二つの溜息
夜も更けきった中、世界は静寂に包まれていた。
大半の者が眠りに落ちている時間帯であり、未だ活動している者達も音を立てないようにしているからだ。
他人に迷惑をかけないためであったり、やましいことをしているからであったり……あるいは、それを捕らえようとしているからであったり。
それぞれ理由は異なるものの、ある意味では皆の努力の結果によってその状況は保たれているとも言えるのだ。
そして、エルフの男――パーシヴァルもまた、その一人であった。
「さて……どうしたものか」
自室の椅子に深く腰掛けながら、パーシヴァルはその額に皺を刻んでいた。
悩んでいる、ということはその様子を見るだけで明らかであり……とはいえ、実際のところはそう大した事があるわけでもない。
単純に、興奮のあまり寝付けないだけだからだ。
ついでに言うならば、その理由はとても簡単なものである。
自分達の王が見つかってくれたからであった。
要するに、他の皆と同じだ。
皆には落ち着くよう言っておきながら、自分がまだ落ち着けていないなどと、間抜けにも程があるが……それも仕方があるまい。
それほどまでに待望の存在だったのだから。
希望を提示されてはいながらも、それは先の見えない希望でもあった。
そもそもそれは、その先に本当に望むものがあるのかも分からない不確かな希望だ。
緩やかに死にいく絶望に比べれば遥かにマシとはいえ、何か確かな安心が欲しかったのである。
皆も辛かったとは思うが、皆を引き連れなければならなかったパーシヴァルの重圧は一際であった。
何せ一歩間違えれば、それはそのまま種の絶滅と同義だ。
重圧を感じないわけがあるまい。
そんな中で、王が見つかったのだ。
それがどれほどの安堵をパーシヴァルにもたらしたのか、きっと他の誰にも分からないだろう。
それでもあの方に王にならなくてもいいと言ったのは、本心からのものであった。
王がいると知れただけで、十分だったからだ。
万が一自分達のしていることが全て無意味に終わっても、縋ることの出来る先があると思えるだけで、重圧は驚くほど軽くなった。
実際に縋るかは重要ではない。
そう思えるだけで、十分だったのだ。
それに最悪の場合、あの方が子を産んでくれれば、それだけでも種は存続していくのである。
自分達の血を残すことは叶わないが……種が滅んでしまうことに比べれば遥かにマシだろう。
ともあれそういったわけで、王の存在はパーシヴァルにこれ以上ないほどの喜びと興奮を与えてくれたというわけで……だが今はそれが仇となって寝られない、ということであった。
しかも明日は、王達にここを改めて紹介し、案内する予定なのだ。
寝不足の顔を見せるわけにはいかず、なのに寝られないという、それもまた悩みの一つとなっていた。
「……ふっ、こんなことで悩んでいるなどと誰かに知られたら、いい恥だな」
だがある意味では、それもまた嬉しいものなのかもしれないと、パーシヴァルはそんなことを思う。
そんなことで悩む事が出来る、ということだからだ。
鬱々と悩むことなどとは、比べ物にすらなるまい。
「それもこれも、全ては彼女のおかげ、か……本当に彼女には頭が上がらんな」
最初の頃は、事あるごとに何のつもりだと疑い、敵意を向けたこともあるほどであったが……今では心底申し訳なく思う。
彼女に自分達は何が返せるだろうかと思うも、それはまた別で考えるべきことだろう。
「何にせよ、この怪しげなものには乗らなくて正解だった、といったところか」
呟きながら、パーシヴァルは手元の黒い羊皮紙を軽く弾いた。
差出人は不明。
届けた方法も不明。
確かなのは、そこに刻まれた言葉のみである。
「我らが王を提供する代わりに、我らの力を貸せ、か」
それは今から半年以上前、気が付けば手元にあったものだ。
返信方法が不明だったのもあるが、あまりにも怪しかったために放っておいたのだが、結局それ以上の反応はなかった。
こちらの意思を理解したのか、それとも別の何かがあったのかは不明だが、現状を考えればその対応は正解だったといったところだろう。
もちろん気になることは色々とあるものの、今は気にしても仕方があるまい。
「……気になると言えば、あの子達もその一つではある、か」
この地に住まうことを許した、悪魔の子供達。
無論彼らに罪がないことは分かっているし、受け入れたのも自分達だ。
だが彼らが強大な力を持っているというのも事実なのである。
油断することは出来なかった。
とはいえ、それを踏まえた上で、今最も気にすべきことは別にある。
今気にすべきことは何よりも――
「さて……本当にどうやって寝たものか」
