揺らぎ始める狂乱
「――これがこの国の、この世界の真実です」
「納得いかない、と思う者も多いじゃろうな。そんなはずがない、と思いたいのはむしろ当然じゃ。儂らの話が正しければ、皆は既に神の奴隷となっているわけじゃからのぅ。じゃがの……真実から目を背けては何にもならんのじゃ」
「どうか、ご自身だけのことではなく、未来のことへと目を向けて欲しいと願います。もしも祝福の儀を受けていない子がいるのでしたら、今が最後の機会なのです。あるいは未だ生まれていない子供、孫、子孫のために……どうか、最善の選択を」
語られた内容を前に、広場のざわめきはついに頂点に達しようかとしていた。
気が付けば広場だけではなく、周囲の建物の中からその場の光景を眺めている者までいる。
街中の人が集まっているのではないかというほどの人の集まりがそこにはあり、しかし騎士達がいるわけでもないのに暴動などには発展せず、奇妙な秩序がそこにあるのは将軍がその場にいるからか。
あるいは、単純にそんなことすらも忘れている、ということなのかもしれない。
今語られたことというのは、それほどの衝撃であった。
「……でもよ、最善の選択って言われても、具体的には何をすりゃいいんだ?」
「……確かにな。俺達は既にギフトを授かっちまってるし、祝福の儀に関しては……なぁ。そもそも俺達がどうこう言ってどうなるもんでもねえしよ」
「神様だろうと誰かの奴隷になってるなんて考えると、確かに嫌ではあるけど……実際ギフトは色々助かってるし、そもそもギフトを授からないってことは、私達と差が出来ちゃうってことでしょ? それはそれで、何だか可哀想じゃない……?」
「全員が一斉にやめるなんて思えないもんな……誰かが抜け駆けしたらそいつが有利すぎるよなぁ。レベルを上げるとか言っても、そう簡単にはやっぱり上がらないんだろうし」
「一時的に国力も下がってしまいそうですね……いえ、一時的で済むかどうか。わたし達の下の世代で、一気に技術力等が落ちてしまいそうです」
「ギフトでしか今のところ再現出来ないものも多いからね。それに、一番ネックになるのは防衛力かな? 周囲の国が追従するとは思わないし、そのまま攻め滅ぼされる……とまでは言わないけど、今の国土を守り続けるのはほぼ不可能だろうね」
「というか、こう言っちゃなんだが、今の話って本当なのかよ? いや、将軍様や大司教様のことを信じてねえってわけじゃねえんだが……」
困惑、不安、疑惑。
様々な意味のこもった視線を向けられ、だがその二人の顔には変わらず笑みが浮かんでいた。
「……皆さん色々と考えがあるでしょう。信じられないのは無理ないことですし、信じて欲しいと願ってもそれが難しいのは重々承知の上です」
「少し一度に話しすぎてしまったからのぅ。じゃが、無論皆の疑問に対する回答は用意してある。――それが、これじゃ」
そう言って大司教が示した先、自らの背後から歩み寄ってきたのは、二人の人物であった。
いつの間にそこにいたのか、まるで突然その場に現れたように人々の目には見えていたが、そんなことはお構いなしに二人は悠然と歩みを進める。
そのうちの一人は、少年だ。
成人を迎えたか否かといった年頃ではあるが、その顔は妙に自信に溢れている。
大司教達の隣にまで進みであると、捉えようによっては見下しているとも思えるような目で、その場を見渡した。
そして問題だったのは、もう一人の方だ。
黒いローブを纏い、フードまで被って顔の分からなくなっているその人物は、はっきり言って非常に怪しい。
そんな人物が少年と同じように大司教達の隣にまで進み出たのだから、広場は先ほどまでとは異なる意味で大きなざわめきに包まれた。
「さて……初めましての方も大勢いらっしゃるでしょうから、まずは自己紹介をしましょう。僕の名前はブレット・ヴェストフェルト。ヴェストフェルト公爵家の次期当主です」
そうして喋り始めたのは、将軍でも大司教でもなく、少年――ブレットであった。
それによってさらにざわめきが大きくなり、ブレットの口の端がほんの少しだけ吊り上がる。
だが。
「ブレット……? ヴェストフェルト公爵家は当然知ってるが……そんなやついたか?」
「まあ当主ですら俺達には遠すぎてよく分からん人だしな。次期当主なんてまったく関係ねえし」
「そもそも、次期当主ってアレンって子じゃなかった?」
「ああ……そういえば、ヴェストフェルト家に神童が生まれたとかって話は聞いた事があるな」
漏れ聞こえた言葉に、ブレットの口元が引き攣った。
しかし大きく息を吸い込むと湧き上がってきた怒りを押し殺し、何とか続きを話し出す。
