鈍色の未来
「っ……くそっ、ふざけやがって……!」
叫びと共に、鈍い音が響いた。
蹴り飛ばされた椅子が壁に激突し、破砕したのだ。
砕けた木片が地面に散らばり、そんな光景にクレイグは小さく息を吐き出す。
最近では仏頂面が続いていることが多いブレットではあるが、今日ここまで荒れているのには理由がある。
とある使用人が辞めたのだ。
とはいえ、その使用人がブレットのお気に入りだったとかいうわけではない。
むしろ逆だ。
ブレットにとってみれば取るに足らない、名前すら覚えていないような使用人。
その使用人が――
「たかが使用人如きが……人が折角このまま辞めたらどうなるか分かってるかと忠告してやったってのに……何か出来るものならやってみろだと……!? 僕を! 馬鹿に! しやがったな……!?」
足元に転がってきた木材を踏み砕き、それでもまだ気が晴れないのか、小さくなったそれを蹴り付け壁にぶつける。
さらに散らばったゴミに、クレイグは再度溜息を吐き出す。
苛立ちを発散するだけならば自分の部屋に帰ってすればいいものを、わざわざこの部屋でやっているのはクレイグへの甘えなのだろう。
意識してのことかは分からないが、ああして暴れてみせることで自分は今不満を感じているということと、こちらから同意を引き出そうとしているのだ。
そうして自分の感情は正しいのだということを肯定して欲しいのである。
だがそれを分かっていながらも、クレイグが放ったのは別の言葉であった。
「……ブレット、そこまでにしておけ」
「ですが父上……!」
「苛立ちを抑えろとは言わんが、せめて物に当たるのはやめておけ。誰が片付けると思っている?」
「そんなのは当然――っ、いえ、そうでした、申し訳ありません……」
その瞬間それまでの激昂が嘘のように収まったのは、現状を思い出したからだろう。
本来ならばこういったことの片付けは当然使用人にさせるものだが、今はそういうわけにもいかない。
単純にそんな余計なことをさせるほどの余裕がなくなってきたからである。
先ほど辞めた使用人は一人だけだが、ここ数日の間で次々と使用人達が辞めていっているのだ。
ブレットが辞めた使用人に声を荒げたのもそれが理由であり……もっとも、苛立っていることに関しては、それは理由の一つでしかないのだろうが。
そして正直に言ってしまえば、クレイグもその気持ちは理解出来た。
折角あの出来損ないを追放しこれからだと思ったところで、次々と躓くのだ。
まるであの出来損ないの呪いのようにも見え、それがまた腹が立つのである。
特にブレットにしてみれば、尚更なのだろう。
「くそっ……あいつらよりにもよって、僕よりもあの出来損ないの方がよかっただなんて……! あの何も分かっていない愚図共が……!」
暴れることは止めても、まだ苛立ちが収まりきったわけではないらしい。
尚もぐちぐちと呟いているブレットのことを、クレイグは冷めた目で眺めながら小さく鼻を鳴らす。
使用人の間でそんな話がされている、ということはもちろんクレイグも知っている。
愚かだとはクレイグも思い……しかし、ブレットに何か言葉をかけることはしなかった。
先に述べた通りだ。
気持ちは理解出来る。
クレイグもまた、十分に苛立っていたのだ。
その気持ちを外に出せない分、むしろ度合いとしてはクレイグの方が大きいだろう。
だが苛立ちのままに行動しないのは、分別を知っているからでもなければ、矜持によるものでもない。
その必要がないということを知っていたからだ。
「まあ、お前の気持ちは分かるが、落ち着くがいい。『アレ』からの報告によれば、そろそろ頃合だという話だからな」
そのことを口に出すと、今度こそブレットの苛立ちは表面から消えた。
代わりにその顔へと、一転して笑顔が浮かぶ。
「おお……! ということは、ようやく、ですね……!?」
その言葉には敢えて言葉を返さずに、ただ口元の笑みだけで示す。
