思索と懸念
見知った道を、アンリエットは一人歩いていた。
時刻はそろそろ昼になろうかという頃であり、おそらく今頃アレン達は昼食を食している頃だろう。
本来はアンリエットも誘われていたのだが、辞退したからこそ、こうしてエルフの森の外を、見知った街中を歩いているのだ。
どうしてそんなことになっているのかと言えば……まあ、色々なことが重なり、決断した結果であった。
本当はアンリエットも、直前まではアレン達と共に食事を取るつもりだったのだ。
だが夕食のことを考えれば一旦屋敷に戻るべきであり、それにはこの時しかなかったのである。
夕食のこととはもちろんのこと、夕食を屋敷で取るということに関することだ。
昼食後にもう一度エルフの生活を見て回り、そこからどうするかはまだ決めていないものの、とりあえず夕食はアンリエットの屋敷で取ることに決まったのである。
しかしそのためには、さすがに連絡をせねばなるまい。
連絡もせずに夕食事に戻り、唐突に五人分の食事を用意しろなどという無茶を言うつもりはないのだ。
あるいは言わずとも念のために用意している可能性はあるが……それはそれとして、連絡は入れるべきだろう。
それに、昨日は結局連絡を入れることはなかった。
もしかしたらエルフの森に行って泊まるかもしれない、ということは予測できていたためにそう伝えてはいたものの、決定していたわけではないのだ。
きっとどうなってもいいように両方の準備をしていたはずで、その労いも必要である。
ともあれそういうわけで、昼食は取らずに一旦アンリエットだけが屋敷へと戻ることになったのだ。
「ま、昼食後に行くっつーのもありっちゃあありだったんでしょうがね」
だがそうなると、アレン達と共にエルフの森を回る事が出来なくなってしまう。
アンリエットは何回も見た事があるため、必要ないと言えば必要はないのだが……そういう問題ではない。
アレンはおそらくこっちに最長でも一週間程度しか留まっておらず、王国に帰ってしまったら次はいつ会えるか分かったものではないのだ。
元々敵国であることを考えれば次がなくとも不思議ではなく……何故敵国に転生してしまったのかと思うが、仕方があるまい。
それが最もアレンの役に立てると思ったのだから。
そして何にせよ、現在そうなってしまっている以上は後悔しても仕方のないことだ。
現在あるチャンスを最大限に活かすしかないのである。
「まったく……まるで人間の女みてえなこと考えるですが……まあ、仕方ねえですよね。今のワタシは正真正銘人間の女なんですから」
そう、だから仕方がないのだと独りごちながら、肩をすくめる。
それに、今離れることにしたのは一応他にも理由があった。
少々思考を整理したかったのである。
あそこでは駄目だ。
下手をすればアレンに気付かれる。
アレンに気付かれないうちに、しっかりと考えたかったのだ。
その内容とは……端的に言ってしまえば、どうして悪魔の子供が精霊石のことを知っていたのか、ということである。
アレは本来、エルフにとって秘中の秘だ。
自分達にとっての生命線であり、下手に知られてしまえば利用されるだけ利用されて終わってしまう、ということをよく理解しているからである。
実際今エルフ達が自由気ままに暮らす事が出来ているのは、精霊石を小出しに売っているからだ。
その資金があるからこそ、働いたりする必要がないのである。
もちろんエルフが直接売買に動いてしまえば、そのうち勘付かれてしまうだろう。
そのため、今はその窓口はアンリエットが担当している。
仕入先は秘密ということにしているが……エルフ達が作り出せるということを知られてしまえば、きっとあるだけ求められ、さらに作り出すよう言われるに違いない。
だがそれは色々な意味でエルフ達の望むところではないのだ。
ノエルにも言ったが、基本的に精霊石は自身の力が元となっているため、エルフ達はそれを自分の分け身のように扱っている。
売るなどとんでもなく……それにアレは、エルフ達にとって切り札の一つだ。
そういった意味でも手放すなど有り得ないだろう。
そしてそんな情報を、彼らがそうそう話すとは思わない。
だからエルフ達の誰かから教わったという可能性が最も高いにも関わらず、アンリエットは同時にそれは最も可能性が低いだろうと思ってもいるのだ。
確かに一緒に場所で暮らしている以上は半ば家族のようなものだろう。
しかしエルフの同族意識はことのほか強い。
一度も会っていないノエルのことを即座に王と認めたのも、その身に確かにその血が流れているのを確認したからではあるのだろうが、その辺も理由の一つだ。
彼らのことを同族として見れていないのは、あの幼子が現れた時のパーシヴァルの様子からも明らかであり、そんな彼らに精霊石のことを教えるだろうか。
アンリエットが教わっているのだから、有り得ないとは言えないものの……どうにも気にかかった。
だが現実的に考えれば、エルフとは異なり彼らはエルフの森を出る事が出来ない。
単純にその手段がないからだ。
エルフの森は一種の生物のようになっており、その主であるエルフ達の許可なくては出入りすることは出来ないのである。
