元英雄、自分の現状を説明する
「……まさかそんなことになっていたとはな。あのステータス偏重主義の馬鹿共め。見る目がなさすぎるにも程があるだろう」
腰から伝ってくる振動を感じながらそんな言葉を耳にし、アレンは思わず苦笑を漏らした。
決して褒められた言葉遣いではないし、どころか吐き捨てるような口調だが、そこには真っ直ぐな怒りがある。
自分のために怒ってくれているのだということが分かり、少しだけくすぐったい気分になった。
「……ごめんなさい、アレン君」
と、不意の謝罪に視線を向けると、その先にあったのは俯き唇をかみ締めているリーズの姿だ。
しかしアレンはそれに首を傾げる。
何故謝られたのかが分からなかったからだ。
「んー、何で謝られたのかが分からないんだけど……? まさかリーズが働きかけて僕を公爵家から追放させたってわけじゃないでしょ?」
「……いえ、もしかしたらそうなのかもしれません」
「へ……?」
冗談で言ったことだったので、まさか肯定されるとは思わず、軽く目を見開く。
だがそれが事実かどうかぐらいは、リーズの顔を見ていれば分かる。
そこには様々な感情が詰まっていたが、おそらく最も強いのは後悔であった。
「……わたしが、もっと強く言っておけばよかったんです。アレン君は出来そこないなんかじゃないって。もっとちゃんと、皆に伝えていれば……そうすれば……」
そうやって自責の念に囚われているリーズを眺めながら、ふとアレンは口元を緩めた。
それは馬鹿にしているわけではなく、どちらかと言えば安堵からのものだ。
その姿はあの時の、アレンが出来損ないと呼ばれ始めた頃、たった一人だけそれはおかしいと口にしてくれた時の姿と、同じであったから。
そう、改めて言うまでもないかもしれないが、以前に述べた物好きの一人とは、リーズのことなのである。
彼女が本当に変わっていないことを知って、つい口元が緩んでしまった、というわけだ。
ちなみにもう一人の物好きはこれまた言うまでもなくベアトリスではあるが、ベアトリスはあの時口をつぐんでいたために、文句を言ってくれたのはリーズ一人だけなのである。
ベアトリスの性格を考えればベアトリスもそこに加わりそうではあるも、ベアトリスはあくまでも騎士であり、しかもリーズを主とした護衛だ。
下手なことを口にするわけにはいかなかったのだろう。
ベアトリスが不満を持っていたのは分かっていたし、アレンも仕方のないことだと分かっていた。
分かっていたからこそ特にそれに関しては何とも思ってはいないのだが、だからこそ余計に、リーズがその時言ってくれたことが、胸に響いたのかもしれない。
しかし、故に――
「いや……リーズは十分やってくれてたよ。あの時一人だけ異議を唱えてくれて僕は嬉しかったし、何よりも救われた気になれた。だからリーズは精一杯やってくれてたし、自分を責める必要はない」
そう言ってアレンは、リーズの頭をゆっくりと撫でた。
そういえばあの頃もよくこんなことをしていたな、などと思いながら、さらに口を開く。
「ま、それに正直なところ、現状はむしろ僕の望む通りだしね。公爵家の嫡男なんてやってられなかったし……もしもリーズのせいで僕があの家を追放されたって言うのなら、僕はリーズに感謝しないといけないかもね? 僕をあの家から追放させてくれてありがとう、って」
「……ふふっ、何ですか、それは……ですが、ありがとうございます」
「どういたしまして」
そうして顔を見合わせると、互いに笑い合う。
家を追放されて礼を言うなど、まったく馬鹿げた話だ。
しかしそれがよかった。
あの家にいたままでは、きっと出来なかったことだろうから。
「ふむ……とりあえず、アレン様……いや、アレン殿は今の状況に満足しているし、特に何をしようと考えているわけでもない、ということか」
「ま、そういうことかな。というか、だからこそこうして同行してるわけだしね」
パシパシと尻の下にあるものを叩き示すと、それもそうだなとベアトリスが苦笑を浮かべながら、手綱を軽く引く。
それによって流れていた景色の速度が少しだけゆっくりになり、伝わってきていた振動も僅かに小さくなった。
アレン達のいる場所は、御者台の上だ。
つまりアレン達は馬車で移動している最中ということであった。
そうなった経緯は主に二つある。
一つ目は、アレンの事情を真面目に説明しようと思うとそれなりに時間がかかるということ。
二つ目は、じっくり話をするのに適した場所が周囲になかったということだ。
それを解決するため……というと多少語弊が生じるが、ともあれそのための手段が馬車での移動だったのである。
時間を無駄にしない上に移動中の暇潰しになる。
ついでに説明も出来るということで、そうしない理由の方がなかった。
説明しないという選択を選ぶぐらいならばそもそも家を追放されたということを話さなかったし、リーズ達はどうやら辺境の地に存在しているとある村に用があるようなのだ。
