狂乱の先端
その場に響いた音に、ブレットは反射的に身体を震わせた。
いつもであれば自分がそういった音を響かせる側ではあるのだが、だからこそ余計に恐怖に似た感情を覚えたのである。
いや、あるいは……それを響かせていたのが、いつも冷静そのものである父であったからかもしれない。
「くそっ……ふざけるなよ……!」
いつもの自分と似たような言葉に、まったく異なる剣幕。
自分がそれを向けられているわけではないと分かっているのに、父が机へと拳を振り下ろすのに合わせ、自然と身体が震えてしまった。
父がそれほどまでに激昂している理由は分かっている。
何らかの報告があったから……ではない。
逆だ。
本来ならばあるはずの報告が来ないまま、既に十日ほどが経っている。
それは即ち、失敗したということであった。
これがまだ、三日程度であるならば分からない。
何らかの不備などにより連絡が遅れている可能性だってある。
というか、報告が来ないままに三日が経った時、怒鳴り散らしたブレットに対し、父がそう告げたのだ。
だからまだ落ち着け、と。
それから連日同じような事が続き、そして今日。
やはり来ない報告にブレットが再び怒鳴り散らそうかと思った瞬間、それよりも先に、自身の怒りなど比ではないほどの剣幕で父が叫んだのであった。
確かに今回のことは、それほどのことではある。
だが考えてみれば、自分などよりも遥かに長い時間父は無念を感じていたはずなのだ。
怒りがより大きいのは当然だろうと、ブレットは父の剣幕に怯えながらも、そんなことを思っていた。
しかしその思考は、ある意味では正しく、ある意味では間違いだ。
クレイグが怒りを感じているのが、積年の願いが叶いそうにないことになるのは事実だが、これほどまでの怒りとなっているのは、ブレットにこそあった。
それはそうだろう。
ブレットなど話にならないぐらいの怒りを、その時点でクレイグは覚えていたのだ。
ブレットを諌めていたのは、どちらかと言えば自分に言い聞かせていたという方が近い。
まだ大丈夫なはずだと、自分を慰めていたのだ。
だがそんな心境などまったく感じ取れていない様子で、ブレットは連日自分勝手に怒鳴り散らしているのである。
使用人の数はついに最低限家を維持する程度しか残らなくなり、ブレットの相手をするほど余裕のある者は一人もいなくなってしまった。
必然的にクレイグがその役目を負うような形となってしまい……その上でのブレットのそれだ。
正直クレイグはブレットを殴らなかったのを自分で褒めてやりたいなどと考えてしまう程度には怒りを溜めており、それが今日ついに爆発したというのが真相なのであった。
つまりブレットが怯えているのは、完全に自業自得なのだ。
まあ、そんなブレットに気付かれないように上手く隠していたクレイグにも責任はあると言えばあるため、互いに自業自得というのが正確ではあったが――
「あいつらめ……肝心な時に役に立たんではないか……!」
何にせよそんなことは、今のクレイグには知ったことではない。
机からそろそろ嫌な音が聞こえてくることなど気にしていない様子で、本日何度目かになる鈍い音が、拳が叩きつけられるのと共にその場に響いた。
「ふぅ……! ふぅ……! …………ふぅ」
とはいえ、クレイグとブレットに違いがあるとすれば、それはやはりその膨大な人生経験の違いだろう。
誰に言われるまでもなく、ある程度発散したところでクレイグは自然と息を整え、冷静さを取り戻し始めた。
このまま怒り狂っていたところでどうしようもないということを知っていたからだ。
「……すまんな、ブレット。らしくもなく取り乱した」
「い、いえっ……! 当然のことだと思いますし……仕方ないかと思います」
突然話しかけられたブレットは少し怯えが残っていたが、それでも父が元の父に戻ってくれたことに安堵の表情を浮かべながらそんな言葉を返す。
クレイグはそんなブレットを横目で眺め、そうかと頷くが、頭では既に別のことを考え始めていた。
即ち、ここからどうするのか、ということをだ。
ここまで連絡がない以上は、失敗したと考えるほかあるまい。
業腹ではあるが、言ったところでどうなるものでもないのだ。
聖女ばかりか、妖精王を手に入れることすら諦める必要があるだろう。
あれだけ自信満々だったというのに何故失敗したのかという思いはあるものの――
「……アレの戦闘能力はそれほど高くはなかったはずだ。となれば、やはり聖女の仕業と見るべきか?」
「……父上? 一体何の話でしょうか……?」
