深まる狂乱
「はあぁぁぁぁああああ!」
「ちぃ……!」
裂帛の気合いと共に放たれた一撃をすんでのところで叩き落すと、エドワードはそのまま距離を取った。
荒い呼吸を繰り返しながら何とか息を整え、最後に一つ大きく息を吐き出す。
腕を前に持ち出し剣を構え、そんなエドワードを見てクレイグは鼻を鳴らした。
「ふんっ……老いたな」
「ぬかせ……まだまだこれからだ」
言いつつも、それが強がりでしかないのはエドワード自身が最もよく分かっていた。
腕は重く、身体はそこら中が切り傷だらけだ。
当然のようにその全てはクレイグから付けられたものであり、対するクレイグは無傷そのもの。
誰がどう見ても、どちらが優勢なのかなどということは分かりきったことであった。
だが。
「勝敗などとっくに明らかだろうに、その目はまだ微塵も死んでいない、か。その諦めの悪さだけはさすがだな」
「勝負は時の運……などと言うつもりはないが、運の要素も確実に存在しているのは確かだ。ならば最後の最後まで諦める理由などありはしまい」
「それは力の差がある程度しかなければ、の話だろう? 俺と貴様との間にどれだけの差が存在しているのか……それを分からん貴様ではないと思うが?」
もちろん分かってはいた。
これでも人類最高峰などと呼ばれているのだ。
相手と自分との実力を、今更測り違えるなどということをするわけがない。
自分との差がこれほどまでにあると認めたくはないが……言ってどうなるものでないのも事実だ。
事実は事実として認め、その上でどうすれば勝てるのかを考えなければならないのである。
「それでもない諦めない、か。その姿は素直に立派だと思うが、何がお前をそこまでさせる?」
「何が、だと……? それを俺に問うか? この国の第一騎士団団長である、この俺に」
「ああ、だからこそ分からんな。俺がやろうとしていることは、この国を救うことだ。それもまた、貴様には分かっているはずだが?」
「この国が……神々が、我々を騙しているから、か」
「そうだ」
その話は、戦闘を行いながら聞かされていた。
そしてエドワードは、それを否定するつもりはない。
ギフトというのは、確かにある意味でそういう面を持つものだろう。
それはエドワード自身も強く自覚していることである。
「そしてそんなことを言うということは、お前のやろうとしていることも薄々気付いてはいる」
「ふっ……まあそうだろうな。俺も特に隠してはいない……いや、むしろ積極的に示したからな」
「大司教様だな」
断定的な言い方だったからだろうか。
クレイグはその言葉に応えることなく、しかしだからこそそれで正解なのだということを雄弁に語っていた。
単純な話だ。
ギフトは基本的に祝福の儀によって与えられるものである。
ならば、祝福の儀をやらなければいいのだ。
それだけでギフトが人々に与えられることはなくなり、人々はギフトから解放される。
もちろん普通ならば許されることではない。
だが他の誰でもない、大司教が口にしてしまえば……きっと教会だろうと認めざるを得なくなってしまうだろう。
「だがそう簡単な話でもないはずだ」
「そうだろうな。ギフトが強大な力であることに変わりはない。アレが祝福の儀を受けなくてもいいと言ったところで、受けようとする者は多いだろう」
「……では何も変わるまい。人々を不安にさせるだけだ」
「そんなことはないぞ? ギフトは確かに強大な力だが、それ以上の力を俺達は手にする事が出来るのだからな。たった今、俺がお前に証明して見せたように」
その意味するところは、すぐに理解出来た。
エドワードにはギフトを起点とした攻撃は通用せず、また技量も人類最高峰と呼ばれるに相応しい程度にはある。
そんな人物を圧倒する方法など、一つしかないからだ。
「……レベルか」
「そうだ。――俺のレベルは、15だからな」
「……そうか」
それは予測出来ていたことであるから、それほど驚きはなかった。
客観的に考えれば、ここまでエドワードを圧倒するにはその程度のレベルは必要だろうと思っていたからだ。
