路地裏の厄介事
アンリエットと今度こそ別れたアレンは、さてどうしたものかと悩んでいた。
おそらく先ほどの話は全て事実だろう。
まだ語られていないことはあるのだろうが、少なくとも嘘は感じられなかった。
とはいえ、だからといって彼女の言うことを素直に聞くわけにもいくまい。
アレンやノエルはまだしも、リーズはまさにここで起こっているというその何かを探りに来たのだ。
そしてリーズの性格を考えれば、危ないからといって帰るとは到底思えない。
「そもそも危険だなんてこと、今更だもんなぁ……」
王国の人間が帝国に行くという時点で、そんなことは今更過ぎる。
リーズがそれを覚悟していないわけがなく、アレンは半ばその護衛のような感じではあるものの、アレンが帰ると言ったところでリーズが帰ることはないはずだ。
となれば、残された選択肢は二つに一つ。
強引にリーズを連れて帰るか、アレンもここに残るか、だ。
生憎とリーズを残して帰る、という選択肢は最初から存在してはいない。
それはノエルも同様だろう。
そしてどちらを選ぶかとなれば――
「……まあ、一つしかない、か」
そこに思うところがないと言えば嘘になるが、仕方があるまい。
ノエルもそちらを選ぶに決まっているし、そうなると問題となるのはこれからどうするのか、ということだ。
「とりあえず合流するのが最優先なのは間違いないけど……」
などと呟きながら、一先ず路地裏を出るために歩を進め……ふと、首を傾げた。
別に何があったわけでもないのだが、街の賑わいにほんの少しだけ変化が生じたように感じられたのだ。
「んー……さすがに距離があるから確証は持てないけど……」
耳を澄ませてみれば、僅かにだが先ほどよりもざわついているような気がする。
きっともっと近づけばよりはっきりと分かるはずだ。
「何かあった……ん、だろうなぁ」
それでも、緊急事態、とでも言うべきものではない気もする。
言うならば、ちょっとした物盗りが出た、といった感じか。
よくあると言えば、よくあるものではあるが――
「んー……ところで、そこの人は何か知ってたりしないかな?」
「っ……!?」
通路の先、今歩いているところからでは見えない場所へと声をかけると、あからさまな反応があった。
何者かが驚き、だが声を漏らすまいと必死に抑えている、といったものである。
それにアレンが肩をすくめたのは、当然と言うべきか誰かがそこに潜んでいることぐらい分かっていたからだ。
というか、荒い息が聞こえていたのだから、分からないわけがあるまい。
とはいえ、逆に言えば分かっているのはそれだけだ。
街の方で起こったのだろう何かとその人物とが関係があるのかすら不明なのである。
だが。
「ちっ……どうやら互いに運がなかったようだな。別に殺しまでするつもりはなかったんだが……こうなっちまったら仕方ねえ」
そんなことを言いながら通路の角から姿を見せたのは、見るからに怪しい男であった。
何せ髪はぼさぼさで無精ひげを生やし、服は汚らしくボロボロ、しまいには目が血走っているときているのだ。
服までの段階ならばスラムの住人かとでも思うところだが……あの目は後がない人物のそれである。
それこそ本人が口にしたように、必要とあれば人を殺すことすら躊躇わないような、そんな覚悟にも似たようなものがそこにはあった。
もっとも――
「こうなっちまったらとか言われても、僕はそっちが何をしたのかすら知らないんだけど? 顔は今初めて見たしね。そもそも適当な言い訳を並べればそれで済んだ気もするんだけど……」
「う、うるせえ! ごちゃごちゃ言うんじゃねえよ……!」
まあ、仮に適当な言い訳を並べられたところで、それで納得していたかはまた別の話なのだが……そういった話をする必要すらなさそうであった。
どうやら随分と余裕がないらしく、男は懐に手を突っ込むと、そのまま短剣のようなものを取り出したのだ。
短剣、と断言することがなかったのは、そこから妙な気配のようなものを感じ取ったからである。
短剣の形をしているだけで、用途としては別の可能性もある、ということだ。
ただ、それを確かめるよりも先に、アレンの目には『それ』が映っていた。
赤というよりも黒に近い、粘ついた液体。
まだ新しいのか、刃を伝って地面へと堕ちたそれに、目を細めた。
「ふーん……まあ、最初からそんなつもりはさすがになかったけど、どうやらはいどうぞと見送るわけにはいかないみたいだね」
