元英雄、森の奥に向かう
鬱蒼と生い茂った森の中を、アレン達は無言で先へと進んでいた。
まあ、この状況で喋るということは、自分達の場所を周囲に知らせるということと同義なので、喋らないのは当然ではあるのだが。
だが先ほど奥に進むことを決めてから、既に軽く三十分以上は経過している。
その間ずっと無言だったというのは、ある種異常ではあるだろう。
それは即ち、今までずっと魔物と遭遇する事がなかったということでもあるからだ。
以前のこの森がどうだったのかは分からないが、現在のこの森は一種の混乱状態にある。
五分ほども適当に歩く……までもなく、その場で突っ立っていれば、まず間違いなく魔物の方からやってくるのだ。
いくら魔物達が避けようとしている奥に向かっているのだとしても、三十分もの間魔物と遭遇しないなど、それこそ敢えて魔物と遭遇しないように歩いていなければ有り得まい。
とはいえ、生憎とそんな芸当はアレンには不可能だ。
アレンの全知は細かいことを把握するには向いていないため、周囲の魔物の気配を察知するためには使えない……というのもあるが、それ以前の問題である。
そもそもの話、先導して先を歩いているのはノエルなのだ。
アレンが先導していない以上は、どうやったってアレンが魔物を回避しながら奥に進むことなど不可能なのである。
もっとも――
「……何も言わないのね?」
「ん? 何が?」
と、唐突な言葉に、アレンは首を傾げた。
脈絡がないどころか、そもそも先に述べたように今までずっと会話そのものがなかったのである。
疑問を口にするのは当然のことだろう。
まあ、本気で言っているわけではないが。
アレンはそれに、ただ肩をすくめて返す。
何も言わなかったのは、その必要がないと思ったからだ。
「試し切りに相応しい相手のところに向かう。最初からそういう話だったと思うけど?」
「っ……そう、最初から全部分かってた、ということかしら。なのに敢えて何も言わないなんて、貴方結構底意地が悪いのね」
「つい最近リーズ達にも似たようなこと言われたなぁ」
苦笑を浮かべながら再度肩をすくめる。
アレンとしてはそういう意図は特になく、ただ推測は出来たものの、確証があったわけではないから黙っていただけなのだ。
ノエルがどこかに目的を持って向かおうとしているのは、後ろから見ていればすぐに分かった。
適当な魔物を探すだけならばそれこそ適当に歩いていればいいだけなのに、歩く方角は定まらず、時には木々を掻き分けるようにして先へと進んでいくのだ。
明らかにそれは何かを避け、その上でどこかに向かっている動きであった。
あるいは見方次第では『それ』に遭遇してしまうのを避けているようにも見えたかもしれないが、隠蔽されているはずの気配が少しずつ強く感じるようになっているのと、何よりも魔物と一体も遭遇しないということ。
その二つを合わせて考えれば、ノエルが何をしようとしているのかを推測するのは難しいことではあるまい。
しかしほぼ間違いないだろうと思えたところで、確証があるわけでもないのだ。
それにそのことを指摘したところで意味があるかといえばそんなことはなく――
「というか、最初から言ってくれれば僕も特に反対しようとはしなかったんだけどね。ある意味ちょうどいいし」
後ろを振り返り、目を細める。
だがすぐに前方に向き直ると、三度肩をすくめた。
「……そんなこと言われても、反対される可能性だってあったもの」
「まあ確かにね」
むしろ普通に考えればそうだろう。
いくら調査をしているとはいえ、限度があると考えるのが普通だ。
それが分かるからこそ、余計に何も言わなかったのだが。
「……というか、どうしてそんなに暢気なのかしら? あたしは貴方を騙したようなものなのだけれど?」
「別に騙されたとは思ってないし……それに、悪意が感じられなかったから、かな?」
もしも悪意を感じられたのならば、また他の対処を取っただろう。
それこそ、どういうつもりだと詰問したかもしれない。
だが彼女から感じられるのは、どちらかと言えば焦りであった。
そしてそれは、彼女に会った時からずっと感じているものである。
「何か理由があるんだろうなってのは簡単に分かるし……それに、ノエルが聖剣を超える剣を作りたいとか言ってる理由も、多分『これ』と関係があるんだろうな、ってのは推測できるしね」
あとは、本当に都合がよかった、というのもある。
『ここ』に辿り着くには、アレン一人でも出来なかったとは言わないまでも、きっと相応に面倒だったに違いない。
それを省いてくれたということを考えれば、やはり彼女に含むところはなかった。
