意味のない戯言
自分達に割り振られた家へと引っ込んだアレン達は、正直に言ってしまえば暇を持て余していた。
何せ娯楽らしい娯楽はなく、万が一のことを考えれば外に出ることも出来ないのだ。
できることと言ったら世間話程度であり、だがそれにしたって話題はそうは続かない。
数ヶ月ぶりにあったとかいうのならばまだしも、ここ半年ほどはずっと同じ屋根の下で暮らしていたのだ。
そうそう暇潰し代わりの会話が長続きするわけもなかった。
しかし沈黙が発生したところで、気まずい思いをすることがなかったのは、その半年があったからこそだろう。
そして今も発生しているその沈黙の中、アレンはボーっと虚空を眺めていた。
ボーっとしていながらも、やはりと言うべきか、その思考を占めるのはここで暮らすか否かという問題だ。
割と本気で悩み始めているそれを、さてどうしたものかと思いつつ――
「……アレン君、本気でここに住むつもりなんですか?」
と、不意にリーズがそんなことを問いかけてきたのは、アレンの様子から今何を考えているのかを悟ったからなのだろうか。
あるいはそれも半年暮らした成果と言うべきか、などと考えながらも、特に隠すことでもなかったので頷きを返す。
「そうだね、さっきも言ったけど、割と本気で考えるよ。意外と悪くないというか、僕の求める条件に合うしね」
閉じた空間であるから、外から厄介事が持ち込まれることはないし、ここにあるのは平穏そのものの光景なのだ。
少なくとも今まで見てきた中では間違いなく一番の候補地である。
ここに住むということは帝国に属するということと同義ではあるが、その程度のことは瑣末事だ。
帝国の人間として王国と戦争しなければならないというのならばともかく、望まなければそうする必要はないというのである。
ならば、何の問題もあるまい。
「……それはやはり、アンリエット様が近くにいるから、ですか?」
「へ? 何でアンリエット?」
予想だにしていなかった名前を告げられて、思わず間抜けな声が漏れた。
改めて言うまでもなく、アレンの求める条件というのは平穏に暮らせるか否かのみだ。
それ以外はどうでもいい……とまでは言わないまでも、少なくともアンリエットが無関係なのは確実である。
だがこちらの反応をどう判断したのか、リーズは拗ねたように少し頬を膨らませた。
「だってアレン君とアンリエット様、どう考えてもただの知り合いではないじゃないですか」
「……確かに、それはあたしも少し気になっていたわね」
「……親しそうだった?」
「ああ、いや、まあ、うん……確かに実際にはただの知り合いってだけじゃないけど……」
そのことを説明するには、前世のことから話されなければならないため、どうしたって歯切れが悪くなってしまう。
彼女達ならば話しても問題なさそうだとは思うものの、敢えて話す必要のあることでもあるまい。
それに話したところで、楽しいことではないのだ。
正直なところ、あまり話したいことではなかった。
まあ、何にせよ――
「アンリエットは無関係だよ。近くにいるってことに対して何も感じてないって言ったら嘘になるけどね」
ここで暮らすとなれば、ほとんど知らないような場所で、ほとんど知らない人達に囲まれて、ということになるのだ。
近くにいる知り合いの存在が頼もしく感じるのは当然のことだろう。
しかしそれ以上でなければ、それ以下でもない。
「そう、ですか? それならば、いいのですが……」
「疑いは晴れたかな?」
「う、疑いとか、べ、別にそういうことではなくてですねっ……」
「……浮気を疑われた夫?」
「確かにそんな感じよね、ってさっきからずっと思ってたわ」
「で、ですから違いますって……!」
頬を赤く染めながら慌てたように否定するリーズだが、分かっているのかいないのか、はいはいと言って手を振りながら適当な様子でノエルは受け流す。
そんな光景を苦笑を浮かべながら眺めていると、そのままノエルの顔がこちらへと向けられた。
「でもそういうことならば、あたしもここに来ても問題はない、ということかしら」
「え? まあそりゃ良いか悪いかで言えば良いだろうけど……もしかして、決めたってこと?」
エルフの王になるということを。
ここに住まなくてもいいと言われたというのに、ここに住むことを決めたというのならば、それはそういうことになる。
が、そんな問いかけに、ノエルは肩をすくめて返してきた。
「違うわよ。むしろ決めるために、ってこと。どうするのか決めるには、やっぱり直接この目でしばらく見てからじゃないと分からないでしょう?」
「んー……それは確かに?」
一日二日見た程度では分からないだろうし、その情報を元にどれだけ考えたところでそれは同じだろう。
エルフ達にとっても、ノエルにとっても大事なことなのだから、そうしてじっくり考えたいというのならば、道理と言えば道理である。
「そもそもの話、考えてみたらあたしって別にもうあそこにいる必要って特にないのよね。ドワーフに話を聞いたり工房を見ようとするならば、こっちでも問題はないわけだし。鍛冶師を辞めるつもりはないからここに工房を作り直す必要はあるけれど、問題といったらそのために多少時間が必要、ということぐらいだもの。出来上がったものの良し悪しを判断してもらうためにも、あなたの近くにいた方がいいということも考えれば、むしろここに住むのは利点しかないんじゃないかしら?」
