狂乱の開幕
手元の報告書を一通り眺めると、クレイグは鼻を鳴らした。
こちらを見ていたブレットが興味深げな視線を向けてきていたため、そのまま渡してやると、直後にブレットも似たような感じで鼻を鳴らす。
そこにあったのは、呆れであった。
「また、ですか……」
「まあ俺も同感ではあるが、そう言ってやるな。厳密には、前回は違っただろう?」
「その通りではありますが……いくら何でも無能すぎませんか?」
「それも同感ではあるがな。それでも、こいつらと手を組んだからこそ今があるというのも事実だからな」
「……それも確かに、その通りではありますか」
どこか不満気ながら、それでも頷いたブレットから羊皮紙を受け取り、もう一度だけ内容を眺める。
そこに書かれていることとは、端的に言ってしまえば、とある実験が失敗したというものであった。
今回の計画に必須な実験を行っていたとある村から、連絡が途絶えたということらしい。
状況から考えて失敗したに違いないと、そうやつらは判断したようだ。
だが正直に言ってしまえば、どうでもいいことであった。
十日ほど前であればともかく……いや、その頃であったとしても、これに関しては同じ感想を抱いていたかもしれない。
やつらは最後まで遂行出来なかったからこそ失敗としたのだろうが、本来の目的からすればとうに成果は得ているのだ。
確かに最終的には見つかってしまったのかもしれないが、五年近くの間紛れることが出来ていたのである。
これからのことを考えれば、十分過ぎるというものだろう。
それに、何故失敗したのかということに関しては、大体察していた。
「……それにしても、ここに来て突然失敗したということは……やはりアレらが原因でしょうか?」
「だろうな。というか、それ以外に考えられん。ふんっ……この期に及んでまだ駒を増やそうなどと欲をかくからだ。まあ、やつらにしてみれば、今度こそとワビのつもりもあったのかもしれんがな」
「龍の件をどちらのこととするかにもよりますが、まあやつらは確実に一回は失敗していますからね。そこで再びあの噂を流させ、アレらを釣る、ですか。どうやらそこまでは上手くいったようですが……」
逆に滅ぼされてしまった、というわけだ。
アレらを呼び寄せることには成功した、ということもこの報告書には書かれていた。
だからどうしたのかという話だが……まあ、最低限の仕事は果たしたとでも言いたいのだろう。
確かにあそこに行ったのであれば、どれだけ急いだところで今回の事には間に合うまい。
そういう意味で言えば、確かに最低限の仕事は果たしていると言えた。
「まあこれで、やはり最大の問題は聖女だということが分かった。ならばそういう意味でもやつらは仕事を果たしたと言えるだろう」
「確かに。……ところで、報告書で一つ気になったことがあるのですが」
「ほぅ……何か気になるようなところがあったか?」
二度眺めたところで、クレイグには気になるようなことは特になかったのだ。
だというのに、コレは一体何に気付いたのだろうかと、興味深く眺める。
「報告書によれば、アレらは三人で現れたとあります」
「ああ、確かにあったな。聖女とおそらくは専属の護衛……それと、聖女と同年代の少年、だったか?」
「はい。その少年……いえ、男のことが、妙に気になるのです」
「ふむ……確かに、どこから出てきたのか、というところではあるが、どうせあの街で適当に見繕ったのだろうよ。アレも何だかんだで女だ。狭苦しい王城から解放されて気が緩んだところで不思議はないし、男の一人や二人物色したところでおかしくあるまい。命の危機に晒されると、生存本能から性欲が高まると言うしな」
「いえ、その…………いえ。何でもありません」
「……ふんっ」
そんなことが気になるなど、もしやコレはアレに気でもあったのだろうか。
確かに見目だけはそれなりに良かったが……まあ、全てが終わったら、考えてやってもいいかもしれない。
どうせ長くない命だ。
最後ぐらいは望むモノを与えてやっても構わないだろう。
それにしても、一体何が気になったのかと思えば、予想以上にくだらないものであった。
まあ、コレならばその程度ではあるか。
