元英雄、後始末を付ける
陽光の照らす街中を、アレンは一人歩いていた。
視界に映るのは街のざわめきであり、だがその賑やかさは今が昼間だからというだけではあるまい。
おそらくは、三日前の今頃に出された、ギルドからの森の正常化の知らせのためであった。
最初は半信半疑だった冒険者達も、実際に自分達の目で見ることでそれを確認し、今では徐々に街の活気も戻ってきているらしい。
元の活気がどれほどだったのかをアレンは知らないが、少なくとも三日前と今とでは雲泥の差なのは確かだ。
たった三日でここまで活気が戻るとは、良くも悪くもさすがは辺境のこんな場所で暮らしている人々だけはある、ということなのだろう。
ちなみに当然と言うべきか、ギルドがそんな知らせを出したのにはアレン達が関わっている。
というか、ほぼ全てアレンが原因だと言っても過言ではない。
アレンがフェンリルの死体をギルドに丸投げしたのがその理由だからだ。
と言っても、アレンのしたことと言えば、朝一番にギルドに行って運べないほど大きな魔物の死体があるから運搬を頼むと告げ、そこまで案内しただけではあるが。
あまりにも森の奥へと進むため、途中で騙されているのかと思ったであります! とか付いてきた冒険者の一人に言われたが、さすがにそれはアレンの責任ではない。
ともあれ、そうして現物を見たギルド側が、これが森を騒がせていた原因だと断定。
直後に知らせを出したのは、それだけギルドも焦っていたということか。
それが原因であったのは確かだが、倒したからといって森が正常に戻るとは限らなかったのである。
せめて一週間程度は様子を見るべきではあったが……まあ、アレンの口出すことではなく、結果的には迅速な動きが現在の活気に繋がっているのだ。
ギルド側の英断の賜物、と言っても構わないだろう。
尚、そのギルドは現在てんてこ舞いの状態らしい。
あのフェンリルはレベルの時点で何となく分かってはいたものの、相当な大物であり、素材の卸し先に困っているとか。
物が物だけに下手なところに渡すわけにはいかないとのことだ。
そのせいもあって実はアレンはフェンリルを渡した代金をまだ貰っていなかったりする。
そういったことが決まらないことには換金額も決まらないらしい。
あとは単純に、現金が足らないからとも言ってはいた。
何でも同時期にそれと同等かそれ以上のものが持ち込まれたかららしい。
まあ、それを持ち込んだのもアレン達なのだが。
処分しないままに放っておかれていた龍の素材を、このタイミングならばちょうどいいだろうとついでに渡したのである。
こっちとして全然ちょうどよくないであります! とか言われたが、知ったことではなかった。
というか、それでも半分で済ませたのだから、大目に見て欲しいものである。
そんなことを考えながら、外からでも盛況な様子が見て取れるギルドを横目に、アレンは先へと歩いていく。
今日は別にギルドに用事はないのだ。
用事があるのはこの先である。
そうしてアレンが辿り着いたのは、ここ最近で随分と見慣れた場所であった。
扉の横に立てかけられている剣を、そういえばこれは新しくしないんだろうか、などと思いながら眺めつつ、扉を潜る。
途端にこれまた見慣れつつある光景が視界に映り――
「……いらっしゃいませ」
そんなアレンを出迎えたのは、抑揚に乏しい声と、それと同等な顔であった。
ようやく聞き慣れ始めてきた声と、見慣れ始めてきた褐色の無表情な顔に、アレンは苦笑を零す。
「うん、挨拶出来るようになったのはいいと思うんだけど、そこで笑顔も浮かべる事が出来るようになったら完璧かな?」
「…………笑顔?」
「いや、首を傾げる要素ないよね?」
さらに苦笑を深めながら、まあある意味では仕方がないのだろうな、とも思う。
別に無理強いをするつもりはないし、少しずつ慣れていけばいいのだろう。
と、少女とそんな言葉を交わしていると、奥の方から見知った姿が現れた。
「あら、アレン、また来たのね。そんなにその娘が気に入ったのかしら?」
「誤解を招くからそういうことを言うのをやめようか? というか、気に入ったのはどっちかと言えばノエルじゃないの?」
「まあ確かに、そうとも言えるかもしれないわね」
より正確に言えば、気になった、なのかもしれないが、敢えてそれを告げる必要もあるまい。
