答えの出ない悩み
ふと、目が覚めた。
いや……より正確には、意識がはっきりしてしまった、と言うべきか。
まどろみの中を漂っているような感じで、ずっと意識そのものはあったのだ。
しかし意識がはっきりとしてしまったのであれば、仕方がない。
これ以上目を瞑っている気にもなれず、ノエルはゆっくりと身体を起こした。
「はぁ……あたしって、こんなに繊細だったかしらね?」
自分で言うのも何だが、それなりに図太いつもりだったのだ。
それがまさか、王になるのか否かで悩むあまり眠れなくなるとは、予想だにしていなかった。
向いているかどうかで言えば間違いなく向いていないし、柄でもないこともよく分かっている。
だが、王としての実務は任せてしまってよく、自分は今までと変わらない生活をしてしまっていいと言われているのだ。
それに……ふと頭に浮かぶのは、今日色々と話したエルフ達の姿である。
その顔には、皆が笑みを浮かべており、そこには偽りのない喜びがあった。
本当に自分と会えたということを心の底から喜んでくれているのがありありと分かり……それを無視出来ない程度には、どうやら自分にも人並みの感性というものがあったらしい。
「……本当に意外よね」
相手は同胞とはいえ、今まで見も知らぬ相手だったのだ。
というか、そもそもの話、ノエルは正直なところ自分がエルフだということを自覚したことはあまりない。
幼少期はあの人とずっと一緒であったし、あの人が殺されてからは王都で鍛冶師として生計を立てていたのだ。
人と接することはあまりなかった上に、鍛冶師としてすぐに名が売れたから差別のようなことも受けた記憶はほぼない。
その後は辺境の地へと行き、やはり同じような生活をしていたため、エルフだと自覚するような機会自体がほとんどなかったのである。
だというのに、彼らが喜んでくれたことを嬉しく思うし、彼らが困っているのであれば手助けしてもいいかもしれない、などと考えている自分がいるのだ。
本当に、自分で自分が驚きであった。
「……あるいは、これが王の血を引いてるってことの意味なのかしらね」
それはつまり、自分の意思とは関係ないところで、血に縛られているということになるが……悪い気はしないのだから困ったものである。
それに、本当に影響を受けていたとしても、それは極僅かなものだろう。
精々が同胞から受ける印象がよくなるとか、その程度のものだ。
自分の意思は変わらず自分のものであり……しかしだからこそ、困っているのでもあるが。
迷っているということはつまり、その迷いは間違いなく自分のものだということだからである。
「……本当に、どうしたものかしら」
迷っているという時点で、本当は決まっているのかもしれない。
やる気がないのならば迷う必要すらないからだ。
その時点で、やってもいいと思っているということなのである。
だがそれでも迷うのは、ノエルは自分のことをよく分かっているからだ。
今までと同じ生活をしていいと言ってくれたが、自分がそれを受け入れることは出来ないだろうことぐらい。
王をやるとなれば、何も出来ることはないということを知っていながらも、きっと自分はここで彼らと共に過ごすことになるに違いなかった。
それは、悪くない話だ。
彼らは自分のことを好意的に思ってくれ、また敬ってもくれている。
それが表面上のものではなく、心の底からのものであると感じるからこそ、ここで生活していくことに不安を覚えることはない。
そしてそんなことを考えてしまうのは……結局のところ、今の生活に満足していないからであった。
何故ならば、今のノエルは目標も何もなく、ただ惰性で生きているに過ぎないからだ。
鍛冶師としての上を目指しているのは、それ以外にやれることを知らないからである。
まだ聖剣を超える剣が打つことが出来るようになったとは思えないが……ノエルの目標とは結局のところ、あの魔物を自らの打った剣で倒すことだったのだ。
それが果たされてしまった以上は、もうやることはないのである。
アレン達との生活がつまらなかったわけではない。
それは十分楽しく、でなければノエルはきっととうに旅にでも出ていたことだろう。