「う、うるせえって言ってんだろうが……!」
叫ぶと同時、男が腕を振るった。
当然のように短剣の届く距離ではなく、自棄になったようにも、威嚇のようにも見える。
しかし。
――全知の権能:天の瞳・危険察知。
その先から何かが迸った、というのを認識するよりも早く、アレンはその場を飛び退いていた。
直前まで自分の立っていた空間を何かが貫き、その正体にアレンはさらに目を細める。
「なっ、なっ……!? ば、馬鹿なっ、避け……!?」
「へえ……ただの短剣ではないとは思ったけど、やっぱり魔導具か。しかも雷を発生させることが出来るとか……アキラの魔法に比べたら弱くはあるけど、随分と物騒なもの持ってるなぁ」
以前にリーズが通信用の魔導具を使用していたが、魔導具はそこに込められた力次第では攻撃に用いることも可能だ。
男が持っていたのもどうやらそのうちの一種らしく……だが正直に言ってしまえば、スラムに住んでいるような男が持ってていいものではない。
以前にも言ったが、魔導具はそれだけで非常に高価な代物であるし、今の感じから言えば、あの雷は一般人程度ならば難なく焼き尽くしてしまうだろう威力を持っていた。
そういう意味でも、この男が持っていていいものではあるまい。
何らかの事情があるのは間違いなく、しかし何にせよ、とりあえずは取り押さえるべきだろう。
ここで無駄に暴れられて変に周囲へと被害を出すのは本意ではないのだ。
「ひっ……!」
だがその気配を察したのか、アレンが動くよりも先に男が腕を再度振り抜いた。
短剣の先から雷が迸り、轟音と共に壁の一部が穿たれ、崩れる。
しかしそれはつまり、アレンに当たっていないということだ。
射線から身体をずらしたアレンは、そのまま一気に男の身体へと飛び掛った。
そしてそのままの勢いで、地面へ押し倒す。
「がっ……! っ、く、くそっ……!」
「おっと、さすがにこれ以上使わせるわけにはいかないかな、っと」
地面に押し付けられながらも、男が短剣を振るおうとしたため、その手から短剣を蹴り飛ばす。
そうして腕を極めれば、男はもがくものの、それ以上の抵抗が出来なくなった。
「っ……な、何なんだよ、テメエは……!?」
「それはこっちの台詞だと思うんだけどなぁ……僕からしてみれば、唐突に殺されかけたんだよ? むしろ文句を言うべきは僕の方だと思うんだけど……まあいいや。それで? 結局一体あんな物騒なものを持って何をしでかしたわけ? 話次第では僕の対応の仕方も変わってくるわけだけど……」
「く、くそっ……何でこんなことに……は、話が違うじゃねえか……! 絶対に失敗なんかしない、簡単な仕事だって……!」
「おーいー? こっちの話を聞いて、って、ん? 話が違う……? 仕事……?」
もしかして、誰かに何かを頼まれたとか、そういう類の話だろうか。
何やら嫌な予感がしてきたような……と思ったのと、男の様子が激変したのはほぼ同時のことであった。
「ごほっ……!? がっ……! な、何が、やめ、いた……!?」
「え? ちょっ、ちょっと……?」
アレンが男にしたことは、ちょっと腕を極めて逃げられないように地面に押さえつけただけだ。
だが男は唐突に血を吐き出すと、全身を暴れさせ、苦しみだしたのである。
「ひっ、まっ、まさかっ……!? ちがっ、俺は、やだっ、死にたくっ、ごっ……!?」
「んー……何が何だかよく分からないけど……まあ、とりあえずは落ち着かせるのが先、かな?」
そう呟くと、アレンは男から一旦離れ、剣を引き抜いた。
眼下で暴れ続ける男の姿に目を細め――
――全知の権能:天の瞳。
――剣の権能:斬魔の太刀。
そのまま剣で貫いた。
地面と縫い合わされた男の身体が一瞬痙攣したように跳ねるも、すぐにぐったりと力が抜け落ちる。
それを確認したアレンは、一つ息を吐き出し――
「――申し訳ないっスが、そこの貴方、少し話を聞かせてもらっていいっスか?」
声は、後ろから聞こえてきた。
そして間違いなくその声はアレンへと向けられており……何となくアレンは自分の腕を見つめる。
握っている剣、それに貫かれている男の身体、というところまでを視線で辿り、ふと先ほどのアンリエットの言葉を思い出した。
しかしそれにアレンは、心の中で反論を行う。
どうやら、さっさと帰ろうと帰るまいと、自分は面倒事に巻き込まれる定めにあるらしい、と。
そんなことを思いながら、アレンは深く長い溜息を吐き出すのであった。




