続・森の散歩
昼食を食べ終えたアレン達は、しばし食後の休憩を取った後で再びエルフの森を回っていた。
ただし昼前の時とは異なり、アンリエットの姿はない。
戻ってくるのが遅れているらしく、アンリエットが戻るのを待つことなく出発したからだ。
とはいえこれは本人から予め言われていたことである。
戻るのが遅くなる可能性もあるから、その時は先に出発してしまっても構わない、と。
エルフの森のことはそれなりに知っているため、後から追いつく自信がある、ということらしい。
そもそも考えてみれば、アンリエットはここに自由に出入り可能な許可を与えられるほどに信頼されているのだ。
エルフに関する知識も豊富なようだし、今回そこまで無理して見る必要はない、ということなのかもしれない。
ともあれ、そういうわけで昼前よりも一人少ない人数でエルフの森を見て回っているわけだが――
「うーん……何ていうか、エルフって本当に自由なんだなぁ」
半分ほど周ってみての、それがアレンの抱いた感想であった。
昼前に見て回った時点で何となくそうなのだろうなとは思っていたものの、エルフというのは大分好き勝手生活しているらしい。
さすがにもう寝ている者はいなかったが、寝そべったままだらけている者は珍しくなかったし、そうでない者も本のようなものを読んでいたり、お喋りをしていたりと、思い思いに過ごしていたのだ。
畑を耕したりしている者は誰一人としておらず、織物に関しても同様。
狩りに出かけている様子もなければ、何か他の生産的なことをしている気配は一切ない。
どんな街でも村でも、有り得ない光景であった。
単純に住んでいる人数や広がっている景色からすれば一見のどかな村と似通っているようにも思えるが、実際にはまるで違う。
のどかな村というのは、辺鄙であることと同義だ。
ならばこそ、自分達のことは全て自分達でやらねばならない。
暢気にお喋りをしていたり、昼寝をしていては、自らの糧を得ることが出来ず、待っているのは餓死か、冬であれば凍死だろう。
見かけに反してというか、のどかそうな場所であればあるほど、実際には真昼間からのんびりすることなど出来はしないのだ。
しかしここでは、それが可能であるらしい。
しかも当然と言うべきか、彼らが飢えたりしている様子などもなさそうだ。
とはいえそうなってくると、一つの疑問が生じてくるわけだが――
「エルフには働くという概念がない……というわけではないのですよね?」
「もしもそうだったのならば、我はもう少し楽に生きることができていただろうな」
そう言って疲れたように息を吐き出す男に、問いかけたリーズは苦笑を浮かべた。
なるほど確かにと、納得したのだろう。
実はアレンも同じようなことを思っていたのだが、それにはアレンも納得せざるを得ない。
アレン達が目にした男の働きっぷりと言えば、こうして自分達を案内しているところだけだが、それだけでも苦労しているのだろうなと感じるような雰囲気を醸し出しているのだ。
他のエルフは働こうとしないから、その分男が苦労している、といったところだろうか。
「まあ、とはいえ言い訳をさせてもらうと、エルフとしては彼らの方が自然ではあるのだがな。元々我らには、働く必要性というものがない。いや……むしろ働くべきではない、と言った方が正しいかもしれんな」
「働くべきではない……? それって、どういう意味かしら?」
「我らは王によって成長することが出来たところで、その速度は他の種族と比べると遥かにゆっくりであり、また長く生きます。他の種族と同じように生きるには、我らは少し長く生き過ぎるのですよ」
「んー……つまり、僕達と同じような生活をしてたら飽きちゃうから、そうならないようにのんびりしてる、ってこと?」
「多少の語弊はあるが、大体そんなものだと理解してもらえれば問題はないな。まあもっとも、それも我らだけで生きているのであれば、の話なのだが」
帝国の一員となった以上はそうはいかない、ということなのだろう。
だがどうやらそのことを理解出来ているのは、今のところ男だけでもある、ということらしい。
「感覚が他の種族と違うから、慣れるのにも時間がかかる、ということなのかしらね」
「そういうことなのでしょうね。とはいえ、そうなると一つだけ分からないことがあるのですが……」
「……ご飯?」
首を傾げながらミレーヌが口にした言葉を、その通りだとばかりにリーズが頷く。
そしてそれは、アレンも気になっていたことであった。
森に住むとはいえ、常に食料を得られるとは限らないはずだ。
