元英雄、薄闇の偽りを剥がす
甲高い音が響き渡ったのと、アレンが溜息を吐き出したのは、ほぼ同時であった。
ついでに言うのであれば、その溜息は心の底からのものだ。
何故――
「大人しくしてなかったのかなぁ。余計なことをしなければ、何もするつもりはなかったのに」
「っ……貴、様……! 邪魔を……!」
「僕の平穏を邪魔したのはそっちなんだけどね。まあ、いいや。とりあえず――飛べ」
――剣の権能:流水の太刀・連撃。
「ごっ――」
呟きながら、腕に少しだけ力を込めて斬撃を流し、そのまま蹴りを叩き込んだ。
剣技ではないため剣の権能が乗らず大した威力は出ないものの、この場では問題ないだろう。
数メートル先に男が転がり、一つ息を吐き出してから、後方を振り返った。
「まあとりあえず僕からは何も言うことはないっていうか、言う権利そのものがないから何も言わないけど、覚悟はしといた方がいいと思うよ? こうなったらベアトリスさんには隠せないだろうから、後でお説教だろうからね。まあ下手すると僕も受けることになるんだけど」
「アレン、君……? どうして……」
「ん? 何でちょうどいいタイミングで割り込めたかってこと? そりゃずっと『視』てたからね。ああ、あと仕方ないとはいえ、盗み聞きっぽくなっちゃったことは謝っておくよ。ごめんね」
「え……? あの、その……一体何から聞けばいいのか……」
「まあ、とりあえず聞かれれば答えるつもりはあるけど、ちょっと待っててね。このままじゃ邪魔入りそうだから」
「え……?」
混乱している様子のリーズから視線を外し、蹴り飛ばした男の方へと視線を向ける。
重い上に動きづらい全身鎧を着ているというのに、難なく起き上がったところを見るに、やはりと言うべきか身体能力は大分高そうだ。
あるいは、単純に身体の痛みやら何やらを最初から無視出来るからなのかもしれないが。
「っ……アレン、だと……? リーズの元婚約者の、出来損ないのか……?」
「おー、なんかその言葉久しぶりに聞く気がするなぁ。前に聞いてからそれほど経ってないはずなのに。それだけ色々あったってことかなぁ……いや、改めて考えてみると、本当に何でこんなことになってるんだろうね。僕は平穏を求めてこの地にやってきたはずだったのに。まあ考えてみたら初日から躓いてるんだけど」
「……随分と余裕のようだが……いや、いい。余計なことは言わん。そこを退け。俺の、俺達の邪魔をするな……!」
「ああ、うん、何やら気合入ってるところ悪いんだけど、僕はあなたとまともに話す気はないんだよね。自分の意思で動いてない人に何言っても無駄だろうし」
「……何だと? 貴様、まさか――」
「だから、話す気はないって言ってるでしょ? とりあえず――その人のことは、返してもらおうか」
――理の権能:領域掌握・スペルブレイク。
言った瞬間、アレンはそれに向けて突き出した手を、握り締めた。
それは何かを握り潰すような動作であり……実際のところ、それで正しい。
その直後、まるで糸が切れたように男の身体から力が抜け、その場に倒れこんだ。
「……え? ア、アレン君……? あの、今何を……?」
「ん? ああ、別に殺したわけじゃないよ? まあ、というか……既に死んでる人を殺せるわけがないんだけど」
「……え?」
そんなことを言っている間に、倒れこんだ男に変化が生じた。
ゆっくりと立ち上がり、だがその顔には驚きが浮かんでいる。
まるで信じられないものを見るような目で見られ、アレンは肩をすくめた。
「……馬鹿な……君は一体……」
「さて……別に大した事が出来るわけでもない、ただの出来損ないですよ。お気になさらず。それよりも、大丈夫ですか? 多分問題なく動けるとは思うんですが、さすがにやったのは初めてなので。あまり自信はないんですよね」
「……いや、大丈夫だ。俺は俺のまま、きちんと動けている」
「え……え? あの、本当に一体何が……?」
訳が分からない、とでも言いたげなリーズではあるが、まあそれも当然だろう。
何一つとして説明してはいないのだ。
むしろ一瞬で状況を理解されたら、その方が恐ろしい。
「とはいえ、さて、何から説明したものか……んー、そうだね。まずは、多分一番大事なことから言っちゃうけど、そこの人――アルフレッドさんは、もう死んでる」
「……え?」
驚きに見開かれたリーズの目がアルフレッドへと向けられ、しかしアルフレッドからはゆっくりとした頷きが返される。
それで間違いということを理解したのか、リーズの顔がくしゃりと歪み、何かを耐えるように唇が噛むのが見えた。
「で、ですが、叔父様はちゃんとそうやって……」
「ちゃんとはしてないよ? 首から下は別人だからね」
「……よく気付いたな。鎧を着ているし、確か会ったことはないはずだが」
「まあ視えますから。あの祭りに出てきた時点で、少なくとも僕は気付いてましたよ。おそらくはリーズがあなたのことを察したのと同じように」
