食事と話
賑わいの中に腰を下ろしながら、アレンは息を一つ吐き出した。
周囲には一目で複数の種族が混ざり合っているということが分かり、だが殺伐とした雰囲気は微塵も感じられない。
むしろ和気藹々としたもので、そんな空気の中に身を浸していると、先ほどまでの自分の思考が如何に凝り固まっていたのかということがよく分かった。
やはり焦りもあったのだろう。
リーズ達を一刻も早く助けたいという思いから心が逸っていたのを自覚し、食欲を刺激する匂いと共に無駄に入っていた身体の力が抜けて行くのを感じる。
眼前のテーブルに並べられた料理を眺めながら、もう一度溜息を吐き出した。
「さて、とりあえずは先に食うとするですか」
「……話は、食べながらでも出来る」
「だね。そもそも話に行き詰ってる状態なんだから、話に区切りが付くまでとか言ってたら完全に冷めちゃいそうだし」
これでもアレンは公爵家の教育を受けているため、食事をしながらの会話があまりよろしくないということは分かっているが、周囲を見てもそんなことを気にしている者達は誰もいないのだ。
アレン達だけが気にしても意味はなく、しかし何よりもまずは食事である。
両手を合わせ小さくいただきますと呟くと、とりあえずは一口スープを掬い、そのまま口へと運んだ。
途端に口に中に広がった塩気は、正直なところそれほど上等なものではない。
スープと共に口の中へと放り込んだ野菜は良く煮込み味が染みているもそれだけで、どこまでいっても庶民の味だ。
だが食料を口に入れたことで、アレンの身体はようやく空腹であったことを思い出したらしい。
そして空腹はどんな調味料や食材にも勝るスパイスだ。
パンに肉、蒸された芋と、次々と口に運んでは咀嚼していく。
ちらりとアンリエット達のことを眺めてみれば、二人ともまた食事に集中しているようだ。
話をしながらと言っていたはずではあるが……まあ、仕方があるまい。
考えてみれば、大聖堂のある山へと向かったのは昼前だ。
当然のように昼は食べておらず、腹が減るのは当然である。
そんなことにも気付いていなかった自分に呆れつつも、アレンも食事を続けていく。
そうしてようやく話が始まったのは、テーブルに載っている各皿から半分ほどの料理が消えてからのことであった。
「……何か変わった事がないか、聞いてみる?」
不意にミレーヌがそう口にし、その言葉の意味を二重で理解したのは、数度瞬きを繰り返した後のことだ。
大聖堂の件に関する発言だということと、どうしてそんな意見になったのかということ。
しばしその意見に関して考え、なるほどと頷いた。
「……確かに、本当にそうなら何も変わらないわけがない、か」
アレン達がここに来るまで、何だかんだで十日ほどはかかってしまっている。
リーズ達が大聖堂にいるのならば、その間二人分の食い扶持が増えたということだ。
決して軽いものではないし、実際にはそれだけでは済まないだろう。
大聖堂がどうやって食料を手に入れているのかは分からないが、自給自足ということは有り得まい。
となれば何処かから仕入れているはずで、それとなく周囲にはいつもとは違うと認識されている可能性はある。
大聖堂から最も近い街はここであり、大聖堂に関する情報が最も集まる場所もここだ。
色々と聞いて回ってみれば、何か得られる事があるかもしれない。
「……問題は、内容とかをしっかり考えねえと怪しまれるってことですかね」
「……そう? ここなら、結構普通な気がする?」
「んー……程度とか次第、かな? 実際色々聞いてる人はいるみたいだしね……」
そう言いながら周囲へと視線を向ければ、視界には沢山の人々の姿が映る。
ここはアレン達の泊まっている宿の一階に併設されている食事処……というよりは酒場だが、それにしても宿の規模を考えると人が多い。
宿に酒場が併設されている場所は多いが、そうでない場所もあるため、そういったところからも人が集まってきているからだろう。
ただそれだけではなく、どちらかと言えば互いに交流するために集まっているようにも見えた。
普段は会うことのない教会の信徒達で集まっていたり、中には商人のような姿も見える。
単純に話をするだけでも、ここでは世界各国の話が聞ける数少ない場所であるのだろうし、情報伝達手段の限られているこの世界ではこういった場は貴重だ。
色々なモノを抱えてそうな人物の姿もちらほらと見えるし、アレン達が情報収集のために動いてもそれほど不自然ではないだろう。
