広がる狂乱
第一騎士団の騎士達は、周囲を眺めながら思わず舌打ちを漏らしていた。
彼らは気が付けば『そこ』にいた。
路地裏の捜索中に、家屋の捜索中に、あるいは聞こえた爆発音の調査の途中で。
立ちくらみにも似た感覚を覚えた瞬間、唐突に視界に映る光景が変わり、『そこ』にいたのだ。
殺風景な場所であった。
いや、あるいは空間と言ってしまってもいいかもしれない。
訓練場に似ているが、あれよりもさらに無機質に感じる。
無駄なものどころか、物自体がまったくない場所であった。
そんな場所に一人、また一人と第一騎士団の者達が現れ、だが誰も彼もがその顔に一瞬驚きを浮かべるだけであったのは、即座に自分達の状況を把握したからだ。
間違いなく、何者かのギフトか、少なくともそれに相当する何かによるものであった。
ギフトの中には、珍しくはあるものの、空間に作用するものも存在している。
魔術や魔法で行うには相当に難易度が高いものの、不可能というわけでもない。
彼らを一人一人別の場所へと『跳ばす』ことは、十分有り得たことであった。
何よりも、現実に起こっている以上は否定のしようもない。
とりあえずはそうだと仮定しその場を調べ……しかしすぐに行き詰った。
調べたところで、脱出方法に関しては何一つ分からなかったからだ。
先に述べたように何もなさすぎるような場所であったし、出入り口のようなものはいくつかあったが、潜ってみたら別の出入り口から出てくるだけであった。
空間がねじれているか、あるいは最初からそういう場所なのだろう。
これもまたギフトなどで作られた場であるのは間違いなかった。
しかしそれが分かったところで、どうにか出来るかというのは話が別である。
だからこそ、行き詰った、なのだ。
確かに彼らは精鋭であり、歴戦の猛者達でもある。
だがゆえに、彼らは自分で出来ることと出来ないことというのをよく理解しているのだ。
特にことギフトなどに関しては、ある種の相性というものが存在している。
単純な身体強化系などであれば個人の技量でどうとでもなるが、さすがに空間的に隔離されてしまったら個人の技量でどうにかなるものではない。
こちらがそれをどうにか出来る手段を持っていなければ、どれだけ技量が優れていようとも意味がないのだ。
そして彼らは、そういった手段を持ち合わせてはいなかった。
とはいえ、そのことで彼らを責めるのは、多少酷ではある。
彼らはあくまでも騎士団の人間であるため、どれだけ精鋭で歴戦だろうとも一人で行動するということはほぼないからだ。
むしろ基本的には集団で行動するものであり、特に第一騎士団は所属する騎士の数が少ないこともあって大抵の場合全員で行動する。
つまり、彼らは特異な状況に関して考える必要がないということだ。
どんな状況であろうとも、騎士団長がどうにかしてしまうからである。
もちろん、今回のようにある程度バラバラで行動することもあるため、各自多少の備えはしてあった。
だがこれはそんなものでどうにか出来るような事態ではない。
もっとも、きちんと備えていたところで、空間に干渉してくるような相手に何かが出来たかと言えば何とも言えないところだが……ともあれ。
そういったわけで、彼らはこの状況で何も出来ず、歯噛みするしかなかった。
しかも厄介なのは、彼らは続々とその場に集められるものの、本当にそれだけだったことだ。
これで他に何かが起こるというのならばそれを突破口にすることも出来ようが、何も起こらないのであれば出来ようはずもない。
これはもう訓練場代わりとして使うしかないのか、などという声すらも上がり始め……そうこうしている間に、ついには騎士団長を除いた全員がその場に集まってしまう。
そしてそれが起こったのは、その直後のことであった。
今までは第一騎士団の者達しかそこには現れなかったというのに、突如そうではない者が現れたのだ。
ただし、黒いローブを纏いフードを被っていたため、どんな人物なのかはまるで分からなかったが。
とはいえ、明らかに怪しい人物であることに変わりはない。
それでも彼らが即座に行動に移すことがなかったのは、情報を集めることを優先したためだ。
何せようやく現れた突破口になりそうなものである。
下手に動いて台無しにしてしまうのは、得策ではなかった。
そうして、いつでも動けるように構えつつも、その人物が何をするのかを注視し……間違いなく居心地が悪いだろうそんな状況をまったく意に介することもなく、その人物は語り出す。
その語り始めは、君達はこの国に……いや、神々に騙されている、というものであった。
そしてその内容というのは――
「ギフトが俺達を操るためのもの、だと……? ――戯言も大概にしておけよ」
そのくだらない戯言を、彼らは一言で切って捨てた。
どころか、舌打ちまで漏らす。
だがそれは、当然のことではあろう。
こんなところに閉じ込めて一体何をするつもりなのかと思えば、そんなくだらない戯言を聞かされたのである。
つい舌打ちの一つや二つ漏れようかというものだ。
それに対し、その黒尽くめの人物はそこだけ露になっている口元を動かした。
ただしそれは苦笑などというものではなく、嘲笑のようなものだ。
物分りの悪い子供を諭すような口調で、しかしそこに見下すようなものを滲ませながら言葉が続けられる。
「戯言、か……確かに君達にはそう思われても仕方ないだろう。だが、よく考えてみるといい。本当に心当たりはないのか? 実際にはそれとなく気付いていながら、気付かないフリをしているだけなのでは――」
「ごちゃごちゃうるせえな……つーか、仮にそうだとしたら何だってんだよ?」
「そうだね。というか、別に今までに何回もギフト使ってるけど、一度も操られてるなんて感じたことないけど?」
「それはそうだ。操るとは言ったところで、神々が君達を直接操っているわけではない。だが、ギフトによって君達の未来は確実に変わっているはずだ。もしも自分に与えられたギフトが違っていたら……いや、そもそもギフトなどというものがなかったら。まさかそれを考えた事がないとは言わないだろう? そしてそれはつまり、神々が自らの都合の良いように君達の未来をねじ曲げているということに他ならない。そうではないか?」
「……だから操られているも同然、と?」
「そうだ。何か異論はあるかね?」
それは確かに、間違いだとは言い切れないものであった。
彼らは同じ騎士団に所属しているものの、その事情は様々だ。
精鋭と呼ばれる彼らですら、ギフトが違っていても騎士団に入っていたとは言い切れなかった。
いや……きっと入っていなかったに違いない。
パン屋になって美味しいパンを腹いっぱい食べたかった。
行商人になって様々な国や土地を歩いてみたかった。
父の後を継いで鍛冶師になるのだと思っていた。
祝福の儀は期待ではなく不安を覚えながら受け、望み通りではなかったことに少なからず落胆もした。
一般的に見れば十分成功者である彼らですらそうなのだから、街の人達に至っては尚更だろう。
もしも授けられたギフトが違っていたら……ギフトがそもそも存在しなかったら、まるで違った人生を歩んでいたかもしれない。
あるいはそれが本来の人生だったのだと言われれば、それもまた否定し得ないことであった。
自然と互いが顔を見合わせる。
誰かが言葉を発しようと口を開き、けれど結局それは音にならない。
満足そうに黒尽くめの人物が口の端を吊り上げる中、人々を守るべき騎士達は、沈黙を続けながら男の言葉へと耳を傾けるのであった。