悪魔であることを考えれば、彼らにその許可が下りることなど万に一つもなく、つまり情報を得るにはエルフの誰かから教わるしかないのだ。
あとは、元から知っている可能性だが……アンリエットはちょくちょく彼らに会いに行っているものの、今までそんな話を聞いた覚えはない。
エルフにとって秘中の秘となっているように、彼らが隠していた可能性もなくはないが……それならば、このタイミングでは出してこないだろう。
どうにも不自然であった。
「……ま、不自然だと思ってるからこそ、あそこで考えたくはなかったんですが」
アレンがノエルに渡されたアレに対して不安を覚えていたのは、見ていれば分かることだ。
だから、さらに不安を与えるようなことはしたくなかったのである。
もっとも、この調子では戻るまでに思考の整理は付けられそうにない……というか、より何かあるのではないかという疑惑が強くなってしまいそうだが――
「うーん……本当に何かあってからでは遅いですし、戻ったら言うしかねえですかねえ。気は乗らねえですが……っと、ん?」
そうして、さてどうしたものか、などと思いつつ屋敷へ向かっている途中で、ふと気になる姿を見つけた。
それは一組の男女であった。
ただし両方とも成人前といった外見の少年少女であり……二人とも、見知った姿だ。
片方は、先ほど途中まで自分達の後をつけてきていたエルフの少年フィリップ。
しかし問題はもう片方であり――それは、アレンが昨日出会ってしまった少女であった。
「……何でアイツがこの街にいやがんです? アレンに繋がる情報は全部消したはずですが……まさか、逆にそこから辿りやがったんですか?」
リゼット・ベールヴァルド。
黒狼騎士団という、帝国でも精鋭中の精鋭が集まると名高い部隊の中でも、一際有名な人物だ。
その有能さもまた有名であるため、アンリエットは十分に警戒していたつもりなのだが――
「甘く見てたつもりは毛頭なかったですが……それでもまだ甘かった、ってことですか?」
しかもそんな人物が、一体フィリップと何をしているというのか。
何かを話しているようではあるが、さすがにここからでは分からない。
「フィリップの顔でも見えりゃあ何となく推測も出来ると思うんですが、こっちからだとよく見え……っと、離れていったですね?」
リゼットはフィリップに頭を下げると、そのまま去っていってしまった。
用件は終わった、ということなのだろうか?
まあ、本人に確認してみればいいだけの話である。
取り残された形となったフィリップへと、足早に近付いていく。
「――フィリップ」
「あれ、アンリエット様? どうしたの?」
「それはこっちの台詞です。今のやつとは何か話してやがったんですか?」
「話してたっていうか、道を聞かれただけだよ? 初めて来た街だから、分からなかったんだってさ」
「そう、ですか……」
つまりフィリップに関しては、ただの偶然だったということだろうか?
この街に来たのは偶然ではないのだろうが……。
「……ちなみに、何処に行くって言ってたです?」
「アンリエット様の家だって」
「……そうですか、ウチですか」
となると、本当に自分に当たりをつけた……少なくとも、その可能性があると考えた方が自然だ。
だがおそらくは、彼女の本来の役目はアレ関連だろう。
ということは――
「……ま、とりあえずはいいですか。つーか、もう昼なんですから、オメエはとっととあっちに戻るですよ」
「分かってるって。気分転換は出来たし、もう大丈夫だと思うから」
「そうですか……ああそういえば、一応伝えておくですが、突然いなくなったからノエルが気にしてたですよ」
「え? 王様が? 本当!?」
王様に心配をかけたということなのだから、喜ぶことではないはずなのだが……それだけ気にされたかったということか。
昨日の今日だというのに、本当に随分と慕われたものである。
「ま、そういうことですから、とっとと戻るです」
「うん、帰る帰る! アイツにも謝んないと!」
「うん? アイツに謝る、です? 誰かに何かしたですか?」
「何かしたってわけじゃないんだけど……ほら、王様に撫でられてたアイツのことさ、悪魔のくせにとか、そんな風に思っちゃったから。アイツは全然悪くないのに」
「思っただけなら別に問題はないと思うですが……ま、好きにしたらいいです」
「うん! アンリエット様は屋敷に帰るの?」
「一旦は、ですがね。またすぐそっちに行くですよ」
「うん、分かった! 待ってるね!」
そう言って手を振るや否や、元気に走り去ってしまった。
まったくもって、現金なものである。
「さて、と……」
しかしアンリエットもまた、のんびりしてはいられない。
屋敷に戻って、色々と報告をし、受け、昼食を軽くでもいいからとって、すぐにエルフの森に戻らねばならないのだ。
多少急ぐ必要はあるだろう。
それに……どうやらやることも増えてしまったようだ。
「まったく……やれやれですね」
これもやはり、アレンに関わっているからなのだろうか。
非常に忙しなく……だが、悪い気はしなかった。
あの頃とは違い、端役ではあるのだろうが、その傍に立つ事が出来ているのだから。
「ま、そのためにも、ですね」
短い時間の中、出来る限りそこに立ち続けるため、アンリエットは少し足早に歩き出すのであった。




