冒険者ギルドの受付嬢
軽やかな音が耳に届くのと同時、ナディア・ベンディクスは反射的に顔をそちらへと向けていた。
冒険者ギルドの入り口の扉が開き、新しい客がやってきたのである。
だがナディアが待ち構えていたかのような目をしたのは、それが理由ではない。
今の音を聞いただけで、誰がやってきたのかが分かったからである。
ナディアはこれでも、冒険者ギルドに通うようになってから長い。
こうして受付嬢としてカウンターに立つようになったのはここ一年ほどのことではあるが、それまでに十年も各地のギルドを転々としてきたのだ。
ギルドやひいては冒険者というものについてそれなりに詳しいという自負があり、また実際にそれなりの知識も持っている。
それは主に経験から来るものではあったが、だからこそ扉の開く音一つでもそこから様々なことを知ることが出来る、ということを理解していた。
たとえば、扉を開ける音一つ取ってもそこから様々なことを知ることが可能だ。
乱暴に開け放つ者は粗雑で豪快な性格であることも多いが、実はそれは臆病であったり警戒していることの裏返しであるとか、ゆっくり丁寧に開ける者の方がいつ襲われてもいいように常に身構えている豪胆な性格の持ち主だとか、そういうことである。
もちろんそれは一概に言い切れるものではないし、どちらの方が強者である可能性が高いかと言われたら、それは千差万別だとしか言いようはない。
結局のところ、扉の開け方は判断材料の一つでしかないということなのだが……それでも、時にはその音だけで個人の判別が可能なほどに情報が詰まったものでもあるのだ。
もっともそれは、ナディアが犬の耳を持った獣人であることも無関係ではないのだろうが。
獣人は人類種と比べ身体能力で勝っている場合が多いが、全ての面で勝っているというわけでもない。
特に多いのが一部だけ優れているというものであり、ナディアの場合はそれが耳なのだ。
そのため耳から得られる情報を重視する傾向にあるのは事実であり……だがそれはとりあえずはいいだろう。
この状況で重要なのは、扉を開ける音一つとっても誰がやってきたのか判断するには十分な情報が含まれているということであり、そしてそれが実際に正しかったということである。
今まで耳にしてきた中でおそらくは最も自然で静かに明けられた扉の向こうから姿を見せたのは、一人の少年であった。
年の頃は成人を迎えたか否かといった様子ではあるが、それがこの場に似つかわしくないかといえばそんなことはない。
ナディアもそうであったが、成人した直後、あるいは成人する前から冒険者をやっているという者は珍しくもないのだ。
特にこの街であれば尚更であり……だが、そういった事実とは別に、やはり少年がそこにいることに違和感はなかった。
その理由は、主にその佇まいである。
今の時間は夕方に近く、冒険者の姿がちらほらと見られ始める時間帯だ。
最近色々とあるせいで常と比べれば多くはないが少なくもなく、新しく入ってきた人物がやってくれば必然的にその大半の視線が向けられる。
それは半ば反射的なものであり、何らかの意図があってのものではないのだが、それでも咄嗟に身構えてしまうという者は珍しくもない。
特にあの年代であればそうなるのが当然とも言え……しかし、少年は何一つ反応することなく、そこに立っているのだ。
見方次第ではただ立っているだけにも思えるかもしれないし、実際に少年は本当に何をするでもなくただ立っているだけである。
だがこの場所で周囲から視線を向けられていながらただ立っているということが出来ているだけで、少年が只者ではないということを示していた。
そしてだからこそ、少年がそこにいても違和感はないのである。
「……まあ、何て偉そうなことを言ってみたところで、私もそれに気付くのには時間がかかったのではありますが」
あまりにも違和感がなさすぎて、そのことがおかしいということに気付いたのは、確か少年がここに現れるようになって三日は過ぎた頃だっただろうか。
とはいえ、あるいは最初から気付いていたとしても、その時はその時で気のせいだと思っていたかもしれないが。
と、そんなことを考えていると、少年がこちらへと何の迷いもなく近づいてきた。
そんな少年をナディアは笑みを浮かべて出迎え――
「いらっしゃいませであります、アレン殿! さ、冒険者になるための書類は全部揃っているでありますから、あとはここにサインをしていただくだけでありますよ!」
「うん、開口一番何を言ってるんだろうね、この受付嬢は。とりあえずちゃんと仕事をしようか?」
「……? 何を言っているでありますか? ちゃんとしているではないでありますか」
「不思議そうな目で僕を見たところで、多分この会話を聞いた誰もが僕の言ってることの方が正しいと判断すると思うよ?」
