帝国の事情
アレン達がサイラスにまず案内された先は、客室であった。
さすがは侯爵と言うべきか、客室だとは思えない程度には豪華な部屋であり、正直に言ってしまえば元実家で住んでいた部屋よりも立派である。
まあ、元々あの家は実質剛健というか、そういった方向性を持った家ではあったからではあるのだろうが。
ちなみに辺境の地での家とは当然のように比べ物にならないほどだ。
「さすがにあれほどだと多少気後れしちゃうわね。というか、一人で使うには広すぎるんじゃないかしら?」
「確かに、あの家にずっと住んでいたせいもあって、わたしもあれに慣れてしまいましたからね……少し広すぎる気はします」
「……みんなで使う?」
「まあその辺は好きにすりゃいいですよ。部屋は無駄に余ってますから一応一人一人に割り振りはしましたが、そこから先はどうしようとも問題はねえですし。ああ、さすがにアレンは駄目ですが」
「最初から混ざる気はないって。まあ広すぎるってのは僕も同感だけど」
そんなことを言い合っているアレン達がいるのは、食堂である。
一先ず自分達が泊まる部屋を確認した後、そのままちょうどいい頃合だからと案内されたのだ。
そこもまた、内装や部屋の広さから考えるとらしい場所であり……だがそれに反して寂しさのようなものを覚えるのは、軽く二十はあるだろう椅子に座っているのが自分達だけだからである。
ここまで軽くしか見てはいないものの、アンリエットの言っていたが正しいのだということを理解にするには十分であった。
この食堂もそうだが、どうにもそこには生活感というものがないのだ。
清潔には保たれているし、見栄えはいいが、それだけでしかない。
誰かが生活をしているという感覚をまるで覚えず、なるほど確かにここには使用人を除けばアンリエットしか住んでいないようである。
あとは、案内された途中で見かけた使用人の中に、見知った顔を何人も見かけた。
さすがにその全ての名前までは覚えていないものの、これまた確かにアンリエットはあの屋敷で働いていた者達を雇い入れているらしい。
しかも、そこに浮かんでいる表情は下手をすればあの屋敷にいた頃よりも穏やかなものであり、ここでの働きが問題ないことを示している。
もっとも、それに関しては最初から疑っていないが。
それは先ほどの話を聞くだけでも十分分かることであり――
「あ、そういえば、さっき聞きそびれちゃったんだけど、アンリエットがここに住むようになったのは比較的最近なんだね?」
ふとアレンがそんなことを尋ねたのは、不意に思い出したからであった。
先ほどの話を考えた際に、連鎖的に思い出したのだ。
あの話をした時、アンリエットはちょうど一人で放り投げられたと言っていた。
サイラス達が辞めた時期のことを考えれば、つまりまだ一年も経っていないということになる。
そのことにはさっきも引っかかりはしていたのだが、何となくタイミングが悪く聞きそびれていたのだ。
そしてそれにアンリエットは、頷きを返してきた。
「まあ、成人迎えてからですからね。さすがのアレらも成人前の娘を一人で住まわせるほど鬼畜じゃねえですよ」
「ですが、成人を迎えてからなのでしたら、むしろ家督を正式に譲る方が先な気もしますが……?」
「成人迎えたとはいえ、本当に迎えたばっかですからね。一応名目上はまずはこの街を治めることで経験を積む、ということになってるです」
「名目上、と言っている時点で、あまり大差はないような気がするのだけれど?」
「事実ですし、一応世話になってたとはいえ、そこまで庇うほどの義理があるわけでもねえですしね。まあそれに関してはこの国も同様なんですが」
「それってどういう意味?」
「オメエらの知りたいことをある程度なら教えてやっても構わねえ、ってことです。特に知りたいのは一人でしょうが……まあ、オメエらも気になってるでしょうしね」
そこでアレン達が思わず顔を見合わせてしまったのは、仕方のないことだろう。
アンリエットが何のことを言っているのかは明らかだ。
つまりは、間違いなく帝国が抱えているだろう何らかの問題、それを全てではないとはいえ語ってくれる、というのである。
正直に言ってしまうのであれば、アレンがそれを期待していたのは事実だ。
だが彼女の前世が何であれ、彼女はこの国の侯爵令嬢として生を受けている。
なのにそれを捨てるようなことを、しかも皆の前で口にするとは思わなかったのだ。
「勘違いしねえように言っておくですが、これはアンリエットなりの考えと利点があってのことです。あいつらもまあ、そこそこ頑張ってんでしょうが、今のままだと解決すんのはいつになるやら……いえ、そもそも解決しやがんのかも分かんねえ状況なんですし」
「そこまで複雑なことになってるの?」
「いえ、複雑ってわけじゃねえですし、あいつらが無能ってわけでも……まあ、ねえとは思いてえですが、現状解決する目処が立ちそうにねえってのがアンリエットの見立てです」
「つまりは、そのためにわたし達に協力させよう、というわけですか?」
「さすがにそこまでは言わねえですし、言えねえです。あんまこの国に何かをしてもらった覚えはねえとはいえ、これでも侯爵家の人間ですからね。最低限の義理ぐらいは果たすですよ」
「……情報の提供は、許容範囲?」
「少なくともアンリエットにとってはそうですね。つかこのままじゃこの国がどうなるか分かったもんじゃねえですしね。むしろこの国を思えばこそです」
「この国がどうなるか分からないって……どうやら思っていた以上の厄介事みたいね……」
「だね」
というか、これ聞いたら後戻りできない系の話ではないだろうか?
帝国側に協力できないというのは、王国側としても同じことだ。
アレンやノエル、ミレーヌあたりはまだどうとでもなるだろうが、リーズはまずいだろう。
万が一にもそのことが知られてしまえば、元王女と言えども反逆罪に問われかねない。
帝国とのやり取りはそれほど神経質になってもむしろ当然と言えるほどのことなのだ。
しかしリーズへと視線を向けると、力強い覚悟のこもった瞳が返ってきた。
それは目的を果たすためなのか、それとも帝国に何かあれば王国も無関係ではいられないからか……あるいは。
だが、何を理由にしてのものにせよ、引く気がなさそうなことに違いはない。
ミレーヌはいつも通り無表情な顔を向け、ノエルは仕方ないとでも言いたげに肩をすくめ、そしてアレンは苦笑を浮かべた。
結論は一つである。
代表するような形で、アレンが口を開いた。
「それで、今この国では一体何が起こってるの? あの街の雰囲気が少し変だったのもそのせい、ってことでいいんだよね?」
「まあ、そうですね。大半のやつらは知らねえはずですが、あの街にはアイツらがいたですからね。どんな鈍い奴だって何かあったって勘付くってもんです」
アイツらというのは、あの少女のことだろう。
街道を封鎖出来るという時点で分かりきっていたことではあるが、彼女達もまた相応の存在であるらしい。
だがそんな思考は、次のアンリエットの言葉で吹き飛んだ。
「まあ端的に言っちまうとですね――皇帝が暗殺されたんですよ」
「……は?」
予想だにしていなかった言葉が飛び出てきて、思わずアレンは呆然とした呟きを漏らす。
それはリーズ達も同じだったようで、ミレーヌですら僅かに目を見開き驚きを示していた。
「そっちの将軍が死んだってのは当然知ってるですが、そんな絶好の機会なのに未だに帝国が何も動こうとしないのはそのせいってわけですね。オメエらの国以上に、今この国は大混乱の真っ只中、ってなわけです」
しかしそんなこちらの様子など知ったことかとばかりに、アンリエットはそう告げると、やってられないとばかりに肩をすくめたのであった。




