エルフと森
振り下ろされる剣を眺めながら、ノエルは目を細めた。
瞬き一つが惜しいとばかりにその光景へと視線を注ぎ、一時も目を離すことはない。
自らの打った剣が魔物の皮膚を、肉を難なく斬り裂く姿を、だが口元を緩めることすらせずに見つめ続ける。
その程度のことが出来るのは、ノエルからしてみれば当然のことであった。
その程度ならば、以前に打った剣だろうと出来たことだからだ。
ゆえにそれを目にしたところで、喜ぶ理由など何一つないのである。
たとえ斬り裂かれている魔物が、本来ならばランク9以上に相当するようなものであったとしても、だ。
「……ふぅ」
そうして眺めているうちに、その場からはアレン以外に動くものがいなくなった。
軽く息を吐き出したアレンは周囲を一通り眺めたものの、他に魔物の気配を感じなかったのだろう。
今まで使っていた剣を一度振るい血を払うと、鞘に仕舞った。
澄んだ高い音がその場に小さく響き、ノエルもその場から飛び降りると、アレンの元へと歩み寄った。
「お疲れ様。その剣はどうだったかしら?」
「うん、相変わらず使いやすいし良い剣だったよ」
「そ……他の二つと比べては?」
褒められたというのにノエルがそっけない言葉を返したのは、照れというよりは単純にそちらに意識が向いていないだけだ。
そもそも良い剣などということは分かりきったことである。
重要なのはその先であり、使ってみてどうだったのか、ということなのだ。
それ以外のことは現状どうでもよく、右から左に聞き流すだけであった。
特に今回は、これで三本目だったのだ。
つまりは全て試し終わったということであり、後はアレンの意見を元に、よりアレンに合った剣へと仕上げていく段階となる……はずなのだ、が――
「んー……正直な話、特に違いは感じられなかったかな? どれも同じぐらい使いやすかったよ?」
「…………そう」
それは半ば予想出来た答えであった。
先ほども同じ答えをアレンは返してきたからだ。
二本目のものを試した時にも、一本目に試したものと同じ程度使いやすかった、と。
それが世辞であるならば、ノエルは怒っただろう。
だが。
「ちょっとそれ見せてもらっていいかしら?」
「ん? はい、どうぞ。と言ってもまあ、今僕はそれを借りてる状況だから、元々ノエルのものではあるんだけどね」
アレンの軽口には付き合わずに、ノエルは差し出された剣を受け取ると、おもむろに鞘から抜き放った。
差し込んでくる日差しに照らされた剣身が鈍い光を反射し、まるで新品のような光沢を放つ。
このまま商品として提供したところで、問題なく新品として扱われることだろう。
それは自画自賛ではない。
アレンへの賛辞であった。
ノエルの打った剣は確かに良いものだし、間違いなく自身の最高傑作と呼んでいい仕上がりではある。
しかし、剣というものは所詮は消耗品だ。
目に見えて減ることはないものの、使っていれば確実に磨耗していく。
傷つき削られ折れ曲がり、僅かずつであったそれらが蓄積していくことで、やがては終焉を迎えるのだ。
それはどんな腕の鍛冶師がどんな素材を使って剣を打ったところで、避けようのないものである。
どれだけこまめに丁寧に手入れをしたところで、それまでの時を延ばせはしても避けることは出来ない。
あとはそれを使う剣士の腕次第ではあるが――
「……はぁ」
「あれ、溜息? もしかして使い方まずかった?」
「逆よ逆。だからどうすればこんな使い方が出来るのよ……」
ほとんど一太刀で仕留めていたとはいえ、数十の魔物と斬り合ったのである。
普通に考えれば、表面に無数の傷がついていたところで不思議はないだろう。
しかもこれはどう見ても、外側だけの話ではない。
――妖精王の瞳:鑑定。
目に力を入れて集中し、『視』えたものに、再度溜息を吐き出す。
ノエルの『目』は少しばかり特別であり、本来は目には見えないようなものも見ることが出来る。
武器に向けて用いれば、漠然とした強度や切れ味だけではなく、どんな使い方をされてきたのか、ということすらも分かるのだ。
ノエルの鍛冶の腕は、実のところ半分ほどはこの目のおかげでもある。
昔から『あの人』が鍛冶をするところばかりを見ていたせいもあってか、どういったところを打てばいいのかということが何となく分かったのだ。
ノエルの作業の半分ほどは、この目で見えるままに腕を振るっているに過ぎない。
それでも残った半分は自身の経験や勘を頼りにして行っているし、何よりもこれは自分が生まれた時から手にしている力だ。