彼らと半年も共にいたこと自体が、その生活が楽しいものであったことの証左であり……しかしそれは決して、満たされたものではなかった。
胸にぽっかりと穴が空いてしまったように、何をやっていても、ふとした拍子に楽しさと共に虚しさのようなものを覚えるのだ。
何処かへと向かっているつもりでいながら、本当はどこにも進めていないような、そんなものを感じるのである。
あるいはそれは、彼らと共にいるからこそ感じるものなのかもしれない。
アレンは一見すると、平穏に暮らしたいなどというふざけているとも思えるようなことを目的としているものの、そこに確固たる意思があるのは見ていれば分かることだ。
きっと何か理由があり、それゆえのことなのだろうということは、容易に察することが可能であった。
リーズも、一見自由にやっているようでいて、今回帝国にやってきた目的のことなどからも分かる通り、やるべきことはやっている。
むしろその自由さは、自分のやるべきことがしっかり定まっているからのようにノエルの目には見えた。
それが自分のためなのか、誰かさんのためなのかは分からないが……少なくとも、自分にはないものであることに違いはない。
ミレーヌは、無口な方ではあるが、それで自分がないかと言えば話は別だ。
無口な分分かりにくいし未だに何を考えているのか分からないところもあるが、半年も共に過ごしていればある程度のことは分かる。
最初の頃は少し自暴自棄というか、やる気なさげであったが、ここ最近は特にそんなことはない。
きっと確固とした己と、目指すべき目的を見つけたのだ。
何も持っていないのは、自分一人であった。
未だに何も見つけられず、ずっと自分一人だけが同じ場所に立っている。
それで何かを言われたわけでなければ、どうしたというわけでもないのだけれど――
「こんなあたしでも役に立てるのならば……なんてのは、さすがに自虐的過ぎるかしら?」
返答がないのを知っていながら……いや、だからこそ、そんな風に独りごちる。
こんな言葉、誰にも聞かせることなんて出来なかった。
だから、誰かに相談することもない。
言えばきっと皆真剣に考え、悩んでくれるだろうけれど、結局これは自分の問題だ。
誰かに頼るわけにはいかなかった。
「まあそもそもの話、別にすぐに決める必要もないのだけれど……」
だが他でもない自分自身のことである。
ここで決めなければうだうだと決められなくなってしまうことなど目に見えていた。
とはいえ――
「さて……どうしたものかしらね」
結局はそこに戻ってしまう。
今に満足していない。
エルフ達に協力してもいいかもしれない、程度のことは思っている。
しかし、そこまでだ。
決定的な何かではない。
満足していなくとも、アレン達との生活はこれでも結構気に入っているのだ。
自分が時折情けなくはなるものの、捨ててしまうには惜しかった。
だがエルフ達のことも何となく放ってはおけず……堂々巡りだ。
せめてこれならば仕方がないと受け入れざるを得ないような、あるいは断るに足るような何かがあれば――
「なんて、我ながら面倒くさい性格してるわね」
優柔不断にも程がある。
自分はもっと豪胆な性格をしているのだと思っていたのだが、意外とそうではなかったらしい。
もしくは、積もりに積もってしまった自分に対する不満が、ここにきてついに爆発したか。
「ま、何にせよ、近いうちに決めないといけないわね」
今夜中に決めるのは、少し厳しそうだが。
妙に目が冴えてしまって再び眠気が訪れるには時間がかかりそうだし、明日は自分が寝不足になりそうである。
「……寝不足って言えば、あの二人は今日も何かしてたりするのかしらね」
去り際二人が目配せのようなものを交わしていたのを、ノエルは目ざとく気付いていたのだ。
二人は昔にちょっと知り合っただけ、といったことを言っていたものの……二人の様子を見る限りどう考えても嘘だろう。
何かあったのか、あるいは何かあるに違いない。
だがそこまで考えたところで、ノエルはその思考を投げ捨てた。
ただでさえ悩んでいるというのに、これ以上悩みの種を増やしてどうするというのか。
胸に湧き上がるモヤモヤも気のせいということにして、ノエルは答えの出ない悩みを考え続けるのであった。