「なるほど、本日は別件だった、ということでありますか? それは失礼しましたであります。ということは、支部長との話し合いでありますな? 支部長なら奥で暇してると思うでありますから、どうぞなのであります!」
「うん、特に支部長に用はないし、そんな用件のためにここに来たわけじゃないかな?」
そんなことを言い合いながら、互いににっこりと笑い合う。
だがすぐに少年――アレンの表情が変化すると、そこに残されたのは苦笑であった。
「それにしても、めげないなぁ」
「絶対に逃がすな、と支部長から直々に言われたでありますからな」
その言葉を直接伝えられたのは、今から十日ほど前、目の前の少年達がこのギルドに姿を見せた時のことであった。
あの時の騒ぎは十日経った今もはっきりと思い出すことが出来るほどだ。
それぐらい当時のギルドは大騒ぎだったのである。
何せ龍の鱗などというものが持ってこられたのだ。
騒ぎにならないわけがなかった。
龍の素材というのは市場に出ることはほぼない。
出回っているものの九割九分が偽物であり、ほんの僅かに存在している本物は売り物ではないことがほとんどだ。
店の格を上げるために売る気もないのに置かれていたり、あるいは既に売り手が決まっているのに客寄せのために置かれている場合が大半であることを考えれば、掘り出し物だとか、あなただけに特別に、などと言って売ってこようとするものは確実に偽物だと言ってしまって間違いあるまい。
そもそもの話、普通に考えれば誰とも知らない相手に売るわけがないのだ。
龍の牙や爪を使えば最高級の武器の素材となるし、鱗や骨ならば最高級の防具の素材となる。
血や肉であれば錬金術の素材として最高品質のものとなるし……そのどれか一つ、あるいはほんの一欠けらですら、時には金をいくら積んでも手に入れることが出来ないほどなのだ。
売るというのであれば、心底望んでいる者達へと売り払えばそれだけで巨万の富が手に入るだろうし、あるいは自分で使ってしまった方が遥かに有意義である。
だからこそ、まさかそんなものをギルドへと換金しにやってくるものがいるなど想像出来るわけがなかったのだ。
しかも偽物かと疑おうにも、ナディアが既に確認済みである。
ランク四の鑑定系ギフトを持つナディアの目を誤魔化せるわけがないし、さらにあの場には銀の戦乙女までいたのだ。
あの彼女がそんなことをするわけがないし……むしろ彼女がいたせいでより騒ぎは大きくなったとも言える。
王都で冒険者をやっていた者の中で、銀の戦乙女の名を知らぬ者はいないし、憧れなかった者もいないだろう。
彼女の功績はそれだけのものがあったし、彼女は王都の冒険者達にとって希望の光でもあったのだ。
そしてここのギルドで働いている者達は、全ては元々は王都で冒険者をやっている者達であった。
元より冒険者ギルドは現役の冒険者であったり、冒険者を引退した者が手伝うことも多いのだが、少なくない数の者が冒険者を支援するためだけに働いていることもある。
だがさすがに場所が場所であるために危険である可能性が高いということで、冒険者の中で希望する者だけがここに派遣されているのだ。
そんな事情があるため、銀の戦乙女の名はここでは抜群の効果を発揮し、早々に本物に違いないという結論に至った。
しかしむしろ問題だったのはその後のことだ。
彼女の武勇に関しては最早確認するまでもないことであり、現在この街では少々厄介事が生じていた。
そのため、彼女の力を借りてはどうか、という提案がなされ、全会一致で賛成されたのである。
とはいえ、これは厳密に言えば彼女の力を当てにしてのものというよりかは、単純に憧れの彼女と一緒に働きたい、という意見の方が多数ではあった。
ナディアもその一人であったため、急遽発生した会議を即座に切り上げると、意気揚々と彼女達にその旨伝えに行き……一瞬の迷いもなく断られた。
どころか、間髪入れずに怒られた。
提出した素材が何であるのかを叫んだあげく、こちらが何者であるのかも叫ぶなど何事か、と。
ぐうの音も出ない正論であった。
冒険者は基本的に荒くれ者が多く、どんなことがトラブルに繋がるか分からない。
そのためどんな素材を手に入れたのかや、姿や名前すらも秘密にする冒険者がいるほどであり、銀の戦乙女も常に兜を被り顔を隠していたのだ。
そんな人物の字を叫んだばかりか、彼女が龍の鱗を手に入れたことを周囲に知らしめてしまうなど、ギルド側がしていいことではなかった。
平身低頭して謝ったら許してくれたものの、じゃあ許されたのだから、と勧誘を再開できるほどナディアの肝は据わっていない。
残念に思いながらも、自らの失態が原因だ。
大人しく仲間達に怒られ責められようと思いながら、大人しく去って行く彼女達を見送り……ナディアが『それ』に気付いたのは、その時のことであった。
「でもそれって、ベアトリスさんに対してでしょ? 僕にはどっちにしろ関係ないことだと思うんだけど……まあ何にせよ、とりあえず換金よろしく」
