元英雄、再び鍛冶屋を訪れる
最後の一振りを振り下ろすと同時、見慣れた火花が眼前で弾け、聞きなれた音が耳を通り抜けた。
正直に言ってしまえば、ノエルはその時点で半ば意識が飛びかけていた。
魔法で疲労などを後回しに出来るとはいえ、それにだって限度はある。
さすがに十日というのは、無茶にもほどがあった。
そのことを自覚していながら、しかしノエルはその場に倒れこむことを自身に許さない。
ここでそうしてしまったら大怪我を負ってしまうからとかいう理由によるものではなく、まだ剣が完成していないからだ。
なればこそ、倒れることなど許されるわけがない。
少なくとも、『あの人』はそうだった。
こちらがどれだけ心配しようとも見向きもせず、平気で二日三日はぶっ通しで剣を打ち続けた。
しかもあの人は魔法など使えはしなかったのだ。
あるいはギフトの効果だったのかもしれないが――
「……いえ、そんなのはただの言い訳よ。あの人に出来たんだもの。あたしに出来ないわけがないわ」
その背中をずっと見続けたのだ。
ならば出来ないなど嘘だろう。
弱気を振り払い、最後の仕上げをするために立ち上がる。
僅かにふらついたが、気合で堪えながら下唇を噛む。
慎重に未だ剣とは呼べないそれを掴むと、そのまま仕上げをするための場所へと歩き出した。
そうしてふらふらしつつも足を確実に前へと運びながら……ふと、どうしてこんなことをしているんだろうかと思う。
こんなふらふらになってまで、出来るかも分からないことを続けて、果たしてそこにどんな意味があるというのか。
だがそんな思考が過ったのも一瞬だ。
くだらないことを考えている暇はないと、すぐさま止まりかけていた足の動きを再開させる。
そもそもそんなこと、今更考えるまでもないことであった。
「……意味なんてないかもしれない。無駄に終わるかもしれない。そんなこと、何度考えたか分からないぐらい考えたわよ」
それでも、その度にそれがどうしたと呟いた。
意味なんて最初から求めてはいなかった。
そんなものを求める前にノエルにはこれしかなく、こうするしかなかった。
それだけのことだ。
それに今回は、今までの中で一番手応えがあった。
何かが掴めそうな気がしたのだ。
ならば余計に、こんなところで倒れるわけにはいかなかった。
「――っ」
唇を強く噛みすぎて血が流れ出したが、その痛みで僅かに目が覚める。
記憶の中のあの人へと手を伸ばすように、前を見据えながら、最後の一歩を踏み出した。
「……ノエル? 返答がありませんし何の音も聞こえませんからここまでお邪魔してしまいましたが――って、ノエル……!?」
悲鳴と共にリーズの姿が作業場の奥へと姿を消したのをアレンが暢気に見送ったのは、気配からしてノエルが無事なのは分かっていたからだ。
気配がどことなく弱弱しいのは、おそらく寝ているからなのだろうな、というのも予測はついたし――
「ところで、ベアトリスさんは特に焦ったりしないんだね?」
「ん? まあ、十日後と言われた時点でどうせこんなことになるだろうと予測は出来ていたからな。それはリーズ様も同様のはずだが……予測出来ているからといって慌てないとは限らない、といったところか?」
「なるほど……確かにそういうこともあるかもね」
そんな会話を交わしながらアレン達も作業場の方へと向かい、そこに広がっていた光景を目にする。
そして苦笑を浮かべたのは、なるほどこれは悲鳴を上げてもおかしくはないなと思ったからだ。
抱き起こされているノエルの顔は土気色をしており、身体の至るところには火傷を始めとした小さくない傷が見て取れた。
強盗にでも襲われたか、あるいは乱暴でもされたかと一瞬思ってしまっても不思議ではないほどであり、そうではないのだと分かったところで怪我をして倒れていることに変わりはない。
そんな友人の姿を見て冷静でいろというのは酷というものだろう。
それでも抱き起こし、体温を感じたことで多少の安心は出来たのか、リーズの顔には安堵と不満の両方が混ざったような表情が浮かんでいた。
「まったく……この様子ではまた無茶しましたね? 本当に何度言っても止めないんですから……起きたらお説教です」
そんな風にぶつぶつと文句を言いながらも、リーズの手は傷ついているノエルの全身を優しく撫でていた。
撫でられた途端にその場所には淡い光が溢れ、あっという間に傷が癒えていく。
そんなことをリーズは何気ない様子でやっているものの、それは間違いなく奇跡と呼ぶべき光景であった。
人の手で以て、傷ついた身体が癒されていくのだ。
少なくともこの世界では有り得ないとされていることであり、ならば奇跡以外の何物でもないものであった。
おそらくは誰が目にしても驚くだろう光景であり……それでもアレンが驚くことがなかったのは、二つの理由によるものだ。
前世では有り触れていた上に自分でも同様のことが行え、何よりも今から二十日ほど前、アキラ達に同じ事をしていたのを見ていたからである。
だから驚く理由がなかったというわけであり――
