止まらぬ狂乱
その瞬間の人々のざわめきは、どちらかと言えば困惑の方が大きいものであった。
何故ならば視線の先には今や噂の中心人物である将軍と、さらには大司教までもがいたからである。
広場の中央。
数多の人々の視線を受けながら、それらの口が開かれた。
「まずは、突然のことで驚かせてしまい、申し訳ありません。ですが、私達がこの場に突然現れたことには意味があるのです。それは、こうしなければ私達の言いたいことを伝える事が出来なかったからです」
最初に口を開いたのは、柔和な笑みを浮かべる初老の男であった。
――将軍。
敵から悪鬼の如く恐れられているなどとは到底思えないような姿で、その声は穏やかそのものだ。
だがその姿こそが将軍本来のものだということを、この国の者はよく知っている。
ゆえにそこには驚くことなく、しかし困惑を抱いたままで、その場にいる者達は将軍の言葉に耳を傾けていた。
「その言いたいこと……言わなければならないことというのは、もう皆さんもご存知かもしれません。ええ、私が昨日お伝えした、この国は皆のことを騙している、ということです」
「とはいえ、その言葉は正確でもないのじゃがな」
と、その言葉を継いだのは、大司教だ。
温和な笑みを浮かべている姿は好々爺そのものではあるが、そうではないということをこれまた皆が知っている。
祝福の儀で世話になった者はそう多くはないが、祝祭などではよく皆の前に姿を現すのだ。
どれほど偉いのか、ということはピンとこずとも、その言葉が相応の重みを持っているということだけは何となく分かっていた。
「正確には、こうじゃ。――神々は我々を騙している」
だからその言葉に、皆は一層のざわめきを上げた。
教会というものの詳細はよく知られてはいないが、それでもそこが神を奉じている場所だということだけは疑いようのないことである。
そんな場所の、ほぼ頂点だと言って良い人物が、神の行いを否定するような言葉を発したのだ。
これに驚き戸惑わないなどということがあるわけがないだろう。
「じゃが、先ほど将軍の言ったことも間違いというわけでもない。そのことを国は確実に知っているはずじゃからな。しかしそれを皆には伝えていない。だからこそ、確かに国が皆のことを騙しているというのもある意味では正しくあるのじゃ」
「とはいえ、そこはあまり重要ではありません。私達が本当に皆様にお伝えしたいのは、先ほど大司教様が口になされたことなのですから。即ち――神々は皆さんを騙している、ということをです」
しかし、そのざわめきが引くよりも先に、言葉は続けられた。
まるで畳み掛けるような言葉の連続に、ざわめきは引くどころかさらに増す。
そしてそんな中にあっても、二人の声はよく響いた。
張り上げてなどいないというのに、耳元で囁かれるように、しっかりとその言葉は人々の耳へと届く。
「しかしそうなると、何故私が昨日そのように言わなかったのか、と皆さんはお思いになるでしょう。ですが、それには理由があるのです」
「何せ神々が関わっていることじゃからのぅ。下手に口に出してしまえば、皆がどうなるか分かったものではなかったのじゃ。それに……正直に言ってしまえば、罪悪感もあった。神が、国が、といったところで……儂もまた、それを黙っていたことには違いはないのじゃからな」
「それは私も同じことです。気付いていながら、声高に叫ぶ事が出来なかった。それは、皆さんにとってとても残酷な行いだということを分かっていたからです」
将軍がそういった瞬間、さらにざわめきは増した。
だが同時に、それは先ほどまでとは少し意味の異なるものだ。
先ほどまでは、騙されたと言われながらも、皆どこか他人事だったのである。
それによってどんな不利益が生じているのかを提示されておらず、また日々に不満がないとは言わないもののそのせいではないのだろうと思っていたからだ。
言ってしまえば、そうは言われていながらも、自分達は蚊帳の外なのだろうと思っていたのである。
どうせそれが明らかになったところで、自分達の生活は何も変わらない。
そんな諦めに似た思いがあったのだ。
しかし、それはどうやら自分達に直接的な関わりがあるらしい。
そのことが分かって、さらには不吉な言葉もあり、緊張感を持ったざわめきへとなっていたのである。
「おい、残酷ってどういうことだ……?」
「知るかよ。それを今から話してくれるって言うんだろ?」
「残酷って、これもしかして聞かない方がいいことなんじゃ……?」
「そもそも国どころか神様が関わってくるんでしょ? 絶対まずいって」
「とはいえ、あの二人の言い方からすると、聞かないのもまずいんじゃないか……?」
「くっそ、どうすりゃいいんだよ……」
「え、なになに? これ何やってるの?」
「あれ? あれって、将軍様と大司教様だよな? もしかして、昨日の話の続きか?」
それぞれが好き勝手に囁き合い、さらにこれは元々突発的なものだ。
