歪んだ笑み
記されている内容を読み終えた瞬間、クレイグは反射的に手元の羊皮紙を思い切り握り潰していた。
ぐしゃりといった音がその場に響くが、その顔に後悔はない。
そこにあるのは忌々しさと憎しみに似た何かであり、その感情がそのまま込められた声がその口から吐き出される。
「……神の操り人形如きが、調子に乗りおって」
それは決して大きな声ではなかったが、部屋の中が静まりかえっていたからだろう。
耳ざとくそれを拾ったブレットが、読みふけっていた羊皮紙より顔を上げる。
色々な意味でよく似た目をクレイグへと向けると、首を傾げた。
「どうかしたのですか、父上?」
ブレットがそう問いかけたのは、父の呟いた言葉の中身もそうだが、何よりも非常に機嫌が悪いように見えたからである。
ここ最近……特にあの出来そこないを追放してからは、機嫌の良い日が続いていたはずだったので殊更気になったのだ。
「……そうだな、お前にも関係のあることだから話しておくが……龍が討たれたらしい」
「………………はい? 龍とは、まさかとは思いますが、あの龍ではありませんよね? 神に最も近しいとまで言われた、あの赤龍王のことでは」
「……そうだ、その赤龍王のことで合っている」
「――なっ」
瞬間、ブレットが叫ぶことがなかったのは、単純に叫ぶことすら出来なかったからだ。
それほどまでに凄まじい衝撃を受けたのである。
赤龍王と呼ばれるあの龍と出会ったのは、今から三年ほど前のことだ。
その姿を見た瞬間、ブレットは自分の小ささを実感した。
そして同時に、感動にも似たものを覚えたものである。
生物とは、ここまでの存在になれるのか、と。
今思えば、父の思考に賛同するようになったのはあれが切っ掛けだったのかもしれない。
しかしそんな、下手をすれば神にすら負けることはないだろうと思えたようなあの龍が、討たれたというのだ。
一体誰が、どうやって……いや。
「……父上、もしや赤龍王を討ったのは……?」
「それに関しては記されてはいなかったが……お前も知っての通り、赤龍王は『アレ』と事を構える直前だった。そう考えるのが自然だろう」
「っ……やはり、そうですか……! おのれっ、勇者が……どこまでも……!」
父の先の言葉の意味を理解し、ブレットは心底忌々しげに言葉を漏らす。
だが直後に、ブレットは眉根を寄せた。
「……しかし父上、いくら勇者と言えど、あの赤龍王を討つことが可能なのでしょうか? そもそも――」
「ああ、そうだな。赤龍王と勇者が戦うのは予定通りだった。そのために、勇者が近くに来たタイミングで敢えて生贄の子供を逃がしたのだからな」
「勇者が各地を旅して回っているのは周知の事実ですから、いつかあの周辺に来るのは分かっていましたからね。そうすれば必ずあの勇者は龍を退治にやってくるはずで……ですが、分かっていたからこそ準備は万端だったはず」
「ああ、滅魔の蒼電についても教えてはいたから、万が一にも油断することはなかったはずだ。だが、『コレ』がその答えを示していた」
コレ、と言いながら握り締めた羊皮紙を揺らす父に、ブレットは首を傾げる。
何者が討ったかに関しては記されていなかったと先ほど言っていたばかりだが――
「コレはな、王から送られてきたものだ。さらに言うならば、コレによれば龍が討たれたのは三日前だという」
「なっ……!?」
それは色々な意味で有り得ないことであった。
王から直接何かを渡されるなど、いくら公爵家当主であろうともそうそう有り得ることではない。
あるとするならば、それは余程のことだし、何よりも三日という時間が有り得ない。
どれだけ急いでも、王都からそれをここに届けるだけで精一杯なはずだ。
というか、てっきりやつらからの報告だとばかり思っていたが……いや、そもそもの話、それには具体的に何が書かれていたのだろうか?