ギフトという呼び方をすることは後で知ったが、ギフトを使って鍛冶をしている者など珍しくもない。
だからノエルはむしろ誇りを以て、この『目』を使っていた。
だがそんな風に鍛冶にばかり使ってきたからか、ノエルは特に武器に対してこの『目』を向けると、より詳細なことを知ることが出来る。
だからこそ、分かるのだ。
この剣には本当に傷一つついてはおらず……それはアレンがこの剣を完璧に使いきっていたからだ、ということが。
アレンの斬撃が鋭いことは分かっていたし、ノエルが木の上に登っていたのも、アレンが剣を使う姿をよりよく観察するためだ。
あとは、エルフは森の中に入ると森と気配を同化させることが可能なため、木の上に登れば魔物に襲われることがないから、というのもあったが……結局それもアレンの姿をよく見るためである。
しかし結局のところ、ノエルは鍛冶師だ。
多少は戦えはすれども、本質的に戦う者ではない。
そんなノエルの目にもアレンは凄腕だということは分かってはいたが……逆に言えば分かったのはそれだけでしかなかった。
だがこうしてこの剣から得られる情報を元に考えれば、それどころではなかったということが分かる。
というか、はっきり言って異常だ。
剣というのは、素材や重さに長さ、それと重心の位置や切れ味、頑丈さ、そういった様々な要因が合わさることで、一つ一つ最適な使い方というのは変わるのである。
だというのに、アレンはこの剣を完璧なまでに使いこなしていた。
剣速に始まって、剣を振るう際の力の入れ具合に、剣を侵入させる角度、位置。
最も相手の弱いところを的確に、確実に、最適さを以て剣を振り切る。
アレンはそんなことをやってのけ、その結果がこの新品と何ら変わることのない剣なのだ。
しかも、アレンはこれだけではなく残りの二本も同じように使ったのである。
アレンの言葉を疑う事がなかったのは、それが理由であった。
しかしそれは凄いことではあったが、ノエルにしてみれば困ったことでもある。
ここからどう調整していけばいいのかが分からないからだ。
あくまでもこの三本は、調整することを前提として打ったのである。
今の自分に出来る最高のものを作ったつもりではあるが、調整を前提としているため、そこには僅かではあるが遊びというか余裕を持っているのだ。
そこをアレン用に調整して初めて本当の意味で自身の最高傑作と呼べるものが出来上がるはずなのだが……。
「……ねえアレン、一つ提案なのだけれど……このままさらに森の奥に行ってみるつもりはないかしら?」
「さらに奥に……?」
ノエルの言葉に、アレンは眉をひそめた。
まあ、当然そうなるだろう。
何故森の奥に行こうとしているかと言えば、奥の方がより強力な魔物が出てくる可能性が高いからだ。
そしてそうなれば、アレンが三本の剣の優劣を付けられるのではないかと考えたのである。
アレンが、僅かずつとはいえ確実に異なる仕様の剣を全て同じ使い勝手に感じるのは、つまるところその程度で十分だからなのだ。
アレンの剣の腕が凄まじく、十全に剣の力も引き出せてしまうために、この周辺の魔物を相手にしては差異を感じるまでに力を振る必要がない、というわけである。
アレンの放つ斬撃は、全てが最適化されたものであるがゆえに、剣の力を引き出しすぎるということもない。
真に全てを使ってもらうためには、相応の相手と戦ってもらうしかないのだ。
この奥に危険そうな何かいる、という話は聞いている。
だがそれは、そこまで行ってしまえばの話だろう。
その手前の、程良い強さの魔物と遭遇する場所で止まっておけばいいのだ。
そう告げれば、アレンはしばし考え込んだものの――結局は頷いた。
「んー……まあ確かに、言われてみればその通り、かな? それに正直なところ、まだ全然物足りないしね……いや、本当に良い意味で予想外だったよ。ここまでのものを仕上げてくるなんて」
「そのぐらい当然よ。まあそれに、アレンはどうせそのうち奥に行こうと思っていたんでしょう? エルフにとって森は自分の家と同じ。今ならば一人では出来ないようなことも調べられるかもしれないわよ?」
「……乗せるのが上手いなぁ」
苦笑を浮かべながらも、アレンはその気になってくれたようだ。
その姿を眺めながら、ノエルは口元を緩める。
――本当は、アレン達に教えられる前から、ノエルはこの森にいる『モノ』のことを知っていた。
しかしノエルは、そのことをアレンに気取られぬよう笑みの奥に隠しながら、そっとその目を細めるのであった。




