元英雄、元婚約者と再会する
正直なところ、リーズは馬車が横転した時点で死を覚悟していた。
死んでもいいと思っていたわけではない。
リーズは王族だ。
ベアトリスの意図していたことは即座に理解出来たし、そこに思うところがあっても生き延びなければならないということも分かってはいた。
だがそれはあくまで、生き延びることが出来ればの話である。
唯一の脱出手段である扉は横転した際の衝撃でひしゃげてしまったらしく、押しても引いてもビクともしない。
リーズのレベルは一応2ではあったが、力が0であるため素手では壊すことも不可能だ。
そしてここでジッとしていれば助かる可能性はほぼゼロであった。
ベアトリスが『アレ』と戦って勝てるのであれば、最初からそうしているだろう。
逃げる以外に生き延びるすべはないのに、その逃げる手段が封じられてしまったのだ。
死を覚悟するには十分過ぎる状況であった。
死にたくはない。
結局何一つ果たす事が出来ずに、こんなところで死んでいいはずがない。
何よりも、ただ単純に、リーズは死にたくなかった。
それでも王族としての教育を受けてきたリーズは、泣き叫ぶことも出来ない。
ジッと膝を抱えて、おそらくはそう遠くないうちに来るであろう自らの死を待つことだけが、リーズに出来る全てであった。
そんな時、ふと頭に彼のことが過ったのは、先ほど彼のことを考えていたからなのかもしれない。
本当に調子のいいことだと自嘲し……でも――
「最後に、もう一度だけでも――」
「――リーズ様……!」
「っ……ベアトリス……?」
聞こえないはずの声が聞こえた気がして、リーズは反射的に顔を上げた。
視線の先の扉がガチャガチャと動き、激しく揺れ、吹き飛び、そこから顔を見せたのは、間違いなくベアトリスだ。
状況がまるで分からずに、困惑したままではあったが、ベアトリスに腕を掴まれるとそのまま外に引っ張り出される。
そしてそこで、困惑は全て吹き飛んだ。
代わりにやってきたのは驚愕であり……正直なところ、自分は本当は既に死んでいるのではないかと思ったほどである。
だってあまりにも、都合がよすぎたから。
視線の先にいたのが彼だということには、すぐに気付いた。
あの頃よりも背は伸びて、大人っぽくなってはいたけれど、その程度で見間違うわけがない。
その顔にあの頃と変わらぬ笑みを浮かべながら、かつての婚約者であるアレンはそこに立っていたのであった。
「その……アレン君が、どうしてここに?」
そう言ってこちらを見つめてくるリーズの瞳の中には、純粋な疑問だけがあった。
こちらを嘲ったりするようなものは微塵も含まれておらず、どうやら彼女も相変わらずらしい。
そう、彼女もまた、アレンの事情を知りながらも普通に接してくれていた人物の一人だ。
あるいは最初の一人であり、ある意味唯一の人物でもあるのだが、とりあえずそれはいいだろう。
ともあれそんなリーズの姿を見てアレンが真っ先に思ったことは、実は意外さであった。
当時既に成人していたベアトリスの態度が変わっていないのはそれほど意外ではないが、最後にアレンがリーズと会ったのはリーズが十歳の頃である。
その後周囲から色々と話を聞く機会もあっただろうし、何せ多感な時期だ。
影響を受けないわけがなく……だが少なくともアレンの目には、彼女は何一つ変わっては見えなかった。
もちろん会ったばかりだから、そう装っているだけの可能性もある。
先に述べたように彼女は王族だ。
アレンの知らない間にそんな芸当が可能になっていたところで不思議はない。
だがこれでもアレンは前世では英雄と呼ばれ、今世では公爵家の嫡男だったのだ。
数え切れないほどの貴族と顔を合わせており、そういった仮面は見抜ける自信がある。
そしてそんなアレンから見て、リーズからそういった欺瞞はまるで感じられなかった。
容姿こそ当時から見たら大人びてはいるものの、その内側はあの頃のままであるように感じられる。
そのことを嬉しく思わないと言えば嘘になるだろうし……不意に悪戯心が首をもたげたのも、きっとそのせいだ。
「どうしてここに、か……そうだね、まあ、リーズを助けるために、かな?」
「――え!?」
「これでも元婚約者だからね。君が危機に陥れば助けに来るさ」
「え、あ、あのっ……それはっ、そのっ、どういう……って、むぅ~」
こちらの言葉に慌てた様子を見せていたリーズだが、途中で一転して拗ねたように唇を尖らせたのは、アレンの口元に浮かんだ笑みに気付いたからだろう。
当然と言うべきか、今のは半ば冗談である。
助けに来たのは事実だが、リーズ達だということに気付いたのは助けに向かった後なのだから。
そもそもリーズが聞きたかったのはそういうことではないのだろうし――
「アレン君、またわたしをからかいましたねっ」
「からかうとは心外だなぁ。確かに事実には反してるけど、そう思ってることは事実なのに」
「で、ですからそういうっ」
「はいはい、久しぶりに会った君達がイチャつきたい気持ちも分かるが、今は先にやるべきことがあるだろう?」
「イ、イチャっ……!? ちっ、違いますっ、わたし達は別にそういうつもりじゃっ」
「あれ、違ったの? 僕はてっきりそういうつもりなのかと思ってたんだけど――」
「――こら」