そんなブレットの抱いた疑問に気付いたのか、クレイグは再び忌々しげな表情を浮かべると、鼻を鳴らした。
「これにはな、龍が討たれたということと、龍の住んでいた山の近くにあった村について書かれていた。龍が討たれたことにより周囲に混乱がもたらされるはずだが、くれぐれもその村の者達の暮らしが乱されることのないように励め、とのことだ」
「っ……それは、まさか……?」
まさかも何もない。
その村が一体どんな目的で作られ村人達がどんな扱いを受けていたのかについては目を瞑ってやるから、そこに手を出すことを禁じるし安全に暮らしていけるように配慮しろということだ。
こちらの弱みを握られたということで、警告でもある。
あまり調子に乗るなよ、と。
しかしそれは絶対に漏れないはずの情報であった。
見た目は普通の寂れた村でしかないのだ。
龍に関しても、勇者以外には喋らないよう言い含めておいたわけだし……となれば、可能性は一つしかない。
「馬鹿な……あの村の者達が情報を漏らしたというのですか……!? そんなことをすればどうなるかは、やつらが一番よく知っているでしょうに……!」
「いや……そうではあるまい。我らの統治は完璧だ。やつらは何も漏らさなかったが、報告者の報告だけで断定したのだろう」
「っ……それも勇者のやつが、ということですか?」
「否……言っただろう? 何故やつが赤龍王を討つことが出来たのかはコレを見て理解出来た、とな。そもそも勇者は勝手気ままに動くために、今の王とは折り合いが悪い。王が言われるままに言うことを聞くような人物なぞ、俺は一人しか知らん」
「っ……王女――聖女ですか!? ですが、何故……いえ、まさか……?」
「ああ、どうやって逃れたのかと思っていたが、勇者に助けられた、ということなのかもしれんな。そして時期を考えれば、その時には勇者は龍のことを知っていた可能性が高い」
「そして聖女もその話を聞き、共に龍を討ち取った、ですか……なるほど」
筋の通った話であった。
そしてそれならば確かに有り得る。
聖女の力はこちらでもいまいち掴みきれてはいないのだが、龍にも通用するような何かがあった、ということなのだろう。
「……こうなりますと、ますます殺しそこなったのが痛いですね。余計なことを考えず、殺せる時に殺しておくべきだったでしょうか……?」
「所詮それは結果論に過ぎん。それに、勇者の助けさえ入らなければ、確実に頭部を持ち帰れるはずだったのだ。出来るのにやらなかった方が後々のことを考えれば痛かっただろう?」
「それは……確かに」
頷き、ブレットがその表情を変えたのと、クレイグが表情を変えたのはほぼ同時であった。
しかもそれは同じようにであり、二人ともが忌々しげに顔を歪めたのだ。
「……それにしても、やつらは本当に忌々しいですね」
「まったくだ。だがやつらが調子に乗っていられるのも、今のうちよ。……それに、今回のことは考えようによってはそう悪いものではあるまい」
「と、言いますと?」
「あの勇者のことだ、拾った子供は連れて行くだろう。それは明確な枷だ。そしてそうなれば、さすがに辺境の地の奥にはいくまい」
「……なるほど、そういえば、『あそこ』もそろそろでしたか」
「ああ。聖女がどうするのかは分からんが……勇者が行きさえしなければどうとでもなる。そして、それで詰みだ」
その言葉は、事実ではあった。
だが本心からのものであると言い切るには、その顔に浮かんでいる表情が裏切っている。
勇者にしても聖女にしても、始末できればそれに越したことはなかったのだ。
よかったなどと言うことの出来る要素など、本当はありはしない。
しかしそんなことを言ったところで、何が変わるわけでもないのだ。
むしろ忌々しさが増すばかりとなれば、無理やりにでもよかったところを探すしかない。
それに、確かに『次』が上手くいけば、それで問題ないというのも事実である。
そして勇者が関わりさえしなければ、最早失敗することは有り得ない。
この屈辱を晴らす機会などは、その後で幾らでもやってくるであろうし――
「その時こそは、任せたぞ、我が息子よ。あの出来そこないが使えないと分かった瞬間から、お前だけが頼りなのだからな」
「ええ、お任せください。あんな出来そこないに一瞬でも期待したのが間違いだったと思えるぐらいに、完璧に全てを果たしてみせましょう。――必ずや母上の仇を討ち、そして、我らこそが正しいのだということを知らしめてみせます」
「ああ……楽しみにしていよう」
そう言って二人は、互いに黒く澱んだ瞳を交し合いながら、やがてやってくるだろう時のことを思い描き、歪んだ笑みを浮かべるのであった。
さすがにストックが尽きたので、明日からは出来て一日一回更新になるかと思います。
時間は18時を予定していますので、よろしくお願いします。




