街とエルフ
「くぁ……」
せり上がってきた眠気が抑えられず、思わず欠伸が漏れた。
同時に溢れた涙を目を擦って拭いつつ、一つ息を吐き出す。
どうやら、昨日は少々寝るのが遅くなりすぎたようだ。
「アレン君、先ほどから何度も欠伸を漏らしていますが、寝不足ですか?」
「まあ、ちょっとね」
アンリエットとの昔話に花が咲きすぎて、寝たのは夜も更けきった頃だったのだ。
寝たりない、というのももちろんあるが、どちらかと言えば中途半端に寝たのがよくなかったのかもしれない。
むしろあのまま寝なかった方がよかったのかもしれなかった。
「枕が変わったせいで……っていうタイプじゃないわよね?」
「その通りではあるんだけど、何となく頷きづらいなぁ……というか、自称繊細なノエルは大丈夫だったみたいだね?」
いつも起きてくるのは遅いか、朝起きてきても眠そうで半分寝てそうな様子のノエルが、今日はしゃっきりしていたのである。
まあ、昨日は街に着いたと思ったら、またすぐに移動することになったのだ。
何だかんだで疲れはたまり、その結果として早く寝たからなのだろうが――
「あら、確かにあたしは繊細だけれど、良い物に変わるのならば問題はないもの。あそこまで良い枕ならばよく眠れて朝早く起きれるのも当然でしょう?」
「ああ言えばこう言うなぁ……」
ノエルの言葉には、一応一理あると言えばあった。
さすがは侯爵家と言うべきか、客室のベッドにあった枕はかなり良い物だったのである。
これまた元実家の公爵家で使っていた物よりも良い物で、辺境の地の家で使っている物などとは比べ物にならない。
アレからこっちの物に変わるのならば、本当に繊細な人物でもぐっすり眠れるだろうなと思えるような、そんな代物だったのだ。
もっとも、ノエルに関してはどう考えてもただの言い訳ではあるが。
「くぁ……」
と、そんなことを言っていると、再び欠伸が漏れた。
ただし今度は、アレンではない。
「……アンリエットも眠そう?」
そう、ミレーヌが呟いた通り、それはアンリエットが漏らした欠伸であった。
目元を拭いつつ、その肩がすくめられる。
「まあ、昨日はちと寝たのが遅かったですからね。……誰かさんが中々寝かせてくれなかったですから」
意味深気に告げられた言葉に、皆の足が一瞬止まった。
すぐに動き出したものの、変わりばかりにこちらへと一斉に視線が向けられる。
「……アレン君? まさかとは思いますが……」
「あなたのことだからないとは思うけれど……あなたのことだからあっても不思議ではないのよね……」
「……同感。アレンなら有り得る」
「君達の中で僕は一体どういう扱いなの……? 認識が少しおかしくないかな?」
どんなことを想像しているのかは、言わずとも何となく分かるが、前世のことを語っていない以上は皆の中で自分とアンリエットは多少の面識はあるものの、その程度の関係ということになっているはずだ。
だというのに、そういったことがあってもおかしくないとは、どういうことなのか。
解せぬ。
「まあ、というか、普通に雑談してただけだしね。基本僕から話振ってたから、僕が中々寝かせなかったのは間違いじゃないけど」
「ちぇっー……慌てすらしやがらねえです。面白味のねえやつですね」
「そいつは失敬。でも正直僕は周囲の光景の方に意識が向いてるからね」
「……確かに、昨日はあまりよく見れなかった、ということもありますが……色々と興味深い光景ですよね」
リーズは頷きながら周囲へと視線を向け、ノエル達は言葉にこそしていないが、同じようなことを思っているのがその様子から明らかだ。
そしてアレンに関しては既に口にした通りである。
そこにあるのは、昨日も目にした町並みであり、だが昨日とは違い様々な人が歩いている。
昨日はあまりよく分からなかった街中を、改めて歩いているのであった。
時刻は朝食後しばらく経った頃であり、端的に現状へと至った経緯を説明するならば、暇だったからだ。
そのため昨日よく見れなかった街を見ることになったと、そういうことである。
アンリエットが共にいるのは、要するに案内役だ。
