暗闇の底
突如その場に現れた人物へと向けて、ブレットは憎しみに似た視線を向けた。
かつて自分の兄と呼ばれていた人物。
出来損ない。
追放しいなくなったはずの存在。
そんなのが、何故、今更――
「っ……いえ、失礼。それで、僕達の話を信じる事が出来ないとは、一体どういうことですか?」
今の状況を思い出し、強引に話を続けようとしたこちらに、『ソレ』は一瞬だけ驚いたものの、直後に感心したような顔を見せた。
そのことに僅かに怒りが湧くも、ここで怒鳴ってしまえば取り繕おうとした意味がない。
何とか我慢していると、ソレが口を開いた。
「いや、どういうことかって言われてもね……えっと、そっちの錬金術師の彼。彼が作ったっていう魔導生命体なんだけどさ」
「……魔導生命体がどうかしましたか? まさか、実物を見ないと信用出来ない、とでも?」
もしもそう言って邪魔をするつもりだったというのならば、これほど浅はかなことはない。
その程度のこと、予測出来ていないわけがないのだ。
「へー、そういう言い方をするってことは、実物を持ってきてるってことなのかな?」
「勿論ですとも。おい」
「は、はい……しょ、少々、お、お待ち、を」
あまりにもノロマな動きにイライラするが、それでも何とか待てば、やがてそれが姿を見せる。
地面が持ち上がり、作り出されたその形は、土で出来た狼であり――
「如何ですか? これが魔導生命体です。これでも満足いただけないと言うのでしたら、力を直々にお見せすることも出来ますが……」
言いながら、ブレットは勝ち誇った笑みを見せた。
どうしてアレがここにいたのかは知らないが、あんなことを言い出した魂胆は目に見えている。
どうせ浅知恵を働かせてこちらの邪魔をしようとしたのだろう。
まったく、始末されなかったことを感謝するどころか、逆恨みなのかは知らないが邪魔をしようなど、やはり所詮は出来損ないだ。
改めて後で始末するよう父に進言しようと思い……そこで、出来損ないの顔に浮かんでいる表情に気付く。
それは蔑みのようであり、落胆のようであり、または憐れみのようでもあった。
「……いや、その必要はないよ。ただ、代わりに一つ……いや、二つだけ聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「……? ええ、構いませんが……」
何故そんな顔をするのかが分からず、またこの期に及んで一体何を言おうとしているのかと思ったが……どうせ無駄な悪足掻きだろうと思い直す。
素直に諦めればいいものの、まったく往生際の悪いやつだ。
そう思って、勝ち誇った顔を続け――
「じゃあ一つ目なんだけど、その魔導生命体っていうのは、今のところそこの彼しか作れないんだよね?」
「はい、その通りです。その製造方法は極秘ですから、他国が真似出来るというようなこともないでしょう」
「……そっか。なら、二つ目なんだけど……それって、クレイウルフって名前で間違いないよね?」
「……っ!? 何故、それを……!?」
魔導生命体の研究は、今まで極秘で進めてきたものだ。
実践で用いたことは未だなく、実際に使ったことも一度だけしかないはずである。
その名前など、分かるわけがなかった。
いや、確かに捻った名前でもないため、見た目から予想出来る名前と言えばそうではある。
だが今の言い方は、間違いなく確信を持ってのものであった。
そもそも、だからどうしたというのか。
目的がまるで見えない。
あの出来損ないに出来ることなど何もないはずなのに……どうしてか真綿で首を絞められているような、そんな気がした。
そして。
「ふぅ……うん、じゃあやっぱり、君達の言うことを信じるのは無理かな? だって――王女を暗殺しようとした人達の言うことなんて、信じられるわけがないでしょ?」
「っ……!?」
その瞬間、広場が今まで最もざわめきを放った。
一斉にこちらに向けられるのは、憎悪に似た疑惑である。
