炸裂する悪意
遠方の街影を眺めながら、ブレットは唇を噛み締めていた。
そこにあるのはもどかしさであり、歯痒さだ。
自分がここにいなければならない理由は分かっているし、そこに異論もない。
だが、それはそれ、これはこれなのだ。
情報は逐一入ってくるものの、だからこそ余計に何も出来ないのがもどかしかった。
「どうやら、第一騎士団の騎士団長を釣り出す事に成功したようです。所定の場所に向かっていると報告を受けました」
「ふんっ……とりあえず第二段階は成功か。まあ、わざわざ大司教まで使ったんだから、成功してもらわなければ困るがな。とはいえ、本番はこれからか……」
今回の作戦を成功させる上で最も気をつけなければならないのは、第一騎士団の騎士団長を自由にさせてはならない、というものだ。
アレを野放しにしてしまった時点で、ほぼ失敗するのは確定してしまうからである。
第一騎士団の騎士団長、エドワード・ゴートゥゴードは理不尽の塊だ。
将軍も大概理不尽ではあるが、それでもエドワードには敵うまい。
何せエドワードのギフトは、問答無用で相手のギフトを無効化してしまう効果を持っているからだ。
――絶対者。
その効果の及ぶ範囲は自身を中心とした一メートル程度の範囲ではあるが、ブレットの知る限り最悪のギフトの一つである。
それが最悪である所以は、ギフトだけではなくギフトが関わる全ての現象や行動までもを無効化してしまうことだ。
たとえば、身体強化のギフトを用いてエドワードへと斬撃を放った場合、斬撃そのものが無効化されてしまうのである。
要するに、その斬撃が生身の部分に直撃したところで、エドワードは傷一つ負わない、ということだ。
矢が飛来すればそもそもエドワードに届くことなく地面に落ちるし、魔法などであれば効果範囲に近づいた瞬間霧散する。
さらには、それらによって間接的にもたらされた攻撃も同様だ。
矢で仕掛けを切って落とされた岩は岩だけが砕け散るし、魔法で地割れを作ってもエドワードはその地割れをなかったものとして普通に何もない空間の上を歩く。
それはいくつもの仕掛けを経由しようとも変わらず、その攻撃の起点に少しでもギフトが関わっていれば、エドワードは全てを無効化してしまうのである。
これを理不尽と呼ばずして、何と呼べばいいというのか。
しかも、基本的に兵となって戦うような者は、戦闘に何らかの形で役立つギフトを持っている場合がほとんどだ。
それを長所とし訓練をしていくため、戦闘時はほぼ無意識のうちにギフトを使っており、これはどの国であろうとも変わらない。
つまりは、エドワードは戦場ではほぼ無敵なのである。
ついでに言うならば、エドワードのレベルは10だ。
ギフトなど関係なく人類最高峰の能力を持っているということであり、そんなものが好き勝手に一方的に暴れるのである。
敵側からしたらまさに悪夢に違いない。
第一騎士団が精鋭で固められているのも、結局はエドワードが騎士団長をやっているからである。
別に最初からそう決まっていたわけではなく、精鋭でなければエドワードが騎士団長を務める部隊でやっていけないため、自然とそうなっていったのだ。
ともあれ、エドワード・ゴートゥゴードという男は、そんな一騎当千という言葉すらも生ぬるいような相手なのである。
アレら相手にエドワードのギフトがどう作用するかは分からないものの、万が一のことを考えれば対処はしておくべきだ。
何よりも、単純にその戦闘能力自体が脅威なのである。
真っ先にどうにかしておかなければならないと考えるのは、当然のことだろう。
「ふんっ……お前らがどうにか出来るのならば話は早かったんだがな」
「……申し訳ありません。さすがにアレは暗殺出来るとも思えませんでしたので」
「まあ、出来たらそもそもお前達だけでどうにかしてるか。もっとも、その時はきっと僕達が先にその対象になってたんだろうがな」
図星なのか、黙ったそれにブレットは鼻を鳴らす。
こんなやつらと手を組まねばならないのは、本当に業腹だ。
仕方がないことだと分かってはいるが――
「……しかし、我々ではどうしようもないでしょうが、あの方ならばきっと何とかしてくれるでしょう」