言葉の途中で聞こえた、呆れが混ざったようなベアトリスの声に、アレンは口を閉ざすと肩をすくめた。
それからリーズの顔を見やればそこは真っ赤に染まっており、なるほどどうやら少々やりすぎてしまったようだと悟る。
王族なのにこういったことに免疫がないというか、どうやらこちらも相変わらずのようだった。
それから口元に自嘲とも苦笑ともつかないものを浮かべたのは、まるで昔に戻ったみたいだと一瞬思ってしまったからだ。
しかしすぐにそれを消すと、意識を切り替える。
確かに先にやるべきことがあったからだ。
「まあ確かにとりあえず先に互いの状況を確認すべきではあるね」
繰り返すことになるが、リーズは王族だ。
しかも、王位継承権は第五位。
王位継承権を持っている王族は今のところ十人であることを考えれば、決して高くはないが低くもなく、少なくとも気軽に外を歩いていいような立場の人間ではない。
そして一番の問題は、彼女がここにいることをアレンが知らなかったことである。
ここは既に辺境の地と呼ばれるような場所ではあるが、公爵領の内側であることに違いはない。
アレンはつい先日公爵家を追放されたし、それまでも冷遇と言っていいような扱いをされてはいたものの、王族が領内に来るとなればその情報が届かないわけがないのだ。
さらに言うならば、場所も場所で問題がある。
今言ったように、ここは既に辺境の地なのだ。
偶然迷い込むような場所でなければ、王族が来るような場所でもない。
つまりは何か事情があるのは確実であり、案の定二人は一瞬身体を硬くした。
とはいえ――
「でもそれよりもまずは、この馬車を何とかすべきかな? ここからどこに向かうにしても、ベアトリスさんはともかく、リーズを歩かせるわけにはいかないだろうし」
「それはその通りだが……もはやどうにもならなくないか?」
「そう、ですね……馬車そのものはまだ使えるとは思いますが……」
そう言って二人が視線を向けたのは、横転した馬車の前方だ。
二人が何を言いたいのかは分かる。
引っ張る存在がいなければどうしようもない、ということだろう。
だが。
「んー、見てみないと分からないけど、多分どうにかなると思うよ?」
「……え?」
アレンの言葉に疑問の声を上げたのはリーズだけであったが、ベアトリスも何の反応も示していなかったわけではない。
ベアトリスは目を見開き、まさか、とでも言いたげな表情を浮かべていたのだ。
何故そんな顔をベアトリスがしたのかは、アレンは何となく察してはいたものの、敢えて何も言わずに馬車の前方へと向かう。
そこにあったのは予想通りの光景であり、息も絶え絶えといった様子の馬が二頭、横たわっていた。
しかし息も絶え絶えではあるが、死んではいない。
クレイウルフの攻撃を受けていながらも未だ死なずに済んでいるのは、アレが敢えて急所を避けたからなのだろう。
馬を殺せば馬車は止まるが、それよりも馬に暴れさせて横転させた方がより注意を奪える。
遠目から見た限りではあるが、おそらくアレはそういう意図のものであった。
ともあれ、死んでいないのであれば何とかなる。
――理の権能:魔導・ヒーリングライト。
手をかざした瞬間、ベアトリスの時と同じように二頭の馬の全身が光りだした。
あとからやってきた二人がその光景を見て息を呑んでいたのが分かっていたものの、気にせず続ける。
やがて光が収まった時には、心なしか不思議そうな顔をした馬が、元気な様子でそこにいた。
ゆっくりと立ち上がる二頭の姿を、アレンは満足げに眺め……直後に後ろから聞こえてきたのは、呻き声にも似た声だ。
「…………ありえん。ポーションを使ってすら、人類以外の傷を癒すことは出来ないはずだ」
「は、はい……人以外の傷を癒すなんて、それこそ……」
「――『聖女』でも不可能?」
「……っ!?」
瞬間、弾かれたように二つの視線がアレンの顔へと突き刺さった。
リーズは驚愕と共に身体をこわばらせ、ベアトリスは僅かに剣呑な気配をそこに宿らせている。
そんな二人の、特にベアトリスの反応にアレンは苦笑を浮かべた。
どうしてそんな反応を示したのか、アレンは大体のところで予測出来ている。
だからこそ、ちょっと迂闊すぎると思ったのだ。
別に今のアレンの言葉はそれほど不自然でもなかったはずである。
そこでそんな反応をしたら何かありますと言っているようなものだ。
とはいえ、アレンに他意がなかったと言ってしまえば嘘になるだろう。
予測出来ていたとはいえ確信が持てていたわけではないので、ちょっと確認のために口を挟んでみたのだ。
そこでの反応で見極めようと思っていたのだが、ここまで露骨に反応されてしまうのは逆に予想外である。
しかし本当にそれだけのつもりだったので、無駄に二人と敵対とかするつもりはなく、さてどうしたものかと考え――
「あ、そうそう、そういえば話は変わるんだけど、実は僕って今日付けで公爵家を追放されてたりしてるんだけど……二人とも知ってた?」
「……え?」
「……は?」
その言葉を放った瞬間、緊張感をみなぎらせていた二人の雰囲気が一瞬にして霧散した。
そして呆然とも唖然とも取れる表情を二人が揃って浮かべたのを眺めながら、アレンは再度苦笑を浮かべる。
どうやら思った以上に効果のある言葉だったようだと思いつつ、肩をすくめるのであった。