と、思わず思考が口から漏れてしまったらしい。
しかしちょうどいいかと、その話を振ることにした。
別にブレットから何か建設的な意見が聞けるとは思っていないが、思考を整理するのに都合がよかったのだ。
「ん? ああ、すまんな……何故今回も失敗したのか、ということを考えていた。ここまで失敗が続く以上、さすがにその原因を考えるべきだろう」
「なるほど……確かにその通りですね。それで、聖女ですか……」
「ああ。考えてみれば、これまでの失敗の全てでアレが関わっている。てっきり勇者が原因だとばかり思っていたが……」
「こうなってくると聖女が原因の可能性がある、ということですか……ですが、アレは大した事が出来なかったはずでは?」
「そうだな。能力の底上げが出来るとはいえ、遥かに格上の相手をどうこう出来るようなものではない。治癒に至っては、あれはそのものというよりは別の意味で脅威となるものだ。しかし考えてみれば、アレだけが他の四つと比べ平凡に過ぎる。となれば……」
「何かもっと凄まじい効果があっても不思議ないではない、と?」
所詮推論に推論を重ねたもの……状況証拠から逆算した願望にも近いものではあるが、そうとでも考えれば辻褄が合わないのは事実だ。
まるで……そう、まるで英雄のような存在がそこにいなければ、今までのことは説明がつかないのである。
「もしも、アレもそういった性質を持っているのであれば、全てに説明が付く」
「確かに、その通りですね……ですが、ではどうするのですか?」
その言葉には答えなかった。
答えられなかったというのが正確ではあるが、そもそも答えられるならば最初からこんな風に考えてはいない。
その程度にすら至れないのかと、つい舌打ちを漏らしたくなってしまうが、何とかそれを堪える。
そんなことよりも、これからどうするかを考えることの方が重要だからだ。
少なくとも、諦めるということだけはない。
既に動き出してしまっているのだ。
今更止まれるはずがなく……そもそも、別の意味でも止まることは出来ない。
もう、我慢の限界なのだ。
これ以上耐えることは出来なかった。
いざとなれば正面きっての戦争しかないか、などということを考え――それが手元に現れたのは、そんな時のことであった。
「っ……!」
「父上、それは……!?」
唐突に手元に現れた羊皮紙。
これは、やつら――悪魔達からの連絡方法であった。
手段は分からないが、こうして唐突に羊皮紙が手元に現れるのだ。
ようやくか、とは思いつつも、顔に苦いものが浮かぶのはどうせ失敗の報告だろうと分かっているからである。
どんな言い訳を書き連ねているのかは分からないが、読まないわけにもいかない。
文句を告げるためにも、とりあえず確認しなければならないのだ。
ぶりかえしてきた怒りのままに握り潰してしまわないよう気をつけながら、その羊皮紙を読み進めていき……冷静を装っていられたのは、最初だけであった。
湧き上がってきた感情のままに、腕が、身体が、勝手に震えていく。
「ち、父上……? 一体、何が書かれているのですか……?」
ブレットの声は聞こえていたが、それに応える気にはならなかった。
そのまま最後まで読み進めていき……羊皮紙を、机の上に叩き付ける。
そして、溢れる感情のままに――クレイグは、大声で笑い始めた。
「く、くくく……ふははは……!」
「ち、父上……?」
まるで狂人でも見るような目でブレットが見てくるが、気にもならなかった。
今ならばあの出来損ないが目の前にいても、喜んで迎え入れることが出来るだろう。
それほどにクレイグは、一転して上機嫌となったのであった。
「はははっ……っ、ふぅ……! ……ブレット」
「は、はい……なんでしょうか……?」
「……始めるぞ、準備をしろ」
「はい……? 一体何を――いえ、まさか……!?」
ようやくそのことに思い至ったのか、驚愕の顔を見せるブレットに、クレイグは口の端を吊り上げた、獰猛な笑みを見せる。
そう、羊皮紙に書いてあったこととは、結局のところたった一つに要約出来る。
即ち。
「ああ――大司教が手に入った。ようやく始める事が出来るぞ」
願望の結実であった。
驚愕から立ち直ったブレットが、そのままクレイグと似たような笑みを浮かべる。
そうして二人して互いに笑みを浮かべ合うと、足早にその部屋を後にしたのであった。
最初から気付いてはいましたが、さすがにタイトル長すぎだなと思ったのでサブタイ部分は消しました。
後で改めてタイトル変えるかもしれません。