「了解したでありますが、アレン殿は冒険者ではないでありますから、手数料が倍かかってしまうでありますよ? 今ならば簡単に登録出来るでありますが?」
同じ言葉を繰り返すつもりはない、と言わんばかりに問答無用でカウンターの上にアレンの手にしていたものが置かれ、ナディアは溜息を吐き出した。
成功しないのは分かってはいるものの、それで落胆しないかはまた別の話なのである。
まあ実際のところ、アレンの言っていることは正しい。
支部長が言ったのはあくまでも銀の戦乙女に対してであり、アレンにではないのだ。
これは完全にナディアの独断でやっていることであり……だがそれこそが、ナディアの気付いたことを理由とするものであった。
ナディアはアレン達三人を見ていて、ふと気付いたのである。
三人の中の中心人物がアレンなのだということに、だ。
戦闘能力から考えれば、銀の戦乙女がそうだとしか思えない。
先に述べたように、ナディアもまた冒険者だ。
しかも冒険者としてのランクは6でレベルも6と、中堅の中でも一応トップクラスである。
その経験から照らし合わせてみると、アレンのレベルはどう考えてもレベル1程度なのではあるが、別に人を纏めるのに必要なのはレベルだけではない。
冒険者の間では暗黙の了解的に最も強いものがその集団を纏めるというのがあるものの、その常識がどこでも通用するわけではないのである。
どう見ても二人がアレンを頼っているように見えていたのは確実であるし……それに、そもそもアレンが本当に銀の戦乙女よりも弱いのかというところがまず疑問だ。
実はアレンがレベル1だということは、既に本人に確認を取って分かってはいるのだが――
「ううむ……今回はコレでありますか。コレ一応ランク8に分類されていて、ここの冒険者達では討伐不可能だという結論が出たのでありますが……」
「じゃあその結論が間違いだったんじゃないかな? 襲い掛かってきたから返り討ちにしたけど、別に強くもなかったよ?」
「絶対嘘であります。明らかにアレン殿の基準がおかしいだけであります」
ナディアの経験による感覚と、現実がまるで一致していない。
しかしその現実を前に、ナディアはとうの昔にさじを投げていた。
あの日の翌日、周囲の探索をしていたら襲い掛かってきたから撃退したとか言って、アレンがランク6相当の魔物を持ってきた時点で、だ。
魔物のランクは冒険者のランクに対応しており、冒険者のランクはほぼレベルと同等である。
全てがイコールではないのは、魔物のランクはあくまでも同ランクの冒険者数人で撃退可能だという意味であり、冒険者のランクには常識やギフトなども加味されるからだ。
常識のない冒険者を上のランクにするわけにはいかないし、ギフト次第ではレベル以上の力を振るうことも有り得る。
そういったことを鑑みてのことであった。
ちなみにこの街にいる冒険者の最大ランクは現在のところ8だ。
ただその人物は銀の戦乙女であり、彼女を除くと6にまで下がってしまうため、この魔物は討伐不可能だとされたわけである。
なのにこの少年はそれをあっさりと倒してみせたわけだ。
アレンはさすがにギフトは教えてくれなかったし、ギルドの仲間は銀の戦乙女が協力しているのだろうと考えているようだが……ナディアはそう考えてはいなかった。
確かにどれだけ強力なギフトでも、精々覆せるのはレベルで換算して2までといったところだ。
話に伝え聞く勇者もレベルが高いからこそギフトの力を引き出せているとも言うし、ギルドの仲間達の認識の方が一般的ではあるのだろう。
だがそれを分かっていながらも、ナディアは違うと思うのだ。
根拠はない。
それでも、どこか本能的な部分が、アレンは自分達とは、銀の戦乙女とも違うと囁いているのである。
何よりも、目の前に現実が横たわっている以上は否定しても仕方があるまい。
むしろ引き込みたいと思って色々言ってはいるのだが、今のところまったく効果なしだ。
……現在この街は、色々と不穏なことに満ちている。
アレンが持ってきたこの魔物の死体も、ある意味ではその一部だ。
こんなものは本来出てはいけないのである。
出た時点でこの街は立ち行かなくなってしまうからだ。
しかしそう考えれば、もしかしたらアレンは何だかんだ言って協力してくれているのだろうか。
考えてみれば、冒険者になる誘いには乗ってくれないが、こうして毎日本来この街では対処出来なかったり難しいような魔物を倒して持ってきてくれるのだ。
調査の一環でたまたまなどと言ってはいるものの……本当にそうならば言ってくれればいいのにと思う。
だが本当に偶然なのかもしれないし、あるいは何か理由があるのかもしれない。
とりあえず今はこれで満足するべきなのかもしれない、などと思いながら、ナディアは一先ずアレンが持ってきた魔物の査定をするために一旦後ろへと下がるのであった。




