懐かしい顔
幸いにもと言うべきか、道中では何事も起こる事はなく、日の沈む前に馬車はアンリエットの住む屋敷のあるという街へと辿り着いた。
さすがに侯爵令嬢が住む街だというだけあってか、街の規模はそれなりのものであるようだ。
ラウルスと比較した場合では、向こうのが遥かに上となってしまうが……こればかりは比較先が悪いとしか言いようはあるまい。
帝都よりも栄えているかもしれないような街となど、比較する方が間違っているのだ。
とはいえ、時間が時間であるためか、街中の人通りは少ないようである。
ちらほらと人影を見かける程度で、街の規模から考えれば明らかに少ない。
日中の街中がどんなものであるのかは、明日にならないと分からないようである。
まあ、どうせ時間はたっぷりとあるのだ。
どんなものなのかは後でじっくりと見させてもらうとしよう。
「……ここが住むにはどうかということを考えているんですか?」
と、そんなことを考えていたら、リーズからそんな言葉を投げられた。
実際その通りだったので、苦笑しながら頷く。
「そんなに分かりやすかったかな? まあ、折角の機会だからね」
「まあ確かに、匿われるからといって時間を無駄にするのもアレよね。ここって鍛冶師が住んでいたりはするのかしら?」
「何人かでしたらいるですよ? さすがにドワーフの鍛冶師はいねえですが」
「そう……まあ、とりあえずはそれでもいいかしら? 何かの参考になるかもしれないし」
「……ノエル、また道具を突然触らせて欲しいとか言い出すのは駄目ですからね?」
リーズの言葉に、ノエルはただ肩をすくめただけであったが……本当に分かっているのだろうか。
不安だ。
「……ミレーヌ、見張りは任せた。またノエルが変なことやろうとしたり言い出したら問答無用で引きずっていいから」
「……任された」
「ちょっと、変なことって何よ。あたしは必要だと思ったことしかやらないわよ?」
「ですから、それが駄目だと言っているんですが?」
「何をするつもりなのかは知らねえですが、アンリエットの手が必要な事態が起こるのはさすがに勘弁ですよ?」
そんな話をしている間も馬車は進み、やがて一軒の屋敷へと到着する。
見るからにこの街で一番立派だろうそこが、アンリエットの住んでいる屋敷であるようだ。
そして馬車は元々侯爵家のものであったのか、アレン達を屋敷の前で下ろすと、そのまま屋敷の奥へと消えていった。
おそらくはそちらの方に馬車を停めておく場所があるのだろう。
「さて、本来は屋敷に上げる前に面倒くせえやり取りがあったりするんですが……客として招待したわけじゃねえですし、必要ねえですよね?」
「まあ、こっちで貴族としての位を持ってるのはリーズだけだしね。いらないんじゃないかな?」
「というよりも、匿ってもらうことを考えれば、むしろやっちゃ駄目なんじゃないのかしら?」
「……確かに、目立つだけ?」
「そうですね……色々な意味で必要ないと思います」
というわけで、余計な作法なども気にすることなく、そのまま屋敷へと上がることにした。
ただ、それでも無駄に大きな扉を自分で開けるわけにはいかないのか、アンリエットが扉に付けられたドアノッカーのようなもので数度扉を叩くと、向こう側からゆっくりと扉が開けられる。
そうして扉の向こう側にあったのは、腰を曲げ、頭を下げたままでいる壮年の男性の姿だ。
使用人であるのは、その服装からして明らかであり――
「――おかえりなさいませ、お嬢様」
「ただいま帰ったです。……本当はこのやり取りも面倒なだけなんですがねえ」
「申し訳ありません、お嬢様。お嬢様のご要望にはなるべく応えたく思うのですが……」
「分かってるですよ。それを許せば、さすがにアンリエットの、ひいてはリューブラント侯爵家の名が貶められかねない、って話ですよね。耳にタコが出来ちまうほど聞いてんですから、今更忘れるわけがねえです」
「特に前者が重要なのですが、何卒ご理解いただけましたら幸いです」
「ですから分かってるですって。ああそれとですね、既に分かってるとは思うですが、客……ってわけじゃあねえですが、まあ一応扱いは客ってことにしとくといいです」
「かしこまりました」
それは若干珍妙なやり取りではあったが、そんなものは各々の家によって異なると言われてしまえばそれまでだ。
それに、アレンにはそんなことよりも気になっている事があったのである。
その男性のことを注視するように眺めていると、頭を上げた男性がこちらへと視線を向け――その目が見開かれた。