「……やれやれ、彼女は本当に相変わらずだな」
「ってことは、やっぱり昔はこんなことがよくあったの?」
「よく、というか、ほぼ毎回だったな。リーズ様が来るのを当てにしていたかのように、リーズ様の顔を見るたびに倒れていたものだ」
「それはまた随分と……」
「さすがに最初の頃は違っていたのだがな……まあ、ふらふらしていたので大差ないとも言えるが。いつ倒れてもおかしくないような有様であり、そのうち本当に倒れたのだが……それ以来か」
「ということは、本当に味を占めて倒れてそうだなぁ……」
都合よく使われていると考えるべきか、それだけ信頼されていると見るべきか。
あの様子を見る限りでは一応後者側のような気もするが、何にせよあまりよろしくはなさそうだ。
「一応その度にリーズ様が説教してはいたのだがな……」
「効果はなし、と?」
「まるでないというわけでもないのだがな。以前、何を考えたのか、打ったばかりで冷やしてもいない剣を素手で握っていたことがあり、皮膚が焼けただれて離れなくなってしまった、ということがあった。その時はさすがにリーズ様も本気で怒り、そのためか同じことは二度とやってはいないようだからな」
「うわぁ……それはさすがにアレだね」
「あの時は私も焦ったからな。それだけが原因でもないのだろうが、その時は今まで見た中で最も顔色も悪く、そのまま放っておいたら死んでも不思議ではないほどだった。……そういえば、その時のことが切っ掛けではあったか。リーズ様があの力に目覚めたのは」
「……なるほどね」
色々な意味でリーズらしいエピソードであった。
つまりはそのおかげでノエルは無事であったが、そのせいでノエルは細かい怪我などに関しては気にしなくなってしまったのだろう。
その時のリーズ達の嘆きっぷりが目に浮かぶようであった。
「……やはり貴殿は何も言わないのだな」
と、ベアトリスがポツリとそんな言葉を口にしたのは、そうしてアレンが苦笑を浮かべている時のことであった。
ベアトリスへと視線を向けると、意外なほどに真剣で強い瞳に見返される。
「……それってリーズがあんな風に甲斐甲斐しく世話してたり説教したりするのについてってこと? まあ確かに王女っぽくはないけど、リーズっぽくはあるしね」
「いや、そうではなくてだな……」
言いたい事は分かっているが、敢えてアレンはそれだけを言って肩をすくめた。
今まで触れようとしなかったり、今だってわざわざ迂遠な言い方をしているのだ。
それをこちらから壊すようなことをする必要はあるまい。
たとえそれが既に分かりきっていることだとしても、である。
――リーズが聖女である可能性について、アレンは早い段階から予測出来ていた。
それこそ、噂を知った時点で、である。
アレンは、リーズのギフトのことを知っていたからだ。
リーズは成人を迎え祝福の儀を受ける前から……もっと言えば、生まれた時からギフトを持っていた。
だからこそ彼女は、神童と呼ばれたのだ。
しかも彼女のギフトは特別であった。
リーズが成長するのに従い、ギフトもまた成長していったからである。
基本的にギフトの能力は変わることがない。
応用することによって出来ることが増えることはあれども、根本的なところが変わることはないのだ。
だが彼女のギフトだけは、例外的に能力そのものが増えていったのである。
最初はよくあるような、他者の能力を底上げするというものであった。
単純に対象のステータスを一割程度一時的に上昇させるというものであり、それが次第に任意のステータスに自身のステータスの値を与えたりすることが出来るようになったのだ。
さらには、自己治癒能力など、ステータスの数値に表れないようなものにまで影響を与えられるようになっていき……アレンが知っているのはその辺までではあったが、だからこそ聖女の噂を聞いた時に思ったのである。
そのまま順調に成長しているのであれば、他者の怪我を癒す程度のことが出来るようになったところで不思議はないだろう、と。
ゆえに、王国が聖女を探しているというのは多分ただのブラフだ。
アレンが推測出来ているというのに、王国側が知らないわけがないからである。
そんな能力があるのならば探していなければおかしいからこそ、探しているということにしているに過ぎないのだろう。
まあとはいえ、だからどうだということでもない。
聖女だろうとなかろうと、リーズはリーズだ。
あの頃と変わっていないというのであれば、アレンにとってはそれだけで十分なのである。
――肩書きによって自分を見る目が変わるということの虚しさとやるせなさは、きっとアレンが一番よく知っていた。
「ま、そんなことより、僕としてはもっと気になることがあるしね」
それは話題転換のための言葉ではあったが、事実でもあった。
ノエルの後方に立てかけられている、三本の剣。
おそらくはあれこそが、ノエルの口元に浮かんでいる笑みの理由だ。
果たしてどんなものが出来上がったのだろうかと、アレンはそれらに視線を注ぎながら、その口元を緩めるのであった。




