悪魔と教会
予想外の言葉に、アレンは思わず息を呑んだ後で、ゆっくりと息を吐き出した。
確かにこれは、誰かに聞かれるわけにはいかない話である。
それから何となく窓の外へと視線を向ければ、視界に映し出されたのはすっかり夜の帳の下りきった空の姿だ。
王都で宿を取り、アンリエットからリーズ達の攫われた先について話を聞きだしていたのだが……随分ととんでもない話が出てきたものである。
「……大聖堂って……教会の?」
ミレーヌの声に視線を戻せば、さすがのミレーヌも驚きを隠せないようだ。
その顔には珍しくはっきりとした驚愕が浮かんでおり、それでもその目はアンリエットへとしっかり向いている。
その視線を辿るようにアレンもアンリエットへと顔を向けてみれば、真剣そのものの顔でアンリエットは頷いた。
「はい、教会の総本山の、です。教会の中で唯一独立して存在し、それを認められた中立地帯。絶対不可侵とも言われている、あの大聖堂です」
教会に関しては以前に少し触れたと思うが、一般人にとっての教会とは、神を崇め信仰する者達の集団というよりは、ギフトを管理している者達といった認識の方が強い。
この世界の者達は、教会に属していなくとも大半が程度の差こそあれども神という存在のことを信じているからだ。
しかしだからこそ、教会という組織は力を持つ事が許されていない。
ギフトを管理している者達が力を持ったら、まず間違いなく逆らう事が出来なくなってしまうからだ。
これは噂でしかないものの、教会に逆らった者はギフトを没収されることがある、などという話すらも聞くのである。
力を持っていない現状ですらそれなのだから、実際に力を持ってしまったらどうなるかは火を見るよりも明らかだろう。
そして教会自身が力を持たずとも、何処かの国と手を結んでしまえば同じことである。
故に教会は世界各国に置かれているし、誰に対しても平等だ。
教会の扱いは各国に任せ、教会からは決して干渉をすることはない。
それが教会の方針なのだ。
だが教会が組織でもある以上、その中心となるべき場所は必ず必要である。
それが、大聖堂と呼ばれている場所だ。
どこの国にも属さない完全中立地帯であり、どこの国からも影響を受ける事がなければ、どこの国へと影響を与えることもない。
教会に属する信徒達のためだけに存在している、一部の者のみが立ち入ることを許された場所。
それが大聖堂なのだ。
そんなところにリーズ達が連れ去られた……というのは確かに驚くべきことなのだが、実際にはそれ以上に驚くことがある。
攫った相手が悪魔だということだ。
悪魔と教会の関係とは、言ってしまえば水と油である。
絶対に相容れない関係だ。
悪魔が人類に対し敵対的であり、虐殺の限りを尽くしているというのは今更語るまでもないことだが、教会に対してはさらに酷い。
悪魔は人そのものはともかく、建造物自体を壊すことはあまりないのだ。
無傷ということはないが、必要以上に壊すということもない。
しかし教会に対してだけは、執拗なまでに壊すのである。
徹底的であり、塵一つ残さないと言わんばかりの様子から、悪魔について知られていることが少ない中でも、教会に対して強い恨みを抱いているというものはよく言われていることの一つだ。
どんな状況であっても教会の信徒を見つけたら優先して殺す、といった様子からも特にそう言われている。
そして教会もまた、悪魔のことを人類への敵対者だとはっきり位置づけている。
誰に対して平等を謳う教会だが、悪魔だけは例外としており、殲滅すべきだと叫んでいるのだ。
実際悪魔と戦っている前線には教会の信徒が頻繁に訪れていると聞く。
戦う術を持つ者は少ないが、だからこそ必勝の祈願だけでもと神に祈り加護があることを請うのだという。
戦闘に巻き込まれるようなことがあれば、憎しみの目で魔物達を睨みつけるという話だ。
そんな教会の総本山に、悪魔がリーズ達を攫って連れて行った。
とても信じられるような話ではないし、有り得るようなことでもない。
アンリエットから聞かされた話でなければ、きっとアレンもそう思っていたことだろう。
「その話って、絶対だって確信持って言える事なの?」
「それに関しては既に言ったじゃねえですか。確信が持てるような情報がなかったからこそ言わなかった、って。ですが、悪魔と教会に繋がりがあるってことに関しては、間違いねえことですよ。あいつらのことを支援してんのが教会ですからね」
「……教会が、悪魔を?」
「ってよりかは、こう言うべきですかね。悪魔の国なんてものは本当はなくて、その中心にあるのは最初から教会なんです、と」
教会関係者に聞かれたら即座に異端認定を食らい、そのまま処刑されそうな話だな、などと思いつつも、アレンは納得してもいた。
それならば、悪魔達があれだけ好き勝手出来た理由も説明が付くからだ。
悪魔は略奪者ではなく、虐殺者である。
要するに、悪魔は破壊するばかりであり、人から何かを盗むことをしないのだ。
それでいて、悪魔達が何かを生産している様子はない。
どう考えても生きていけるわけがないのである。
何処かから支援を受けているというのは自然なことですらあり、世界中に支部が存在している教会はうってつけだろう。
「ま、正確には持ちつ持たれつって関係で、当然心の底から協力しているわけではねえでしょうがね。互いにチャンスがあれば出し抜いてやると思ってる、って感じでしょうか。あと多分、互いに事情を知らねえやつらも多いとは思うです。むしろ偽装のために行動してるやつらよりかは、本心から憎み合ってるやつらの方が多いんじゃねえですかね?」
「……なら、ちょっと安心?」