「…………アレン様?」
「ああ、やっぱり、サイラス……だよね?」
気になっていたことというのはその男性自身のことであり、どうにも見覚えがある人物のような気がしていたのだ。
どうやらそれは気のせいではないようだ、というのは今しがた判明したわけだが……さて、どうしてここにいるのだろうか。
「アレン君、お知り合いの方だったんですか?」
「うん。何せある意味では生まれた時からの付き合いだったんだからね」
というのも、サイラスは元々ヴェストフェルト家で働いていたのだ。
しかも執事長をやっており、あまり接点はなかったものの、有能だという噂は耳にしていた。
そんなサイラスがヴェストフェルト家にいない、というのはまだいいのだ。
何があったのかは分からないが、アレンがあの家を追放された後に辞めたということは分かっている。
そして執事長までやっていたのだから、その経験を活かして他に家に仕える、というのも分かる話だ。
分からないのは、何故ここにいるのか、ということである。
ここは帝国の、しかも厄介物扱いを受けているようではあるが、それでも侯爵令嬢の住む屋敷だ。
王国の、さらには公爵家に仕えていたような人間が来るようなところではない。
来れないという意味ではなく、雇われるとは思わない、という意味だ。
下手をすれば間者扱いされてもおかしくない場所に、わざわざ雇われ先を探しに行くかという話である。
「オメエが何を考えてるのかは大体分かるですが、サイラスはアンリエットが勧誘したんですよ。厳密には、サイラス達を、と言うべきでしょうが」
「…………なるほど、そういうことか。道理でうちを辞めた人達の行方が分からないと思ったら……」
ヴェストフェルト家に勤めている人の数が足らず、アレンが少し手伝った、というのは以前に少し触れた通りだが、その一つに一度辞めてしまった人へと再び働いてくれるよう説得に行くということが含まれていたのだ。
居場所が分かっていた人達は不思議と快く受け入れてくれたのだが、使用人の多くに関してはそもそも何処に行ったのかが分からなかったのである。
余程遠くに行ったのかと思えば、こんなとこにいたなど、見つかるわけがなかった。
「まあ、ちょうどアンリエットも一人でここに放り投げられてどうしようかと思ってたところでしたからね。有能な使用人は喉から手が出るほど欲しかったですから、互いに都合がよかったってわけです」
「アンリエット側の理由は分かったけど……よくサイラス達はその勧誘を受けようと思ったね?」
「……確かに当初は怪しいと思いました。ですが、私達にとってもそれは願ってもないことだったのです。これでも使用人としての技能にそれなりの自負はあったのですが……その他の理由で断られてしまう事が多く……」
「ああ……そっか」
公爵家の執事長をやっていた時点で能力が確かなのは明らかだが、逆にその肩書きが邪魔になってしまったのだろう。
そんな人間が何故辞めたのかを考えれば、公爵家と何らかの問題を起こした可能性が高い、ということになる。
そこにサイラスに非がなくとも、その事実だけで他の家が雇うのを避けるには十分だ。
誰が好き好んで公爵家との厄介事の火種となりかねない人物を雇うかという話である。
しかも、達、ということは、サイラスだけではなく、この家で雇われた者達は多かれ少なかれそういったところがあったに違いない。
「それでも、随分と思い切ったわよね。王国の情報を話すだけ話させて、なんてことも考えなかったわけじゃないでしょうに」
「……というか、それが普通?」
「まあそれだけアンリエットの誠実さがしっかり伝わってたってことですね」
「……そうですね。私含め、皆あの時お嬢様に拾っていただけてよかったと心の底から思い、感謝していますから」
「ちょっ、ちょっとそこで乗るなです。恥ずいじゃねえですか……!」
「実際いいことをしたんだから、そこは胸を張っていいとこだと思うけどね」
「だー、もうこの話は止めです止め! それよりも早くこいつらを案内するですよ!」
「――はっ、かしこまりました、お嬢様」
アンリエットの言葉に、即座に頭を下げ対応したのはさすがと言えるが……その肩が僅かに震えているのを、アレンは見逃しはしなかった。
しかし、アンリエットもそれを分かっているだろうに何も言わないのは、それだけいい主従関係を結べているということなのだろう。
そんなことを思いながら、こちらですと先導を始めたサイラスの背を眺めつつ、アレンもその後に続いて歩き出すのであった。




