憎悪の果て
ガラスの砕け散ったような音が、その場に響いた。
しかしクレイグが驚くことはなかったのは、何となく予想していたからかもしれない。
邪魔されないはずがないと、そんな確信にも似た思いがあり――
「……まあ、それが貴様だとはさすがに思いもしなかったがな――出来損ない」
言葉と共に視線を向ければ、入り口の傍にその人影はあった。
前方に突き出していた左手をゆっくりと下ろしていくその姿は、見間違えようのないものだ。
自らの血を分けた忌々しい存在……出来損ないと呼び、追放したはずのそれだった。
「そうだね……僕も出来るならば、他の誰かに代わって欲しかったかな」
そんな言葉を嘯き肩をすくめるそれは、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
その瞳にかつてのアイツの姿を思い出してしまい、舌打ちを漏らす。
本当に、忌々しい存在であった。
「ふんっ……そう思うのであれば、俺の邪魔をするな。今すぐこの場から立ち去るのであれば見逃してやろう。貴様など取り込む価値もないのだからな」
「さて……それで解決するんなら僕としても是非そうしたいんだけどね。さすがに今そうすると寝覚めが悪くなりそうだし……そもそも代わって欲しいって言ったのはそういう意味じゃないしね」
「……人が折角くれてやった慈悲を無視するとはな。やはり所詮は出来損ない、か。まあ構わんがな」
どうせほんの少しだけ余計に時間がかかるだけだ。
状況を考えれば、先ほど何かをしたのはそこの出来損ないということになるが、問題はない。
たとえその力がどんなもので、どうやって手に入れたのだとしても、関係はないからだ。
新しく手に入れたこの『力』の前では、全てが無意味である。
「貴様がどうしてここにいて、どうやってここに来たのか……それもまた、どうでもいいことだ。俺から貴様に言うことは一つだけだ。――目障りだ、失せろ」
――■■■■:■■■■。
右腕を振るった瞬間、溢れ出た闇がそれへと迫り、そのままその姿を飲み込んだ。
呆気ないぐらい簡単に視界から消え失せたそれに鼻を鳴らし、視線を外す。
思った以上に、何も感じなかった。
こんなことならばブレットの言っていたようにさっさと始末してしまうべきだったかもしれない。
とはいえ、結果から言ってしまえば同じことだ。
あとは、ブレットをいつ始末するかだが――
「まあ、いつでも始末できるということが分かったのだから、後でも構わんか。アレにはまだ使い道がある。始末するのは使い潰してからでも構わんだろう」
「……うわぁ、なんか外道そのもののこと言ってるなぁ。正直自分の身体にこの人の血が半分が流れてるとか考えたくないんだけど……ま、仕方ないか。子供は親を選べないもんね」
「――っ!?」
声に、勢いよく振り返った。
だが闇はそこにあったままだ。
アレは神と世界に対するクレイグの怨念そのものである。
その直撃を受けた以上は、たとえ何者であろうとも――
「今の僕には公的には親は存在してないってことになってるはずだけど、それはそれとして事実は消せないし。まったく――本当に困ったもんだ」
言った瞬間、再びガラスの砕け散るような音が響き渡った。
闇が砕け散り、そこから現れた姿には傷一つない。
右腕に握った剣を振り切った見知った姿が、変わらずにこちらを真っ直ぐに見つめていた。
「っ……馬鹿な、俺のアレらに対する憎しみは、そんな軽いものではないはずだ。だというのに……貴様、一体何者だ……!?」
「何者も何も、知ってる通りだと思うけど? 僕のことを一番最初に出来損ないって呼んだのが誰だったか、忘れたわけじゃないよね?」
「っ……」
気がつけば、半ば反射的にクレイグは後ろに下がっていた。
まるで見えない圧力に押されたように感じ……だが、唇をかみ締めてそんなイメージを振り払う。
そんなものはただの気のせいだ。
予想外のことに動揺してしまっているだけに違いない。
そうだ、クレイグはエドワードだけではなく、勇者をもあっさりと打ち倒したのである。
今更こんな出来損ないに怯えるなど、有り得るわけがない。
多少得体が知れなかろうが、所詮出来損ないに違いはないのだ。
そんなものに、今更邪魔をされるわけにはいかなかった。
「っ……そうだ、貴様は出来損ないだ……出来損ないのくせに、俺の邪魔をするな……!」
「別に出来損ないにだって、邪魔をする権利ぐらいはあるんじゃないかな? 一応は、今まで世話になった国に関わるようなことだし……何よりまあ、放っておくわけにはいかない人達もここにはいるしね」
「っ……戯言を、ほざくな……!」
――■■■■:■■■■・■。
叫びながら腕を振るい、溢れる闇を叩き込む。
それは先ほどの比ではないほどの量と質であり――だが今度は、その姿を飲み込むことすらなく砕け散った。
剣が振るわれた瞬間、跡形もなく消し飛んだのだ。
「っ……馬鹿な、聖剣ですら拮抗するのが精一杯だったのだぞ……!? その剣は聖剣以上だとでもいうのか……!?」
「その言葉を聞いたらノエルが喜びそうだけど……残念ながらこれはただの剣だよ? まあ、超一流の、ではあるけどね」
では、本人が特別だとでも言うつもりなのか。
そんなことが――
「ああ、そうそう。このままだと言いそびれそうだから言っておくけど、そういえば一つだけ言っておきたいことがあったんだよね」
「言っておきたいこと、だと……?」
それはつまり、恨み言、ということだろうか?