「まあ、教会と悪魔が完全に手を取り合ってたりしたら怖すぎるもんね。でも、どうしてそんなことを? 悪魔が教会と手を組む意味は分かるけど、そんなことをしても教会に利点があるようには思えないけど……」
「どっちかってーと逆ですね」
「……逆? ……教会の方にこそ、利点が多い?」
「そういうことです。まあこの辺はちと複雑な事情が絡んでくるんですが……」
そう言いながらアンリエットがアレンのことをちらっと見たことで、ピンと来た。
何故アンリエットがこんなことを知っているのかと思ったが、おそらくはこの世界の根幹に関わるような話なのだろう。
帝国の元侯爵令嬢のアンリエットではなく、元使徒のアンリエットとしての知識が元となっている、ということだ。
となれば、話せないようなことも多いのだろう。
言葉を探すように視線を彷徨わせた後で、多少は仕方がないかとでも言わんばかりに溜息を吐き出しながら、アンリエットは続きの言葉を口にした。
「教会はギフトを管理する組織だって一般的には強く認識されてますが、結局あそこは神を崇めるための組織なんですよ。ギフトを管理してんのだって結果的にであり、その方が都合がいいからです。そして神の威光を知らしめるためならば、平気でそのギフトも利用します」
「……ギフトの利用? どんな風に?」
「ギフトは神が人に与える力ですが、そこにはある性質があります。人類全体が陥る危機の度合いに応じて、強力なギフトが与えられる可能性が高くなるんですよ。ギフトってのは、人類がこの世界に適応して生きていけるように与えた力のうちの一つですからね」
「ああ、その話って聞いたことあるけど、教会がそれっぽく作った話じゃなかったんだね」
「一応これに関しては事実です。それっぽく作った話もあるですがね」
じゃあどの話がそうなのか、とは一瞬思ったものの、話が脇道に逸れそうなので一先ずは置いておく。
それよりも。
「なるほど……つまり悪魔の役目は、人類に対して適切な脅威を与えるため、ってことか」
「教会が悪魔に与えた、って意味での役目、ですがね。まあそれに、何よりもギフトってのは、やっぱ戦闘で使われるのが最も分かりやすく価値を感じられるもんですからね。ひいては、そんな力を自分達に与えてくれた神に感謝を……って流れなわけです」
「……でも、今のところそんなことにはなってない?」
「なってねえですね。ですが、だからこそリーズ達を攫ったんじゃねえかと思ってるです。強力なギフトを持ってるのは神から愛されてる証拠……とか、あいつらなら言い出すでしょうからね。それを利用して何かをしようとしてんじゃねえかと。つか、それぐらいじゃねえと悪魔がわざわざ攫った意味が分からねえですからね」
「……確かにね。やろうと思えば、余裕で殺せてたわけだし」
それを考えれば、まだまだ警戒と対策が足りていなかったということになるが、反省は後だ。
とりあえずは、アンリエットがリーズ達がどこに攫われたかと思っているのかと、その理由は分かった。
ならば。
「……うん。大聖堂に行ってみる意味は、あると思う。十分その可能性はあると、僕も思うからね」
「そうじゃなかった場合、下手すりゃ世界中が敵になるですよ?」
「その辺は上手くやってみせるよ。……いや、本当だよ? 別にそうなっても構わない、なんて思ってないって」
ジッと疑うような視線を向けてくるアンリエットに、苦笑を浮かべつつ肩をすくめてみせる。
これは一応本音だ。
リーズ達が本当に大聖堂にいて、救出するにはそれ以外に手がない、とかなったら分からないが……少なくとも今はそのつもりはない。
そんなことを思っていると、不意にミレーヌが目を細めながら、アンリエットのことを見つめた。
「……アンリエットは、何者?」
まあ、その疑問が出てくるのは当然だろう。
いくら帝国の元侯爵令嬢であろうとも、明らかに知っていていい知識ではない。
だがアンリエットはその視線に、何でもないことのように肩をすくめてみせた。
「さて……何者だと思うですか? ま、少なくとも今はただの一般人……いえ、一般人以下ですかね。何せ身元不詳人ですから。そんな立場の人間ですよ」
全てを知っているアレンからすれば、アンリエットは事実しか言っていないということは分かるのだが、胡散臭いことこの上ない発言である。
というか、普通は誤魔化されたとしか感じないだろう。
しかしミレーヌはジッとアンリエットのことを見つめると、何か感じるものでもあったのか、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。つまり、アンリエットはアレンの同類」
「……さすがにコイツと同類扱いされると、ちとクるものがあるですね」
「ちょっとそれは僕に失礼過ぎる発言だと思うんだけど……?」
「……残念だけど、当然?」
ミレーヌの言葉に抗議の視線を向けてみるも、スルーされた。
どうやら取り合うつもりはないらしい。
アレンがやれやれとばかりに肩をすくめると、ミレーヌが口元に小さな笑みを浮かべ、釣られたようにアンリエットが吹き出した。
そして二人の笑みを眺めながら、アレンも笑みを浮かべ……よかったと、密かに思う。
親しい相手から拒絶される痛みというものを、アレンはよく知っている。
そんなものをアンリエットが感じる事がなくて……そんなものをミレーヌが与える人物ではなくて。
大丈夫だろうと思ってはいたが、その通りになってよかったと、心底思った。
とはいえ、そんなことを考えていたということを知られてしまえば、アンリエットは大きなお世話だと言うに違いない。
だからアレンは……悟られているのだろうということを分かってはいても、笑いながら、再度肩をすくめるのであった。
 




