元英雄、祭りの準備を眺める
ふと目を覚ました時、リーズが首を傾げたのはどうしてこんな場所にいるのかが分からなかったからであった。
視界に映っているのは見覚えのない天井であり、だが不思議と不安になることはない。
何故だろうかと思いながら視線を動かし、そこで見知った姿を発見した。
ベアトリスだ。
すぐそこで横になって眠っており……そこで、ようやくここが何処なのかを思い出した。
ここは、村長の家である。
二日連続の宿泊を、村長は快く受け入れてくれたのだ。
泊まったのは昨日と別の部屋、というわけではない。
昨日と同じ部屋であり……ならば見覚えがない天井のわけはないのだが、何故先ほどは見覚えがないなどと思ったのだろうか。
首を捻るも分からず、だがすぐにその思考は何処かへといってしまう。
そんなことよりも気にすべき事があったからだ。
「……降霊祭、ですか」
死者と再会を果たせる日。
もちろんと言うべきか、本当にそれを信じているわけではない。
しかし同時に、心のどこかであるいはと思っている自分がいるのも事実だ。
あの女性はあんなことを言っていたものの……少なくともリーズは、噂の一部が正しいということを知っているのである。
リーズの叔父であるアルフレッドが、王家に復讐をしようとしているという噂。
それに限って言えば、間違いなく事実なのだ。
何故ならば、リーズは叔父から直接その話を聞いたからである。
だがそれは、決して表に出る事のない話のはずでもあった。
その直後に叔父は死に、その話を聞いていた人達は騎士だ。
かつてとはいえ、王族であった人物の悪評をばら撒くような真似をするわけがないのである。
となれば、考えることはそう多くはない。
まさか一人でそんなことが出来るわけもないので、どこかにいただろう協力者が何らかの理由によりその情報をそんな噂という形で流したか……もしくは本人が、ということである。
そしてそのどちらにしても、そこには必ず目的があるはずだ。
とはいえ、そんな噂を流されたところで、それを信じる者などいるわけがない。
アルフレッドがどれだけ真摯に王家に仕えていたかは、多くの事が知っていることだからだ。
ゆえにその話は噂話としかならなかったのである。
となれば……それは、それが事実だということを知っている者に対してメッセージだと捉えることも可能だ。
即ち――リーズである。
リーズはその話を聞いた時に、自分に何か伝えたい事があるのではないかと思ったのだ。
しかもそれは、叔父が関わることである可能性が高かった。
でなければ、もっと他に方法があるはずだからだ。
そんな不確実な方法で何かを伝えるなど、そのこと自体に意味があるとしか思えない。
だからこそ、リーズは危険を承知の上で王都から辺境の地と呼ばれる場所まで赴いたし、あの街やこの村にまで来たのである。
リーズはリーズで、知りたい事があったから。
それは果たす事が出来ないかもしれないと一時は思ったものの、どうやら大丈夫なようである。
根拠はない。
けれど、夜が明け祭りが始まれば分かるはずだと、何故かそんな確信があった。
あるいはそれは、啓示であったのかもしれない。
ふとそんなことを思ってしまうほどに、それは強い確信であった。
しかしそんなことを思うリーズの瞼が、少しずつ重たくなっていく。
安心出来る匂いが身体を包み込み、リーズの意識を静かに夢の中へと誘っていく。
心地の良い眠気を感じたまま、それに逆らうことなくリーズは意識を手放し――
「叔父様……わたしがお父様に殺されるというのは、どういうことなのですか……?」
その、間際。
あの日からずっと問いかけたかった言葉が唇に乗り、その直後にリーズの意識は夢の中へと落ちていったのであった。
祭りというものは、意外と地域差というものが大きいものだ。
大勢で盛大にやるところもあれば、粛々と進めるところもある。
中には他の地域の人達には受け入れられないようなことをするところもあり、だが幸いにもこの村の祭りはそういうのではないようであった。
