元英雄、気楽に辺境の地を目指す
――アドアステラ王国ヴェストフェルト公爵領ノックス。
アドアステラ王国の中でも南端に位置するヴェストフェルト公爵領の中で最も栄えているその街の中を、ローブを目深に被った人影がひっそりと歩いていた。
賑わっている中にあってその姿に人々からの注意が向かないのは、ここではそういった者は珍しくもないからである。
他国の国境に近いことや辺境と呼ばれる地がすぐ傍に広がっていることもあり、様々な事情持ちが流れてくるのだ。
しかしそういった者達の末路は大抵が同じである。
ここにも自分達の居場所がないことに気付くと、早々に街を後にすることになるのだ。
そしてローブ姿の人物もまた、そうであった。
街の外へと向けて進んでいくと、そのまま城門をくぐり抜ける。
そうして一度も振り返ることなく、歩き続け――
「んー……まさか本当に処分しに来ると思ってたわけじゃないけど、何もないってのは予想外だったかなぁ。絶対何かしらのことはしてくると思ったけど……まあ、何もしてこないっていうんならそれに越したことはないか。それなら好き勝手やるだけだしね」
と、不意に呟くと共に、一度だけ振り返った。
だが僅かに目を細めるも、すぐに前方へと向き直る。
おもむろにローブのフードが払われ、中から現れたのは少年の顔であった。
少年――アレンの顔は、心底晴れ晴れとしたものだ。
つい先ほど実家から追放されたばかりだというのに、その姿からはそんな雰囲気はまるで感じられない。
そう、アレンが実家から追放されたのは、本当につい先ほどなのだ。
そのままの足でこうして街の外にまで出てきて晴れ晴れとした顔をしているなど、先日十五歳を迎えたばかりの少年とは思えないような姿である。
とはいえ、それも当然だ。
厳密な意味で言えば、アレンは十五歳ではない――前世の記憶を持っているからである。
――転生者。
所謂そう呼ばれる存在であり、アレンが妙に晴れ晴れとした様子なのもそのせいだ。
何故ならば、誤解を承知で言うのであれば、アレンはずっとあの屋敷を出て行きたいと思っていたのである。
アレンは前世では、英雄と呼ばれる存在であった。
文字通りの意味で世界を救った英雄だ。
しかし英雄だからといって華々しい生活だったというわけではない。
むしろ血みどろの日々だった方が多かったし、権謀術数的な意味でもドロドロとしたものによく巻き込まれていた。
暗殺者に命を狙われるのは日常茶飯事で、心穏やかでいられた時間などほぼ存在しなかったと言っても過言ではないだろう。
しまいには折角世界を救ったというのに、人々から向けられたのは恐怖だ。
さすがに嫌になってしまい、アレンはその世界を去ることに決めたのである。
幸いにもと言うべきか、アレンにはその伝手と手段があった。
アレンの英雄としての力は、その世界の女神から与えられたものだったのである。
世界を救うこととなったのも女神から役目を与えられたからであり、それを果たした結果、アレンには何でも願いを叶えることの出来る権利が与えられたのだ。
そうしてアレンの願いは正しく叶えられ、こうして転生することが叶った、というわけである。
転移ではなく転生だったのは、どうせならば一からやり直したいと思ったからだ。
だがアレンの願い通りだったのは、そこまでであった。
「僕はあくまでも、平穏な暮らしを求めてこの世界に来たはずなんだけどなぁ……」
だというのに、何の因果か転生した先は公爵家だったのだ。
その時点で平穏な生活からは程遠そうなのに、さらにアレンは気がつけば神童などと呼ばれるようになっていた。
そう、今でこそ出来損ないなどと呼ばれているアレンだが、かつては神童と呼ばれていたのだ。
それがアレンが前世の記憶を持っていたからとかであったのならば、自業自得とも言えようが――
「『レベル』や『ステータス』のせいだとか、当時はどんな嫌がらせかと思ったなぁ」
この世界は、神々と精霊に愛された世界と言われている。
その理由が、『レベル』と『ステータス』、そして『ギフト』だ。
『レベル』と『ステータス』は精霊から与えられ、『ギフト』は神々から与えられる。
故に、神々と精霊に愛された世界、というわけだ。
そしてこの世界は、その三つが絶対視されている世界でもある。
その理由は単純で、基本的にその三つが絶対的なものだからだ。
『ステータス』とは、個人の能力を客観的に数値化したものであり、『力』、『素早さ』、『賢さ』、『器用さ』、『体力』、『魔力』、『運』の七つの項目に分けられている。
先に述べた通り、これらの数値は絶対であり、『力』が1の者が『力』が2の者に力比べで勝つことは有り得ないし、逆もまた然り。
たった1の差なれども、そこには覆すことの出来ないほどの差が存在しており、これを覆すことは原則的には不可能なのだ。
生まれた時のステータスは大体0から2の間であることが多いが、0というのは能力がないというわけではなく、1に満たないということである。
この数値が高ければ高いほどにその能力が高いということであり、生まれた時に3あれば間違いなくその分野では天賦の才があると言われるほどだ。
各ステータスの値は一生変わらないというわけではないが、変わるタイミングというのは決まっている。
それが、『レベル』が上がる時だ。
『レベル』は魂の位階とも呼ばれるものであり、これは様々な経験を積むことによって上がる。