もちろん、別の驚きはある。
エドワードだって、常に鍛錬を続け、幾度も死にかけるような目に遭ったからこそ、レベルを10にまで上げる事が出来たのだ。
果たしてどんな経験をすれば15にまで上げる事が出来るのか、想像も付かない。
だが――
「それはそれだろう。レベルはギフトの代わりにはならない」
「ふっ……さて、どうかな。というか、貴様達は根本的に勘違いしている」
「……なに?」
「レベルが、魂の位階とも呼ばれているのは知っているな? 何故貴様らがそれに関してあまり気にしようとしないのかは分からんが……いや、それもまた神の仕業ということか」
「……どういう意味だ?」
「レベルの本当の意味を知られると神にとって都合が悪いということだ。レベルを上げるということは、魂の位階を上げるということ……つまりは、より上位の存在に近くなるということだからな。ステータスが上がるのは、あくまでもそのついでだ。本質ではない」
それはエドワードにして、初耳であった。
しかし同時に、頭のどこかで納得している自分もいた。
確かにレベルが上がるごとに覚える全能感は、ただ力が増しただけというのは説明が付かなかったからだ。
まるで自分が大いなる存在に近付いているような感覚を得ることもあり、アレが上位存在へと……神や精霊に近づいていくということならば納得のいくものであった。
「……だがそれが何故、神々にとって都合が悪いということになる? 助力する存在が増えるということなのだから、助かることこそあれ困るということはあるまい」
「ふんっ……だから貴様は間抜けなのだ。助かる? アレらがそんなことを思うわけがなかろうよ。レベルは神へと近づくための力ではない。――レベルとは、神を殺すための力だ」
「なっ――」
その言葉に、さすがのエドワードも絶句した。
クレイグの言っていることをそのまま信じているわけではない。
だがそれとは別に、神を殺すなどということを口にしたことに驚いているのだ。
「……クレイグ、正気か?」
「さてな……もしかしたら、確かに俺はとうに正気ではないのかもしれん。神に妻を殺されて正気を保てるわけがあるまいよ」
「神があの娘を殺した、だと……? 馬鹿な……」
それは信じたくない、という意味の呟きではなく、そのままの意味のものであった。
そんなことは有り得ない。
何故ならば、あの娘は元々それほど身体が強くはなかったのだ。
二人目の出産は耐えられないだろうと医者からは最初から言われており……しかしあの娘は、折角自分のところへとやってきてくれた命を捨てることなど出来やしないと、産むことを選んだのである。
結局はそれが原因で亡くなってしまい……それが神の定めた運命だというのであれば、確かに神に殺されたとも言えるのかもしれないが――
「……それは逆恨みというものだろう。何かのせいにしなくては気が済まないという気持ちは分からんでもないが……そのためにこれほどのことを――」
「ふんっ……やはり貴様は何も理解していないようだな。逆恨み? 運命? ――断じて違う。アレは神が仕組んだことだったのだ」
「……仕組まれた? お前は自分が何を言っているのかを理解しているのか?」
「無論だとも。そしてそれは、ただの事実だ。――聖母。これが何なのか、貴様は当然分かっているな?」
「……ああ、あの娘の授かったギフトだな。だがそれが――」
「ギフトの中には、大司教ですら分からないような隠し効果を持つものがある。これもまた貴様は知っているな?」
こちらの言葉を遮り、続けられた言葉に、エドワードは頷く。
確かにそれも知っていたからだ。
エドワードのギフトもその一つであり、本来鑑定結果として伝えられたのは、触れたギフトの効果を無効化する、というものであった。
だが蓋を開けてみれば、触れるどころかギフトを起点とした攻撃の全てを無効化するのだ。
そういったものが隠し効果であり、稀に存在することが確認されている。
とはいえ――
