?」
どことなくリーズは釈然としていない様子ではあったが、説明をするよりも先に行動に移してしまった方が早い。
リーズからミレーヌへと視線を移せば、自分は何をすればいいのかと問いかけるようにこちらをジッと見つめていた。
「というわけで、ミレーヌにはノエルの服の中からとあるものを探して欲しいんだ。まあというか、昼前にノエルが子供から受け取っていたやつなんだけど。ただし、まずはどこにあるのかを確認するだけで、それを取り出したりはしないで欲しい」
「……ん、分かった」
少し不思議そうに首を傾げたものの、ミレーヌはそう言って頷くと、そのままノエルのところへと向かっていった。
そしてその傍で屈みこむと、無造作にノエルの服をまさぐりだす。
リーズがノエルを癒そうと手をかざしている傍で、ミレーヌがノエルの服をまさぐるという、絵面的には奇妙な光景がそこにはあったが、そんなことを言っている場合ではない。
ない、のだが……アレンがそこからそっと視線を外したのは、ミレーヌが無造作にまさぐりすぎてノエルの服がちょっとアレなことになってしまっていたからだ。
そのまましばし、がさごそがさごそとミレーヌが服をまさぐる音だけが響いていたが、不意にその音が止まる。
「……見つかった」
「二つとも?」
「……ん、二つともある」
「そっか。じゃあ、そうだなぁ……とりあえず、それをノエルの身体から離さないように注意しながら、二つとも服の上に置いてくれる?」
「……分かった」
そこからまた少しだけ時間が経ったものの、今度はすぐに終わった。
出来た、という言葉に念のためそっとノエルの様子を伺うと、服に乱れがないことを確認し小さく安堵の息を吐き出す。
それから改めてそちらへと視線を向け、目を細めた。
――全知の権能:天の瞳。
そうして、自身の推測が間違っていなかったことを確かめると、今度ははっきりとした息を吐き出した。
視た限りでは、アレンが何かする必要もなさそうだったからだ。
「……何か分かった?」
「うん、大体のところはね。とりあえず、その二つともノエルの身体から離しちゃってくれるかな?」
「……分かった」
一瞬、大丈夫なのかと問いかけるような目を向けてきたミレーヌであったが、すぐに大丈夫でなければそんなことは言わないと気付いたのだろう。
頷くと共に、それらを掴むと持ち上げ、ノエルの身体から離される。
そのままミレーヌは立ち上がり……眼下から呻きの声のような音が聞こえてきたのは、その直後のことであった。
「っ……ここ、は……?」
「ノエル……!? 気が付いたんですか!? 大丈夫ですか!?」
「リーズ……ええ、大丈夫よ。大体どんな状況なのかも理解しているわ」
そう言いながら、ノエルは傍らに立つミレーヌを見た後で、こちらへと視線を向けてくる。
状況を理解しているというのは嘘ではないようで、誰が何をしたのかということも何となく理解できているようだ。
礼を告げるように軽く顎が引かれ、アレンはそれに肩をすくめて返した。
「さて、それじゃあ……っ」
「ノエル……!? まだ寝ていた方が……!」
「だから大丈夫だって言っているでしょう? それにあんなもの見せられたら、のんびりしてなんていられないわよ」
「……あんなもの?」
「それはつまり、ノエルにアレを渡してくれた子供達に何かがあった、って認識でいいのかな?」
「確かにそれで合ってるけれど……相変わらず察しがいいわね」
「え? 子供達、ですか? ……もしかして、ノエルが倒れたのは子供達のせい、ということですか?」
「んー、せいと言えばせいってことになるんだろうけど……正確には、助けを求めた結果、意図しないことが起こっちゃったってとこじゃないかな? 多分だけど、ノエルは意識だけが助けを求めた子供達のところに飛ばされてたんだよね?」
エルフの王としての感受性の高さ。
エルフの森という、ノエルにとって最も相性がいい場所であったこと。
彼らの一部とも言えるものを持っていたこと。
それらの要素が合わさった結果、偶発的に発現してしまった現象だ。
「……その通りではあるんだけど、だからどうして分かるのよ」
「ま、経験の賜物ってところかな?」
それは別に嘘ではない。
実際様々な経験をしてこなければ、ここまで早く推測することは出来なかっただろう。
そもそもどうしてアレンがノエルの状態を異常と捉えることが出来なかったのかと言えば、それ自体は異常ではなかったからなのだ。
アレンは最初、ノエルにどんな異常が発生しているのか、ということを調べるのを目的とし、そこに焦点を当てる形で全知を使用した。
条件を限定すればするほど詳細に知ることが出来るし、それ以外の情報は一先ず必要ではなかったからだ。
だが彼らはきっと誰かに助けを求めただけで、ノエルはそれに応えただけである。
ゆえに当然の結果が生じたに過ぎないそれを、世界は異常とは認識しなかった、というわけだ。
そこまで具体的なことが分かったのは全てを把握してからだが、過去の経験から似たような状況は想定することが出来ていた。
そのためアレンはもう少し漠然としたノエルそのものに対して全知を用い、そうして何が起こっているのかを把握することに成功した、というわけである。
「……アレン君は、本当に相変わらずですね。突然のことにも焦ることなく、冷静にそういったことまで考えられるなんて……」
「いや、リーズだって十分自分に出来ることをやってたと思うよ? 焦るだけで何も出来てなかった、ってわけじゃないしね」
というか、アレンが常に冷静でいられるのは、これまた過去の経験によるものである。
……否、むしろ、そのせいで冷静でしかいられなくなった、と言うべきかもしれない。
英雄であった頃のアレンは、常に一人で行動していた。
些細なミスや僅かな油断が命取りになりかねない中、焦りを表に出すことは許されなかったのだ。
今のアレンの状況はその結果でしかなく、必要に応じて身につけなければならなかったものでしかない。
それは状況を的確に処理するためには有用かもしれないが、決して誇れることでなければ、真似をすべきことでもなかった。
「ま、これ以上の話は道中でするとして、とりあえず行こうか」
「行くって……もしかして?」
「もしかしても何も、ノエルは行くつもりなんでしょ? さっき自分で言ってたし、そんなノエルを放っておくほど冷酷じゃないつもりだけど?」
「……そうですね。まだ状況はよく分かっていませんが、何か大変なことになっているんですよね? ならば当然お手伝いします」
「……何が出来るか分からないけど、手伝う」
「……そ。ありがと。まあ、もっとも何が起こってるのかよく分かっていないのはあたしも同じなのだけれどね」
そんなことを言いながら、ノエルはゆっくりと立ち上がった。
自分の身体の調子を確認するように一通り確かめると、一つ頷く。
詳しいことは何も分かってはいない。
分かっているのは、子供が助けを求めるような何かが起こっている、ということだけだ。
あとは、おそらく先ほどから続いているこの轟音も関係あるのだろう、といったところか。
正直何も分かっていないに等しい。
だが何にせよ、まずは現場へと行ってからだ。
本気で移住を考えるほどに平穏な場所だったはずなのだが……それも今は言っても仕方がないことである。
一つ息を吐き出すと、互いに顔を見合わせ、頷き合う。
それからノエルを先頭にして、その場から駆け出すのであった。




