帝国の街並み
――ヴィクトゥル帝国リューブラント侯爵領ラウルス。
帝国の中での最東端、アドアステラ王国と国境を面しているその場所は、立派な城壁を構える街だ。
ただ、実のところその歴史はそれほど古くもない。
元々は王国と戦争をするための最前線として作られた街だからである。
とはいえ、ドワーフに作らせたというだけあって、その堅牢さは確かだ。
それは今もこうして形に残っているという時点で明らかであり……だが、それも今は昔の話である。
王国と停戦を迎えてから、既に数十年。
ラウルスの街は、当時からは想像も出来ない形で栄えていた。
「うーん……こういう光景を見ちゃうと、意外とうちの国って大したことないんじゃないか、とか思っちゃうよねえ」
視界に映っている光景は、王都のものとも遜色がない……どころか、下手をすれば上回っているかもしれないようなものであった。
単純な人々の数や流れ、そのざわめきや賑わいに、目に映る品々の数々。
しかも最東端というだけあって、帝国で最も栄えていると言われる帝都からはかなりの距離があるのだ。
それでこの賑わいだということを考えれば、帝都は果たしてどれほどなのか、などと思ってしまうのは当然のことであろう。
もっとも――
「まあ、最東端の街とはいえ、実質的には帝国の中で最も栄えている街、などと言われるような場所ですからね。そう呼ばれるようになった経緯なども合わせて考えれば、ここがこれほどまでに賑わっているのは当然だとも思います」
「まあね」
そう、ここがこれほどまでに栄えているのは、実はそれなりの理由があったりするのだ。
それも、帝国が大国であり、王国以上に栄えているから、という理由ではなく、である。
端的に言ってしまうのであれば、ラウルスは多数の国家と面しているからだ。
ラウルスは帝国の中でもかなり突出した土地であり、王国の他にも四つの国と面している。
そして様々な事情が重なった結果、ラウルスはその中の四つの国と……より正確に言うならば、その国の商人達との付き合いが生じるようになったのだ。
つまりは、ラウルスは帝国も含め五つもの国の商人が出入りし商売をするようになったのである。
それは栄えるのも当たり前、というものだ。
さらには、帝国はエルフや獣人だけではなく、ドワーフの数も他の国と比べれば多い。
ラウルスにも数件ドワーフが店を構えており、これは他の街からすれば信じられないほどの多さだ。
それを目的にラウルスに来る者も多く……というか、アレン達もその一人であり、実際につい先ほどそのうちの一つへと行って来たばかりなのだが――
「まったく……ケチくさいわよね。減るものでもあるまいし……」
先ほどからノエルがぶつくさと愚痴を呟き続けているのも、それが理由である。
まあ、言って早々に門前払いを食らったのだから、その気持ちも分からなくはないが、アレン達がノエルへと向ける視線は呆れのそれだ。
何故ならば、ノエルよりも門前払いをした側の気持ちの方が理解出来るからである。
「確かに減りはしないだろうけど、減らないからいいってもんでもないと思うよ?」
「と言いますか、まったく同じ事を言われたらノエルはどう対応するんですか?」
「え? そんなの問答無用で叩き出すに決まってるでしょ?」
「何言ってんのお前、みたいな顔してるけど、それを言いたいのはこっちの方だからね?」
ちなみに、門前払いを食らった理由は、ちょっと工房で使っている道具を触らせてくれ、などとノエルが開口一番に言い放ったからだ。
職人ではないアレンにも、職人の用いる道具というのが時には命よりも重いものだということは理解出来る。
それを無遠慮に触らせろなどと言ったら叩き出されるのは当然だろう。
しかも自分でも同じ事をすると言っているのだから、無茶苦茶である。
「そもそも、実際に打ってるところを見学するだけじゃ駄目だったの? というか、僕はてっきりそうするもんだとばかり思ってたんだけど……」
「わたしもです。ですから、一緒に行くことにしたのですが……」
アレンがついていったのは、単純に興味本位からだ。
特に急ぐ理由はなく、この世界ではノエル以外に鍛冶をする姿を見たことがなかったこともあり、どんな感じでやっているのだろうかと思ったのである。
まさかこんなことになるとは、というか、誰が考えても無謀なことをノエルが考えているなどとは思いもせず――
「だって他人の打ってるところなんて見ても意味はないでしょう? ――あたしは既に、最高の鍛冶師の姿を目に焼き付けているもの。むしろ邪魔になるだけだわ」
「……さっきこの話しないでよかったよ」
「ですね。穏便に追い出されるだけでは済まないところでした」
