悪魔の証明
その場でアレンの取れた行動というのは、そう多くはなかった。
まず最も手っ取り早いのが全てを無視して逃走してしまうことだが、これがよろしくない対応であることは言うまでもあるまい。
顔が見られていないのであればそれもありではあったが……正直それに関しては何とも言えないところなのだ。
既に顔を見られてしまっていたとするならば、ここで下手に逃げて、ありもしない罪を押し付けられてしまうのは御免蒙るところである。
ゆえにアレンがそこで素直に立ち上がり、無抵抗を示すように両手を上げながら後ろを振り向いたのは、そうして色々と考えた結果であった。
声からして分かっていたことだが、視線の先に立っていたのは一人の少女だ。
雰囲気的にはベアトリスに多少似ており、騎士然とした、鋭いものを纏っている。
武器こそ構えてはいないが、こちらを警戒しているのだろうことは明らかだ。
少しでもそれを和らげることの出来るよう、意識して力を抜きながら先に口を開く。
「えーと……まず最初に弁明しとくけど、僕は被害者だからね? この男の人が唐突に襲ってきたから応戦しただけで。そもそも殺してはいないしね」
「剣が突き刺さっているように見えるっスが……?」
「まあ、落ち着かせるために必要だったからね。でも、ほら」
言いながら剣を引き抜き、男の姿を見やすいように一歩脇に退いた。
アレンはあくまでも男の身体に妙なものが見えたためにそれを斬っただけであって、やましいところはない。
男の身体には刺し傷などはなければ血も流れていないので、一目で問題はないと分かるはずだ。
だが。
「……なるほど。では一つお聞きしたいんスが、それはどうやったんスか?」
「どう、と言われても……」
一般的に、どんなギフトを持っているのかを尋ねるのはタブー……とまでは言わないまでも、マナー違反ではある。
その必要があるような場面であれば話は別だが、少なくとも今はその場面ではないはずだ。
もちろんアレンはギフトを使ったわけではないが、普通に考えればここはそう考えるはずで――
「いえ……申し訳ないっス。確かに言葉足らずでしたっス。正確には――ギフトを用いずに、どうやってそのようなことをやったんスか?」
「……ギフトを使ってないって、どうしてそんなことが?」
「そうっスね、確かに普通は分かるものではないっス。しかし私のギフトは少々特殊なんスよ。ギフトを使った際の痕跡のようなものが見えるんス。そして――」
「ここにそれは見つからなかった、か……」
「はいっス。ご理解いただけて助かるっス」
正直にアレンの今の心境を言葉にすれば、まずった、というものであった。
そういったものを捉えることが出来る者がいるということを、忘れていたわけではない。
しかしそういったギフトは珍しいはずであり、ここで偶然その持ち主を引き当てるとは思ってもいなかったのだ。
運が悪いとかそういうレベルではない。
しかも何となくではあるが、アレンは彼女が何を考えているのか、ということを察していた。
一挙手一投足すら見逃さない、とばかりに鋭い視線を向けてくる少女の雰囲気に、ギフトを用いずに不可思議な現象を起こしたという事実。
確かに魔導具を始めとして、ギフトを用いずともそういったことを引き起こすことは可能だが、基本的にその効果は限定的である。
少なくともアレンは先ほど自身がやったようなことをギフトなしにする方法など、自分を例外とすれば一つしか思い浮かばなかった。
そしてそれを可能とするモノ達の名は、先ほどのアンリエットとの話の中で耳にしたばかりだ。
即ち。
「ところで話は少し変わるっスが、貴方は悪魔という存在をご存知っスか?」
「……まあ、有名っていうか、常識だしね」
「そうっスね。そしてこれまた広く知れ渡っていることっスからご存知のこととは思うっスが、悪魔が用いる力というのはギフトとは似て非なるものっス。それを使われた場合は、当然ながらギフトとしての痕跡は残らないっス」
彼女が何を言いたいのかは明らかであり、それはアレンが予測していた通りのものだ。
要するに、彼女はアレンのことを悪魔なのではないかと疑っている、ということであった。
