溢れる闇
倒れ伏した弟の身体を見下ろしながら、アレンは一つ息を吐き出した。
正直なところ色々な意味で気は重かったものの、ここで休むわけにはいかない。
まだ終わってはいないのだ。
「それじゃ、悪いけど後はよろしくね」
「はい、お任せください。アレン君も、その……」
何と言っていいのか分からないのだろう。
言葉を濁すリーズに、アレンは苦笑を浮かべた。
とはいえ、何と言ったらいいのか分からないのはアレンも同じだったので、そのまま背を向ける。
伺うような周囲の視線の中、それらを気にすることなく、その場を後にしたのであった。
轟音が響いていた。
それは轟音としか表現のしようのないものであり、少なくとも剣戟とは呼べないだろう。
実際にはそうであったとしても、だ。
アキラとクレイグの戦闘は、まさに激戦と呼ぶに相応しいものであった。
一撃一撃が重く鋭く、その全てが一撃必殺。
その上で無数かと思えるほどの攻撃が放たれるのだ。
正直に言ってしまえば、エドワードは足手まといにならないようにするだけで精一杯であった。
「ちっ……やべえなこりゃ。格好つけて登場したってのに、アレつええわ」
一旦距離を取り、態勢を整えながらそんな言葉を呟くアキラに、エドワードは頷く。
アキラも善戦してはいるものの、確実にクレイグの方が優勢であった。
「ああ……こう言っては何だが、さすがといったところか」
先ほどの戦いでは、本当に手加減をしていたのだということがよく分かる。
おそらくこの実力を出されていたら、エドワードでは最初の一撃すら凌げていたか分からないほどだ。
それについていけているだけでもアキラは十分凄いのだが……それでもクレイグが上なのは間違いない以上、そう言ったところで何の慰めにもならないだろう。
「つーかアイツ、動きおかしくねえか? 明らかにこっちの動きが分かってるみてえな動きを時折すんだけどよ。やっぱアレがアイツのギフトってことか?」
「そうだ。あいつのギフトは、未来視。数秒先の未来を見る事が出来る、というものだ」
「はぁ? なんだそれ。インチキじゃねえか」
「極度の集中が必要なため本来は戦闘中に使えるものではないんだがな……」
少なくとも、本来はそう何度も使えるものではないはずだ。
だがエドワードが見たところ、クレイグは間違いなく要所要所で使っている。
それでも押し切られていないアキラが凄いのか、勇者を相手にそれだけで優位に立てるクレイグが凄いのか。
どちらも凄いことに違いはないが、一つだけ分かる事があるとすれば――
「……それだけの力を得ながら、何故人々のために使おうとはしない? そこまでの力を得るなど、並大抵の努力ではなかったはずだ。あの娘だってこんなことは望んでは――」
「――黙れ。貴様に何が分かる。アイツの死を見せられ続けた俺の気持ちが、貴様なぞに分かってたまるか……!」
「……なに?」
それは、予想だにしていなかった言葉であった。
しかし……クレイグのギフトのことを考えれば、一つだけ考えられる事がある。
「クレイグ、お前のギフトは確かに未来を見る事が出来るが、それでも数秒先が限度だったはずだが?」
「俺もそう思っていたし、今でもそれは変わらない。だが、何故かあの時だけは……アイツが死ぬまでの一年間だけは、アイツの死も見ることは出来た」
そんなことがあるのか、とは思うものの、本人があると言っている以上はあるのだろう。
そしてそれは確かに、エドワードには想像すら出来ないことであった。
「しかも、その未来は絶対ではないようだった。何かをすればほんの少しだけ見える状況が変わったからな。だが……何をしたところで、アイツが死ぬ未来だけは変わる事がなかった」
「……それは、あの娘は」
「無論知っていた。アイツは最後に満足だったと言ってくれたがな。だが……そんなわけがあるか……! 俺は結局何も出来なかった……何をしようとも変えられない未来に絶望することしか出来なかった……! そして何をしようとも変えられなかったということは、それは神が予めそう仕組んでいたということ以外に考えられん……!」