だがくだらないことだ。
ソレが出来損ないだったのは事実である。
いや……今もそれは変わりない。
すぐにそのことを証明してみせよう。
故にソレが何を言ったところで、雑音にしかならないことだ。
「んー、何か勘違いしてるような気もするんだけど……まあいいか。とりあえず言っちゃうけど、実はさっきの話って僕も聞いてたんだよね」
「さっきの、話……? 貴様、一体何を――」
「話す相手によって内容が少しずつ違ってたのが興味深かったけど、まあそれは置いといて。母さんのギフトの話なんだけど――聖母の効果に、自分の命を分け与える、なんてものはないよ」
「…………なに?」
こいつは一体何を言っているのだ?
どうやら随分と前から話を聞いていたようだが――
「ちなみに、実際に『視』たから、確実だよ? まあ、隠し効果があったのは事実だったみたいだけどね。でもそれは生まれてくる子供に対するささやかな願いを叶えるというだけのものであって、母さんが願ったのは、子供が健やかに育ちますように、ということだけだった。だから母さんが亡くなったことに、ギフトは関係ない。――まあ、そんなこと知ってただろうけど」
「………………ああ、その通りだ」
言われた言葉に、クレイグは素直に頷いた。
そうだ、クレイグはエドワードに語ったことが嘘だということを知っていたのである。
何せその話を聞いたのは悪魔からなのだ。
悪魔が真実のみを話すわけがあるまい。
それに、何度も何度もアレの死を眺め続けていたのである。
それがギフトのせいでないことぐらい、気付けないわけがないだろう。
しかしそんなことは、クレイグにとってどうでもいいことであった。
クレイグがアレの死を見続けたということと、どうやってもアレを助けることが出来なかったということ。
クレイグにとって重要なのは、その二つだけだったからだ。
それはクレイグが絶望するには十分だった。
憎悪の炎を燃やすには十分だった。
そして悪魔の話には確かに真実も含まれていた。
この力やレベルに関しては、確かに本当のことだったからだ。
ならばそれで十分であった。
神に復讐できるのであれば、それでよかったのだ。
自分の手では直接果たすことは出来ないのだとしても。
たとえそれが、ただの見当違いな逆恨みに過ぎなかったのだとしても。
悪魔達に利するだけの行為だったのだとしても、何も構いやしなかった。
「そうだ、俺は俺が憎しみを抱くやつらにこの憎しみをぶつけることが出来るのなら、手段など選ばん……憎い貴様らを滅ぼせるのならばな……!」
――■■■■:■■■■・■■。
さらに溢れた闇を叩き込み、だが先ほどと同じように即座に砕け散る。
それはまるで、この憎悪が無意味だとでも言われているかのようであり――
「っ……ふざけるなよ、出来損ない如きが……!」
「うん、まあ確かに僕は出来損ないだけどね……それでも、見過ごせないことってのはあるんだよね。――このままじゃさすがに、母さんが申し訳が立たないし」
「――っ、貴様があいつを語るな、出来損ない……!」
――■■■■:■■■■・■■■。
瞬間、両腕から溢れていた闇が、クレイグの全身を覆った。
それはまるでクレイグが闇に喰われているようで……だが、膨れ上がった力は、今までの比ではないほどだ。
湧き上がる万能感。
これだけの力があれば、そのまま神を殺しにだって行けそうだ。
ただ、その代わりとばかりに自分が希薄になっていく感覚を覚えたが……構わなかった。
そうだ、先に語った通りだ。
手段などは選ばない。
この復讐が遂げられるのであれば、自分の身など惜しくも何とも――
「――まあ、正直に言っちゃえば、自分の身体なんだし好きにすればいいとも思うけど……周囲に迷惑な上に、このまま終わるとかさすがに自分勝手すぎるしね。せめて、自分がやらかしたことの大きさを、自覚してもらってからじゃないと」
言葉と、視界が開けたのは同時であった。
あれほどあった万能感は霧散し、すぐ傍には腕を振り抜いた体勢のそれの姿。
ぐらりと、身体が傾き始めた。
「っ……貴、様……出来損、ない、が……!」
反射的に手を伸ばし……だがそれは、何も掴める事はなかった。
ただ虚しく空をきり、そのまま地へと落下する。
それはまるで、自分のことを象徴しているようで……そんな自らの腕を眺めながら、クレイグの意識もまた闇の底へと落ちていくのであった。