必要あるかと言えばなさそうではあるが……おそらくアンリエットも暇だったのだろう。
昨日昔話をするついでにちらりと聞いたのだが、アンリエットがここにいるのは本当に名目上以外の意味はなく、仕事らしい仕事はないらしいのである。
普段は読書などをして過ごしているらしいので、視察も兼ねているなどと言っていたのはどう考えてもただの建前だ。
ともあれ、そういうわけでアレン達は今街に繰り出し、その光景を見学しているのだが……それは本当に思っていた以上に興味深いものであった。
「これって、帝国全体がこんな感じなのでしょうか……?」
「アンリエットも実はあんま他のとこに行ったことはねえですし、ぶっちゃけ王国に行った回数のが多かったりするんですが、そんなことはねえと思いますよ? ここは特別エルフが多い街なはずですから」
そう、興味深いというのは、それだった。
街行くエルフの数が、妙に多いのである。
他の場所では有り得ないことであった。
それに、それとも関係はあるのだが、もう一つ興味深い事がある。
「しかも、なんか妙にこっちを気にしてる気がするよね? 同胞のノエルがいるからかとも思ったんだけど、それにしては妙に畏まってるような気もするし」
「アンリエットがいるからじゃないの? 名目上とはいえ領主のようなものなのでしょう? まあ、エルフがそういったことを気にするのかは分からないのだけれど……」
「……なんとなく、違うような? それに、ノエルを見てるのは合ってる?」
「んー……確かに? というか、そもそも何でここにこんなに多くのエルフがいるの? まあ、何となく想像は付いてるんだけど……」
「そうですね……まあ、ぶっちゃけちまえば、その想像は多分合ってるです。ここにエルフが沢山いるのは、近くにエルフの森があるからですからね」
それは確かに、想像した通りのものではあった。
だがそこで驚いたのは、それを口にするとは思わなかったからだ。
エルフの森の所在が不明となっているというのは既に語った通りだが、それは主に無用なトラブルを避けるためだったはずである。
アンリエットがそれを分かっていないわけがなく――
「……それをわたし達に教えてしまって、よろしかったんですか?」
「これでも人を見る目はあるつもりですからね。それに……いや、やっぱ何でもねえです。確証がないのに口にするのはちと違う気がするですからね」
「なにその意味深な言い方……気になるんだけど?」
「多分そのうち分かるですからそんな気にする必要はねえですよ。つーか、ついでですし行ってみるですか?」
「何処に……とは、聞くまでもないかしらね? 今の話の流れからすれば……」
「……エルフの森?」
その言葉に、正解だとばかりにアンリエットは頷いた。
思わず、アレン達は顔を見合わせる。
エルフの森は居場所が分からないことで知られているが、たとえその場所を知ったとしてもエルフ達の許可なく立ち入れないとも聞く。
そんなこれから友人の家に遊びに行く、みたいな感じで気軽に行ける場所ではなかったはずだが……。
「正直興味はあるけど、僕達で行けるの?」
「問題ねえです、っていうか、想像通りなら歓迎すらされんじゃねえですかね?」
「……歓迎……ノエルがいるから?」
「確かに、エルフは閉鎖的な方が多いと聞きますから、見知らぬ同胞であるノエルが一緒ならば歓迎される、のでしょうか……?」
「結果的には間違ってないんですが……まあいいです。それで、どうすんです?」
言われ、アレン達は再び顔を見合わせた。
ただしその視線が向いているのは、ノエルである。
ここはやはり、彼女の意見が最も大事だと思ったのだ。
しかしそんなこちらの気遣いを無用とばかりに、ノエルは苦笑を浮かべた。
「まあ、あたしも気にならないと言ったら嘘になるし……行くということでいいんじゃないかしら?」
ノエルがそう言うのであれば、どこからも異論など出るわけがない。
そうしてアレン達は、街の見学をしていたはずが、急遽エルフの森へと向かうことになったのであった。




