元英雄、のんびりすることを望む
照りつける日の光が目に入り、アレンは僅かに目を細めた。
ふと空を見上げれば、そこには見事な晴天が広がっている。
不定期ながら身体へと伝わってくる優しい揺れに、降り注ぐ暖かな光。
眠気が刺激される状況に、思わず欠伸を噛み殺した。
「眠いんでしたら、寝てしまっても大丈夫ですよ? 今ならばわたし一人でも大丈夫でしょうし……それに、ほらここにはちょうどいい枕もありますから」
と、声に視線を向ければ、そこにあったのはそんなことをのたまいながらのリーズの笑みだ。
ぽんぽんと自らのふとももを叩いている意図は理解出来るものの、アレンはそのまま視線を前方に戻すと肩をすくめた。
「折角の提案だけど、遠慮しとくよ。その枕は高級すぎて、ちょっと僕には使えそうもないからね」
「むぅ……遠慮する必要はないんですが……」
不満そうな様子を横目に、アレンは苦笑を浮かべる。
リーズが何をしたいのかは何となく分かっているものの、色々な意味でやらせるわけにはいくまい。
「というか、ベアトリスさんが休んでる間に僕も寝てちゃ何のために交代制にしたのか分からないでしょ」
「お二人が同時に休むことが出来るのですから、意味はあると思いますが?」
「まあね。確かにそういう意味なら有効ではあるけど……じゃあ、ベアトリスさんが起きたら提案してみようか?」
「……そんなの駄目って言われるに決まってるじゃないですか」
「うん、じゃあ諦めるしかないね」
にっこりと笑みを向ければ、リーズは不満を表すかのように頬を膨らませたが、それだけだ。
どちらの言い分が正しいのかなど、言われずとも理解しているのだろう。
「ま、リーズがどうしてそんなことを言い出したのかは何となく分かるし、それ自体は嬉しく思うよ? 僕だけじゃなくて、きっとベアトリスさんもね。でも、結局のところこれは僕達が自分で決めて、自分のためにやってることだからさ。リーズが何かをしようとする必要はないんだよ?」
「それはっ……そうなのかもしれませんが……」
分かってはいるが、それはそれとして気になってしまう、というところか。
まったく本当に人が良いというか、ある意味難儀な性格をしているものだと、苦笑を浮かべる。
本当に気にする必要などないというのに。
こうして旅をすることを選んだのは、アレン達自身の意思によるものなのだから。
旅……そう、アレン達は今、旅をしているのであった。
とはいえ、あの辺境の街から次の街へと移動している、というわけではない。
これはある種の依頼を受けた結果である。
ただしその依頼主は、リーズとなるわけではあるが。
「まあそれに、そろそろリーズはそんなことを気にしてる場合じゃないと思うよ?」
「それは、どういう……?」
「ここまでかかった日数を考えれば、目的の場所に着くまでもう少しだろうからね。というか、多分あれがそうじゃないかな?」
「え!? ど、どれですか……!?」
「ほらあれ。豆粒みたいな大きさだけど、あそこに村っぽいのが見えるでしょ? 多分あれじゃないかと思うんだけど」
「……確かに、見えますね。そうですか……あそこが……」
アレンの指差した方角を、リーズはジッと睨みつけるように見つめていた。
それはまるで、そこに親の敵でもいるとでも言わんばかりの様子である。
そしてある意味で、それは正しいのだろう。
リーズにしてみれば、それと同等か、あるいはそれ以上の人物がそこにいるのかもしれないのだから。
リーズの依頼にして目的は、とある村へと赴くことであった。
そしてそれは、その村でとある人物に会うためでもあり――
「あそこに……叔父様が……」
そんなリーズの呟きを耳にしながら、アレンは何となく空を見上げつつ、こうしてこんなところにまで来ることになった経緯を思い返していた。
その発端がどこにあったのかと言われれば、やはり冒険者ギルドにあったとしか言いようはないだろう。
その切っ掛けとなる話を聞いたのが、冒険者ギルドであったからだ。
アレンがその日ギルドに行っていたのは、フェンリルの素材の換金がいつになったら出来るのかを聞くためであった。
別に急ぎで金が必要なわけではないものの、一日で金貨三枚が飛んでいくのだ。
さすがに心もとなくなりつつあり、まだ時間がかかるようならば多少でもいいから換金出来ないかを相談するつもりでもあったのである。