「……ミレーヌ、気に入られた?」
「……そうね。少なくとも今のところは、悪くないと思っているわよ? おかげであたしは安心して作業場にこもっていられるもの」
「……そう。……よかった?」
「それはあたしへの確認なのか、あたしの言葉に対しての感想なのか、どちらなのかしら?」
そんな言葉を交し合っている二人を見て、とりあえずはそれなりに上手くやっているのだと思い、小さく息を吐き出す。
ノエルがその娘を引き取ると言い出した時にはどうなるかと思ったが、今のところ問題は発生していないようだし、そろそろちょくちょく見に来なくても大丈夫なのかもしれない。
改めて言うまでもないだろうが、ここはノエルの店であり、そこの少女――ミレーヌは、先日フェンリルを連れていたあの男と共にいた少女だ。
ついでに言うならば、リーズ達の泊まっている宿へと侵入し撃退された少女でもある。
少女曰くリーズを殺すつもりだったらしいので、暗殺未遂犯といったところか。
この世界でも当然のようにそれは重罪であるし、相手が王族であることを考えれば極刑でもおかしくはない。
それでもそうなっていないのは、情状酌量の余地があることと、リーズがそれを望まなかったこと、それとある種の司法取引のようなことをしたからだ。
まあ、非公式な上に非正規なものではあったが、場所が場所であることも考えれば問題にはなるまい。
ちなみに情状酌量の余地の具体的な理由とは、どうやらミレーヌはあの男と従属状態にあったようだからである。
これは単純な奴隷とかそういう話ではなく、ギフトなどを使った本人の意思とは無関係の強制力が働く状態のことだ。
だから純粋にミレーヌの罪とは問えないと、そう判断したのである。
あとは何よりも、司法取引めいたもの――彼女から情報を引き出せたというのが大きい。
といってもミレーヌはそれほど多くのことは知らされていなかったらしいが……それでも二つばかり重要な情報を知る事が出来た。
一つ目は、あの男は『悪魔』だったということ。
明確に悪魔だと分かる人物と接したという記録は存在しないため、これはかなり大きい。
純粋に情報として価値があるし、悪魔が当たり前のような顔をしてこの街を歩いていたという事実もまた重要だ。
これだけでも彼女の罪を軽減させるには十分だろう。
そして二つ目は、将軍の件に悪魔が関わっていることがほぼ確定したからである。
あの男がそんな話をしていたのをミレーヌが聞いていたらしい。
ミレーヌの証言だけが証拠となってしまうが、別に悪魔に罪を問おうとしているわけではないのである。
それを知れたというだけで十分だ。
あと、これも含めると三つになってしまうが、相手は分からないものの、あの男が誰かと連絡を取っていた様子があるというのもミレーヌから聞き出せている。
悪魔がどこかと手を組んでいるというのは将軍の件でほぼ確定ではあるものの、これはその可能性を補強する材料となるだろう。
そしてこれだけの情報が得られたのだから、ミレーヌを無罪放免とする、とまではいかずとも、罪として問う必要はないだろうとアレン達は判断したのである。
尚、ミレーヌが嘘を吐いている可能性だが、これはない。
というよりも、嘘を吐いていたのならば分かった、と言うべきか。
単純に人生経験の結果としてアレンは嘘を吐いてるか否かは何となく分かるのだが、それ以上に全知を使えば確実に分かるのだ。
嘘を吐いているかを判断するというよりは、その情報が正しいのか否かを全知で判断するという使い方だが、念のため調べたところ全て問題なしだった、というわけである。
ちなみに、ミレーヌも姿を消す力を使っていたが、あれは悪魔の力をギフトの力で模倣していたのだとか。
そんなことが可能だとは悪魔達も驚き重宝されていたらしいが……まあ、そういったことはいいだろう。
しかしそれで罪に問わないとしたのはいいものの、問題となったのはミレーヌをどうするか、ということだ。
罪に問わないとはいえ、そのまま放り出すわけにはいくまい……色々な意味で。
そしてそこで、意外なことにノエルが引き取ると立候補したのだ。
店番が欲しいと思っていたとか言っていたものの……何となくアレンは他に理由があるのではないかと思っていたりする。
