狂乱の響き
エドワード達が辿り着いた先は、街の外れであった。
ふとその途中で聞こえた何かが爆発するような音が気になったものの、それは部下達に任せるしかあるまい。
それよりも今は、目の前にあるものの方が気になっていた。
「これは……訓練場、ですよね?」
しかも、騎士団が使うような場所ではない。
冒険者が使うような場所であり、こう言ってはなんだが、あまり上等ではない場所だ。
正直大司教が案内する場所としては、色々な意味で相応しい場所とは思えなかった。
「こんな場所で一体誰が……」
「ほっほ、それは自分の目で確かめてもらうしかないじゃろうな。そして儂の役目はここまでじゃ」
「大司教様……?」
「お主も知っての通り、儂はこれでも忙しい身じゃからの。特にこの後は非常に大事なことが待っておるし、残念じゃが最後まで案内することは出来んのじゃよ」
この後に大司教がやらなければならないような儀式などは特になかったように思うが、きっと教会関係で、ということなのだろう。
あそこは秘密主義であり、分かっていないことも多い。
そして相手が大司教ともなれば、その詳細を聞き出すわけにも、また邪魔をするわけにもいかなかった。
「そうですか……分かりました。ここまで案内していただきありがとうございます」
「ほっほ、相変わらず律儀なやつじゃのぅ。本来ならお主は怒っても良いはずなのじゃが……まあ良い。そういったところは、儂も嫌いではないからの。お主がどうなるのかは分からんが……共に歩めるのを願わんばかりじゃな」
「……大司教様」
「なに、ただの戯言じゃよ。それではな」
そう言うと大司教は、眉をひそめるエドワードの脇を通り、そのままどこかへと歩き去ってしまう。
その背中を何となく見送っていたエドワードは、ふと首傾げた。
その言動にも多くの疑問はあるが、たった今大司教が脇を通った時に漂ってきた匂いが何故か気になったのだ。
とても強烈な嗅いだことのないようなものであったが――
「……いや、今はそんなことを気にしている場合ではないか」
忙しいのはエドワードも同じなのだ。
時間を無駄にするわけにはいかないと、訓練場へと向けて歩き出す。
念のために警戒をしながら先へと進むと、やがて視界には広々とした空間が広がった。
だが、そこに辿り着くなりエドワードが眉をひそめたのは、そこには誰の姿もなかったからだ。
文字通り人っ子一人おらず、本当にがらんとした空間が広がっているだけである。
一瞬騙されたのかと思い――直後、甲高い音が響いた。
「……悪くはなかったが、直前で殺気が漏れていたぞ?」
「それでも並大抵の相手ならば今ので終わっていたと思うのだがな……相変わらずということか」
「褒められているのかどうか分からんが……相変わらずだというのならばお前もだろう。挨拶もなしに俺に斬りかかるのはお前ぐらいなものだぞ――クレイグ」
言いながら腕を振るえば、その勢いに合わせて斬りかかってきた男――クレイグは距離を取った。
その動きによどみはなく、鍛錬を欠かしてはいないことが見て取れる。
さすがは悪魔の国との国境を任されている男といったところか。
「それにしても、久しぶりだな。あの時以来か……」
「…………そうだな」
頷く動きはどことなく緩慢であり、それにエドワードは小さく溜息を吐いた。
どうやらまだ吹っ切れてはいないようだということが、それだけで分かったからだ。
あれからもう十年以上である。
とっくに吹っ切らなければならないはずだが、それだけクレイグの中ではあの娘の存在が大きかったということなのだろう。
それはある意味では嬉しいことではあるものの、いつまでもそれでいいはずがない。
生者は死者に囚われてはならないのだ。
それが分からないクレイグではあるまいに……だが、エドワードは結局それを口にすることはなかった。
結婚すらしていない男に言えることではないと思ったからだ。
それに、それ以上に聞かなければならないこともある。
「さて……それで、一体どういうつもりだ? 大司教様にあんなことをさせてまで俺をこんな場所に呼び寄せるとは、何か相応の理由があるのだろうな?」
「ふんっ……相応の理由、か。俺がお前をここに呼び寄せるのに、そんなものが必要だと本当に思っているのか?」
「……なに?」
確かに、第一騎士団の騎士団長とはいえ、エドワードは元々平民の出だ。
騎士爵こそ授かってはいるものの、貴族と呼べるほどではないし、騎士団長として貴族に対する権限も有してはいるが、諸々を考えても公爵家の当主であるクレイグの方が公的な立場は上だろう。
だが今は公的な場ではなく、これは公的な呼び出しでもない。
そして公的でないのであれば、どちらかと言えばエドワードの方が立場は上だ。
貴族的な特権は騎士団長としての権限で無視が出来、年齢はエドワードの方が上。
何よりも、エドワードはかつてクレイグに戦闘の手ほどきをしたことがあるのだ。
その期間は一年ほどではあったが、公爵家当主に対等に口をきけるのもそのためである。
それを今更持ち出してどうこう言うつもりはないが、そういったことがあったのは事実だ。
で、ある以上は、エドワードがクレイグの言うことを無条件で聞くいわれはなかった。
「……ふんっ、冗談だ。相変わらず頭が固いな」
「……お前には言われたくないがな。お前には冗談が通じないと、あの娘からよく聞いていたものだ」
あの娘――クレイグの妻となった女性を紹介したのは、エドワードであった。
彼女はエドワードの友人の忘れ形見であり、時折様子を見るなどそれなりに親交があったのである。
もっとも、そういうつもりで紹介したわけではなく、手ほどきをしている時に機会があって、というものではあるが……その出会いがあったからこそ結婚にまで至ったのは事実である。
その縁もあって手ほどきをやめた後もエドワードはクレイグ達と幾度か会う事があったのだが――
「ふんっ……今日は別に昔を懐かしむためにわざわざこんなところにまで来たわけではない」
「……確かにそうだな。俺も今は生憎とそんな余裕はない。まあ、お前が来ているという話を聞いていないということは、王都に来たばかりなのだろうし、状況はよく分かっていないのかもしれないが――」
「いや? 状況ならばよく理解しているともさ。――それこそ、お前などよりも遥かに、な」
「……何だと?」
瞬間クレイグの声の調子が変わり、エドワードはほとんど無意識のうちに剣を握る手に力を込めていた。
というか、それで初めて自分が剣を握ったままだったのだということに気付く。
そしてクレイグもまた、剣を握ったままであった。
「先ほどのは確かに冗談だ。俺は確かに理由があってお前を呼び寄せた。ただ、先ほどのお前の言葉は一つ間違っているぞ?」
「間違い、だと?」
「ああ。大司教にあんなことを、などと言っていたな? ふんっ……大司教は既に俺達の『モノ』だぞ? ああいった使い道が有効ならばその通りにするに決まっているだろう?」
「もの……? お前は、一体何を……」
「ふんっ……大方先ほどのも、ただのじゃれあいだとでも思っていたのだろう? それでも防ぎ、そして無意識なのだろうが警戒を怠らないのはさすがと言うべきだが……まあ、それでこそこの俺がわざわざ出向いた意味もあるというものか」
「クレイグ……お前、まさか……」
「この期に及んで、まさか? まさかも何も、『それ』以外の理由など存在しているわけがあるまいよ……!」
言葉と同時、一瞬で距離を詰めたクレイグが、振り被っていた剣を振り下ろした。
「俺が貴様を呼び寄せたのは、俺の計画に邪魔な貴様を排除するためだ……!」
それにエドワードは反射的に反応し、次の瞬間、腕への重い衝撃と共に、甲高い音がその場に響いた。