ちなみにアレンが全部払っているのは、面倒だからとりあえずアレンが払って後で清算するという形を取ることにしたからだ。
リーズ達も金は持っているものの、さすがに金貨で持ち歩いてはおらず、換金可能なものを持っているというだけなのである。
わざわざ換金するのも面倒だろうということで、アレンが一先ず払っている、というわけだ。
で、結論から言ってしまえば、まだしばらくは時間がかかりそうだということであった。
これはやはり相談が必要かと思いながら、半ば癖のようになってる感じで受付嬢と世間話をしつつも最近の情報を集め……そこでふと、気になる話を聞いたのである。
受付嬢によれば、この街から馬車で七日ほど進んだ先にある場所で、とある有名人の姿を見かけたのだという。
最近そっちの方から来た人物から聞いたという話で、信頼出来る情報かは半々であるということだったが……それでも気になったのは、その有名人がアレンも知っている人物だったからだ。
名を、アルフレッド・ベーヴェルシュタム。
旧名、アルフレッド・アドアステラ。
かつては王位継承権第二位を持っていながらも、兄と争うことを嫌ってそれを捨て、実力で以て第一騎士団副団長の座にまで上り詰めた男。
王弟であり、リーズの叔父であった。
だが以前にも述べたように、彼の人物は故人のはずだ。
少なくともアレンはそう聞いていたのだが……実は、彼は遺体が確認されていないらしい。
そのため、死亡したということにはなっているものの、厳密には行方不明でもあり、そのためどこかでひっそりと生きているとも言われているようである。
実際に姿を見た事があるという噂もあり、今回のこともその一つというわけだが……念のためにリーズ達にその話をしてみたところ――
「――え!? それ本当ですか……!?」
「……ただの世間話の一環のつもりだったんだけど、予想外に食いつかれたなぁ」
「あっ……す、すみません……」
「いや、別にいいんだけど……」
まるでこちらに掴みかからんばかりであり、非常に珍しい……というか、下手をすれば初めて見るかもしれないようなリーズの姿であった。
それでまさか何もない、というわけがあるわけもなく、ベアトリスへと視線を向けてみれば、その顔に浮かんでいたのは苦笑だ。
仕方ないな、とでも言いたげなものであった。
「んー……事情を聞ける系?」
「……そうだな。貴殿が迷惑に思わなければ……いや、今更か。それに、元よりその情報が得られれば話すつもりではあったからな」
「ということは……」
「ああ。情報を得られるという確証もなく、また非常に私的なことでもあるため、今まで黙っていたが……実は私達がここに来た理由は、件の将軍のことだけではなく、今の話に関係することでも来ていたのだ。貴殿のことだから薄々勘付いてはいただろうがな」
「まあ、確かに全部話してはいないんだろうな、とは思ってたけどね」
「……すみません、アレン君」
「いや、別に謝る必要はないって。嘘吐いてたわけでもなければ、私的なことだってことだしね。それで……」
どういうことなのだと視線で問えば、リーズ達は顔を見合わせた後で、リーズが頷いた。
そうして話された内容によれば――
「ふむ……どうやらそろそろ着きそうなようだな」
と、聞こえた声に振り返れば、御者台の窓からベアトリスが覗き込んでいた。
思考に没頭していたため気付かなかったが、いつの間にか目覚めていたらしい。
「や、おはよう。起きてたんだね」
「つい今しがただがな。そして……リーズ様の意識は既にあそこにある、か」
すぐ近くでこうして話しているというのに、リーズはジッと先を見つめたままであった。
いつものリーズであれば考えられないことだが……まあ、事情が事情ゆえに仕方がないのだろう。
「……後悔ゆえに、か」
「……すまないな」
「さて……それが何に対する謝罪なのかは知らないけど、何だとしてもあの時も言ったみたいに必要ないよ。これまたあの時にも言ったけど、ちょうどそろそろのんびりしたいと思ってたところだったしね」
アレン達……というか、アレンがこうして旅をしているのは、端的に言ってしまえば、最近ちょっと働きすぎたのではないかと思ったからだ。
何せアレンは平穏を求めて辺境の地へとやってきたというのに、龍やらフェンリルやらと戦ったりなどで逆に平穏と遠ざかってしまっているのである。