「ま、まあ、僕の知名度はまだそれほど高くはありませんからね。皆さんが知らないのも無理はないでしょう。ですがこの僕が……僕こそが、皆さんに真の自由を与えることが出来るのです。何故ならば、僕こそが将軍の正当なる後継者……いえ、むしろ僕の方が、将軍よりも上なのですから」
その言葉に、皆はざわめきではなく、眉をひそめることで以て応えた。
将軍がどれほどの存在であるかなど、今更語られるまでもなく分かっていることだ。
それよりも上などと言われたところで、そう簡単に信じられるわけがない。
しかもそれが語られたのは将軍の口からではなく、少年自身の口からなのだ。
まだ成人もしていないようだし、子供特有の万能感からくる大袈裟な物言いなだけだろう。
皆がそう判断したのは、当然のことであった。
「……皆さんが僕のことを信じられないのは当然ではあります。ですが、僕の『力』のことを知ればきっと分かっていただけると思います。……おい」
そう言って振り返ったブレットの視線の先から、一人の男がやってくる。
何の変哲もないような、どころか無精ひげを生やしている男はその場には相応しくないような人物だ。
どういうことでその男が呼ばれたのだろうかと、人々は困惑交じりでその姿を眺め――
「彼は、我が家で雇っている錬金術師です。しかし、彼の腕はあまりよくはない……いえ、よくはありませんでした。ですが、今や彼は魔導生命体というものを作り出すに至るまでになっています」
そこでざわめきが起こったのは、魔導生命体という言葉に驚いたからではない。
いや、ある意味ではその通りではあるのだが……単純にそれが何なのかが分からなかったからである。
「魔導生命体という言葉に聞き覚えがない、という顔を皆さんしていますね? それは当然です。魔導生命体とは彼が作り出した、一種のゴーレムのようなものなのですから。しかしゴーレムとは異なり自律行動を取る事が出来……さらには、その戦闘能力はあの第一騎士団の兵に匹敵します」
「これは事実です。何せ既に実証済みですからね。さすがに騎士団長を相手にするとなると厳しいでしょうが……そうですね、三人程度までならば、一度にかかってこられても一体で完勝することが可能でしょう」
将軍がそう告げたことで、今度こそ驚きの声が上がる。
だが同時に疑問の声が上がったのは、それがどうしたのか、ということからだ。
ヴェストフェルト家の錬金術師の腕が上がったのは確かに彼らからすればいいことなのかもしれないが、先ほどの話とどう繋がるのかが分からないのである。
「何を言いたいのか分からない、という顔を皆しているのぅ。じゃが、これはきちんと先ほどの皆の疑問に対しての回答の一つとなっているのじゃぞ? 即ち、防衛戦力としてその魔導生命体が使える、ということじゃ」
「時間はかかりますが、もちろん量産は可能です。ギフトを使っていますので後々同じようなものが作れるのかは分かりませんが、ゴーレムの一種なため数十年、いえ、数百年は持つかもしれません。しかもその力が力ですから、その間他国から攻められる、ということはなくなるのです」
「あとは魔導生命体が使えなくなってしまう前に、皆が力を付ければいいのです。もちろん言うほど簡単ではありませんが……そこで、ブレットの『力』が役立ちます」
「先ほどこの錬金術師の腕が上がった、といったようなことを言いましたが……あれは正しくありません。正確には、僕がそうしたのです。僕の『力』――英雄賛歌によって」
「英雄賛歌は、相手の潜在能力を引き出すという力じゃ。もちろん一度に全てを引き出すことは出来ぬし、それには時間が必要ではある。じゃが、それを使えば誰でも今よりも遥かに強くなる事が出来るのじゃよ。ギフトなどを持っていなくとも、の」
「さらに言うならば、錬金術師の彼のように、引き出される力は戦闘能力だけではありません。たとえば、鍛冶師を目指したい人がいるならば、それに相応しい力を引き出す事が出来るでしょう。もちろん、その才能があれば、ですが」
「そして引き出された力は、あくまでもその人が本来持っていた力です。ギフトとは異なるため、次の世代へと引き継ぐことも可能なのです。僕はそのうちいなくなってしまうでしょうが、そうやって連綿と受け継がれていくものは、やがてギフトなどでは及びもしないような本当の力を僕達の子孫に与える事が出来るでしょう」
想像していなかったようなことを言われ、人々の間に驚きよりも戸惑いの声が広がる。
「それが本当なら……ありなのか?」
「あり……のように思えるけど、実際はどうなんだ?」
「ギフトを使わなくてもいいようになるっていうのなら、少なくとも反対する理由はなくなるけど……」