安定して食料を得るにはその分時間と手間をかける必要があるはずであり、だが既に述べたように彼らは思い思いに生活しているだけなのである。
そんなことをしている様子は見られない。
しかし昨夜のことを思えば、安定して得られているどころか、余剰分すらあるようなのだ。
そこがどうにも結びつかない。
「ああ。食料のことならば難しいことではない。というよりは、考える必要がないというべきか。この森はある意味では我らの一部でもあり、我らはこの森の一部でもあるのだからな」
「……よく分からない?」
「そう、ですね……えーと、ここに住み慣れているから探さずともすぐに食料を見つけることが出来る、ということでしょうか?」
「いや、そのままの意味なのだが……ふむ、実際に見せた方が早いか」
そう言うや否や、男は唐突に腕を前に突き出した。
それを見ていた全員が一体何をと眉をひそめるも、すぐにその意味は判明することになる。
これまた唐突に、何の前兆もなく、上から降ってきた果物がその掌の中へとすっぽり収まったのだ。
「……は?」
さすがにこれには、アレンも呆然とした声を漏らす他なかった。
他の皆も似たような反応であり、唖然としたままたった今降ってきたばかりの果物を眺める。
「まあ、こういうことだ。我らはわざわざ探すまでもなく、こうして望むだけでこの森が恵みを与えてくれる」
「森が生きている……いえ、間違ってはいないけれど、正しくもなさそうね。何かしら、これ……言われてみれば確かに何かを感じはするのだけれど……」
「ふむ……そうか、我らは生まれた時からここで暮らしているためにそれと分かるのだが、我らの王には馴染みがないためにそれと分からないのですね」
「んー……これは、森にエルフが混じってる……?」
何とも言葉にしづらいのだが、そうとしか『視』えなかった。
こういった経験は初めてなのだが、見えているにも関わらず、全知を使ってもはっきりと認識することが出来ないのである。
ただどうやらそれは、情報量が多いからのようであった。
森を視ているだけのはずなのに、複数のものが混ざって見える。
主には森であるのは確かなのだが、雑音のように他のものが混ざり合い、別のナニカを形作っているかのようだ。
それを何とか理解出来る範囲に落とし込むと、そういうことになるのだが……それで正解だったらしい。
驚いたような、感心したような表情を浮かべながら、男がこちらへと顔を向けた。
「ほぅ……分かるのか。なるほど、さすが、といったところか」
「まあ、完全に理解してるわけじゃないから、出来れば解説してくれるとありがたいんだけどね」
「ふむ、そうか……とはいえ、そう難しいことでもない。我らはここで生まれ、ここで生き、ここで死ぬ。そして我らは、精霊の血を強く引いているからな。死した後は文字通りの意味でこの森へと帰り、子らを見守り続ける存在となる。それだけのことだ」
「なるほど……」
それは随分と、エルフならではのことであった。
生まれてから死ぬまでを、文字通り一つの場所でのみ過ごし、さらには精霊という半精神体の存在の血を強く引いているという事実。
色々な意味で他の種族では真似できないことだ。
しかしその結果として、エルフ達は働かずとも飢えることはない、ということらしい。
「……ですがということは、エルフの皆さんが働かないのは、いつまで経っても親が甘やかせるから、ということにもなりそうですね?」
「……そういう見方も、あるな」
リーズからの突っ込みに、男は思わずといった様子で目をそらす。
どうやら自覚はあったらしい。
とはいえ――
「まあ問題なのは甘やかす方じゃなくて、甘やかされてそれを受けて入れちゃう側だとは思うんだけど……それにしても、ということは、その恩恵を受けられるのはエルフだけだってことだよね?」
「……確かに? エルフ以外は、食べ物がない?」
「さすがにそこは我らも考えてはいる。というか、我らが得てそれを持っていけば良いだけの話だからな。まあ、我らというか、主にそれをやっているのは我なわけだが……」
「んー、なるほど。つまりは、食料も問題はない、と。ところで、たとえばだけど、僕がここに住むことになったとしてもそれって届けてくれるのかな?」
「む? その質問の意図はよく分からんが……まあ、ここに住むとなれば届けるだろうな。ここに住むということは、我らの同胞とみなす、ということなのだから」
「なるほど……要するに、それさえどうにか出来ればここで暮らすのに支障はないってことか」
そうして頷いていると、ふと胡乱げな目を向けられた。