むしろ屋敷にいた頃の方が何倍も平穏だったというものだ。
もちろんそれはアレンが決めたことではあるが……それにしたって限度というものがある。
だからこそ、リーズからの提案は渡りに船であったのだ。
噂の村に行ってみたいという、それは。
目的の村に行くには馬車でも七日はかかるということだし、基本的にそこですることは人探しである。
平穏を求めることは、まだ全てにケリがついていないために不可能だが、それでも少しのんびりするにはちょうどいい。
そう思ったからこそ、私的なことだとは言っていたリーズ達に構わず、アレンも一緒についてきたのである。
「……貴殿は本当に相変わらずだな。貴殿がその気になれば、出来ないことなどないだろうに」
「それはさすがに持ち上げすぎかな。まあ仮に何でも出来たとしても、なら僕は平穏な日常ってものが欲しいけどね」
「そういえば、初めて会った頃もそんなことを言っていたな。その時は色々大変なのだろうと思っていたわけだが……」
「ある意味でそれは間違ってないかな。ただ、昔に色々とあった、っていう過去形だけど」
「昔と言っても、貴殿は私よりも遥かに年下だろうに」
苦笑を浮かべるベアトリスに、肩をすくめる。
ベアトリスは冗談だと思ったようだが、それは一応事実だ。
ただし、昔は昔でも、前世の頃ではあるが。
「ま、それに、気分転換的な意味でもちょうどよくはあったしね」
「……それは確かにな」
あれ以来、悪魔に関する情報はまったく得られず、何の進展もなかった。
そろそろ苛立ちも混ざってくるようになってきたし、そういう意味でもちょうどよかったのである。
「だからまあ、色々な意味で気にする必要はないよ」
「……そうか。では、ありがとうと言っておこう。何だかんだと言っても、貴殿が共に来てくれてリーズ様も心強かっただろうからな」
「さて、そうだといいけどね……ま、一応どういたしましてって言っておくよ。あくまでも僕はのんびりしに来ただけだし、空振りに終わる可能性も大いにありそうだから、あんまこういうことは言いたくないんだけどさ」
「空振りに終わる可能性が大きいということは、私も、それにリーズ様も分かっているさ。……それでも、確認せずにはいられなかったのだろうな」
リーズの叔父の姿が発見されたという噂は、何でも元々あの街を発端として広がったものであるらしい。
だからリーズ達があそこに来た理由の一つにそれがあったというわけだ。
それが本当であるかを確かめに来たのである。
そして根本的な疑問である、では何故そんなことをしにやってきたのかと言えば……何でもリーズの叔父は、リーズの目の前で魔物に下半身を食い千切られてしまったのだという。
とある貴族のパーティーから戻る時、不運にも足場の悪い峠で魔物の集団とかち合ってしまい、その時に、という話だ。
どう考えても助かる傷ではなく……しかも、リーズが聖女として治癒の力に目覚める前であった。
ゆえにリーズは、そんな叔父を前にして何も出来ず……そのことを、今も悔いているのだという。
もしもその時に力に目覚めていれば、と。
とはいえ、それはどうしようもないことである。
リーズもそのことは理解しており……だが、立ち直ろうとした矢先に、とある噂話が耳に届いたのだという。
アルフレッドは実は生きていて、自分のことを粗末に扱った王家に復讐するために身を隠しながら機会を伺っているのだと。
もちろんのこと、有り得る話ではない。
そもそも、王家が彼を粗末に扱ったという事実もなければ、彼が王位継承権を破棄したのは兄と争うことを嫌ってのものなのだ。
だがそれでも、無視出来ないことが一つだけあった。
実際のところ、誰も彼が死んだということを確認していないのである。
下半身が食い千切られたのは、リーズを始めとして何人もが目にした。
しかしその直後、地面が崩れ、彼の身体は崖の下へと落ちていってしまったのだ。
あの傷でそれでは助かるわけがないため、死亡ということにはなったものの……あるいは、という可能性は残されてはいたのである。
そういうわけで、リーズはその噂が本当なのかを確かめたかった、ということであった。
「っと、はっきりと見え始めてきた、か」
「だね。さて……」
彼の人物を見かけたという村を前にして、アレンは目を細める。
そうして、どうなることやらと呟くのであった。