彼女の鋭い視線を見つめ返しながら、アレンはさてどうしたものかと悩む。
何故ならば、一般的に悪魔か否かを確かめる術はないと言われているからだ。
アレンならば全知を用いることでその判定をすることが可能なのだが……アレンが出来たところで意味はあるまい。
本当に、どうしたものか。
「つまり端的に言っちゃうとっスね、私は貴方が悪魔なのではないかと疑っている、ということっスね」
「まあ、だよね。でも一応言っておくと、見て分かる通り僕に角はないけど?」
「悪魔に角がある、というのは、あくまでも一般の方々にも分かりやすいように言われているだけに過ぎないっス。むしろ悪魔に角があることの方が珍しいっスから、それでは悪魔ではないことを証明したことにはならないっス」
それはアレンも知っていたことだし、相手も当然知っているだろうなと思っていたことではある。
何せ悪魔に関しては、王国よりも帝国の方が詳しいのだ。
その理由は単純で、帝国の方が王国よりもずっと前から悪魔と戦い続けているからである。
悪魔の外見が人のそれと大抵の場合ほぼ同じであることなど、知っていて当たり前なのだ。
それでも口にしたのは、つまりはただの悪足掻きである。
「さて……では念のために問いかけるっスが、貴方は何者っスか?」
「少なくとも悪魔ではない……といったところで、信じてはもらえないよね?」
「そうっスね。せめてその証拠を提示していただけなければ無理っス」
証拠と言われたところで、先に述べたように悪魔か否かを確かめる方法など存在していはいないのだ。
いや……より正確には、悪魔ではないことを証明する方法が、と言うべきか。
悪魔はギフトではない力を使う、ということは分かっているので、逆説的に言えば、ギフトではない力を使う者は悪魔だ、ということにもなるからだ。
そしてアレンはその条件を満たしてしまっており、否定しようにも、存在しない証拠を提示しろと言われたところで不可能に決まっているだろう。
まさに悪魔の証明というわけだ。
「本当に貴方が悪魔でないのでしたら、申し訳なく思うっス。しかしこの街を、この国を守る者の一人として、貴方のように怪しい者を無視するわけにはいかないんスよ」
否定したいところだが、否定しきれないのが辛いところであった。
確かにアレンは傍目には相当怪しいだろう。
ついでに言うならば、このまま大人しく連行されたところで、おそらくは結局問題になる。
お忘れかもしれないが、アレンの身分は相変わらず存在しないことになっているからだ。
そもそもそれ以前の問題として、王国からやってきたと言った時点で問題になるのは目に見えている。
敵国の人間が、何やら路地裏で怪しいことをしていた、というのが今の状況なのだ。
悪魔ではないと分かってはもらえるかもしれないが、根本的な解決にはなるまい。
かといって、ここで抵抗するのもまた別の問題が発生しそうだ。
彼女を倒すのは可能だろうが、その先の展開は見えている。
よくて指名手配、最悪帝国に喧嘩を売った扱いになる、といったところか。
この街に入るには特別な手続きなどは必要としなかったが、それは素通り出来たということを意味しない。
ある程度の監視はしているだろうし、調べればアレンがリーズ達と共にやってきたことはすぐに分かってしまうはずだ。
リーズの身元を確認するのはそう難しい話でもないだろうことを考えれば、最悪の事態を考えすぎだと言う事は出来ない。
おそらくアレン達にとって最も穏便に事を済ます方法としては、ここで彼女を殺してしまうことになるのだろうが、言うまでもなく論外だ。
となれば、あとはもう逃げる以外の方法はなさそうだが……それもそれで面倒そうである。
多分彼女は相当の使い手だ。
戦えば勝てるだろうとはいえ、逃げるとなるとそう簡単にはいくまい。
アレンの能力は、基本的に攻撃向きなのだ。
逃走に用いるには、正直向いていないと言わざるを得ない。
しかも地の利は向こうにあり、下手をすれば追っ手の数が増える可能性もある。
逃げ切るには、随分と骨を折りそうだ。
さらにその後でリーズ達と合流することを考えると……さて。
どうしたものかと、アレンは溜息を吐き出すのであった。