辺境の地であろうとも人が集まれば集落になるのは道理であり、その中の一つということらしい。
アレンが具体的に向かう場所を決めていなかったというのは既に語った通りなので、これ幸いと、とりあえずその村まで同行することにしたのだ。
ちなみに三人揃って馬車の外にいるのは、単純に中と外とでは会話がしづらいからである。
本来御者台は座れて二人という程度の大きさなのだが、リーズが小柄なこともあり何とか座れたのだ。
尚、馬車は横転した際に多少損壊してしまっており、特に片方の扉はベアトリスが強引に壊したため無残なことになっていた。
そのまま走れないということはなかったが――
「……それにしても、アレン君のギフトは本当に凄いですよね」
そう言いながらぺしぺしとリーズが御者台を叩いているのは、その部分は損壊していた場所だからだろう。
しかし今はその名残すら残ってはいない。
アレンが直したからであった。
「うむ、まったくだな。人以外の生物だけではなく、馬車まで直せるようなギフトなど、果たしてどれほどの価値があるか分かったものではない」
「そこまで大した代物じゃないんだけどね」
苦笑しながら肩をすくめる。
とはいえ、全てを話したわけではないのだからそう思うのも当然なのかもしれないが。
そう、アレンはベアトリス達に見せた力を全てギフトということにしたのだ。
厳密には、アレンがそう言ったわけではなく、二人がそう思考するようにそれとなく言葉で誘導したのではあるが……大差はないか。
そうしたのは、単純に説明が面倒だったからである。
それが最も当たり障りなく二人に納得させやすいし、少なくとも唐突に前世で英雄だった、とか言い出すよりはマシだろう。
「それは謙遜なのか、あるいは自身の価値を正確に把握していないだけなのか……どちらにせよ、私の言葉に世辞はない。正確に把握していないというのならば、今すぐ認識を改めるべきだ」
「そうですね……少なくともこのことを知られてしまえば、ヴェストフェルト家はどんな手を使ってでもアレン君を連れ戻そうとすると思います」
「まあ、そこら辺は大丈夫だよ。分かってるからこそ嘘を吐いたんだからね」
「嘘……と言えるのかは、何とも言えないところだがな。貴殿から言い出したことではないのだろう?」
「まあね」
「とはいえ、大司教様に言われたことですから……わたしでも信じてしまうと思います。大司教様よりも上のランクのギフトを授かることがあるなど、誰一人として予測出来た方はいないでしょうし」
ギフトを授かるには祝福の儀というものを行う必要がある、というのは既に語った通りだが、ギフトは神から与えられるものであるため、その儀式を行うのは神官と決まっている。
そしてどうやってどんなギフトを授かったのかを確認するのかと言えば、その神官が確認するのだ。
というよりも、こう言うべきか。
誰がどんなギフトを持っているかを判別出来るスキルを持っている者が神官になれるのだ、と。
ついでに言うのであれば、ギフトにはランクというものが存在している。
1から5までに分かれ、数値が高いものほどより強力なギフトということだ。
ただしそれを調べるには、酷く面倒な手段を取らなければならない。
前述のギフトを調べるギフトの効果が、自分のギフトのランク以下のギフトしか調べる事が出来ない、というものであるからだ。
つまりはギフトを調べる事が出来たらそれはその神官の持つギフト以下のランクということになるが、具体的にどのランクなのかは、調べる事が出来なくなるまで続けなければならないのである。
言うまでもなく手間であるため、通常はわざわざ調べることをしない。
だがそれは時に、祝福の儀を行ったというのに、ギフトを授かったか分からないということが発生するということでもある。
とはいえその時は大司教に見てもらうため、問題になることはほぼない。
大司教はランク5のギフトを持っているため、調べられないギフトがないとされているからだ。
しかしアレンは、その大司教が見てもギフトを持っていると認識されなかったのである。
だからアレンはギフトを授かっていないということになったのだが……アレンがギフトにしか思えない力を使えるのは事実だ。
故に二人はこう考えたのである。
アレンの授かったギフトは、ランク6なのだろうと。
これならば何一つ矛盾は発生しない。
ということに、アレンは誘導した、ということだ。
それに、一応完全に嘘というわけでもない。
ギフトが神から授かった力というのであれば、アレンの振るっているこの力もまた確かにギフトだからである。
これは完全に自前の力ではなく、前世の頃女神から与えられた力なのだ。
全知の権能、剣の権能、理の権能。
その三つが、アレンが与えられたものである。
そして権能とは神の力そのものであり、ならば間違いなくギフトの中では最上位だろう。