あの後、どうして聖剣以上の剣を作ることにこだわっていたのかなどの理由については、ノエル本人から聞いた。
巻き込んでしまったワビ代わりというわけでもないが、などと言いながら聞かされたのだが、ミレーヌからも情報を聞き出す際にその過去の話を大雑把ではあるが聞き……どことなくその時にノエルが共感していたように見えたのである。
実際どうだったのかは本人以外に分からないだろうが、多分それほど外れてもいないだろうと思う。
ともあれ、そうしてあの日以後ここではこの二人が共に暮らすこととなったわけだが――
「すみません、お邪魔します……って、アレン君?」
と、二人を眺めながらこうなった経緯を思い返していると、リーズ達が顔を見せた。
ここに来た理由は、おそらくはアレンと同じだろう。
要するに、二人がどうなっているかを確認しにきたのである。
あの日から毎日来てこうしてここで顔を合わせることになっているのだから、そのぐらい言わずとも分かることであった。
「……今日も奇遇ですね」
「まったくだね」
言いながら苦笑を交し合い、肩をすくめる。
まあアレンの場合は、ミレーヌに何か異常がないかを確認するためでもあるのだが。
ミレーヌが悪魔とギフト的な力で隷属関係を結んでいたというのは既に述べた通りだ。
そしてそれは、基本的には一方的な破棄などは出来ない。
厳密にはギフトではなく悪魔の力ではあったらしいが、基本は同じだ。
だがそれをアレンは強引に破棄させたのである。
理の権能を使うことで可能だったのだ。
しかし副作用が出ないとも限らないので、こうして毎日確認していたというわけだが――
「ま、そろそろ毎日は来なくてもいいかもしれないけどね」
「ふむ……確かに、心配はなさそうだな」
「そうですね……初日はさすがにお互いに探り探りといった感じではありましたが、今は大分自然になってきた気がしますし」
「……ちょっと、勝手に人のこと観察して感想言うのやめてもらえるかしら?」
「……ミレーヌは別に構わない」
「あたしが構うのよ」
そう言って本気で嫌そうな顔をするノエルに、アレン達は笑みを浮かべる。
と、ふとあることを思い出した。
「そういえば、ノエルに渡した素材ってどう? 感想とか聞いてなかったけど」
「感想、って言われても困るのだけれど……でも、そうね、さすがは最高級の素材とか言われるだけはあるかしら。やりがいはあるわね。ただ、同時に扱いが難しいと言われているだけもあって、まだ形にはなっていないわ。形になったら見せるつもりではあるけれど……まあ、期待しておきなさい、って言っておくわ」
「そっか……じゃあ、期待して待ってることにするよ」
何のことかと言えば、龍の素材のことである。
半分はギルドに渡したが、半分はノエルに渡したのだ。
全部渡したらさすがにギルドでは扱いきれないかと思ったのもあるが、それ以上にノエルならばきっと扱えるだろうと思ったからである。
だからその言葉は本心からのものであった。
「さて……それじゃあ二人の様子も確認したし、僕はそろそろ行こうかな」
「そうなんですか? もう少しゆっくりしていってもいいと思うんですが……」
「ここ一応あたしの家なんだけれど? ……まあ、別に反対はしないけれど」
「その言葉は嬉しいんだけど、ちょっと野暮用があってね。まあ、実はつい今しがた思い出したんだけど」
「ふむ……手伝いは必要かね?」
ベアトリスの言葉に、苦笑を浮かべる。
その察しの良さはさすがといったところか。
だが本当に野暮用で終わることでしかないのだ。
気遣いはありがたいが、首を横に振る。
「いや、必要ないかな」
「そうか……では、また後でな」
「うん、じゃあ二人はまた後でね。ノエルとミレーヌはまた今度」
「ええ。次来る時には何か見せられるようにしておいてみせるわ」
「……またのお越しを、お待ちしています?」
「疑問系じゃないのと、首を傾げてなければ完璧だったかな? じゃ、またね。次は笑顔で出迎えられるのを期待してるよ」
そんなことを言って、アレンはノエルの家を後にした。
そうしてそのまま歩き続け……一旦街の外に出る。
それから周囲を見渡したのは、ちょっと誰かに見られていたら間抜けにしか見えないだろうからだ。
「……よし。誰もいない、っと。それじゃ――」