「ふむ……なるほど。前日まではまったく準備などをしていないように見えていたからどうするのかと思っていたが……朝から準備を始める、ということか」
「みたいだね。規模の小さな村ならでは、ってところかな?」
昨日一昨日と静かで穏やかだった村の雰囲気は、今日になって一変していた。
朝から賑やかに、騒がしくなっていたのだ。
ただしそれは嫌な雰囲気ではなく、またそうなっているのは今アレン達が口にした通りのことが理由である。
村は降霊祭の準備に湧いているのであった。
「お恥ずかしい話ですが、元々村人の数もたかが知れていますからのぅ。前日から準備に取り掛かってしまうと、規模の割に大げさになってしまうのです」
と、そんな話をしていると、村長が姿を見せた。
他の村人達もそうではあるが、今日が余程楽しみなのか、その顔には本当に楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「ですが、あなた方には少々退屈ですかのぅ? 申し訳ありませんな、祭りをやるなどと言いながら待たせてしまいまして」
「いや、そもそも我々が勝手に見たいと言って残っているだけだからな。むしろ世話になってありがたく思っているし、手伝わなくていいのかと思っているぐらいだ。この雰囲気も嫌いではないし、十分楽しませてもらっているよ」
「さすがに客人を手伝わせるわけにはいきませんしな……その気持ちだけで十分ですし、そう言っていただけるますとありがたいですなぁ」
「ところで、それはそれとして一つ気になっていたことがあるのだが……この村にはこれほどの人がいたのだな」
ベアトリスがそんなことを言ったのは、この場を見渡すだけでも、祭りの準備をしている村人の数が明らかに多いからだろう。
もちろんアレン達はこの村の村人全員と会ったことがあるわけではないが、見たことのない顔が倍以上いるのだから、そういった疑問を抱くのは当然である。
「まあ普段は中々家の外に出てこなかったり、そもそもこの村には普段は住んでいない者も混ざっていますからのぅ」
「ということは、今日のために戻ってきた者がいる、ということか?」
「ええ。こんな場所にある村ですからのぅ。抱えている事情それぞれにあり、一時はこの村に身を置いたものの、結局別の場所へと向かってしまう者も少なくはないのです。まあ、それほど離れていない場所に、辺境の地には不釣合いな街もありますしの」
「ふむ……どこだろうとそういった事情は変わらない、というわけか。それでも祭りをやるために戻ってくるのであれば、ここはやはり良い村だということなのだろうな」
「そう言っていただけますと嬉しいですのぅ。名だけとはいえ、これでもこの村の村長をやっていますからなぁ」
二人がそんな話をしている間にも、祭りの準備は少しずつ進んでいく。
とはいえこのままでは全てが終わるのは日が暮れた頃になりそうだが……それでいいのだそうだ。
夜は死者の時間だ。
村長曰く、元は祖霊と交流するためだけの催しだったらしいので、むしろ夜になってからやらないと意味がないそうである。
「村の皆が今日だけは仕事をすることなく祭りの準備をしているのも、その頃の名残ですのぅ。本来はその時間まで粛々と待つだけだったのですが……まあ、その頃のことを知っているのは今やワシだけですからな。老いぼれが余計なことを言って皆の楽しみを奪うわけにはいきますまい」
「そんな風に考えられるだけで、十分立派だと思うがな」
「まあ騒ぐことになる分、皆明日が大変なことになるのですがの」
「しかしそれも含めて楽しいのだろう?」
「違いありませんな」
そんな会話を聞いているのかいないのか、リーズは相変わらず会話に加わることはなく、だが今日は俯くのではなく、村人達が祭りの準備をしている様子をただジッと眺めていた。
アレンもそんな姿を眺め、小さく息を吐き出す。
今はまだ日は高いが、やがてそれは沈み、死者の時間が訪れる。
祭りが始まる時が、刻一刻と近づいてきていた。