「……そうか。では、何故ここまで放っておいた? その時にとは言わないまでも、その後でいくらでも俺をどうにかすることは出来たんじゃないか?」
「まあ、出来たか否かでいえば、出来たでしょうね。ですが……何故そんなことをする必要が?」
「……ほぅ?」
別にこの村がどうなっても構わない、と言うわけではない。
おそらくアルフレッドは、ずっと前からこの村にいたからだ。
「少なくとも、一月二月の話ではなく、年単位で……それこそ、あなたが行方不明になったという頃からここにいたところで、僕は驚きませんね」
「……何故俺がこの村に来たのが最近ではないと?」
「あなたが現れた時の村の人達の反応から、ですね。あれはどう見ても親しい人に向ける姿だった」
「……俺は全身鎧を来て兜まで被っていたんだぞ? 誰だって同じことが出来るだろう」
「ないですよ。リーズの反応からして、おそらくその鎧は当時着ていたものでしょう。わざわざ今までは別人を中に入れて、今日になったらあなたを入れる意味がない」
だからアルフレッドはこの村でそれなりの時間を過ごしていたということであり、それは何の問題もなくこの村で暮らしていたということだ。
既に死んでいる人が……死人が生者に混じって暮らすのは、確かにこの世界では禁忌である。
だが、それがどうしたと言うのか。
別に害になっていないのだから、好きにすればいいのである。
さすがに自分がここに住むのは勘弁だが、村の人達は平穏に過ごせてるようなのだから、特に言うことはないのだ。
「今のところ平穏だから何も言わない、か……随分と変わった考え方だな」
「そうですかね? そうでもないと思うんですが……」
「だが、気付いていたなら、せめてリーズには伝えておくべきだったんじゃないか?」
「わざわざこんなところにまでやってきた上にようやく見つけたところで悪いけれど、君の探し人は既に死んでいて死人になっているんだよ、ってですか? 僕はそこまで鬼畜じゃないですよ」
「しかし言っておけば、リーズが危険な目に遭うことはなかっただろう」
「危険な目に遭うかもしれないから事前に危険そうなものを全部潰すってなったら、それこそ全人類を死滅させなくちゃなりませんよ。いつ何時誰がどんなことをするのかなんて、分からないんですから。昨日まで無害だった人が今日も無害だとは限りませんからね」
「……多少極端ではあるが、一理はある、か。まあ、君の考えは分かった」
そう言うと、アルフレッドはリーズへと視線を向けた。
リーズの身体がびくりと跳ねるも、リーズは逸らすことなくその顔を見つめ続ける。
「……叔父様」
「今彼がいったことは、全て正しい。俺はこう見えて、既に死んでいるんだよ」
「ですが……ならばどうして、そうして動けているんですか? わたしの目には叔父様にしか見えません」
「まあ、今はそうかもな。だが、実はさっきまでの俺はそうじゃなかった」
「え……? どういうこと、ですか?」
「操られてた……って言っていいんだろうな。少なくとも、お前を殺そうとしたのは俺の意思によるものじゃない。……まったく、神の操り人形だとか喋ってたやつが操られてるとか、笑い話にもならんな」
そんな言葉と共にアルフレッドは自嘲の笑みを浮かべ、だがすぐにそんな場合ではないということを思い出したのか、それを引っ込める。
その姿をリーズは、何かを堪えるように左手で右手を押さえながら、変わらず見つめ続けていた。
「ま、だがそんな状態だったのを、そこの彼が助けてくれた……で、いいんだよな?」
「まあそんなところですね」
アレンが視たところ、アルフレッドにかけられている『モノ』は二つあった。
一つは、死人である彼を動かしている根本的なもの。
そしてもう一つが、そんな彼を術者の意のままに操るためのものである。
アレンはその後者の方だけを、壊してみせたのだ。
アレンの持つ権能の一つ、理の権能。
理とは、世界の法則そのものであり、それを司る力を持つということは、世界の法則を操るということとほぼ同義である。
その力にかかれば、他人にかけられている力の一つや二つを破壊することなど、造作もないことであった。
「で、では……ということは、先ほどの話は……」
「……全部が全部、嘘というわけではない。というか、実際にあんなことを考えている者達は存在している。だが、それはあの人じゃない」
「そう、ですか……」
そう呟いたリーズの顔は、何とも言えないものであった。
安堵が一番近くはあるのだろうが、それにしてはその顔は浮かないものであったのだ。
「ちなみにだが、俺が王家を恨んでいたというのは本当だ」
「っ……」
やはりと言うべきか、リーズにとって一番気になっていたのはそこだったようだ。
息を呑んだ後、悲しげにその顔が伏せられる。
「そしてあの時の俺の言葉からも分かってるだろうが……俺はあの時から、王家を裏切り、別のやつらと手を組んでいた。王家に復讐するために、な」
薄闇の中ではあるが、その時のアルフレッドの瞳には、はっきりと闇が浮かんでいるのが見えた。
