エルフの森
エルフの森、ということは、文字通りの意味で森の中にあるということなのだろう。
その程度の推測は容易いが……ここで一つ問題があった。
アンリエットはエルフの森が近くにあると言ったが、そもそもこの街の近くには森がないのである。
それはこの街にやってきた時点で確認済みであり……さて、ではどういうことなのだろうか。
もしやその近くというのは、使徒時代の感覚を引きずってのものであり、実は馬車で三日ほどかかるような場所にあるのではあるまいな……などというところまで思ったのだが、どうやらそういうことではないようであった。
「ああ、近くにそれっぽいところがないってことですか? そんなん当たり前じゃねえですか。これ見よがしに森があったら所在不明とか言ってたとこですぐにバレちまうですよ。つーか、さっきアレンが言ってたことは、ある意味で正しくある意味で間違ってるです。エルフの森は、そもそも資格がねえやつには見つけられねえですからね」
アンリエット曰く、何でもエルフの森は魔法に秀でているエルフらしく、普段は魔法によって隠蔽が施されているらしい。
資格とは要するにエルフから許可を貰っている者のことであり、同胞を除けばその数は極限られているという話だ。
「同胞であっても、森から離れて暮らすことを決意したやつ……所謂『はぐれ』になったやつからは、森に関する記憶を消すことすらあるらしいですがね」
「それはまた随分な念の入れようだなぁ……まあ、そんなことでもしなければ、未だに所在不明なんてことにはなっていない、か」
「そうですね……それと、記憶を消す、というところで少し気になるところがあるのですが……」
そこでリーズがちらりとノエルの方を見たのは、ノエルには確か幼い頃の記憶がないという話であったからだろう。
そのことと関係があるのでは、と思っているに違いない。
それと――
「……一つ聞きたいのだけれど、一度はぐれになったエルフが森に行こうとする場合、何か問題が起こったりするのかしら?」
ノエルが口にしたそれは、まさにアレン達が気になったことであった。
さすがに聞きづらかったのだが、それを察してノエル自身が聞いてくれたのだろう。
もっとも、先ほどノエルは厭われるどころか歓迎される、といった旨のことをアンリエットが言っていたので、その心配は無用だと思ってもいるのだが。
「そうですね……まあ、基本的には心配いらねえと思うですよ? 記憶を消すのはあくまでも場所が露見される可能性を最小限にするためですからね。つーかそれ以前に、オメエの幼少時の記憶がねえのはそれとは別件だと思うですし」
「そう……」
それで一応納得はしたのか、ノエルはそうして頷き……そのままこちらへと視線を向けてきたのは、アンリエットが最後に口にしたことが理由だろう。
リーズもそれらしいことは言ったものの、幼少時とは言っていないのだ。
つまりは、それを教えた誰かがいると考えるのが自然であり……そうなれば、候補としてはアレンしかいまい。
だが誓って言うが、アレンはそれを話してはいなかった。
確かに昨日は昔話の他にもちょっと雑談はしたものの、さすがに他人の過去を勝手に話したりはしない。
しかし、だというのにアレンが否定することなくただ肩をすくめたのは、ある意味そのことをアンリエットが知っているのはアレンのせいだということに違いはなかったからだ。
おそらくは、ノエルがアレンに話したことを、アンリエットも『視』たのだろう。
半ば、どころか完全に事故ではあるが、それを説明するのは少々手間だ。
ここは一先ずそういうことにして収めてしまった方が得なのである。
あとでアンリエットにはワビの品を要求する必要がありそうだが。
ともあれ。
「……とりあえず、問題はなさそう?」
「だね。ただ……結局どうやって行くの? 話の流れからすると、アンリエットは許可を貰ってるみたいだけど……」
「それは口で説明するよりも見た方が早いと思うです。ああ、あとついでに言っておくと、アンリエットが一緒ならオメエらもちゃんと行けるはずですよ。もっとも、必要ないかもしれねえですが」
そんな意味深なことを口にしながら歩き出したアンリエットの後を追って、アレン達も歩き出した。
とはいえ、その足取りは屋敷の方に向くでもなければ、外に向かっているわけでもない。
今まで街を見学していた時のものと同じようにも一見思え……だが、すぐにそうではないのだということに気付く。
ただ、同時にそれは――
「んー……僕の気のせいじゃなければ、路地裏の奥の方に向かってるだけに見えるんだけど……?」
「路地裏からエルフの森に繋がっている……ということは、さすがにないですよね?」
「路地裏の先にエルフの森があるなんて、さすがに嫌よ?」
「……でも、なんか少し変?」
「確かに……いや、違う。これは……」
周囲を見渡し、僅かに目を見開くと、アレンはそのまま目を細めた。
アンリエットが案内するのだから大丈夫だろうと思っていたので気付くのが遅れたが……なるほどどうやらただ路地裏に連れてこられたというわけではないらしい。
いや、というよりも……今ここにあるのは、あの街の路地裏であって路地裏ではない、と言ったところか。
「――エルフの森に行くのは、実は簡単なんですよ。何せ、本当にすぐそこにありやがるですからね。行きたいと望み、それをエルフ達が了承しさえすれば、そこが入り口となるんです。ただ、これは正規の入り口ってわけではねえですから、アンリエット達はエルフの抜け道、とか呼んでるですがね」
アンリエットがそういい終わったのと、ほぼ同時であった。