「嫌ね、そんなことを言われたところで怒る人なんていないわよ。事実を指摘されて怒るなんて、馬鹿らしいでしょう?」
「……ちなみに、それをノエルが言われたらどうしますか?」
「そうね……そういえば、以前あたし用に調整し直した剣の試し切りをまだしていなかったわね」
言いたいことはよく分かったが、さすがにそれは理不尽だろう。
まあ、頑固で理不尽というのは職人らしいと言えばらしいのだろうが。
「でもということは、そもそもここに来る必要がなかったんじゃ?」
「何を言っているの? あたしは道具が見たい、と言ったでしょう? あたしの目には確かに最高の鍛冶師の姿が焼き付いているけれど、道具はあの人が使っていたものではないもの。まだ追いつけたと思っているわけではないけれど、より近付き追い越すためには、より良い道具を知る必要があるでしょう?」
「だからといって、さすがに無茶を言いすぎだと思うのですが……」
そう言ってリーズが溜息を吐き出すも、ノエルは何処吹く風といった様子だ。
相変わらず我が道を突き進む気しかないらしい。
ノエルらしいことである。
とはいえ、さすがにこれ以上は付き合う気になれないが、ノエルもすぐに次に行く気はないようだ。
となれば、次はアレンかリーズの用事の番、ということになるものの――
「んー……まあ、分かってたとはいえ、さすがにここに住むっていうのはなしかなぁ」
「……賑やかだから?」
ミレーヌの言葉に、アレンは苦笑しながら肩をすくめる。
それはそれほど間違っているわけでもないからだ。
賑やかな場所だからといって平穏に過ごす事が出来ないとは限らないが、ここに限って言えばその通りである。
何せ下手をすればいつ王国との戦争が起こっても不思議はないのだ。
そんなところに住みながら平穏を望むとか、無理にも程があろう。
「……それにしても、本当に凄い活気あるよねえ。もうちょっとピリピリしててもおかしくないと思ってたけど……」
「……ですね。これでは本当に戦争とは無縁の、ただの活気ある街です」
五つの国の商人が集まり積極的に商売をしているとはいえ、それはそれだ。
帝国が本気になればそんなことは関係なく戦争を始めるに違いない。
だがかといって、本当に何の前触れもなく、ということもないはずだ。
その時が来れば、公に口に出すことこそなくとも、何となくそんな雰囲気を漂わせ始めるだろうし、それによって空気はもっと張り詰めたものになるはずだ。
しかし今のところ、そんな気配は微塵も感じられなかった。
……いや、厳密に言うならば――
「戦争の気配ではないんだけど、なんか妙な気配はするかな……?」
「妙な気配って何よ……? ……まさか、またアレ関係じゃないでしょうね?」
アレ――悪魔ではないかと言外に問うノエルに、アレンは肩をすくめた。
そうだとも、そうじゃないとも断言することは出来ないからである。
ただ、街の雰囲気にどこか違和感のようなものを覚えていることだけは確かだ。
「いや、というよりもこれは、若干物々しい感じ、かな?」
「物々しい、ですか……? ……特にそんなことは感じませんが……」
「僕も普段のここを知ってるわけじゃないんだけど……どうにも巡回してる人が多い上に、過剰に警戒してるように見えるかな?」
「……確かに? でも、警備が厳重なだけな気もする」
「場所が場所だし、不思議じゃないんじゃないの?」
「んー……まあ、そう言われればそうなんだけどさ……」
気のせいと言われてしまえばそれで納得出来てしまうような、僅かな違和感。
だが見逃してしまうにはどことなく気持ち悪く……それに意識を傾けすぎていたからだろう。
人ごみの中で余所見をしていれば、それによって生じる出来事など一つだ。
アレンが軽い衝撃を覚えたのと、その声が聞こえたのはほぼ同時であった。
「――きゃっ!?」
人にぶつかってしまった、ということを認識した時には、アレンの身体は動いていた。
突き飛ばす形となってしまった身体へと反射的に手を伸ばし、支え――
「す、すみません、余所見をしていて――」
「い、いえ、こっちも余所見してたですから――」
謝りながらその顔を目にした瞬間、謝罪の言葉は途中で途切れた。
そして目の前のその人物――少女もまた、何事かを口にしようとした途中のまま、その言葉を途切れさせてしまう。
その顔には驚きが浮かんでおり……おそらくは、アレンもまた同じような顔をしているに違いない。
顔見知りだからであった。
ついでに言うのであれば、この場にはいてはいけないはずの人物でもある。
「……アンリエット?」
「アレン、です?」
ヴィクトゥル帝国リューブラント侯爵家が第一子――アンリエット・リューブラント。
即ち、この街……否、この街を含めた周辺の領地を治める侯爵家のご令嬢であった。




