使徒との睦言
夜の闇に沈んだ街の中を、アレンはぼんやりと眺めていた。
何かを思い悩んでいるわけではなく、先ほど聞かされた話の内容を整理するためだ。
アレはそれほどまでの衝撃をアレンへと与えていたのである。
アンリエットの話した内容とは、端的に言ってしまえば、帝国の支配者である皇帝が既に死んでいる、というものだ。
しかも死因は暗殺であり、その犯人は未だ見つかっていないのだという。
そしてそのせいもあって、次の皇帝に誰がなるのかも決まっていないらしい。
皇帝候補達が、犯人が判明していないのをいいことに、互いが犯人に決まっていると決め付け牽制しあっているからだ。
今のところはそれでも何とかなっているが、上の方では大分大変なことになっている、とのことである。
もっとも、その辺のことは驚きは確かにあったものの、どちらかと言えば納得の方が近い。
なるほどそれならば王国に攻め込むどころではあるまい、ということだ。
とはいえ、実はアンリエットの話自体はそこで終わっている。
そこまでを話したところで食事がやってきてしまい、食事時にする話ではないだろうと他愛のない雑談へと移行してしまったからだ。
食事が終わったら、時間も時間ということで各自部屋へと引き上げてしまい……それ以外に仕入れることの出来た情報はあと一つだけである。
まあ、それこそがアレンに衝撃を与える事になったものなのだが――
「……約一年前、か」
それは皇帝が暗殺されたと思しき時期であった。
正式に発表されたものではない……というか、正確に把握出来ている者がいないために推測でしかないが、大体そのぐらいだろうとのことである。
だが大体であろうと、それは十分過ぎる情報であった。
約一年前。
暗殺。
さて……どこかで似たような話を聞いた事があるような気がするのは、果たして気のせいだろうか。
「悪魔の仕業……ってことでいいんだよね?」
誰かへと確認するような言葉。
しかしこの部屋にいるのはアレン一人だけだ。
当然のように返事などがあるわけもない――はずであった。
「まあ、その可能性が濃厚、とは言われてるですね」
あるはずのない返答に、だがアレンには驚いている様子すらない。
当たり前だ。
彼女が……アンリエットが視ていることぐらい、先刻承知の上だったからである。
唐突に生まれた後方の気配には視線すら向けることなく、アレンは言葉を続けた。
「ちなみに、他人の意見を無視して主観だけで語ると?」
「ほぼ悪魔の仕業だと思うです。ワタシが知る限りでは、そんなことができるのはアイツらか……まあ、オメエぐらいでしょうからね」
「ならやっぱり悪魔の仕業だと考えて間違いなさそうだね」
「まあだからこそ、悪魔の情報は対価になるって言ったわけですしね」
「ああ、なるほど、そういうことか。でも、下手に情報提供しちゃったら逆恨みされるような気がするけど?」
主に皇帝候補の中で不利な者達からだ。
その者達にとっては混乱が長引くほどに嬉しいに決まっている。
それはそれだけ帝国が疲弊してしまうということだが、そんなことを気にする者達ならば争うことなくとうに次の皇帝が決まっているだろう。
「基本的にはオメエの想像してる通りです。だからワタシはあの時止めたわけですし」
「まあ、でもこう言っちゃうとなんだけど、僕が帝国に協力する義理はないから最初から提供するつもりもなかったんだけどね」
「そりゃよかったです」
「とはいえ、僕達に何かやらせたいことがあるからこそ、あんな話をしたわけでしょ? そういえば、結局その話はしなかったけど」
「まあ、言ったようにオメエらに直接協力させるつもりはねえですからね。あの話はとりあえず今の帝国の現状を知らせるためにした話であって、今はそれで十分ですし」
今は、ということは、後々何らかの意味が出てくる、ということだろうか。
まあアンリエットがこちらに一方的に不利になるような話をするとは思えないので、あまり気にする必要もないだろう。
それにリーズは必要としてた情報を手に入れる事が出来たのだ。
こうして世話になっていることも含めて、多少の協力ならばしても構わないとも思うのだが――
「んー、まあ帝国はともかく、君の手伝いならばするのは吝かでもないんだけど……二つだけ聞きたい事があるかな」
「それは、今この場でなきゃ聞けないようなことって意味ですか?」
「そうだね。だって――悪魔の話を聞こうとしたところで、君はリーズ達の前では話してはくれないでしょ?」
アレらはどう考えても埒外の存在である。
それはアレンの『全知』ですらその詳細を知ることが出来ないことからも分かる通りだ。
全知の権能は世界から必要な知識を引き出し読み取るための力ではあるが、幾つか例外が存在している。
その一つが目の前のアンリエットだ。
厳密には神の使徒に関してであり、使徒は詳細を全知で読み取ろうとしても出来ないのである。
その理由を以前聞いてみたことがあったが、何でも使徒は神に近い上位の存在だから、ということだ。
ただしこれは上位の存在だから読み取れないのではなく、上位の存在だから情報量が多すぎるからである。
要するに、それを読み取り理解するにはアレンの人としての脳では容量も処理能力も足りないのだ。