「王女を暗殺、だって……!?」
「王女ってことは、リーズ様ってことか……? それとも……」
「いや、別に誰かってのは重要じゃないだろ。それよりも、達ってことは、将軍様や大司教様まで関わってるってことか……?」
「そんなことしてあの人達に何の得があるってんだよ? 嘘なんじゃないのか……?」
「い、いや待て……よく見てみたら、あの少年の傍にいる人は、もしかして……!?」
「リ、リーズ様……!?」
「――なっ……!?」
馬鹿な、有り得ないはずであった。
報告によれば、ここからどれだけ急いでも十日以上はかかる場所にいたはずだ。
こんなところにいるはずがない。
しかし確かにアレの近くに目をやれば、人々の影に隠れるようにしながらも、そこには確かに見覚えのある姿の人物がいた。
間違いなく、この国の第一王女であるリーズ・アドアステラだ。
そしてその少女は人々の視線を一斉に浴びても怯むことすらなく、堂々と一歩を前に進み出ると、その場にいる人々に届くようにしっかりとした声を上げた。
「彼の言ったことは、間違いのない事実です。わたしはあの魔導生命体というものに、間違いなく命を狙われました。そのことは、今は少し別件のためにこの場にいませんが、わたしの専属護衛であるベアトリスも証言してくれるでしょう。付け加えて言うのならば……わたしが命を狙われた場所は、ヴェストフェルト公爵領内で、でした」
その言葉によって再び、人々の視線がこちらへと向けられた。
だがそこには先ほど以上の怒りに似た感情が含まれている。
「おい、確かあいつって確か……」
「ああ。ヴェストフェルト公爵家の次期当主って言ってたな」
「将軍様に大司教様に、ヴェストフェルト公爵家までが揃ってリーズ様の命を狙ったって……それってもう反乱じゃないのか?」
「確かにそれに近いことは言ってたけど……でも、ねえ」
「言ってた事が本当なら、暗殺なんてしようとしなくても正当な手段で排除出来ただろうに……いや、そもそもリーズ様はまだ成人したばかりだぞ? 王家が俺達に本当に嘘を吐いてたとしても、関わってないんじゃないか?」
「関わってたとしても、暗殺はねえだろ」
「だよな。そんなのに何か後ろ暗いことがあるって言ってるも同然じゃねえか」
「……っ」
あれだけ肯定的に傾きかけていたその空気が、一気に裏返った。
いや、それどころか、明確な敵意にすら発展しつつある。
先天系ギフトの話をしなかったのは、こうなる可能性があるからだったというのに……やってくれたものだ。
しかもこの様子を見るに、どうやらあの出来損ないは王女と手を組んでいるらしい。
一瞬何かが頭を掠めたものの、今はそんなことを考えている場合ではなかった。
この場をどうするかが最優先事項なのだ。
とはいえ、事ここに至れば、もうどうしようもないだろう。
王女があそこにいて、こちらと明確に敵対しているのだ。
ここからどれだけ言葉を重ねたところで、再びこの空気をひっくり返すことの出来る自信は、さすがのブレットにもなかった。
故に。
「……やれやれ、仕方がないか。本当はこの手は出来れば使いたくなかったんだが……まあ、恨むならそこの出来損ない共を恨むんだな。僕達はこんなに穏便に事を済ませようとしていたってのに……まったく、本当に余計な真似をしてくれたものだよ」
「なんだ……? 何言ってるんだあいつ?」
「いや、それよりも今の言い方ってことは、認めたってことか?」
「それってつまり、私達を騙そうとしてたってことよね?」
「将軍様達まで一緒になって……俺達に一体何をさせるつもりだったんだ……!?」
ざわめきと視線が鬱陶しかったが、こうなってしまえばもうどうでもいいことである。
将軍へと視線を送れば、将軍が一つ頷き――人々の間に、一斉に騎士達の姿が現れた。
「へ……!? な、何だ……!? 騎士様達が突然……!?」
「い、いや、確かに驚いたが、好都合じゃないか! 騎士様達、どうかあいつらを捕まえてください!」
