元英雄、厄介事を見かける
「――それにしても、本当によかったのですか? あの出来損ないを処分してしまわなくて」
不意に部屋の中に響いた声に、男――クレイグ・ヴェストフェルトは手元から顔を上げると、声のした方向へと視線を向けた。
そこにいたのは、自身の唯一の息子である少年――ブレット・ヴェストフェルトだ。
こちらの様子を伺うようにジッと見つめてきており、クレイグはその真意を探るように目を僅かに細める。
だがそんなクレイグの様子に気付いているのかいないのか、ブレットは構わずさらに口を開いた。
「今までのことを恨みに思っていて、我が家の不利益となるようなことを企んでいるかもしれませんよ? まあ今まで僕達が何を言っても反抗的な目一つ向けてこなかったのですから、アレにそんな度胸があるとも――」
「――ブレット」
言葉の途中で、被せるように自らの名が呼ばれたことに、ブレットはビクリと肩を震わせた。
決して強い調子だったわけではない。
だが言葉を遮られた形になったこともそうだが、それはまるであの出来損ないを庇っているようにも思えたからだ。
まさかあの父に限ってそんなことはないとは思いつつも――
「……だから、幾度も言っているだろう。お前は少し性急に過ぎる、とな」
「それは、つまり……父上には何か考えがある、ということでしょうか? あの出来損ないに、使い道がある、と?」
自分で言っておきながら、ブレットはまさかと思った。
アレがどれだけ使えないかは、父の方がよく分かっているはずだ。
レベルがまったく上がらないなど、使えないどころの話ではない。
しかもギフトも与えられなかったとなれば、果たしてどんな使い道があるというのか。
と、そこまで考えたところで、ブレットはふとあることに気付いた。
「……まさか父上、アレがギフトを与えられなかったことに対し利用価値を? 確かに上手く利用すれば神の――」
「――ブレット」
「――っ」
先ほどと違い、今度は強い調子の言葉であった。
さすがにブレットはそれで自分の失言に気付き慌てて口を閉ざすが、そもそも失言しかけてしまった時点で問題である。
だがクレイグがそのことを口にしなかったのは、それによってブレットが萎縮してしまうのを防ぐためだ。
ブレットは大人びている――否、大人びたように見せているものの、まだ成人すらしていないのである。
多少の失敗をしてしまうのはむしろ当然なのだ。
だからクレイグはゆっくりと、諭すような口調で口を開いた。
「確かにお前の言おうとしていたようなことを考えたことはあるが、それよりももっとアレが役立てることはある」
「それは、一体……?」
「そうだな、たとえばだが……そう、たとえば、この街の近くで高貴な身分の人物が無残な姿で発見されたとしよう。そしてその街では最近身元が不確かな人物がうろついていたという証言があった。さてこの場合、お前はこの事件の最も有力な犯人は誰だと考える?」
一瞬ブレットは何を言いたいのか分からない、といった顔を見せたものの、すぐにそこには理解の色が広がっていった。
納得と共に、その口元に歪んだ笑みが浮かぶ。
「……なるほど、そういうことですか。そこまで考えが至っておらず、申し訳ありませんでした」
「なに、お前はまだ若い。あの出来そこないと違って未来があるのだから、今のうちに沢山間違うといい」
「はっ、ありがとうございます……ですが、すぐに役に立ってみせますから」
「ああ、期待しているとしよう」
それは心底からの言葉であった。
何せ今回の計画には、ブレットの力が必要不可欠なのだ。
期待していないわけがない。
「……ところで、一つ気になったのですが」
「どうした?」
「いえ……本当にアレが巻き込まれた場合はどうするのですか?」
「予定位置的に考えてそれは有り得んだろうが……何らかの理由によりそんなことが起こったところで、それはそれで構うまい? 何故か死体が一つ消えるだけなのだからな。レベル1の出来損ない程度では、万が一にも邪魔など出来まいしな」
「……確かに、それもそうですね」
今度こそ完全に納得いったのか、ブレットは自らの作業へと戻っていった。
クレイグもまた手元へと視線を戻し……だがふと、その目を細める。
今の会話で思い出したというわけではないが、ちょうど頃合のはずであった。
上手くいっていればそろそろ全て終わっているはずだろう。
さてどうなっただろうかと、クレイグその口元に暗い笑みを浮かべるのであった。
ふと誰かに呼ばれた気がして、アレンは後ろを振り返った。
だが当然のようにその方角には誰もおらず、首を傾げる。
「んー……? 気のせい、か……ちょっと久しぶり過ぎてはしゃぎすぎちゃったせいかな?」
そう呟き苦笑を浮かべると、アレンは足を止め周囲を見渡した。
ノックスを後にしてから、一時間と少し。
そこにあったのは、だだっ広いだけの平原であった。
人影どころか、遠くに街の姿すらも見えない。
遠くにあるのは地平線だけであり、しかしそれも当然であった。
ここ一時間ほど、アレンはちょっと本気で走り回っていたからだ。
いや、あまりの解放感についテンションが上がってしまったからなのだが……割とあっという間だったような気もするも、何だかんだで十五年という日々は短くなかった、ということなのかもしれない。