何かを確認するように、ノエルが目を細め見つめてくる。
「……アレン? その言い方からすると、ここに住もうとしているように聞こえるのだけれど?」
「え? うん、まあ、そうだね。それを検討しているところだからね」
当然と言うべきか、それは本気で口にしたものであった。
ここを一通り眺め、話を聞いた結果、検討する価値は十分にあると思ったのだ。
別にアレンはだらけたいわけではないが、少なくともここには平穏が存在している。
木漏れ日の差し込む家の中でのんびり過ごすというのは、中々悪くない状況だ。
ほぼエルフに、というかこの森に養われてしまうような形になることだけが気になると言えば気になるが、何らかの形で対価を支払えばどうとでもなるだろう。
別に彼らは、無欲というわけではないのだから。
「……そういえば、アレン君は元々そのために帝国まで来たんでしたね」
「まあね」
ここを見ていたのも、最初からそのためであった。
元々来る予定にはなかった場所だが、だからこそしっかり見ておく必要があったのである。
結果としては、先に述べた通り、検討する価値ありという感じなのだが――
「ふむ……何やら事情はよく分からんが、ここに住もうと言うのであれば先ほど言った通りだ。同胞と我らが認めてもいいと思えたら、ということだな。もっとも、それが可能かはまた別の話だがな」
「難しい、ってことかしら? でも、他の種族の子供は住んでいるんでしょう?」
「アレはアンリエット殿の紹介で、且つ一時的なものだからです。彼らがずっとここで暮らすということでしたら、いくらアンリエット殿の頼みであろうとも、我らは頷かなかったでしょう」
「んー……じゃあ、僕も一時的に住みたい、って言ったらどうなるの?」
「その場合は……そうだな。まあ、アンリエット殿が問題ないと保証してくれるのであれば、まだ可能性はあるだろう」
「……ちなみに、一時的とはどの程度の期間なのでしょうか?」
「どの程度、か……そこまで細かいことを考えてはいなかったが、まあ二、三十年程度ならば、といったところか」
「……三十年が、一時的? ……さすがエルフ?」
「まったくだね」
しかしそうなると、割と本気で検討してもいいかもしれない。
三十年も平穏に暮らせるのならば、悪くないだろう。
色々考えねばならないことはあるものの……と、本気で検討に移ろうかと、そんなことを考えた時であった。
男が唐突に足を止めると、明後日の方角へと視線を向けたのだ。
「どうかした?」
「ふむ……どうやら、また客人が現れたようだな」
「客人? 何か分かるの?」
「先ほども言いましたが、我らはこの森の一部でもありますからね。何者かが踏み入れば分かるのです」
「何者か、ですか……アンリエット様ではないんですよね?」
「アンリエット殿だったら分かるからな。別人だろう」
「……不審者?」
「いや……帝国に組み入れられる際、アンリエット殿の他にも仕方なく許可を出した者がいる。おそらくはその誰かだろう。ここには我らが許可を出した者以外入れないからな。というわけで、すまないが一旦案内を中止してもいいだろうか? 出迎えに行けるのが我ぐらいしかいないからな」
そういうことであれば、問題はなかった。
半分程度とはいえ、ここまで来れば残りもどんな様子かは大体想像が付く。
用事が出来たというのならば、これ以上は無理に付き合ってもらう必要はあるまい。
「誰かどんな目的でここに来たのか、ってのはちょっと気になるけどね」
「ですが、やってきたのは帝国の人の可能性が高いんですよね?」
「まあ、あたし達は余計なことをするべきじゃないでしょうね」
「……異論ない」
「ま、後で聞けばいいだけの話ではある、か。そういうわけで、こっちは気にする必要はないよ」
「すまないな」
そう言って、本当に申し訳なさそうに頭を下げながら、先ほど視線を向けた方向へと去っていく男をアレン達は何となく見送る。
そしてその姿が見えなくなると、皆と顔を見合わせた。
「さて……それじゃあまあ、僕達は大人しく引っ込んでおこうか」
「そうですね……ないとは思いますが、わたし達が王国の人間だと知られたら面倒なことになってしまいそうですし」
ここはエルフの森とはいえ、今は帝国の一部で、やってきたのは帝国の誰かである可能性が高いのだ。
そんな相手に王国の者だということが知られてしまえば、何が起こったところで不思議はない。
万が一にもそんなことが起こらぬよう、アレン達はその場から足早に歩き出すと、一路自分達に割り当てられた家へと向かうのであった。