ちょうどいい暇潰しにはなったが――
「さて……そろそろか。向こうは上手くやっているのだろうな?」
馬車の窓から外を眺めながら、横目で目の前のそれに問いかける。
黒いローブを羽織った、顔すら見せないそれが、くぐもった声で頷く。
「はい……万事抜かりなく」
「ふんっ……そう言ってお前達はここ最近失敗ばかりを繰り返してきたわけだが……まあいい。それはお前達が一番よく分かっているだろうからな。……失敗するなよ? これはお前達が望んだことでもあるのだからな」
「……はっ」
結局顔は見せることなく、頭を下げるそれを見下ろしながら、クレイグは鼻を鳴らす。
相変わらず得体の知れない連中だが……構うまい。
目的は同じなのだ。
所詮は敵同士ではあるが、だからこそ手を組めることもある。
相手を利用しているのはお互い様だ。
あとは、どこで手を切るかだが……それは今考える必要はないだろう。
というよりも、その余裕がない、と言うべきか。
必要なものは全て揃ったものの、相手が相手なのだ。
余計なことを考えている暇はなかった。
もちろん、だからこそそこを狙われる可能性もある。
結局は、互いに敵同士であることは変わりがないのだから。
相手を出し抜いてやろうと考えているのもまた、同じなのだ。
だから、決して気を抜くことなく、それでいて目の前のことに集中する。
難しいことではあるが、やらぬわけにはいくまい。
そうしなければ、人類を救い、自らの願いを叶える事も出来ないというのであれば、やるしかないのだ。
不規則に起こる振動を感じながら、クレイグは再度窓の外へと視線を向ける。
そこにある光景は、見覚えのあるものだ。
王都は、もうすぐそこであった。
「……ようやく、か。ああ、ようやくだ……!」
万感の思いを込め、呟きながら、クレイグは目を細める。
この先のことを考えつつ、はやる気持ちを抑えるかのように、その拳を強く握り締めるのであった。
窓の外を見つめているクレイグのことを眺めながら、ブレットは何とももどかしい思いを抱いていた。
先ほどのことについて、本当はもっと言い連ねたかった。
しかしその根拠となるものがなかったために、出来なかったのである。
そう、ブレットは聖女に同行しているという男の情報を見てから、何故か妙に気になって仕方がなかったのだ。
何か……そう、何か、自分達は決定的な間違いを犯しているのではないかと、そんな気がしたのである。
だが、言ったように、そこに根拠はない。
言ってしまえばただの勘なのだ。
そんなもので父を納得させることが出来るわけがなかった。
それに……そもそもの話、もしもそうだったとしても、だからどうだというのか。
どうせもうすぐ全ては終わるのである。
ここから後は、もう一日もかかるまい。
たとえ何かを見逃してしまっているのだとしても、聖女がどんな力を使えようとも、最早関係のないことだ。
どれだけ早馬を走らせたところで、辺境の地のさらに奥地にあるあの場所からでは、間に合うわけがないのだから。
そう考え、ブレットはゆっくりと息を吐き出した。
自分を落ち着かせ、考え直す。
そうだ、大体自分だけが気付いて、あの父が気付いていないなどありえるわけがないのだ。
ならばこれはきっと、前代未聞の大事を成し遂げようとしていることに対する不安から来るものなのだろう。
そのせいで、ありもしないものを作り出してしまったのだ。
そうに違いない。
自分に言い聞かせるようにそう思い、ブレットは自分をさらに落ち着かせていく。
そう……その時はもう、すぐそこなのだ。
余計なことを考えている暇などはない。
父にならって自分もその時に向けて集中しなければと、ブレットは目を閉じた。
視界が閉ざされ、会話もない馬車の中には、三人分の吐息の音だけが響いている。
そんな中で考えるのは、これからのことだ。
ブレットもまた、非常に重要な役目を任されている。
万が一にも失敗するわけにはいかなかった。
そのためにも、その時に備え、集中力を高めていく。
だが。
どれだけ大丈夫だと自分に言い聞かせ、先のことだけを考えようとしたところで、ブレットの心に巣くった漠然とした不安は、消え去る事がなかったのであった。