眠気がまったく襲ってこないことに溜息を吐き出しつつも、パーシヴァルはその口元を、ほんの少しだけ緩めたのであった。
一人のエルフが喜び混じりの溜息を吐き出していたのと同じ頃、とある街中で一人の少女が溜息を吐き出していた。
ただし、そこにこめられたものは真逆だ。
少女のそれは、陰鬱なものであったからである。
「うーん……どうしたものっスかねぇ」
少女――リゼットもまた、その時間帯に動く者らしくなるべく音を立てないようにしていたが、その時ばかりは仕方がなかった。
何故ならば、本気で悩んでいたからである。
というか、そもそもリゼットが音を立てないようにしているのは、職務柄だ。
やましい者を捕らえるためであり……だがその対象が見つかる気配がないのだから、音など気にしても仕方がないのである。
静まり返った街の中を、再度吐き出されたリゼットの溜息の音が響き渡った。
「さすがにこっちも空振りに終わるとは思っていなかったっスからねえ」
昨日見かけた怪しい少年を捕まえるべく、リゼット達は本気で行動をした。
街道まで封鎖し、方々から向けられた文句の言葉をいつも通りに黙殺し……だがいつもとは違い、完全に空振りに終わってしまったのである。
あの少年が王国の者でなかったというのならば、とりあえずの問題はない。
見当違いのことをしてしまった自分達が悪いだけであり……しかし、それにしては妙だった。
痕跡がまったくなかったからだ。
何処に逃げたのか分からない、というだけならば、やはりどこかの間者であったかと思うだけである。
だが、彼はあの街に入った形跡すらなかったのだ。
「……有り得ないっス。特に今は厳重警戒中っス。別の方角からやってきたとか誤魔化されることはあっても、痕跡を完全に隠すなんてことは不可能っス」
もしもそれが可能だというのであれば、リゼットはそもそもあの少年の姿を見つけることすら出来なかったはずだろう。
となれば、答えは一つだ。
痕跡はなかったのではなく、消されたのである。
無論、自分達がいる以上はそれもまた不可能だ。
ただし、あくまでも外部犯の話ならばである。
内部犯ならば……あるいは、それに非常に近しい者ならば、可能かもしれない。
「まあ、それも結構無理やりではあったんっスけどねえ」
要するに、ただの消去法だ。
他に考えられないのならばそれしかないだろうと思っただけ。
推論というよりは暴論の方が近い。
だが、そう言って流してしまうには、一つだけ気になる事があった。
「あの街にはあの時、彼女がいたらしいっスからねえ」
彼女――アンリエット・リューブラント。
リューブラント侯爵家の正当な後継者であり、だが扱い的には自分達に近い。
忌み子とすら呼ばれた彼女ならば、こちらに気取られずに人一人の痕跡を消す程度のことは可能だろう。
しかも彼女は、話によれば昨日の到着が日没になるかというギリギリの時間にあの街を後にしたという。
あまりにも怪しすぎる話だ。
普通に考えれば、そんな危険なだけで利点の少ないことなどしまい。
もちろん、急ぐような用件があったのかもしれないが……リゼットはどうしても気になったのだ。
そのため、後を他の皆に任せて一人彼女の住むこの街にやってきたというのに――
「肝心の彼女は留守とか、空振りにも程があるっス……とも、言えないっスかね」
見方によって、だから急いでいたのだ、とも取れるかもしれない。
しかし何処に行ったのだというこちらの問いに返ってきたのは、言えない、というものだったのだ。
正直に言って、非常に怪しかった。
それとも、それまで怪しいと思ってしまうのは、最初から疑ってかかっているからだろうか。
名目上とはいえ、彼女は侯爵家の正当後継者だ。
さらには自分にも知らされていないような役目が彼女にはあるという話も耳にしている。
それ関係だと考えれば不思議でもないのかもしれないが……やはり、気になった。
とはいえ詳しく調べようにも、ここは自分の権限が及ばない数少ない場所の一つだ。
あまり無茶をすればこちらの首が物理的に飛びかねない。
「ま、とはいえ、それは結局変わらないっスかねー」
街道の封鎖をしておきながら成果なしとかいうことを既にやらかしてしまったのだ。
このまま何も得られなければ、結果は変わらないだろう。
それを忌避する気持ちは、正直なところあまりない。
結局は色々な意味で自業自得だからだ。
もっとも、出来れば死にたくはなく――
「とりあえず、どうせ結果は変わらないというのならば、もう少し粘ってみるっスかね」
それで駄目だったのならば、潔く死のう。
開き直ったようにそう考え、頭を切り替えると、リゼットはでは何からしようかと、これからすべきことを薄暗い街の片隅で考え始めるのであった。