――全知の権能:天の瞳。
――剣の権能:次元斬。
無造作に、何もない空間に向けて、剣を振るう。
それで、終わりだ。
一つ息を吐き出すと、ゆっくりと剣を鞘に仕舞う。
「さて、と……それじゃ、これからどうしようかな」
それから踵を返すと街に戻り、街のざわめきに身を浸しながら、アレンはこれからの予定を考えるのであった。
男は、全力で移動を続けていた。
あれから三日。
それだけの時間が経過しているというのに、未だその速度は衰えることはない。
とうにあの場所からは離れているし、後ろを振り返ったところで誰も追ってきていないのは何度も確認している。
だがそれでも、何故か微塵も安心することは出来なかったのだ。
まるでずっと誰かに見られているかのような感覚を拭う事が出来ずに、男はひたすらに走り続けていた。
「っ……それにしても、本当にアレは何だったのでしょうな。未だに思い出すだけで身震いが止まりませんが……」
フェンリルが一撃で殺された。
それは確かに脅威ではあったが、男が感じたのはそれ以上の得体の知れなさだった。
底の知れなさと言ってもいいかもしれない。
これは触れてはいけないものだったと、本能で感じたのだ。
「……とりあえずは、知らせる必要があるでしょうな。あの場所……いえ、安全のためにあの国そのものから撤退すべきですか」
本当は真っ先にあの場所へと知らせに向かうべきなのだろうが、一刻も早くあそこから離れたかったのだ。
それにどうせ本国に知らせれば、あそこからも撤退するだろう。
その間に何かがあった場合には……残念ながら自業自得と諦めてもらうしかあるまい。
「……それにしても、アレを置いてきたのは少し惜しかったですかな。既に処置は済ませましたから情報が漏れることはないとは思いますが……ああ、そういえば、やつらに連絡をしていませんでしたな。もう無視してしまってもいいような気はしますが……いえ、他にも動いている者達はいたのでしたかな? でしたら、その者達への警告も兼ねて何か言っておくべきではありますか」
そうして、思考の整理を兼ねて呟くことで、ようやく男は冷静さを取り戻してきた。
そうなると自然と今までの自分の行動が思い返され、苦笑が浮かぶ。
「……いくら危険な存在を目の当たりにしたとはいえ、冷静さを欠きすぎていましたかな。やれやれ、私らしくもありません。さて、さすがにここまで逃げればもう追いつかれる心配もないでしょうし、いい加減――?」
と、そこで男が首を傾げたのは、ふと気が付けば足が止まっていたことに気付いたからであった。
確かにそろそろ止めようかとは思っていたものの、止めた覚えはなく――
「…………はい?」
自分の身体を見下ろし、つい間抜けな声が漏れた。
しかしそれも仕方のないことだろう。
腰から下が存在しておらず、それは既に地面へと倒れこんでいたからだ。
そして見たことでようやく自然な形を思い出したとでも言うのか、がふと血の塊を吐き出すと共に、男の上半身が地面へと落下し始めた。
「……馬鹿、な……これは、攻撃……? だが、そんな気配は、どこにも……」
そうは思いつつも……実際のところでは男は誰が攻撃してきたのかを本能的に悟っていた。
それがどれだけ有り得ないことなのだとしても……男の本能は、これがあの少年の仕業だと確信を持っていたのだ。
「あなた、は……どれだけ……」
本当に自分は、一体何に触れてしまったのか。
そんな漠然とした恐れに心を震わせながら、男の意識はそのまま闇に塗り潰されていったのであった。
というわけで、想定よりも大分長くなってしまいましたが、ここで一区切りということになります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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しかし、前の話をさらっと流しすぎた気がするので少しジックリやってみたのですが、ジックリやりすぎたような気もします……。
ですが次の話はこれほどかからない……はず。
ちなみに一応次の次あたりで一通りの決着が付く予定です。
お待ちいただいている展開にようやくなるかと思いますので、引き続き応援していただけましたら幸いです。