そしてその時にそれまで積んできた経験に応じたステータスが上がるが、レベルは簡単に上がるものではない。
レベルは基本的に生まれた時は0であるが、レベルを一つ上げるには最低でも一年は必要とされ、必要な年月はレベルが上がるごとに増していく。
人によってレベルの上がりやすさや上限は変わるのだが、鍛錬に二十年の月日をかけてもレベルが一つも上がらなかった、という話もあるほどなのだ。
また、レベルが上がる際に上昇するステータスの量であるが、劇的に上がるということはほぼない。
才能のある分野のみを重点的に鍛えたところで2上がるか否かというところだ。
3上がることはほぼないと言っていい。
尚、ステータスもレベルも、生まれた時に精霊から与えられるものではあるが、慣例的に五歳の誕生日に『鑑定』と手段を使うことで測られることになっている。
これはあまりに早く才能の有無が分かってしまうと成長に悪影響があるとされているからだ。
そのため、レベルを上げるための努力も必然的にそれから行われるようになるわけだが、先に述べたようにレベルというのは非常に上がりづらい。
1になるのに最低一年とは言ったが、平均すれば五年はかかるのが普通であり、2になるには平均で十年は必要だ。
成人を迎える十五の時にレベルが3あればほぼ間違いなく天才と呼ばれるし、4あれば神童と呼ばれることだろう。
ついでに言うならば、その時の各ステータスの値で一つでも5を超えるものがあるのならば、これまた天才と呼ばれたりする。
そして。
アレンは五歳のステータス鑑定の時に既にレベルは1であり、全てのステータスが5であった。
改めて言うまでもなく有り得ないことであり、故にアレンは当時神童などと呼ばれ、持てはやされまくる羽目に陥ってしまった、というわけである。
「……ま、それも五年で済んだんだから、よかったって言うべきなんだろうね」
しかしそれもアレンが十歳になるまでであった。
十歳の誕生日を迎えても、アレンのレベルは1のまま変わる事がなかったからだ。
一歳年下の弟などは既に2に上がっていたというのに、アレンのレベルが上がることは一切なかったのである。
そうしてアレンはある意味では無事、神童などとは呼ばれなくなり、父親から出来そこないと呼ばれ、弟からは蔑むような目で見られるようになった、というわけだ。
正直その時点で追放されてもおかしくはなかったというかアレンとしては是非とも追放して欲しかったのだが、そうならなかった理由が『ギフト』だ。
『ギフト』は神々から与えられる恩恵であり、時にはステータス上での不利すらも覆すことのある強大な力である。
先ほど言った原則的にとはそういう意味であり、ギフト次第ではステータスの差を覆すことも出来るのだ。
とはいえ、どんなギフトを与えられるかは千差万別であり、あくまでもその可能性があるというだけでもある。
基本的にギフトによって与えられる恩恵というのは、ある意味で非常に限定的なのだ。
たとえば、『剣豪』というギフトを授かればそれまでに一度も剣を握った事がなくとも一流の剣士のように剣を振るう事が出来るようになるし、『怪力無双』というギフトを授かれば『力』が0であろうとも自身の何倍もあるような岩を軽々と片手で持ち上げることが出来るようになる。
あるいは『魔物使い《モンスターマスター》』というギフトを授かれば魔物と意思疎通が出来るようになったりするし、『天眼通』というギフトを授かれば相手のレベルやステータス、それにギフトを見抜けるようになる、などだ。
しかしどんなものであろうとも、神々からの贈り物に相応しい恩恵を得る事が出来るのは確かである。
そしてこのギフトは、ステータスなどとは異なり、生まれた時に与えられるものではない。
祝福の儀という儀式を行なう必要があるのだ。
祝福の儀とは成人を迎えた者が行うものであり、成人となったことを祝う儀式でもある。
そうして先日成人を迎えたアレンもその祝福の儀を受けたのだが……アレンはまた前代未聞の出来事を引き起こした。
ギフトが与えられることがなかったのである。
「そうして無価値となった僕は、こうしてついに放逐されるに至った、と……んー、こうして改めて思い返してみると、今世の僕も結構アレだなぁ……」
だがそれもこれまでだ。
先ほどから言っているように、この状況はアレンにとってむしろ望むところなのである。
あの時特に抵抗らしい抵抗をしなかったのもそのためだ。
というかそもそもうつむきながら震えていたのは、屈辱などを耐えるためではない。
うっかり笑みを浮かべてしまわないように、堪えていたのだ。
公爵家に生を受けてしまって早十五年。
別に出来損ないなどと呼ばれることはどうでもよかったし、そう呼ばれるたびにならばとっとと追い出してくれないかな、などと思っていたわけだが、これでようやく平穏を目指せるようになった。
それは晴れ晴れしい気分にもなろうというものである。
不安はまったくないし、目指す先も決めていた。
だからこそ、こうして何の躊躇もなく街を後にしたのだ。
「辺境の地、か……さてさて、一体どんな場所なんだろうねえ」
――辺境の地。
それが、アレンが目指す場所であった。
正直な話、そこまで詳しいことを知っているわけではないのだが、辺境というぐらいなのだからきっと騒動や不穏な出来事などからは程遠いに違いない。
きっと今度こそ平穏な生活を送ることが出来るだろう。
そんな期待を胸に抱きながら、アレンは一路東へと向けて歩みを進めるのであった。