元英雄、これから先のことに思いを馳せる
ふと身体に軽い衝撃を覚えて、アレンは目を覚ました。
それでも即座に警戒などに移らなかったのは、悪意などを感じなかったからだ。
そもそも、目を開いた時点でそこに原因があったのだから、警戒をする必要がなかったとも言うが。
視線の先、自身の膝の上にはリーズの頭が乗っていた。
「すまない、起こしてしまったか?」
声に視線を向ければ、手綱を握っているベアトリスが言葉の通りすまなそうな顔をしている。
だがアレンは苦笑を浮かべると、膝の上のリーズを起こさないように軽く肩をすくめた。
「いや、どうせそろそろ起きる頃だったしね。というか、何でベアトリスさんが謝るのさ」
「リーズ様が寝そうだというのは分かっていたことだからな。何とかこちらに寄りかからせようとしたのだが、タイミング悪く小石を跳ねてしまってな……」
「その衝撃でこっちに来ちゃった、と。ならやっぱりベアトリスさんに責任はないじゃないか。ただの不可抗力でしょ?」
さすがにそこで責任をベアトリスに被せるのは理不尽過ぎるだろう。
しかしアレンがそう思っているというのに、何故かベアトリスは何とも言えないような顔をしていた。
「ううむ……まあそうだと言えばそうなのだが……」
「なんか歯切れ悪いけど、何かあった?」
「いや、そういうわけではないのだが……アレン殿には色々と助けられているからな。いくらそろそろ起きる頃合だったとはいえ、睡眠ぐらいはきちんと取って欲しかったのだよ」
「気にしすぎだと思うけどねえ」
そもそも助けられているとは言っても、それはお互い様だ。
適材適所と言ってもいい。
互いにやるべきことをやるのは、当然のことだろう。
「というか、ベアトリスさんが言ってるのって主に夜のことだよね? そもそも僕がリーズと一緒に寝るっていうのは色々とまずいんだから、僕が寝ずの番を務めるってのは合理的な判断だと思うけど? 別に寝てないわけじゃなくて、今みたいに移動しながら寝させてもらってるわけだし」
「だがそれで疲れが取れるわけでもあるまい?」
「そうでもないよ? たまに魔物が襲ってくるけど、ベアトリスさんの剣借りてるから問題はないしね。それにほら、若いからさ、こんな生活を十日程度続けてる程度じゃ疲れはたまらないよ」
「むぅ……確かに私に比べれば遥かに若いが……」
「ああ、いや、ごめん、そういうつもりじゃなかったんだけど……」
前世の頃にも似たようなことはちょくちょくやっていたし、その頃と比べてというつもりだったのだが、自分の中だけで完結しているそんな事情をベアトリスが知るわけがない。
勘違いさせてしまったかと、僅かにむくれて見せたベアトリスに、苦笑を浮かべた。
「それにちゃんとした睡眠って意味なら、ベアトリスやリーズだって取れてるとは言えないんじゃない? 一旦素材とかは外に出した後で換気するとはいえ、血の匂いはある程度染み込んでるだろうから、そんな中じゃあんま寝た気しないだろうし。そもそもそれなりに大きいとはいえ、寝るにはさすがに手狭だろうしね」
「私は慣れているから問題ないさ。リーズ様はさすがに完全には疲れが取れないみたいだが……」
「ま、その分こうして寝させてあげればいいしね」
「うむ……まあそれはともかくとして、私が言っているのはそのことだけではないぞ? 旅をしながら風呂に入るなど考えられなかったが、アレもアレン殿のおかげだろう?」
「それはそうかもしれないけど、別に特別なことやってるわけじゃないしね」
単に理の権能を使って地面に穴を掘り周囲を固め、水を作り出した上でお湯にしたというだけのことだ。
それぞれは単純なことであるから、似たようなことが出来る人ならば簡単に真似できるだろう。
「さて……少なくとも私は今までそんな話は聞いたことがないのだがな。それにそれだけではない。服が汚れたままだと不快だからとギフトを使用して綺麗にするなどということも聞いた事がないし、食料を現地調達するのは基本とはいえ、大抵の場合それは肉を狩るという意味だ。森に入って山菜を取ってくるなど聞いた事がない」