周囲の光景が歪んだかと思えば、そこにあったはずの路地裏の景色が一瞬にして消え去り、気が付けば緑豊かな森が広がっていたのである。
あまりの出来事にさすがに驚きを隠しきれないらしく、リーズ達は揃って目を見開くと固まっていた。
「んー、なるほど、近くっていうのはそういう意味かぁ。位相がずれてるだけで、本当に同じ場所にあったんだね。うーん……まったく気付けなかったってことは、大分鈍ってるってことかなぁ?」
「むしろ気付かれたら困るですよ。ここの結界構築にはアンリエットも関わってんですからね」
「……アンリエットが? 何でまた?」
「偶然っていうか、行きがかり上ってやつですね。まあ、最初から関わろうと思ったわけじゃなくて、結果的にそうなったってだけのことです」
「へー……」
本気で感心の声が漏れ、アンリエットの顔をマジマジと見つめた。
すぐにそっぽを向かれてしまったが、そういう反応をするということは本当のことらしい。
そこで少しだけアレンが口元を緩めたのは、アンリエットが使徒としての役割に縛られているわけではない、ということが改めて確認出来たからだ。
使徒は本当に関わることすら禁じられていたものであり、だがアレンが気付けないほどの結界が張られているというのならば、確実に手伝ったということである。
確かにアンリエットは元使徒だと言ってはいたものの、それらしいことをまだ目にしてはいなかったのだ。
しかしこうしてその証拠とでも言うものを見れて、少しだけ嬉しかったのである。
どうしてかは分からなかったものの……使徒であった頃のアンリエットは、何となく辛そうにも見えたから。
それから本当に解放されたというのならば、それは喜ばしいことに違いなかった。
「ところで、ここにアンリエットが関わってるってことは……もしかしてあの屋敷に住むようになったのも?」
「エルフ達が多少は働きかけたようですが、最終的に決めたのは叔父達ですし、叔父達は何も知らねえはずです。ですからまあ、ちょうどいいとか思っただけだと思うですよ?」
「そっか……まあ確かに、あの街はそんな新しくもなかったか。ここを隠すために上から街を作って、君がそこに住んだのかと思ったんだけど」
「近くはあるですけどね。確かにあの街はここを隠すために作られたもんで間違ってねえですし」
「あ、そうなんだ」
つまりは、やはりあの街はダミーであったらしい。
住んでいる人達がどうこうというわけではなく、あの街そのものに意味はなく、このエルフの森を隠すためのカモフラージュであったというわけだ。
そこに街があるというのに、森が隠されているなどと普通は考えまい。
「見つからないはずだよ」
「つっても、本来は街はなくて、草原が広がってただけだったって話ですから、その時ならオメエも気付けたとは思うですがね。実際帝国は見つけちまったわけですし」
と、そんなことを話していると、ようやくリーズ達も驚きから帰ってきたようだ。
周囲を眺めながら、感心したように息を漏らしている。
「空間転移、とはまた少し違うみたいですが、似たようなものだと考えていいのでしょうか?」
「まあそうですね。空間を移動するって意味では同じでもあるですし。ただ、移動する軸が違うですが」
「……『模倣』は無理そう?」
「スキルとかで移動したわけじゃねえですからね。どっちかと言えば結界に取り込まれにいったって感じでもあるですし」
アンリエット達の話を聞くともなしに聞きながら、アレンもまた改めて周囲を眺め、感心したように頷く。
そこにある木々の背は高く、だが不思議と日の光を遮ることはない。
おかげで明るい空気が保たれており、こういった場所特有のジメジメとした感覚もなかった。
過ごしやすそうな場所だなと、素直に思い……そこで、一人だけ違う反応をしている者がいることに気付く。
「ノエル……? どうかした?」
その様子はどことなく、戸惑っているようにも見えた。
見覚えのない場所に戸惑っているのではなく……むしろ逆か。
見覚えがないはずなのに、それに戸惑わないことに戸惑っている、といった印象を受けたのだ。
「え、ええ……そう、ね。何と言うのかしら……この光景にまったく違和感がないのよね。自然とここが自分の居場所だと感じているというか……あたしも何だかんだでエルフだった、ということかしら?」
「それはちと違うと思うですよ? 無意識に理解してるって点では同じでしょうが、オメエのその感覚は、多分ここを自分の国だって認識してるせいでしょうからね」
「国……?」
それはどういうことかと、聞くことは出来なかった。
それよりも先に、アレンはすぐそこに現れた気配を感じ取っていたからだ。
しかも、複数。
いや、それどころか――
「んー……なんか、一瞬で囲まれたんだけど?」
「……そう口にする割には、アレン君全然緊張していないように見えるんですが?」
「敵意とかを一切感じないからね。そういえば、歓迎されるとかアンリエットは言ってたけど……もしかして、これのこと? なんか感じ取れる数から考えると、ここにいるエルフ全員が集まってきたんじゃないかって気さえするほどなんだけど?」
「それは気のせいじゃねえですし、ついでに言えば当然でもあるです。――何せ、『王』の帰還なわけですし」
それはどういうことかということを尋ねることは、再び叶わなかった。
その前に、周囲に控えていたエルフ達が一斉に姿を見せると、そのまま跪いて見せたからである。
そして。
「――お帰りなさいませ、我らが王よ。貴方様がご帰還なされるのを、我ら一同心よりお待ちしていました」
その場にいたエルフ達が、一斉に異口同音で、そんな言葉を口にしたのであった。




