悪魔と子供
男がパクパクと口を開閉させていたのは、おそらく言葉を探していたのだろう。
何を言っている、何を馬鹿げたことを、勘違いだ。
多分そんなことを言おうとして……だが、アレンの目に確信があることを見て取ったのだろう。
諦めたように口を閉ざすと、男は溜息を吐き出した。
「何故分かった……と聞くのは愚問か」
「別にそんなことはないと思うけどね」
そもそもアレンがそれに気付いたのは半ば偶然だ。
暇だったから広場を見回し、何となく見た事がない子供がいるような気がして、その外見がエルフのものではないことに気付き、念のために全知で視てみたから悪魔であることが分かったのである。
あるいは、男がもう少し早く来るだけでもそのことに気付かなかった可能性はあるのだから、偶然だと言った方が近いに違いない。
「ま、というかそもそも別にだからといってどうこう言いたいってわけでもないしね」
「……? そう、なのか……?」
疑わしげな目を向けてくる男に、苦笑を浮かべる。
確かに少々言い方が紛らわしかったかもしれないが、それは事実だ。
アンリエットにも先日告げたが、悪魔にちょっかいをかけられはしたものの、その落とし前は既につけているのである。
少なくともアレン個人としては、悪魔そのものに思うところはないのだ。
「僕が気になったのは、悪魔がっていうよりは、他の種族がここに紛れてるってことの方にだからね。エルフは閉鎖的だって話だし。見た感じ客人ってわけでもなさそうだからね」
しかもその相手は、よりによって他国を滅ぼし続けている悪魔なのである。
アレンは悪魔に隔意はないが、それはそれだ。
事実は事実として存在しており、ならば気にならないわけがあるまい。
直接その言葉を聞いたわけではないが、状況から考えればエルフも帝国に併合されたと考えるのが自然だろう。
そして他国に侵略を繰り返すのは帝国も同じではあるが、帝国は武力で制圧し併合することはしても、相手の国を滅ぼすなどということはしない。
悪魔と似ているようでいて、実際にはまるで異なっている。
帝国は話が一応通じるし、降伏を認めてくれるが、悪魔はそうではないのだ。
だがそんな悪魔と一緒にいるにも関わらず、エルフ達は特に問題なさそうなのである。
気になるとは、そういう意味であった。
「ふむ……まあ、先ほどの話からしても、君はアンリエット殿とそれなりに親しいようだ。ならば放っておいても知ることになるだろうし、ある程度ならばここで話しても問題はあるまいか」
「んー……なるほど。アンリエットが関わってるのか……」
その言葉にアレンが思ったのは、そっちだったか、ということであった。
アレンが事前に予測していたのは、二つ。
エルフが以前から悪魔と付き合いがあった、という可能性と、アンリエットが何かをした、という可能性だ。
パッと思いつくのがこの二つだった、というだけではあるが……その後者の方であったらしい。
「ちなみにそれは、見た限りでは子供しかいない、ってことも関係してるのかな?」
「……その通りだ。さすがはアンリエット殿の友人といったところか」
「そこまで大したことじゃないと思うけどね。見たままだし」
そう、少なくともアレンが見た限りでは、悪魔だろうと思える者達は子供しかいなかったのである。
それを偶然と考えるのは、さすがに無理があるだろう。
「そうだな……どこまでこちらで語ってもいいのかは判断がつかないが……彼女は彼らをここで匿って欲しいと最初に言ってきた」
「匿う、か……んー、確かにここは匿うには絶好の場所だろうねえ。ちなみにそれっていつ頃?」
「確か、三年ほど前のことだな」
「あ、アンリエットがあそこに来る前なんだ」
悪魔、匿うとくれば、必然的に皇帝暗殺のことが頭に浮かんだものの、どうやら関係はないらしい。
いや、まだ無関係だと決め付けてしまうのは早いかもしれないが……その辺はさすがに直接聞くべきだろう。
だがそれを置いておくにしても、気になることはあった。
「それって反発は起こらなかったの? いや……反発しなかったの?」
「起こらなかったし、しなかった。それは必要なことだと我らにも分かっていたからな」
「悪魔を匿うことが?」
「いや、重要なのはそこではない。我らが他種族と共に暮らす、ということだ。アンリエット殿は我らに希望を与えると共に、もう一つの道も提示したのだ。そもそも今回はどうにかなったところで、次もまた同じことが起こらないとも限らない。ゆえに、我らはいい加減変わるべきだ、とな」
確かに、今回は回避出来たとしても、いずれまた同じようなことが起こるのは目に見えている。
それをどうにかするということは――
「つまり、自分達だけで成長出来るように、ってこと?」