「……なるほど、な。だからお前は、神を否定するのか」
ようやく、少しだけ分かったような気がした。
クレイグがここまで頑なにギフトを、神を否定しようとするのは、そのせいなのだろう。
もちろんそれが分かったところで、認めるかはまた別の話であるが。
「ふんっ……所詮それは切欠に過ぎん。だがそれによって俺が気付いたというのは事実だ。この世界は神によって支配され、全ては決定付けられている。ならばそこから抜け出すには、神を殺すしかあるまい……!」
その声の調子と、瞳の中に浮かんだ闇に、エドワードは確信する。
分かっていたことではあるが、やはりクレイグを説得するのは不可能だと。
これを説得することの出来る者など、それこそあの娘しかいまい。
「ふーん……途中からしか聞いてねえし、オレはそっちの細かい事情なんて知らねえけどよ。要は、大切な人を失うことになったのが許せねえって、そういうことだろ? ならそれだけ言ってりゃいいだろうによ……ゴチャゴチャ余計なこと言いやがって、男らしくねえ」
アキラがそう言った、その瞬間のことであった。
まるでタガが外れたように、クレイグの雰囲気が変わったのだ。
それまでにもその瞳には十分な闇が感じられたが、その比ではなく――
「ふっ……なるほど。確かにな……俺は少し余計なことを考えすぎていたかもしれん。そうだ、俺は……目的のために手段を選んでいる場合ではなかったな」
「やべっ……もしかしてオレ、地雷踏んだか?」
「あそこまで好き勝手に言っておいて地雷も何もあったものではないと思うが……まあ、この様子では、おそらく遅かれ早かれ、といったところだろう。何の慰めにもなりはしないがな」
「まったくだぜ、っと……!」
放っておいたらまずいと本能的に察したのだろう。
アキラは全力でクレイグへと飛び掛かり――振り下ろされた刃を、クレイグは左手で掴んだ。
「なっ……!?」
「――喰らい尽くせ、魔の左手」
刃が食い込んだ掌からは血が流れ出し、だがそれ以上の勢いでそこからは闇が噴き出した。
それがやばいものだということは誰に言われるまでもなく一目分かるものであり――
「っ、野郎――焼き尽くせ、蒼電……!」
瞬間、アキラの握る聖剣に、蒼い雷が走った。
それは迫り来る闇を打ち払わんと、迎えうち……だが、そこで止まる。
完全に拮抗してしまったのだ。
「ちっ……テメ、龍と同等とでも言うつもりかよ……!」
「――塗り潰せ、魔の右手」
「ごっ――!?」
そして同じように闇が溢れ、それを纏った右手が薙ぎ払われると、直撃したアキラの身体が冗談のような勢いで吹き飛び、壁に激突した。
起き上がってくる気配は、ない。
「クレイグ……お前、それは一体……」
「……つい今しがた、言ったはずだ。最早俺は、手段を選ぶつもりはない、とな。疾く、往ね」
瞬間エドワードが理解出来たのは、自分の身体がアキラと同じように吹き飛ばされた、ということだけであった。
壁に激突したということは認識出来たものの、不思議と痛みも衝撃もない。
――否。
既にそれを感じる事が出来ないのだと、長年の経験から理解した。
ただ、同時によく分からないような感覚でもあった。
死ぬ、という感覚はない。
どちらかと言えば、眠りが近いだろうか。
ただし、二度と覚めぬ眠りだ。
意識が沈んでいき、その代わりとばかりに自分の中に何かが染み込んでくるのを感じる。
意識が完全に落ちる間際、ほんの少しだけエドワードはそれが何なのかを理解した。
それはきっと……クレイグの意識、そのものだ。
怒り、悲しみ、嘆き、苦しみ。
そのどれでもないような、そのどれでもあるような……きっと本人も忘れてしまったような何か。
それに自分の全てを塗り潰されそうになりながら、ふと思う。
自分達では叶わなかったが……誰か、この友人を止めて欲しい、と。
そんなことを思った瞬間、何かが砕け散るような音が聞こえ、エドワードの意識は、そのまま光の中に溶けるように落ちていったのであった。




