元英雄、エルフを助ける
その場に降り立ったアレンは、ノエルの姿をざっと眺めると息を一つ吐き出した。
軽症というわけではないが、命に別状はなさそうだからである。
身体の言うことはきかなそうだが、それは単純にショック状態から抜けきれていないからだろう。
しばらくすれば動けるようになるはずだ。
「……アレ、ン? どうして……」
「さて……事情を説明したくはあるんだけど、それは後で、かな? さすがにその余裕はなさそうだしね」
言いながら視線を向けると、男の驚きに染まった顔がゆっくりと変化していく。
それは驚きを残しながらも、興味深そうなものであった。
「ふむ……これはまた、驚きですな。まさかあなたがここに現れるとは」
「そうかな? 僕としてはそっちがここにいるのは予想通りだったけど」
「ほぅ……? それは何故ですかな? 怪しまれるような素振りなどした覚えはないのですが……」
「え、それは本気で言ってるの?」
言動以前に、そんな格好をしてる時点で怪しんでくれと言っているようなものだろうに。
だがどうやら本気で言っていたらしく、男は不思議そうに首を傾げていた。
「ふむ……この格好をしていれば怪しまれないと聞いたのですが、やはり人間というものは難しいですな。もっと色々と学ばねばならぬことが多そうです」
「学習意欲が旺盛なのは結構だけど、もう学ぶ必要はないんじゃないかな? そもそも、学ぶことはもう出来ないだろうし」
「ふふっ、いえいえ、そんなことはありませんぞ? 今この時も学んでおりますし――それは、今後も変わらないのですからな」
――全知の権能:天の瞳。
――理の権能:ディメンションエッジ。
男の言葉が終わるのと同時、アレンは左側に向けて無造作に腕を振った。
直後に轟音が響き、だがそれは何もないはずの空間からだ。
それを聞いた……否、おそらくは見たのだろう男の顔が引き攣り、ノエルから困惑のこもった声が届く。
「……え? なに、今の音……?」
「ん? いやなに、あまり気にする必要はないよ。人が会話をしてるってのに、それを邪魔してじゃれつこうとしてきたしつけのなってない犬にちょっと折檻しただけだからね。……まあ、折檻になってるかは疑問だけど」
言いながら視線を横に動かし、吹き飛んでいった『それ』の姿を視る。
溜息を吐き出したのは、予想通りと言うべきかダメージは入っていなそうだからだ。
「馬鹿な……何故見え……!? 今は完全に存在が消えているはずですが……」
「うん、そうみたいだね」
確かに、フェンリルという名のそれの姿は、肉眼では捉えられないし、気配もどことなく曖昧だ。
どこかにいることは分かっているのに、具体的なところまでは認識出来ない。
だが、以前に言った通りである。
アレンの全知は、アレンが一度目にしたものならば、その認識が外れることはない。
たとえ相手が、世界から存在を一時的に消失させていようとも、関係はないのだ。
「っ……まさか結晶に不具合が……? ……いえ、正常に動作しているはずですな……では何故……?」
男は余程動揺しているのか、懐から何かの塊のようなものを取り出すと色々と弄り始めた。
だが結局は何も分からなかったのか、呻き声のようなものを上げ始め――
「……いえ、どうでもいいことですか。何故かアレの姿を見る事が出来るようですが、別にこの場で必要なものではありませんしな。勇者と戦う際の参考になればと思い使ってはみましたが、未だアレが傷つけられたわけではない。ええ、ならば何の問題もありません」
どう考えてもそれは自分に言い聞かせているものであったが、アレンは敢えて何も言わなかった。
勝手にポロポロと重要そうな言葉を漏らしているのだ。
放っておいた方がむしろ得だろう。
だがさすがに、そこで打ち止めのようであった。
「……あなた、随分と興味深いですな。何故か今のフェンリルを見る事が出来ることといい、先ほどのフェンリルに対応した動きもレベル1だとは思えないほどでした。それはあなたのギフトによるものですかな? ええ……実に興味深い」
「生憎と僕は男に興味を持たれて喜ぶような趣味は持ってないんだけど?」
「ふふ、余裕ですな。ええ、確かにそれだけの力をお持ちであるならば、そうなるのでしょう。ですが……ならばこそ、お分かりなのでは? あなたの力であろうとも、フェンリルを傷つけることは出来ない。そこで……どうですかな? あなた、私のモノとなりませんか?」
その言葉を本気で言っているのは、男の目を見れば分かった。
吹き飛ばされた先で、いつでもこちらを襲いかかれるよう身構えているフェンリルの方に意識を向けながら、横目で男のことを眺めつつ肩をすくめる。
「そういう言葉は、まずはアレを何とかしてから言うもんじゃないの? 頷いて気を抜いた瞬間に噛み千切られそうな気がするけど?」
「おそらくはコケにされた、と思っているからでしょうな。ええ、実際にあなたは警戒をしてはいますが、こうして私と会話ができる事からも分かる通り、アレだけに意識を向けているわけではありません。それなりに自分の力に自負のあるアレとしては我慢がならないのでしょうな」