そうしたのは別に何かの意図があってのことではなく、単純にクレイグもまたようやくだという思いがあったからだ。
ああ、ようやく、今度こそ、である。
さすがに今度こそは失敗しまい。
それに――
「朗報はもう一つある。これも『アレ』からの報告の一部だが……どうやらあそこに、神の操り人形がもう一体増えたらしい」
「っ……それはつまり、聖女が、ということでしょうか? それは確かに喜ばしいことではありますが……」
今までのことがあるからか、ブレットはそれを素直に喜ぶことは出来ないらしい。
だが今回ばかりは、無用の心配であった。
「お前が何を心配しているのかは分かっているつもりだが、その心配はあるまい?」
「ですが、何故聖女があんな場所に……ああいえ、そういえばアレらは仲が良かったという話がありましたか……。ということはそれで?」
「さてな。そこまで調べるほど気の利いたやつらではあるまい。まああるいは、将軍のことでも調べているのかもしれんがな」
「……なるほど。状況を考えますと、十分有り得る話ですね。何故わざわざ王都から出てきたのかと思ってはいましたが……それなら納得出来ますし」
感心したようにブレットは頷いているが、それも当然だ。
それは今咄嗟に思い浮かんだことではなく、クレイグがずっとそうなのではないかと思っていたからである。
今までそのことを口に出さなかったのは、機会がなかったのと共に、必要がないとも思っていたからだ。
始末する相手がどんな事情を抱えていようとも、知ったことではあるまい。
「あとはアレの叔父の件もあるかもしれんが、まあ理由などどうでもいいことだ」
「……確かにそうですね。しかし、つまりはこれで二つも手に入るということですか……今度こそ勇者の邪魔は入らないのですよね?」
「案ずるな。勇者は別の場所で目撃されている。あそことは遠く離れた場所だ。仮に今から向かうようなことがあったとしても、辿り着いた時には全てが終わった後だろう」
そもそも報告によれば、勇者は王都に向かっているという話だ。
今度こそ邪魔をされる心配はない。
そう断言すると、ようやくブレットは安堵することが出来たらしく、その口元が緩んだ。
「そうですか……それにしても、ということは、聖女は今一人……ああいえ、護衛がまだ残っていたのでしたか?」
「報告ではアレの他に二人いたということだが、まあ気にする必要もあるまい。どうせ近衛騎士やどこの馬の骨とも分からんような輩だろうからな」
「確かに。……ですが正直、僕としては逆の意味で気になります」
「逆……つまりは、やりすぎないか、ということか?」
「はい。勇者は殺すことを優先したため細かいことを気にしませんでしたが、話によれば使おうとしているのは……」
ブレットの顔に、先ほどまでとは別種の不安が過り、だがそれをクレイグは鼻で払い飛ばす。
それもまた心配無用であった。
「なに、問題はない。図体の割にはそれなりに器用に動けるらしいからな。下半身を噛み千切るぐらいで済ませるだろう」
「それならばいいのですが……しかし、そういう意味でも、聖女があそこに向かってくれたのは幸いだったと言えますね。万が一失敗してもまさか二つともとはならないでしょうし」
「……そうだな」
心配はいらないと言っているのに、無理やりにでも心配事となりそうなことを探そうとしているようにも見えるブレットの態度が正直気に入らなかったものの、クレイグはそんな自分を鼻で笑う。
ブレットがこんななのは昔からだし、昔はクレイグもそんなことはいちいち気に留めるようなことはしなかった。
それが気に障るようになったということは、それだけ余裕がなくなってきているということであり……だが、それもあとしばらくの辛抱だ。
あともう少しで、人形共を手にすることが出来……そうなれば――
「ああ……その時が本当に、楽しみだ」
近付いてきた自身の思い描く未来を思い、クレイグはその口元を歪めながら嗤うのであった。