「そうです! あいつらはとんでもないことを企んでた……って、騎士様……?」
「な、何だ……!? この人達、様子が……!?」
「ふんっ……当然だ。そいつらは既に僕達の手駒だからな」
現れた騎士達は、第二騎士団の者達だ。
つまりは将軍の部下達であり、こういう時のために偽装して忍ばせておいたのである。
そして今まで知られていなかったことではあるが、実は将軍のギフトは部下達に強制的に命令を下す事が出来るのだ。
将軍の性格上命令というものをしなかったために今まで明らかになることがなかったようだが……それを用いれば、こうして相手の意思などとは関係なく動かす事が出来る、というわけである。
もちろんそれは将軍のギフトを使ったままの状態であるため、このままであれば極度の疲労状態になってしまうが、何の問題もない。
壊れたらそのまま死兵として使えばいいだけだからだ。
死兵になってしまうと将軍のギフトは効かないようなので、出来ればそうしない方がいいのだろうが……どうなるかは効果が切れた後のあいつら次第といったところだろう。
こちらの言うことを聞きそうにないのであれば、結局は死兵となってもらうしかないのだから。
ともあれ、これで形勢逆転――
「さて……お前達が何を考えていたのかは知らないが、この状況が理解出来ないわけじゃないだろう? まあ、大人しくしていれば僕達の仲間にしてやらないことも――」
「まったく……本当に、予想通りのことをしでかしてくれるなぁ。ま、対処がしやすいからいいんだけどさ」
言って、持ち上げたソレの左手が握り締められた、その瞬間であった。
騎士達が一斉に、その場に倒れこんだのである。
「…………は?」
「んー、これはまた随分と長いこと支配してたみたいだなぁ……後遺症が出ないようにするのちょっと面倒そうだけど、まあ言ってもいられないか。とはいえそっちは一先ず後回しにして、と」
呆然とするブレットに視線すら向けることなく、再びソレの左手が握り締められる。
そうして今度も人が倒れこみ……だがそれは、ブレットの両脇にいた人物であった。
将軍と大司教がその場に崩れ落ち、しかもそれだけではない。
そのまま身体までもが崩れると、土くれへと変わっていったのだ。
「ひっ……!? ま、まさか、殺され……!?」
「い、いや、待て、何だあの様子……!?」
「土に……!?」
「一度死んだ人を無理やり動かしてたからね。それにどうやらあの二人は意識すらも残ってなかったようだし……まあ、自然の摂理に逆らった以上は、当然の結末が待ってるってところかな?」
土くれへと変わってしまった二人を眺め、ブレットはやはり呆然と思う。
何だこれは。
一体何が起こっている。
アレは一体何をしたというのか。
……いや、そんなはずはない。
だってアレは出来損ないだ。
出来損ないでなければならない。
そうでなければ――
「っ、出来損ないが……! 僕達の――僕の邪魔をするなぁ……!」
叫びながら、半ば反射的にブレットはソレへと向けて走っていた。
レベルはブレットの方が圧倒的に上だ。
ギフトだってある。
出来損ないに自分が負ける理由など、一つとしてあるわけがなく――
「――っ!?」
殴りかかろうとしたその寸前で、目が合った。
はっきりとその目はこちらの姿を捉えており、仕方なさそうに溜息が吐き出された。
「まったく……困った弟だよ。まあ、あまり構ってやれなかった僕にも原因はあるのかもしれないけどね」
振り被った拳を繰り出す前に、頬に衝撃を感じ、そのまま目の前が真っ暗になった。
それはつまり、ブレッドが出来損ないに負けたということであり――しかし、そんなことは分かりきっていたことであった。
最後に、唇が動く。
どういう音が出たのか、あるいはそもそも出なかったのか、それすらも認識することなく。
ブレットの意識は、闇に塗り潰されるように、暗闇の底へと落ちていったのであった。




