元英雄、森の奥で巨大な魔物と遭遇する
会話をしていても反応がなく、そもそも感じ取れる気配に動いている様子が見られない時点で分かっていたことではあるが、どうやら巨大な狼は完全に寝ているらしい。
というか、所々に見られる生々しい治りかけの傷跡を見るに、傷を癒すことに専念している、といったところか。
まあ何にせよ、すぐさまそれが襲い掛かってくるということはないようである。
ともあれこの状況で取れる選択肢は、二つに一つだ。
これを良い機会だと考えこのまま討伐を行うか、一旦引くかである。
そしてアレン達の意見は見事に一致した。
「さて、じゃ、帰ろうか」
「そうね……まああたしとしては、出来れば一回ぐらいは試し切りをして欲しいのだけれど」
「さすがにそれは勘弁して欲しいかな」
苦笑を浮かべ肩をすくめる。
何せこの魔物と戦ったところで、このままでは勝ち目がないということは分かっているからだ。
アレンが『視』たところ、この魔物はフェンリルといい、そして一つの特性を持っていることが判明した。
「ある一定以下の攻撃を無効化する、か。結界にそういうのがあるのは知ってたけど、個人で持ってるってのは初めて聞いたなぁ……それも、効果的には最上級」
「攻撃は攻撃でも、依存するのは攻撃手段の方で、さらにそれは他に並び立つものがないほどでなければならない、だったかしら? 要するに、超一流の武器での攻撃以外は通用しない、ということよね」
「ギフト、ねえ……確かに稀に持ってる魔物がいるって話は聞いたことがあるけどさぁ」
確かに理論上は、魔物もギフトを持っていたところで不思議はない。
レベルやステータスと同様だ。
人類に限定されているものではない以上は、魔物が持っていたところでおかしくはないのである。
ただし、レベルやステータスとは異なり、基本的にはギフトは祝福の儀を行うことにより授かるものだ。
さすがに魔物にそんなことは出来ないために、ほぼ魔物はギフトを持っていないとされている。
絶対に持っていないと断言出来ないのは、この魔物のように極々稀に例外的に何故か持っている個体が発見されるためだ。
その理由は解明されていないものの、アレン達はそれが有り得ることだということを知っている。
リーズという前例があるからだ。
同様のことが魔物に起こったところで、何らおかしくはなかった。
ともあれ、そういったわけでどうやらこの魔物はギフトを持っているようであり、しかもその性能は凶悪だ。
超一流の武器での攻撃が必要……それこそ、聖剣でもあれば話は別だが、生憎とアキラはこの場にいない。
だが、聖剣がなくとも何とかなる可能性はあった。
「僕が視たところ、この剣は非常に惜しい。今のままではまだ無理だけど、鍛え方次第ではこの魔物には攻撃が通るようになると思う」
「その改良の具体案は貴方が持っている、ということよね?」
「ま、僕を信じてくれるならば、の話だけどね」
「もちろん信じるわよ。今更疑う理由がないもの」
「それは重畳」
勝ち目がないのは、ノエルの打った武器では超一流には届いていなかったから。
一旦でしかないのは、鍛え直せば超一流に届く可能性があるからだ。
その筋道は、既にアレンの全知が伝えている。
この魔物はここで休んでいるだけなのかもしれない。
こちらに害を与えるつもりはないのかもしれなく、わざわざ討伐に来る必要はないのかもしれない。
しかしそのつもりがなくとも現に害を振りまいてしまっている以上は、放っておくことなど出来なかった。
それに、少なくとも何者かがこの魔物の存在を隠しているのは事実なのだ。
それを善意によるものだと考えるのは、さすがに楽観が過ぎるだろう。
アレン達は顔を見合わせると、頷き合う。
軽くその場を見渡した後で、足早にその場を去るのであった。
二人の少年少女が去った森の広間に、一つの影が足を踏み入れた。
褐色の少女は二人の去って行った方をしばし眺め、迷っていたが、やがて視線を広間の方へと戻す。
こちらの方が優先度は高いだろうと思ったからだ。
何せ――
「……?」
しかしその瞬間、少女は首を傾げた。
少女が認識出来ないようにした『それ』――フェンリルの姿は、先ほどその目で見ていたように、外部に見えるようになってしまっている。
だが何故か、それ以外は元のままなのだ。
気配は過剰に漏れておらず、おそらくはこの場に到達しなければ、この姿を認識出来ないままだろう。
「……でも、それは有り得ない」
目で認識できないという前提があるからこそ、存在の隠蔽というものが出来ているのだ。
だからてっきり、『彼』が何らかの方法でそれを破ったのだと思ったのだが……これではまるで、目に見えないという事象だけを切り取ってしまったようではないか。
「……有り得ない」
もう一度呟く。
他のことならばともかく、それはこの現象を成り立たせるための根幹だ。
そんなことが有り得るわけがなく、有り得ていいわけもないのである。
しかしどれだけ有り得ないと言い重ねたところで、現実に起こってしまっている以上はどうしようもない。
「……これは、報告すべき?」
彼は取るに足らない、気にすべきような存在ではないと言われたし、少女もそう思っていた。
だがもしかしたら、それは間違いだったのではないか。
正直に言ってしまえば、少女にとってはどうでもいいことではある。
本当は積極的に黙っているべきなのかもしれないけれど、それも含めてどうでもいい。
しかしそれでも報告することにしたのは、結局はそれが今の少女の役目だからだ。
どうでもいいからこそ、自分の役目に従うことにしたのである。
本当に、それだけのことであった。
一瞬、この場に『力』をかけ直すべきか迷ったものの、そのまま歩き出したのは何となくそんなことをしても無駄なような気がしたからだ。
ふと頭に浮かんだのは、先ほど二人がこの場から去っていった時の光景。
少年は何気なく周囲を見渡していたが……その時に、目が合ったような気がしたのだ。
有り得ないことである。
あの時少女は、自身の存在を完全にこの世界から隠していた。
フェンリルほどに強大な存在ならばまだしも、その状態の少女を見つけられるわけがない。
だがそうだと断言するには、あの時の少年の目は真っ直ぐに少女の目を見ていた。
アレは――
「……でも、それもどうでもいい」
そう、結局のところ違いはない。
殺してくれるというのであれば、それもまた構わない。
死にたくはないけれど、それならばそれもまたありだろう。
しかし今はとりあえず、少女の役目は別にある。
だから。
――模倣:インビジブル。
ここすっかり馴染みとなった『力』を使いながら、少女はその場から文字通り姿を消すのであった。