まあ、一国の上に立つような人達の話である。
外から見える以上に内側は色々あったところで不思議はあるまい。
それこそ、中にいる人からは見えないほどに複雑でも。
「とはいえ、結局は俺も良いように使われてただけなんだけどな。あの時殺されるのも、あいつらの考えの内だったってわけだ」
「っ……あいつら、とは……まさか……?」
「ああ、おそらくは、お前の考えている通りだろう。だが、色々と教えてやりたくはあるが、この身は既に死んでいる。それを強引に動かしてるだけだ。おそらく俺のことは既にばれてるだろうし、時間がない。だから、本当に伝えたいことだけを言っておく。……アレン君、だったな」
「はい、何でしょう?」
「勝手なのは承知の上で、君に頼みたいことが二つある」
「いいですよ? 何でも、とは言いませんが……僕の出来ることであるならば。そのつもりがなければ、最初からこんな時間は作りませんしね」
「……そうか。ありがとう。では、一つ目の頼みだが……その娘のことを任せてもいいか? 見ての通り良い娘ではあるんだが、見ての通り心配になる娘でもあってな。無理なことは言わない。困ってる時に君が助けられるようならば助けてくれないか?」
「いいですよ? そもそも、言われる前からそのつもりでしたしね」
「そうか……ありがとう」
「いえ。……というか、まるで娘のことを頼まれてるみたいですね?」
「はは……確かにな。だが、ある意味では間違っていないぞ? その娘がどう思ってくれていたのかは分からないが、少なくとも俺は娘のように思っていたからな。その娘から昔お父様と呼ばれたことがあるんだが、喜びを顔に出さないようにするのにどれだけ苦労したことか」
「っ……」
アルフレッドの言葉に、リーズが息を呑み、それでも何も言わなかったのは、今はその時ではないと思ったからなのだろう。
今にも泣き出しそうな様子で、懸命に歯を食いしばっていた。
「それで、二つ目なんだが……俺と、一戦交えてくれないか?」
「っ……叔父様!?」
「んー……いいですよ?」
「アレン君!?」
「……自分で言っておいてなんだが、正直驚いたな。リーズの反応が普通だと思うんだが」
「まあ何となく予想してましたから。娘を男に任せるんですから、本当に娘を任せるに値するかどうか確かめるのは、親として当然でしょう?」
「っ……ああ、そうだな。……ありがとう」
礼を言うと、早速とばかりにアルフレッドは剣を手に取った。
それに応える形で、アレンも一歩を前に踏み出す。
後ろから、リーズの何か言いたげな視線を感じたが、結局言葉がかけられることはなかった。
本当に、心配になる娘だと、溜息を吐き出す。
この結果で何がどうなるのかを、彼女が気付いていないとは思えない。
ここで泣いて引き止める権利が彼女にはあるというのに、それを行使するつもりがないのだ。
そりゃあ心配になって誰かに託したくなるものである。
「……一つ言っておくが、自分で言うのも何だが、俺は相当に強いぞ? この身体は確かに俺本来のものじゃないが、この身体の持ち主は剣聖とまで呼ばれた人物らしいからな。そして俺はこの身体と合ったらしく、その力を十全に引き出せる」
「そうですか……まあ、問題ありませんよ。剣聖程度ならば、話にすらなりませんから」
「ふっ、そうか……それは随分と頼もしいものだ、なっ!」
言葉と同時、アルフレッドは前方へと飛び出した。
言うだけあって、それはかなり速く鋭いものであった。
並大抵の相手ならば、成すすべもなく一瞬で切り刻まれて終わるだろう。
まあ、とはいえ――逆に言うならば、そんな前提が必要な程度だということでもあるのだが。
――剣の権能:極技・閃。
二つの影が交差し……直後、一人と二つの肉の塊へと変わった。
「……なるほどな。これならば確かに、そんな大口も叩けるというものだ。そして、これなら安心して、今度こそ死ねるな」
転がった頭からは、思ったよりも明瞭な声が聞こえたが、おそらくはまだ術の影響下にあるからなのだろう。
それでも、首を落とされてしまった以上は、長くはあるまい。
人は人の形を保っているからこそ、人だという認識を持てるのだ。
それは死人であろうとも変わらない。
そしてアレンはそれを承知の上でそうしたし、アルフレッドはだからこそそれを望んだのである。
せめて最後は人として死ねるように。
「ああ、それでも最後に一つだけ……これだけは、しっかりと伝えておかないとな。リーズ……色々とすまなかった。そして、幸せにな。って、これじゃ二つか。はは……最後まで、締まらない、な……だが、それで、こそ……俺、らしくも、ある……か……」
声は、それきり聞こえてくることはなかった。
代わりとばかりにアレンの耳に届いてきたのは、押し殺したような嗚咽だ。
一つ、息を吐き出す。
まったく、だから平穏以外のものはいらないのにと、空を見上げ、もう一つだけ息を吐き出すのであった。