「そんな言い訳をされてもこっちとしては困るんだけど? 要するにしつけに失敗したってことでしょ?」
「これは申し訳ありません。ですが、このあときちんとしつけし直しますので、どうかご容赦を。それに、絶対にあなたを襲うようなことはさせませんから」
「だから気にするなって?」
アレンの言葉に笑みを浮かべる男は、どうやら動揺から大分立ち直ってきているようであった。
というか、その瞳にはどこか自信のようなものが見て取れる。
まるで何らかの切り札を隠し持っているとでも言いたげなものだ。
まあ、それが何なのかは、アレンは予想が出来ているのだが。
「まあしかし、あなたほどの方であれば、ここで簡単に首を縦に振ることはないでしょうな。やろうと思えばその方を連れてこの場から脱出することも出来るでしょうし。私達を放っておいても構わないのでしたら、ですが」
「……なにそれ、脅し?」
「いえいえ、ただの客観的な事実を言ったまでですぞ? 脅しだなどととんでもございません」
「……ま、確かにここで何もせずに逃げ出したら寝覚めは悪くなりそうだよね」
「おやおや、ですからそういった意図はないと言っているのですが……ふむ、どうやら言い方が悪かったようですな。では、ふむ……こんなのはいかがでしょうか? あなたが私のモノになってくださるのでしたら、その方はもちろんのこと、あなたのお仲間のあの少女達の身の安全も保証しますぞ? 今からでも、まあおそらくは間に合うでしょうしな」
「っ……あんた……!?」
むしろより具体的な脅しにしかなっていないと思うが、もちろん男はそんなこと承知の上だろう。
にこやかな笑みを保っているように見えるが、その瞳に浮かんだ嗜虐的な色が隠しきれていない。
だがアレンはそれに一旦考えるフリをすると、それから口を開いた。
「んー……一つ聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「おや、何でしょうか。私に答えられることであればいいのですが」
「うん、絶対答えられることだから大丈夫だよ。それで、なんだけど――何でここにこうして来れた僕が、そのことを予測してなかったと思うの?」
「…………はい?」
なるほど確かに男は明らかに怪しかったが、その目的はさすがに読めなかった。
だからこそ敢えて泳がせておいたのだし、だがゆえに、あの二人が襲われる可能性を考えていないわけがないのだ。
特に――
「こんな風に暗殺に最適な力があるって分かってるんなら、警戒しないわけがないんだよね」
アレンがここに来るが遅れてしまったのも、そもそもはそれが原因だ。
ちょっと色々とやることがあったために、ノエルがここに夜のうちに来るだろうことは予想出来ていたのに遅れてしまったのである。
尚、その予測が出来たのは、リーズがそう告げたからだ。
事情は話せないが、その危険性があると、後で教えてくれたのである。
まあ、結局は遅れてしまったことに違いはないので、偉そうに言える事ではないのだが。
「っ……いえ、どんなギフトであろうとも、本人がその場にいなければどうこうすることは出来ないはず。ならば、あなたがこの場にいる以上はあの二人にアレの姿を捉えられるはずがありません」
「そう思いたければそう思っててもいいとは思うけどね。まあでもそういうわけだから、僕がそっちの勧誘を受け入れる理由とかないんだよね。というか、そもそも――なんで僕がソレを倒せないと思ったのかな?」
「――っ」
言葉と共に男へと顔を向けた瞬間、男が息を呑んだ。
別に睨んだわけでもないのだが、それはつまりフェンリルから視線を外すことを意味していたからだろう。
しかしそれが目的なのだから、何の問題もない。
アレンにとって『ソレ』は、注意を払う必要もない存在だと、言外に告げたのだ。
「……そうですか、あなたがそこまで愚かだったとは思いませんでしたが、まあいいでしょう。どれだけ使えようとも、愚か者はいりませんからな」
「というか、せめて美女にでも言われるんならともかく、怪しいおっさんに自分のモノになれとか言われて頷く人はいないと思うんだよね。本当にそれ以外に道はなかったんだとしても、僕は断ってたと思うよ?」
「減らず口を……! フェンリル、もう遠慮する必要はない、食い殺せ……!」
どう考えても先ほどの時点で遠慮など欠片もなかったようにしか思えないが、アレンはただ肩をすくめた。
そして。
――剣の権能:一刀両断。
腰の剣を引き抜くと、飛び掛かってきた巨大な身体へと振るい――そのまま両断した。
腕に返ってきた感触と、その感覚に、アレンは満足気に頷く。
「うん……やっぱり、予想以上に良い腕してるよ。完璧に、注文以上の品だ」
「っ……それって……」
「うん、悪いとは思ったけど、ここに来る途中にノエルの家に寄って拝借してきた。まあちょっと早いけど、どっちにしろ僕が受け取るはずのものだったんだから構わないよね?」
言いながら、その場で一度血を払うように剣を振るい、それから鞘に仕舞う。
澄んだ音が響いた直後、まるでそれを合図をしたかのように、二つの塊と化した巨大なそれが地面に落下し、大きな地響きを立てたのであった。