「んー……ならあとは、ギフトじゃないと対処出来ないようなことが起こったどうするのか、ってところが問題かな? 割と魔術とかでは再現不可能なユニークな能力とかあるしね」
「そうですね……ほとんどないとはいえ、他国が変わらずギフトを使える以上は無視出来ないでしょう。ポーションなども自国で作ることは不可能ということになってしまいますし……他国から買うにしても、大分吹っかけられてしまうでしょうね」
「つか、そもそもそこに出てきた錬金術師がギフトを前提として成り立ってるものじゃねえか。そういうのはどうすんだ?」
肯定的な意見も出てきたものの、やはりまだ懐疑的な声も多い。
しかしそんな中にあっても、ブレット達は笑みを浮かべたまま……いや、それどころか、待ってましたと言わんばかりに口の端を吊り上げた。
「そうですね……ギフトでなければ対処出来ないというものは確かに多い。ですが、そういう時のために彼らがいるのです。……おい、見せてやれ」
「……はっ」
頷きと共に、今までずっと沈黙を保っていた人物の黒いフードが取られた。
そしてその瞬間――人々の時の止まる。
中から現れたのは、角を持った男だったからだ。
数ある種族の中で、角というものを持つ種族はない。
ただの一つを除けば。
それは所詮噂に過ぎなかったものの……他に該当する種族がない以上は、自動的にその男はそうだということになるのだろう。
即ち――男は悪魔だということである。
まさかの王都のど真ん中に突如悪魔が現れたという事実に、人々の間から悲鳴が上がった。
その場から急いで逃げ出そうとする者も現れ……しかしそんな人々の耳へと、柔らかい声が届く。
「……落ち着いてください。確かにこの男は、皆さんが想像しているように悪魔です」
「じゃが、この男……いや、悪魔達と儂らは協力関係を築くことに成功したのじゃよ」
「協力、関係……?」
「ええ、先ほどは皆さんを驚かせまいと敢えて言葉を濁したりしましたが、僕達が語った内容を知る事が出来たのも、彼らの協力あってのことなのです」
「そして彼らは、ギフトではない、しかしギフトと同様の力を使えます」
「先ほど皆さんには僕達が突然現れたように見えたでしょうけど、実は僕達はずっと後方に控えていたんです。彼らの力で透明になることで、ね」
「もうお分かりじゃろう? ギフトでしか対抗できないものは、彼らに頼む、ということじゃ。……どうじゃろうか? そろそろ本当に何の問題もない……いや、ギフトを捨て去る事こそがこれからのためになる、ということを分かり始めてくれたのではないかと思うのじゃが」
大司教の言葉は、ざわめきの小さくなってきたその場によく響き渡った。
皆納得し始めてきたからだ。
少なくとも疑問は大体のところで解消されている。
あとは、問題があるとしたら一つだけだろう。
「んー……じゃあ後の問題は、根本的なところだけかな?」
「はい。彼らの言葉を信用出来るのか、というところだけですね」
誰とも分からない声は、その場によく響いた。
そしてそれを誰も否定することがなかったのは、実際皆の気持ちを代弁してくれていたからである。
そうだ、結局のところ、問題はそこに集約されるのだ。
「まあ、そうなるのは当然じゃろうな」
「ええ。しかしそうなると、こちらとしても言える事は一つだけですね」
「僕達を信じてください。それが、僕達の答えです」
その場を見渡しながら、真っ直ぐに向けられた言葉。
それに――
「んー……そっか。なら――やっぱり信じるのは無理かな?」
「…………は?」
浮かべていた笑みに、ピシリと亀裂が入った。
それは予想だにしていない言葉だったからだ。
ブレットは反射的に叫びそうになった気持ちを必死になって押さえ、だがその場を素早く見渡した。
その目は若干血走っており、今の言葉を放った何者かの姿を探し出そうとしている。
しかしそうしながら、ふとブレットの頭の隅で、何か違和感のようなものを覚えていた。
今の声は何処かで……いや、そういえば先ほどから、何処かで聞いた覚えのあるような声がしていたような――
「だって僕は……いや、僕達は、君達が犯した罪を知っているからね」
「っ……!」
瞬間、ブレットは声の主をようやく見つけ出した。
それは分かりにくいながらも正面におり……だがその姿を捉えた瞬間、ブレットは目を見開いていた。
それは、この場にいないはずの人物だったからだ。
「なっ……き、貴様は……!?」
「やあ、ブレット。久しぶり……ってほどでもないかな?」
「な、何故貴様がここにいる――出来損ない……!」
叫んだ先、視界に映っている、かつて自分の兄であったモノ――アレンは、こちらの様子など知ったことかとばかりに、にこやな笑みを浮かべていたのであった。