他の場所からやってきた者が人々が集まっているのを見て興味を覚えて近付き、説明されては囁きが増え、それを見た者が……と、段々と人が増えていく。
だが集まっているのは、不思議なことに一般市民だけであった。
これだけ人が集まり、しかもその中心には将軍がいる。
その行方を騎士団などが捜していたことを考えれば、すぐにでもこの場に彼らが集まりそうなものだが……何故かそんな気配は欠片もなかった。
「さて、新しく集まってくださっている方々もいらっしゃるようですが、話を続けさせていただきますね」
「まあ正直なところ、この先の話だけを聞いていればそれで問題ないのじゃからのぅ。今まで何を話していたのか気になるとは思うが、是非耳を傾けて欲しいところじゃ」
「もちろん、強制ではありません。ただ、こう言っては何ですが、聞いておいた方がいいかとは思います。これは皆さんを傷つけることかもしれませんが、きっと聞かなければ後悔してしまうでしょうから」
人々のざわめきは収まる気配すら見せなかったが、それでも将軍達は言葉を続けていく。
それを受けてさらにざわめきは増してと、まるで大きなうねりの中にいるかのようであった。
「……どうするよ?」
「後悔するとか言われちまったら、残るしかねえだろ」
「まあ正直気になるしな」
「途中からだからよく分からないけど、後悔するって言われちゃったら残るしかないよねー」
「……どう思う?」
「まあとりあえず聞いてみるってことでいいんじゃないかな?」
「そうね、何を言おうとしているのか気になるもの」
「……そうですね、まずはそれが分からなければ、どうしようもありませんし」
「……確かに?」
「ねえねえ、どんなこと言おうとしてるんだと思う?」
「それが分かったら大人しく聞いてねえっつーの」
「あれ、これなにしてんの? ねえねえ――」
ざわめきは止まらず、止める者もおらず、ただ加速していく。
全ての始まり、あるいは、終わりへと向けて。
そして。
「さて……ではあまり焦らしてもアレですから、そろそろ決定的な言葉を口にしてしまいましょう。それは、国が、神々が、我々が、皆さんに一体何を騙していたのか、ということです」
「それはの――ギフトじゃよ。何故ならば、ギフトとは、神々が我々を操るためのものなのじゃからな」
ついにはその言葉が、発されたのであった。
人々のざわめきと、響く言葉。
それらを直接耳にしながら、ブレットは目を細めていた。
おそらくは、何を言われているのかまったく理解出来てはいないだろう。
だがそれは仕方のないことである。
何せブレットもそうだったのだ。
ブレットがその意味をはっきりと理解出来るようになったのは、その言葉を聞いてから何年もしてからのことである。
だが最初はそれでいいのだ。
まずは疑念を持たせることが重要で、あとのことはそれからで十分なのである。
「ふんっ……とはいえ、僕としては暇な時間だな。今なら他の場所は人がほとんどいないだろうし、散歩でもしてくるか?」
「……ブレット様」
「分かってる、冗談だ。まったく、冗談の一つも分からんような連中を傍に置いておかねばならんなんてな。せめて気を利かせて何か面白い芸でも見せたらどうだ?」
もちろんそれも含めての冗談ではある。
だが暇を持て余しているのは事実であり、さらには何の反応も返さないとなれば面白いわけがない。
見下したような目を傍らのそれに向け、鼻を鳴らした。
「まあ、いい。それで、状況はどうなってるんだ?」
「……はっ。クレイグ様は騎士団長と戦闘中であり、優勢とのこと。騎士団の者共は上手く惑わせることに成功し、目の前のことは見ての通りでございます」
「ふんっ……まあ、大体予定通りってところか。父上は当然だが、お前達もやれば出来るじゃないか」
「……はっ、ありがとうございます」
「それで? 勇者について報告がなかったのは、始末できたってことでいいのか?」
「……いえ、目下調査中です」
「は……? 調査中?」
「はい……勇者を始末に向かった者達と連絡が取れないのです。おそらくは、術式による爆発が思ったよりも大きかったのでしょう。元より想定していたのは瀕死の状態で自爆させることでしたから」
「それで巻き込まれたってことか? おいおい、褒めたと思ったらこれか。やっぱり使えないじゃないか、お前ら」
とはいえ、落胆しなかったのは、所詮そんなものだろうと思っていたからだ。
そもそもそれらが使えるのであれば、もっと早くに目的を達成する事が出来ていたのである。
ならばこの程度のことは想定の内であった。
「はっ……まあいいさ。それに、どうやら僕の出番も近そうだからな」
やるべきことはきちんとやってはいるものの、やはり直接的に関わっていないというのはもどかしさが凄い。
それと、疎外感も。
だがこれでようやく、そういったことは考えなくて済みそうである。
そして、その先にあるものもまた、ようやく。
未だ続いている胸騒ぎめいたものからは目を逸らしつつ、ブレットは目の前のことを眺めながら、少しずつ近付いてきた目的のことへと思いを馳せるのであった。