「そういうことだ。我らは我らだけで完結してしまっていたがために、それでもよしとしてきてしまった。だがいい加減変わらねばならぬと、皆が思ったのだ。無論全員が全員心の底から賛同していたというわけではなかろうし、今でも不満はあるだろうが……我らはあの絶望を体験していたからな。おそらくアレがなければ、それを受け入れることはなかっただろう」
それがいいことなのかどうかは、アレンが判断することではない。
彼らがそれでいいと思って受け入れているのであれば構わないのだろう。
「それに、先ほど語った一部の者が外に興味を持つようになったというのは、その影響も大きい」
「なるほど。確かに他種族の相手ってのはある意味で最も大きな外の存在だし、一度経験しちゃえば次からは抵抗も薄れる、か。でもこうして目に見えて変わってきてるってことは、王を必要としない日が来るのも遠くはないのかな?」
「それに関しては何とも言えんな。そもそも我らの祖がどうして自身のみでは成長できなかったのかもよく分かってはいないのだ」
「それは確かに」
アンリエットのことだから、何らかの確証があってのことではあるのだろうが、彼らからすればそうではない。
そこを断言出来ないのは当然である。
「もっとも、だからといって今やっていることが無駄とは思わんし、やめるつもりもない。……既にあの頃の生活には戻れん、とも言うがな」
「なるほどね……」
そういった男の顔がどことなく苦々しげであったことに、アレンは苦笑を浮かべた。
一度贅沢の味を覚えてしまったら元の生活には戻れない、などということはよく言われることだが、それはエルフも同じであったようだ。
男もエルフではあるが、その辺の感覚は各人によるのだろう。
そしてさすが王の代行などを務めるだけではあるというわけか、男はそういうことは苦々しく思う性格をしている、ということらしかった。
「ところで、色々とよく分かったけど……結局何しに僕のところに来たの? まさかそういうことを話しに来たわけじゃないよね?」
「む、そういえばそうだったな。実は我らの王のことを話してもらおうと思っていたのだが……」
「つまり、他の人達と同じってこと?」
「いや、俺のはもう少し踏み込んだと言うか、もっと我らに深く関係したことだ。端的に言ってしまえば、我らの王は我らの王になってくれるだろうか、ということなのだがな」
何とも言葉の上では分かりにくいものだが、要するにノエルがエルフの王になるか否か、といったことだろう。
正直それはノエルに直接聞くべきではないかと思いながら、ちらりとノエルの姿へと視線を移す。
その様子は困惑という言葉が最も近いものであり、だがきっと王として扱われているからではないはずだ。
もちろんそれも多少は残ってはいるだろうが、先ほどアレン達だけで話をしたことで多少はそういうものだと納得しているはずだからである。
だからあの困惑は、きっと今まで触れてこなかった同胞とどう触れ合うべきか、ということに対してのものだ。
ただ、王として扱われることもそれを受け入れたというわけではないだろうから……そういったことなども踏まえて考えれば――
「まあ、ぶっちゃけノエルは王にならないと思うよ。そんな性格してないし……それにエルフの王になるってことはここに住むってことだよね?」
「いや……必要か否かで言えばその必要はない」
「あれ、そうなの?」
「王であることを納得してくれるのならば、距離は関係ないからな。はぐれとなったエルフは成長しない、などという話は聞いたことがないだろう?」
「そういえば……でも、王としての務めとかもあるんじゃ?」
「それは俺が受け持つ。そもそも、我らが王とはいえ、詳しいことを知らない者に任せることはさすがに出来まい」
「……確かに」
つまり男が重荷に感じていたということは、王のような顔をしながら自分を含めた皆を成長させることが出来ないことに対してだった、ということか。
そしてとなれば、あとは完全にノエルが王となることを受け入れるか否か、というだけの問題ということになる。
ノエルは今までと変わらぬ生活をすることが出来る、というわけだ。
とはいえ――
「……それでもやっぱり、受けるかは何とも言えないところかなぁ。ノエルのことだから、ここに住まなくてもいいって言われたところで、何だかんだで気にしちゃうだろうし。それならいっそのこと受けないって選択をすることも有り得るんじゃないかな。まあ、結局はそっちが上手く説得できるか次第だと思うよ?」
「そうか……貴重な意見助かる。参考にさせてもらおう」
「ありきたりなことしか言えてない気がするけどね」
だが本当にそれで十分だったのか、男はどことなく満足げな顔をしていた。
その姿を眺めた後で、アレンは再度ノエルの方へと視線を向ける。
沢山のエルフに囲まれながら、困惑している様子に目を細め、さてどうなることやらと、予想だにしていなかった状況に小さく息を吐き出すのであった。