「ふんっ、当然だろうが。誰に向かって言っている? 王国最強だなんだとおだてられていようが、所詮はその程度だ。自由に動かれたら確かに厄介だが、対策さえしっかりとしていればどうとでもなる」
とはいえ、心底そう思ってはいるものの、一抹の不安があるのは事実だ。
ブレットが歯がゆさやもどかしさを感じているのも、それが理由である。
以前から準備を進めていたとはいえ、さすがに性急過ぎるのだ。
予想外の何かが混ざることで、あっさりと瓦解してしまっても不思議ではない。
もっとも、だからといって時間をかけるわけにもいかなかった。
その方が良いということは分かっていても、そうなればきっと失敗する確率が跳ね上がるからだ。
それは王国側に気付かれるとか、そういうことではない。
この世界はそういう風に出来ているからだ。
――そして、まさにその象徴とも呼べるような報告がその瞬間に上がってきた。
「――ブレット様、やつが現れたそうです」
「はっ……さすがってところか。まだ具体的な行動に出てないにも関わらず、僕達の邪魔をするように現れる……本当に、さすがは勇者だ」
忌々しげに呟きながら、それでもブレットの口元には笑みが浮かんでいる。
これは想定していたことなのだ。
ならば、対処法が考えられていないわけがない。
だが。
「おい、大丈夫なんだろうな?」
「……もちろんです。あの忌々しい彼奴めは、今日ついに我らの手によって死を迎えるのです。そこに間違いなどはありません」
「ふんっ……そうか」
その言葉をブレットは信用していなかったが、そうなってくれなくては困るのは事実である。
それに、聞いていた話の通りならば、確かに今日がやつの命日となるのは確実だろう。
しかしそう思っているというのに、何故だかブレットには嫌な予感がしてならなかった。
これは先日、あの報告書を見た時に感じたものと同じ類のものだ。
聖女の傍にいたという、一人の男。
その文字を目にした時に感じたものと同じであり――
「……ちっ」
だが気のせいに違いないと、苛立ちを乗せた舌打ちを鳴らす。
そうだ、ただの気のせいである。
あの瞬間頭に浮かんだのが、あの出来損ないだということも含めて、全ては気のせいに決まっていた。
それに、アレが現れたということは、そろそろ自分の出番が近いということである。
余計なことを考えている暇はない。
しかしそんなことを考えながらも、ブレットは街の方へと向けていた瞳を、不安を隠すように細めるのであった。
街が妙に騒がしいということには、足を踏み入れてすぐに気付いた。
しかもその騒がしさは、どことなく嫌らしい気配を感じさせるものだ。
「ちっ……こりゃあタイミングミスったか? 何だかんだでここが一番マシかと思ったんだが……」
ガリガリと頭を掻きながら周囲を眺め、アキラは悪態を吐くように呟いた。
だが言ったところでどうなるものでもないのだ。
仕方なしにそのまま歩を進める。
と、後ろを振り返った。
「おい、ちゃんと付いてこいよ? 見て分かるように、人が馬鹿みたいに多いからな。ぼやぼやしてっと迷子になんぞ?」
「……っ!」
その言葉に、後ろにいた小さな人影が足にしがみついてきた。
ピッタリと張り付き、まるで離さないとでも言いたげだ。
周囲から視線を感じ、その生暖かさに溜息を吐き出す。
「……迷子になるって言っただけで、置いてくとは言ってねえだろ? ったく、歩きにくいっつの」
「……っ!?」
歩きにくいのは事実だったため、強引に引き剥がし……数瞬迷ってから、その手を握った。
「……っ!」
途端に泣き出しそうだった顔に笑みが浮かび、周囲から向けられる視線の生暖かさが増した。
何やってんだとは思わないでもないが、仕方があるまい。
こうなったのは自分の責任であり、性分だ。
開き直って、そのまま歩き出した。
「にしてもまあ、相変わらず騒がしい街だな……」
そういった街も嫌いではなかったが、今はそういう気分ではなかった。
そもそも王都にまで来たのは、この子供を預ける先を探してなのだ。
アキラは自分のことを何だかんだでまだまだ子供だと思っている。
この世界ではどうなのかは知らないが、少なくとも自身の感覚としてはまだ子供なのだ。