「ま、ともあれ、と……少し冷静になれたところで、少し真面目に今後のことを考えようかね」
というのも、ぶっちゃけアレンは具体的に何かを考えていたわけではないのだ。
辺境の地を目指す、ということを決めていたものの、決めていたことは本当にそれだけ。
辺境の地で何をするのかということ以前に、辺境の地の何処に向かうのか、ということすらも決めてはいなかったのである。
そもそも辺境の地とは、あくまでも俗称だ。
文字通りの意味で辺境に位置していることは確かではあるも、もう少し具体的に言うと、それはヴェストフェルト公爵領の東側に広がっている一帯である。
そしてもう少しだけ突っ込んで言うと、ヴェストフェルト公爵家が所有しているものの、ろくに管理出来ていない場所のことであった。
ヴェストフェルト公爵領がアドアステラ王国の南端に位置しているということは既に述べた通りだが、つまりはヴェストフェルト公爵家は辺境伯としての役目も兼ねているのだ。
国境を守っているということであり、何故公爵家がそんなことをしているのかと言えば、単純にヴェストフェルト家がこの国の中で最も武力に優れているからである。
それが事実であるのは、ここまでアレンが一度も魔物と遭遇していないことからも分かる通りだ。
前世の世界にもいたが、この世界にも魔物というものは存在している。
世界のどこにでもいてどれだけ狩ったところで尽きることがないとまで言われている魔物ではあるが、これまでアレンが魔物に遭遇することがなかったのは避けていたからでなければ偶然でもない。
いくら魔物と言えども生物である以上は減らした分だけ減るのが道理であり、つまりはそれだけ魔物が狩られているからであった。
四大公爵家が一角、ヴェストフェルト公爵家は、王国の中でも武を司る家と言われるほどだ。
王国の中でも最大の武を有しているとまで言われているのは伊達ではなく、訓練と称して街の周囲の魔物を狩り尽くすのは日常茶飯事である。
あまりにもやりすぎるために、主に魔物を狩ることで生計を立てている冒険者が寄ってこないほどであり、嘘か真か冒険者ギルドから文句を言われたことがある、などという話も聞いたことがあった。
ともあれ、そんな家であるからこそ、アドアステラ王国の中で最も危険と言われている南を任されているのであり、それが管理出来ない場所が存在している理由でもある。
ぶっちゃけてしまえば、あまりにも有している土地が広すぎて管理の手が届かないのだ。
他の家に任せようにも、最も危険などと言われているような南の土地を持ちたい貴族などいるわけがなく、それが現状に繋がっている、というわけである。
あとは単純に、武に傾倒しすぎていて領地経営がそもそも苦手、ということもあるのだが――
「……ま、だからこそ辺境の地なんて呼ばれてる場所が出来てるってことを考えれば、僕としては感謝すべきなんだろうけどね」
辺境の地は管理されていない土地ではあるが、管理されていないからこそ集まる人達というのも存在する。
アレンが目指しているのもそんな場所であり……とはいえ、そういった場所は普通外部には知らせないものだ。
勝手に住んでいるわけだから当然であり、そしてアレンはその場所の情報を知っているわけではなかった。
そういった場所が存在しているということは知っているものの、どこにあるのかはこれから探すのだ。
行き当たりばったりとも言う。
だが問題はないだろう。
仮に魔物と遭遇するようなことがあったところで、そんなものはどうとでもなる。
むしろ食料調達の手間が省けるので、是非とも来て欲しいぐらいだ。
どうせ実家からは追放された身。
何をしたところで誰も心配などは――
「あー……そういえば、一人、いや二人だけそんな物好きがいた、かな?」
ふと、その人達の顔を思い浮かべる。
出来損ないと呼ばれ誰からも蔑まれるような状況であったアレンだが、そんな中でずっと変わらず接してくれた人達がいたのだ。
一人に至っては、アレンが出来損ないと呼ばれるようになって、たった一人だけそれはおかしいと口にした人でもあった。
正直アレンは別に気にしてなどはいなかったのだが……それでも、少しだけ救われたような気がしたのは事実だ。
「とはいえ、まあ最後に会ったのは五年も前のことだしね……さすがにこっちのことなんて気にしてないかな?」
下手をすればこんなことを考えること自体がただの自意識過剰だな、などと思い、苦笑を浮かべる。
それから、さて、と呟き意識を切り替え――
「まあとりあえず適当に…………歩いてみようとした、んだけどなぁ……。下手に『視』ちゃったのが仇になったかぁ」
繰り返すが、周囲には人影一つない平原が広がっている。
今もそれは変わっておらず、しかしアレンは、魔物のようなものに追いかけられている馬車、という光景を『視て』しまっていた。
それはここから影も形も掴めない程度には遠く離れた場所でのことだが、今現在起こっている出来事でもある。
そしてアレンは残念なことに、それを知って見過ごせるような性格をしていなかった。
「ま、寝覚めの悪いことになるよりはマシってことで」
平穏な暮らしをするのにちょっとだけ離れるが、本当に少しだけだ。
その程度ならば問題はあるまい。
そうして、さて、ともう一度呟くと、アレンはその場から勢いよく駆け出したのであった。