「……なら、ミレーヌもここに住む」
「……そうね。もう店番は必要ないでしょうけれど、だからといってほっぽり出すのは無責任だもの。そういうことならば、このままここを使わせてもらえないか聞いてみようかしら? 三人でここに住めば色々と手間が省けるでしょう?」
「いや、それはどうなんだろう」
何やらポンポンと勝手に決まっていきそうなので思わず反論してみるも、ノエルは再度肩をすくめてくる。
「何よ、別に今更でしょう? 半年ほど繰り返してきたことから、一人抜けるだけよ? それとも、嫌なのかしら?」
「いや、別に嫌ってわけではないんだけど……」
「と言いますか、どうしてわたしが抜ける事が確定しているんですか……!? そ、そういうことなのでしたら、わたしもここに住みます……!」
「いや、リーズはまずいでしょ」
「まあ、あなたは駄目よね」
「……リーズは駄目」
「ど、どうしてですか……!?」
皆に一斉に反論されたからか、リーズは軽く涙目になっていたものの、仕方のないことだろう。
というか、どうしていけると思ったのか。
「僕達はぶっちゃけほぼ根無し草のようなものだからね。どこ行ったところでそれほど問題にはならないけど……」
「あなた忘れているのかもしれないけれど、公爵家の当主なのよ?」
「……それも、国境沿いを任されている重要な家」
「うっ、そ、それは……」
反論の余地がないことを理解したのか、リーズは言葉を詰まらせて押し黙る。
だが納得していないことは明白で、涙目で見上げてくるその顔は、まるで捨てられそうになった子供だ。
そのあまりな姿に、つい苦笑を浮かべる。
「大袈裟だなぁ……というか、別にここに住むって決まったわけじゃないし、仮にそう決めたところでどうせすぐに住むことは出来ないしね」
「えっ……そうなんですか?」
「さすがに帝国内部ががたついてる今ここに住むのは無謀以外の何物でもないからね」
皇帝の暗殺犯を探して一年にもなるということは、さすがにそろそろどうにかしなければならないという空気になっているはずである。
となれば最も手っ取り早いのは冤罪でもいいから犯人をでっち上げてしまうことだ。
そうなればとりあえずの片は付き、次へと進める。
話に聞いている限りだとそこでもまだもめそうだが……とりあえず問題なのはそのでっち上げられる犯人だ。
冤罪とはいえ、当然それなりの説得力が必要であり……エルフの森に隠れ住んでいた王国の人間などというのは、如何にもそれらしすぎる。
実際にはノエルがいることを考えればそういったことにエルフ達が協力するとは限らないものの、可能性があることに違いはない。
別に急ぐ必要はないのだから、わざわざそんな時に移り住む必要はない、ということである。
「だから移り住むことにしたところで、実際にそうするのは結構先になるんじゃないかな? というか、ご破算になる可能性もあるしね。帝国が落ち着いても、落ち着いた結果王国に戦争吹っかけてくるかもしれないし、あるいは最悪、落ち着かせるために戦争を仕掛けてくる可能性だってあるんだし」
内部で団結するのに最も手っ取り早いのは、外部に敵を作ること、というわけだ。
元々敵だということも考えれば、特にやりやすいに違いない。
正直なところ、その可能性は決して低くはないのだ。
「……その時は、どうするんですか?」
「んー……そうだね。いっそリーズの下について、帝国に逆侵攻仕掛けるのもいいかもね」
「それは良い考えね。ここを奪ってしまえば、面倒が減るもの」
「……リーズがここと繋がってる街に住めば、完璧?」
「確かに完璧だね。まあその時にはアンリエットが大変なことになってそうだけど……」
むしろ、そのままアンリエットもこちらに取り込んでしまう、というのもありかもしれない。
どうにも不遇な扱いを受けているようだし、エルフ達はアンリエットに恩があるようなので、そうした方が色々な意味で後腐れはないだろう。
「……なんて、酷い話ね。ここって一応帝国領じゃなかったかしら?」
「……本当ですよ、まったく。帝国の人に聞かれていたら大変なことになってしまいますよ?」
そんなことを言いながらも、さすがに冗談ということは分かったのだろう。
リーズの口元には、気が付けば笑みが浮かんでいた。
「ま、叶うかも分からない話はここら辺にしておこうか。何にせよ、まだまだ時間はあるんだから、今のうちにあーだこーだ言ってたところで、無駄になる可能性の方が高いしね」
「そうね。暇潰しとしては悪くなかったけれど、そろそろ話すこと以外の時間潰し方でも――」
ノエルがそう口にした、その瞬間のことであった。
起こった出来事は、二つ。
一つは、遠くから轟音のようなものが響いてきたことと――
「――ノエル!?」
もう一つは、唐突にノエルがその場にくずおれたことだ。
リーズの悲鳴を掻き消すがごとく、直後にもう一度、遠方から轟音が響いた。