自分一人で好きに暴れるだけならばともかく、他の誰かの命を背負うような立派なことが出来るとは思えない。
何よりも、子供を育てたり、見本になるような立派な人間ではないと自覚しているのだ。
引き取った以上は放り投げるつもりはなかったが、相応しい人間がいるのであればそっちに預けるべきだろう。
そして、まあ……今よりも立派になれたと思えたならば、改めて迎えに行ってやればいいのだ。
ともあれ、この街にはそういう理由でやってきたわけだが――
「これまで見てきた孤児院はクソみてえなところだったからな。さすがに王都ともなればまともなとこがあると思うんだが……」
そんなことを呟きながらアキラは周囲を見回し、まるで目的地などないかのように気まぐれに歩く道を変えながら街を進んでいく。
アキラは一時期王都に住んでいたことはあるが、別に詳しいというわけではないのだ。
だからその足取りが不確かでも仕方はない。
――もっとも。
本当にそこに目的がないかは、話が別になるが。
「さて……」
そんな呟きと共に、アキラは足を止めた。
そこは路地裏の奥まった場所であり、街の人は滅多に来ないだろうと思えるところだ。
少なくとも、子供を連れて来るような場所では間違いなくない。
だが。
「いつまでかくれんぼを続けるつもりなんだ? それとも、ちゃんと捕まえて欲しいのか? オレはそれでも構わないけどよ……腕や足の一本ぐらいもげちまっても文句は言うなよな?」
「……よく分かったものだ」
言葉と共にアキラの背後に降り立ったのは、全身黒尽くめの奇妙な人影であった。
しかもその数は、三。
声からそのうちの一人は男なのだということは分かるも、それ以外は何も分からない。
状況も相まってか、そこには妙な威圧感すら漂っていた。
しかしアキラは気楽に振り返ると、やはり気楽なまま肩をすくめた。
「なんだそれ、本気で言ってんのか? そんだけ殺気駄々漏れで気付けないわけねえだろ? しかも半年もつけられてたら、馬鹿でも気付くっつーの」
「……そうか。ならば話が早い。では死んでもらおうか、勇者よ」
「分かりやすくて結構だが……お前ら程度でオレのことを殺せるとでも思ってんのか?」
それは強がりではなく、ただの事実だ。
目の前のやつらがたとえ十人いたところで、アキラは無傷で勝つだろう。
もちろん、この状況を考えた上で、の話だ。
「……確かに、我らでは貴様には勝てぬだろうな。だがそれは、貴様が一人ならばの話だ」
「ふんっ、こいつを狙うってか? まあそうするのが道理だわな」
後ろに庇い、ぎゅっとしがみついている子供に一瞬だけ視線を向け、だがやはり気楽な様子で再度肩をすくめる。
そういったことも含んでの余裕なのだから当然だ。
が。
「ふっ……どうやら何かを勘違いしているようだな」
「あ?」
「それは、次善の策だった。仕留め損ねるとは思わなかったが、それでも万が一、龍が貴様を殺しきれなかった時の保険だ」
「だから、テメエら一体何を――」
「まあ、本来ならば貴様がおぶさると思っていたのだが……まさか手足の再生まで可能だとはな。そのせいでこの時までタイミングを逃し続けてしまったが……まあ、ある意味ではピッタリだとも言えるか。そしてこの状況ならば貴様は逃げられまい」
「……おい、まさかテメエら」
「その子供には、命を燃料に自爆するための術式を我らが刻んである。貴様ならばその直撃にも耐えられるかもしれないが……いや、あるいは貴様ならばそれでもその子供の命を救うことが出来るのかもしれないな。ああ……さすがは勇者だ」
「っ、テメエら……!」
これでもアキラはそれなりの修羅場を潜り抜けてきている。
状況を把握するにはそれだけで十分であった。
だが叫び、その場から即座に離脱を計るも、既に遅い。
男達は準備を終えていた。
「ふっ……では、さらばだ――忌々しき勇者」
言葉の直後、巨大な火球がアキラ達へと迫る。
それを防いだり迎撃するのは容易かったが、アキラはただそれに背を向けると、懇願するような目を向けてきている子供を無視し、その身体をギュッと抱きしめた。
背後から聞こえるのは、何だかよく分からない、呪文めいた言葉。
そして。
轟音が、その場に響き渡った。