とはいえあまりに強力すぎて人に扱えるものではないため、それぞれアレンが使えるように大分スケールダウンしてはいるのだが……ともあれ、そういうわけでアレンが嘘を吐いてるとは言い切れないのである。
もちろん、詭弁であることは承知の上だが。
「だが、だからといって息子を追放するような家はあそこぐらいだろうがな……」
「そもそも他の家だったら誤魔化せてたかも分からないしね。ぶっちゃけギフトの件はただの口実だろうし」
ベアトリスが口にしていたように、ヴェストフェルト家はステータス偏重主義などと呼ばれる思考を持っている。
文字通りステータスを絶対として、ギフトはその添え物に過ぎないとする考えだ。
ただ正直言って、これは珍しい。
ギフトは神が与えるものであるのに対し、ステータスやレベルは精霊から与えられたものだ。
最も多いのは両方を尊重するというものであるし、どちらかと言うならば神を信じる者の方が多いだろう。
ステータス偏重主義は時に精霊信仰などとも呼ばれるような、異端気味な考えなのだ。
とはいえ、アレンとしては一理あるとは思っている。
時にギフトの力によってステータスが上の者に勝つ事があるとはいえ、それは稀だ。
ステータスを重視するというのは、合理的と言えば合理的なのである。
そしてだからこそ、レベルの上がらない役立たずは捨てるというのも合理的と言えば合理的なのだ。
もっとも、あくまでもアレンがあの家から出ることを望んでいたからこそそう思うのであって、それを他の者にも強制するのであればアレンはあっさりと意見を翻すだろうが。
「そういえば、ふと思ったんだけど、二人はそれでいいの?」
「何がですか?」
「いや、僕の力が有用だってのは二人とも知ったわけでしょ? で、そんな人間を野に放っちゃっていいのかな、と」
「なるほど……確かにこの国のことを思えば、貴殿を何としてでもあの家に戻すべきなのだろうな。この国の一員として、この国に仕える騎士の一人として。だが私はこの国に仕える前にリーズ様に仕える騎士だからな。そのリーズ様が何を優先するかと言えば――」
「わたしは国よりも友人を優先します。きっと王族としては失格なのでしょうが……それでも、誰か一人を犠牲にして成り立つ国というのは、間違っていると思いますから」
「と、いうことだ。主がこうなのだから、当然私も友人を優先するさ」
「なるほどね……ありがとう」
仮に二人がどうにかしてアレンのことを連れ戻そうとしたところで、アレンは逃げ切れる自信がある。
だがそんなこととは関係なしに、二人はアレンに協力してくれるというのだ。
それは確かにこの国の一員としては失格だが、人としてはきっと正しい。
だからこそ、お礼を口にしたのである。
自分に協力してくれることと、人として正しくあってくれることに対して。
「どういたしまして、です」
「どういたしましてだ」
そうして三人で顔を見合わせると、何となく互いに笑い合う。
穏やかな風が通り過ぎ……本当に、あの頃に戻ったようであった。
「それにしても、友人だって言うんなら、もうちょっとスムーズに名前を呼んでほしいもんだけどね。貴殿って呼ぶことで誤魔化してるのバレバレだからね?」
アレンは既に貴族ではない。
だからベアトリスに様付けを止めるように言い、ベアトリスもそれを受け入れて今度は殿付けで呼ぶようになったのだが、どうにも中々慣れないようでつい様付けで呼んでしまうようなのだ。
本人もそれにすぐに気付き言い直すのだが、あまりに頻発するため名前で呼ばないようにしたようなのである。
「む……さすがに今までが今までだったからな。慣れるまでは勘弁してくれ」
「というか僕的にはいっそのこと呼び捨てでいいんだけどねえ」
「あ、ずるいです。それならばわたしもベアトリスに呼び捨てで呼んで欲しいです!」
「騎士に主を呼び捨てにしろ、と? この口調にしたって、リーズ様がどうしても、というからしているというのに……」
「わたしは気にしませんよ?」
「私が気にするんだ。さすがにそれだけは勘弁してくれ……」
普段は凛々しい雰囲気のベアトリスが情けない声を上げ、そんな姿にアレン達は声を上げて笑った。
穏やかな風に、穏やかな揺れ。
久方ぶりの優しい空気に癒されながら、アレン達はのんびりと目的地へと進んでいく。
やがて、進行方向に小さな村が見えてきた。
だが。
「……あそこが目的の村でいいんだよね? 穏やかでのんびりした村って聞いてたけど、なんか物々しい雰囲気じゃない?」
「私達がそう聞いていたというだけであって、来た事があるわけじゃないからな……」
「何となくですが、何かを困っているような雰囲気、といったところでしょうか……?」
三人で顔を見合わせるも、さすがに何が起こっているのかは分からない。
何かが起こっていることだけは確かなようだが――
「やれやれ……どうやら、すぐに平穏な暮らしをってわけにはいかなそうだね……」
ゆっくり近付いていく村を眺めながら、アレンは溜息と共に呟いたのであった。