「服を綺麗にしないのはそれが当たり前だと思っちゃってるからじゃないかな? 山菜に関しては下手な知識しか持ってないと毒草とかと間違えちゃうからね。自信がなければやろうとしないのはむしろ正しいと思うよ?」
「貴殿は本当にああ言えばこう言うな」
本当にそう思っているのだから仕方がない。
実際アレンがやっていることは本当に大した事がないものだし、誰もやったことがないのだとしたら、それは固定観念に囚われてしまって思いつかなかった、とかなのだろう。
多分騎士とかでちゃんとした教育を受けた者ほどそういう傾向があるはずだ。
逆にアレンは完全に独学であり、前世で色々と旅をした際不便だからと色々考えた末でのことなのだから、やはり単なる環境の違いゆえだと思われた。
「……まあ、貴殿が自身のことをどう認識していようとも構わないといえば構わないが、貴殿は自分で思っている以上にでたらめだということは覚えていた方がいいぞ? 老婆心ながらの忠告だと思ってもらえれば幸いだ」
「老婆心とか言う歳じゃないだろうに……まあ、忠告はありがたく受け取っておくよ」
やはりそうとは思えないのだが、忠告してくれているというのにそう返すのは野暮というものだろう。
「んー……でもということは、今後はそういうことはしない方がいいのかな?」
「…………いや、それとこれとは話が別だろう。リーズ様も今の状況にすっかり慣れてしまったからな。アレン殿がいなくなった時が怖いなどと、この間漏らしていたぐらいだ。せめて私達が一緒にいる間ぐらいは続けていても構わないのではないか? もう今更ではあるしな」
「ふーむ……一見正しいように思えるけど、本音は?」
「私もすっかり今の状況に慣れてしまったから、今更取り上げられても困る」
「だと思った」
苦笑を浮かべれば、ベアトリスはすまし顔で前方を見つめている。
今の言葉は冗談半分本気半分といったところだろうが……そんなことを言い合える程度には気を許してもらえたといったところだろうか。
膝を貸し与えることになったお姫様に関しては言うに及ばず。
まあ、こんなことを言ってはいるものの、実際には次そういった機会が来るとは限らない。
既に龍のいた山を後にしてから、十日だ。
順調に進んでいるとのことだったので、そろそろ目的地が見えてきてもおかしくない頃合である。
そういったことも含めての、冗談だったのだ。
「う、ううん……?」
と、そんなことを言っていたら、リーズが身じろぎをしだした。
ゆっくりとその瞼が持ち上がり、目が合う。
「や、リーズ、おはよう。ごめん、起こしちゃったかな?」
「あれ、アレン君……? おはようございます……ですが、何故アレン君がそこに――」
言った瞬間、自分の状況に気付いたらしい。
勢いよくリーズの身体が跳ね起き、その顔が真っ赤に染まった。
「あ、あのあのアレン君……ご、ごめんなさい……!」
「いや、別に重くもなかったし、大丈夫だよ? むしろどっちかと言うと役得じゃないかな?」
「い、いえ、そのこともそうなんですが……その、多分起こしてしまいましたよね? アレン君には色々お世話になっていますから、睡眠ぐらいはきちんと取って欲しかったのですが……」
そこでつい吹き出してしまったのは、先ほど似たような台詞を聞いたばかりだからだ。
何故突然笑われたのか分からずにきょとんとしているリーズの向こう側で、ベアトリスも同じようなことを思ったのか苦笑を浮かべている。
「あ、あの……アレン君?」
「いや、ごめん。主従の言動が似るってのは本当なんだと思ってね」
さすがにそれだけで理解出来るはずもなく、リーズは困惑気味の顔で首を傾げているが、何となく説明する気になれずに、笑ったまま顔を前方へと向ける。
そうして、思った。
この十日は、楽しいものであったな、と。
これだけでもあの家を追放された見返りとしては十分なものだ……などと言ってしまうとさすがに言いすぎかもしれないが、今回の旅が楽しく、有意義であったことだけは確かだ。
これからどうするのか、何をするのかについては未だ何一つとして決まってはいない。
それでも、きっと大丈夫なのだろうと、何の根拠もなくそう思い。
見え始めた人工物の影に、アレンは口元に笑みを浮かべたまま、目を細めるのであった。