しかし不自然ではないが、目立つのも確実である。
しっかり考えて動かないと、余計なトラブルに巻き込まれかねない。
「まあ僕としては悪くないと思うよ」
「そうですね……確定的な情報が得られなくても、何もそこから思いつくかもしれねえですし」
「……そもそも、ミレーヌ達は知らない事が多い」
「……確かにね」
言われてみれば当然のことではあるが、アレン達は大聖堂に関して知らない事が多すぎる。
にもかかわらず性急に結果だけを得ようとしていたのだから、本当に随分と焦っていたようだ。
自分の未熟さを改めて自覚して溜息を吐き出すも、反省するのは後でも出来る。
とはいえ。
「……実際に話を聞くのは、また後で、かな?」
「何を聞くかを話してからにしてからの方がいいでしょうからね」
「……何を聞けばいいのか分からないし、その方がいい?」
周囲に聞き耳を立てているのは、何もアレン達だけではないのだ。
ここで具体的な話を始めるのは、さすがに危険すぎるだろう。
そういったことを話すのは、とりあえず部屋に戻ってからである。
そんなことを話している間に、テーブルの上の皿は綺麗に空になった。
空腹も満たされ、満足気に息を吐き出す。
「じゃあ、とりあえず部屋に戻ろうか」
「……また戻ってくるかは、微妙?」
「まあもう良い時間ですしね」
今はまだマシだが、先ほども言ったようにここは酒場である。
これから酔っ払いが増えるだろうし、変に絡まれる可能性を考えれば、少なくともミレーヌやアンリエットは来ない方がいいかもしれない。
そもそも酔っ払いからまともに話を聞けるかという問題もあるが……その分口が軽くなっているという可能性もある。
まあその辺をどうするのかも部屋に戻ってから決めればいいことかと、席から立ち上がり――
「――少し、よろしいかしら?」
不意に声をかけられたのは、その瞬間のことであった。
そこでアレンが驚く事がなかったのは、見られていたことには気付いていたからだ。
ただしあまりよろしくない種類の視線であり、妙に甘ったるいというか、絡みつくようなものであったため、出来れば関わり合いにすらなりたくないと顔すら向けることはしなかったのだが……どうやら無意味だったようである。
小さく息を吐き出し、顔を向け――瞬間、アレンは軽く目を見開いた。
見知った人物だったわけではない。
腰の辺りにまで伸びた栗色の髪に、同色の瞳。
性別は女性だと一目で分かる外見をしており、歳は二十代の前半といったところか。
目元の泣きボクロから妙に色気を感じ……だがそれ以上に、悪寒を覚える。
何よりも、と……警戒に目を細め、無視して行ってしまいたいが、既に反応してしまった後だ。
仕方なく、言葉を返した。
「……何か僕達に用? 見て分かる通り、僕達これから部屋に戻ろうとしてるところなんだけど」
「ええ、それが分かるからこそ声をかけたのですもの。実はわたくしあなた方に少々興味が……いえ、もっと単刀直入に言ったほうがいいかしら? ――大聖堂に関して、興味はありません? わたくし大聖堂の面白い話を知っていたりするのですけれど」
その言葉に、当然のように興味よりも警戒の方が勝った。
アレン達はこの酒場にやってきてから、一度も大聖堂の名は出していないのだ。
無論この街にいる時点で大聖堂の名が出てくるのはおかしなことではない。
だが話の流れ次第では問題になる可能性もあるため、敢えて口にすることはなかったのだ。
そんなアレン達に向けて大聖堂という言葉を持ち出してくるのは、明らかに不自然である。
そもそもそれ以前の問題ではあるが……ここはやはり関わり合いになるべきではないだろう。
適当な言い訳をしてさっさと引き下がるべきであり――
「――リーズとノエル、という名前に、心当たりはありませんかしら?」
瞬間、なるほどそういうわけにはいかないようだということを悟った。
アンリエットとミレーヌへと視線を向ければ、二人もはっきりとした警戒を女へと向けながら、頷きを返してくる。
アレンも頷きを返すと、女へと視線を向け直す。
警戒を増した目で睨みつけるように見つめ、だが女はそんな視線が心地良いとばかりに、口元に浮かんでいる笑みを深めてくる。
「うふふ……良い目をしていますわね。でもまだ駄目ですわ、ここでは人目が多いですもの。わたくしの部屋でゆっくり話をしませんこと?」
答えなど、考える余地もない。
さて一体どういうつもりなのかと、女の姿を油断なく眺めつつ考えながら、アレンはその言葉に頷きを返すのであった。