そのため無意識的に制限をかけ読み取らないようにしている、とのことであった。
そしてそれはつまり、悪魔と呼ばれている彼らも同じような存在であるということを示している。
人としての常識から外れた存在――即ち、埒外の存在、というわけだ。
「まあ、ワタシ的には一番の埒外はオメエだと思ってるんですが……ともあれ悪魔に関しては、オメエの認識である意味正しいです」
「ある意味……?」
「ワタシ達と似通っているってのは認めますが、アレらはワタシ達とは正反対ですからね。アレらは――端的に言っちまえば、世界への反逆者です」
「んー……何か大仰な言葉が出てきたけど、要するに、何か気に入らないことがあって世界に駄々っ子のように逆らってるってこと?」
アレンが分かりやすく噛み砕いてみせると、アンリエットは苦笑を浮かべる。
ただそれは馬鹿にしたものではなく……どちらかと言えば、ここにはいない誰かへと向けた、憐れみにも似た何かだったように見えた。
「そんな風に言われたらアイツらは烈火の如く怒りそうですが……まあ、その認識で間違っちゃいねえです。ついでに言うならば、ぶっちゃけオメエにとっとと帰って欲しかったのはそのせいです」
「え、どういうこと? 僕に悪魔に関わって欲しくなかったってこと? 既に関わっちゃってるんだけど……」
「だからこそですよ。これ以上関わって欲しくなかったんです。……何せオメエには、悪魔として振る舞う資格も、その権利もありやがるですからね」
それをどういうことだとは、尋ねなかった。
その通りなのだろうなと、納得出来たからだ。
それが正しいのか否かはともかくとして、アレンには確かに世界に反逆するだけの理由が存在していた。
もっとも――
「それは考えすぎっていうか、僕信用されてなすぎじゃない?」
「……だって、仕方ねえじゃねえですか」
「まあ君がそう思っちゃうのも理解は出来るけど……僕としては、もうちょっと信用して欲しいかな? 僕は、君が選んだ英雄なんだからね。元、だけど」
などと言いながら肩をすくめ……冷静になると凄く恥ずかしくなってきた。
一体何を言っているのだろうか、という感じだ。
一応本音ではあるのだが……アンリエットが冷静になってしまう前に、話題を転換することにした。
「あー、ところで、もう一つ聞きたい事があるってのは既に言った通りだけど……」
「あ、はい、何です? ワタシに答えられることなら答えてやるですが……」
「ああ、大丈夫だよ。そんな難しいことじゃないから。――いつから僕のことを『視』てたのかってことを聞きたいだけだからね」
「……何のことか分からねえですが?」
生憎と、とぼけても無駄だった。
何故ならば――
「そうじゃないと、サイラス達を雇うことなんて出来ないからね」
アンリエットにとって都合がよかった、というのも事実ではあるのだろうが、それだけでは辻褄が合わないのだ。
帝国にいる人間が、王国側の、公爵家とはいえ使用人達のことなど知るわけがないだろう。
いくら人が欲しかったとはいえ、普通自国から人は集めるものだ。
敵国扱いとなっているところから人を引き抜くような真似はしないし、出来ない。
事前に何らかの方法で、その情報を集める事が出来なければ。
「というか、僕は別にそのことを責めようってわけでもないしね。ただ、おかげでサイラス達が助かったんだから、一応お礼を言っておこうと思って」
接点はあまりなかったが、同じ家で暮らしていた者達だ。
アンリエットのおかげで壮健に暮らす事が出来ているというのならば、それで本当に何の問題もないことであった。
「……礼は受け取っとくです。ただ、ならワタシからも言っておく事があるです」
「うん? なに? 恨み言以外なら大体は聞くけど……」
「――すまなかったです」
それは冗談などを一切含まない、真摯な謝罪であった。
そのことが分かったから、アレンも真面目に答える。
「別に気にしてないよ。ちゃんと分かってるしね」
それはアンリエットが覗き見のようなことをしていたことに対するものではない。
アンリエットが、全てを見ていながら、何もしなかったことに対してだ。
そしてそれは、本当にどうしようもないことなのである。
アンリエットは使徒であり、使徒とは言ってしまえば見守るものなのだ。
神の言葉を伝え、間接的に手伝うことは出来ても、直接どうこうすることは出来ない。
それは本人がどうにかしようとも思ってもどうにも出来ない、性質であり特色だ。
彼女達は埒外の存在であるからこそ、人とは異なる法則、常識の中で動かざるを得ないのである。
それを彼女が気にしていることは知っているし、だからアレンはそれを気にしない。
それに――
「そんなことよりも、話すことは他に幾らでもあるでしょ? 聞きたいことが二つとは言ったけど、話したいことに関しては何も言わなかったしね」
「……それは屁理屈って言うんだと思うですが?」
「さて、何のことやら」
そう、彼女とこうして話すのは、随分と久しぶり……それこそ、前世以来なのだ。
幾らでも話すことはあるし、くだらないことを気にしている暇などはないのである。
夜が更けていく中、そうしてアレン達は昔話に花を咲かせていくのであった。