「……何となくだけれど、貴方がリーズ達に信頼されている理由が分かったような気がするわ」
「そう? それに関してはむしろ僕の方が不思議なぐらいなんだけど。ま、それはともかくとして……それで、ここがそうだってことでいいんだよね?」
言いながらその場を見渡せば、そこは開けた場所であった。
しかも、相当に広い。
ざっと眺めただけでも、五十メートル近い広場がそこには存在している。
しかし同時に、それだけでもあった。
木々が生えていない、だだっ広い空間がそこにはあるだけなのだ。
少なくとも、アレンの視界にはそれ以外には何も映ってはいない。
だが。
「むしろこれで違ったら驚きだわ」
「ま、確かにね」
ここにこうして立っていながら、本当にそう思う者はいないだろう。
きっと早々にこの場から逃げ出したくなるはずで……というか、そうなったからこそ、今の森の混乱があるわけだ。
隠しても隠しきれていない、肌に感じる重圧が、ここに『何か』がいるということをこれでもかというぐらい示していた。
「でもこれ、よくここが分かったね? ここにまで踏み込めば分かるけど、直前までは周囲に気配が拡散してここを隠すような感じになってたのに」
「言ったでしょう? 森はエルフにとって庭も同然だもの。そこに異物が入り込めば分からないわけがないわ」
「ふーむ、だとしても、随分と迷いなかったけど……そうじゃないかと思ってたけど、やっぱりここに『コレ』がいるの僕達が教える前から知ってたよね?」
「……この森って、意外と鍛冶の役に立つものが採れるのよ。あとは、魔物の爪や牙を武器の素材とするのは基本でしょう? そして貴方ほどではないけれど、あたしもこれで結構腕立つのよ?」
「……なるほど、ね」
「まあそれはともかくとして……さて、でもこれどうしたものかしらね。正直ここまで来れば何とかなると思ったのだけれど……」
「まだ見えないままだしね。というか下手すればこれ触れもしないかも」
ここに何かがいるということだけは確実だ。
アレン達が先ほどから普通に会話を交わしているのもそれが理由で、もう自分達の存在を隠す必要がないからである。
あるいは意味がないと言うべきかもしれないが――
「気配だけじゃなくて、存在そのものも隠蔽してるってことかしら?」
「というか、どっちかというとそっちが主なんじゃないかな? 存在を隠蔽してるから、結果的にある程度気配も隠蔽されてる。これだけ気配が漏れてたら隠蔽出来てるとは言えないから不思議には思ってたんだけど、それなら納得だ」
「……確かにそうね。でもということは、かなり高ランクのギフトってことになりそうだけれど……」
「さて……それはどうかな?」
「……? どういうことかしら? こういうことが出来るのなんてギフトぐらいじゃ――まさか?」
その言葉に、アレンはただ肩をすくめた。
アレンに言えることは二つだけだ。
一つは、そういった『力』を使うことを可能とするのは、ギフトだけではないということ。
それと、この場で使われている力の名称が、『インビジブル』というものだということだけである。
「貴方達が調べている件に深く関わっていそうなのって確か……」
「ま、予想は出来てたから意外感はないかな? そもそも『コレ』を調べようとしてたのもそのためだったしね」
「それでも普通は驚くことだと思うけれど……まあいいわ。そろそろあたしも貴方に普通を説いても意味がないってことに気付き始めたもの」
「何か酷いことを言われてる気がするんだけど?」
「気のせいではないかしら? それにしても……ということは、尚更これはどうしようもないわね。アレらに関しては分かっていないことの方が多いもの。さすがにこれは――」
「いや、別にそうでもないよ? ここまで来ちゃえばあとはどうとでもなるしね」
「――え?」
疑問の声と共に同種の視線を向けられたが、アレンはそれに応えなかった。
代わりとばかりに、三本の中の一本を鞘から抜くと、そのまま腕を振るい――
――剣の権能:斬魔の太刀。
派手な音はしなかった。
ただ、小さく何かが罅割れたような音がその場に響いただけ。
そして。
「…………さっきの言葉、訂正するわ。普通を説いても意味がないどころの話ではなかったわね」
「良い意味で?」
「そうね……少なくとも貴方が良い性格をしているというのは同意するわ」
酷い言い草だなぁ、などと嘯きながら、アレンは肩をすくめる。
そんなアレンの視線の先、直前にまで何も存在していなかったはずのそこには、数十メートルはあろうかという巨大な狼が横たわっていたのであった。