「あの娘のギフトに、隠し効果はなかったはずだ」
「そうだな。俺もそうだと思っていた。知っていたら、子など産ませるわけがなかったからな」
「……どういう意味だ?」
「聖母の隠し効果……いや、本来の役目は、英雄を産み出す、というものだったということだ。しかも、自らの命を消費することによってな。あいつの身体が弱かったのも、そのためだ。あいつの命は、英雄を産み出すために常に消費され続けていた」
「馬鹿な……あの娘の身体が弱いのは生まれつき――いや?」
「ふんっ……気付いたようだな。そうだ、それ以外にはろくな効果がなかったため、誰も気付かなかったようだが……あいつもまた、生まれつきギフトを持っていたということだ」
理屈上は、有り得る話であった。
そもそも先天系ギフトのことは、分かっていない事が多い。
基本的に強力な効果を持つものが多いが、それでも確かに効果次第では、祝福の儀によって授けられたものなのかは分からない、ということは有り得るだろう。
「……だが、何故お前がそれを知っている? 隠し効果のことも含めて、知りえる手段などないはずだ」
「ふんっ……貴様らが蔑んでいたやつらは、その実貴様らなどよりも遥かに優れていた、というだけのことだ。……まあ、素直に全てを信じられる連中とは言い難いがな」
「なに……? ――っ、まさかお前……!?」
驚きに目を見開くが、クレイグからの返答はなかった。
ただ鼻を鳴らしただけであり……だが、それこそが雄弁な答えそのものだ。
「この国を裏切るだけではなく、悪魔と手を組むとは……!」
「ふんっ……裏切る? まだ俺の言っている事が理解出来ていないのか? 俺のやっていることは、間違いなくこの国の、人々のためだ。やつらのことはあくまでも一時的に利用してるに過ぎん」
「…………いや、お前の言っていることは、やはりおかしい。英雄など存在していないというのがその証拠だ」
「それに関しては、神も何か間違えたのだろうな。だから今代の勇者は召喚されたのだ。まさか貴様も、あの件がおかしいと思っていなかったわけではあるまい」
「っ、それは……」
確かに、勇者とは先代が死を迎えた直後に次の代へと継承されるものである。
その間は長くとも一年程とされており……しかし今回は十年以上の開きがあったのだ。
そのことが妙だというのは以前から感じていたことではあるが――
「英雄を作り出すことに失敗したということに、神がようやく気付いたということなのだろうな。つまりは、そんな出来損ない共のために、あいつは殺されたのだ……!」
「……その悲劇を繰り返さないためにと、お前はそう言いたいのか?」
「そうだ。上位存在へと近付く以上は、レベルを上げていけば必ずギフト以上の力を得られる。それに気付きさえすれば、ギフトなどという紛い物の力に騙される者など出るまいよ。それは神の下僕に成り下がるということと同義でもあるのだから、尚更な」
「……そしていずれは神を殺す、ということか?」
「ああ。レベルが100に到達すればそれが可能だといわれている。もちろんすぐには不可能だろうが……今まではレベルを上げることの有意性を知らなかったがためにあまり共有されてはこなかった。それが共有され、研鑽されていくようになれば、そのうち届くだろうさ。そしてそのためにはまず、祝福の儀を止めさせる必要がある。神の下僕のまま力をつけたところで、利用されるか始末されるかで終わるだけだろうからな」
「……お前もギフトを持ってるだろうに」
「そうだな。だから全てが終わったら俺も死ぬつもりだ」
そう言って向けられた瞳は、嘘を言っている者のそれではなかった。
今まで言っていたことは全て本気で言っていて、本当に死まで覚悟しているのだ。
「さて……貴様にここまで語った以上は、俺が何を言いたいのか分かっているな? 俺のためではなく、この国の、人類の未来のために、俺に貴様の力を貸せ」
それもまた真っ直ぐな瞳で、本心からなのだという事が分かる姿で、クレイグはそんな言葉を口にしたのであった。




