二つの誘拐
とりあえずは、冷静になることにした。
緊急連絡用の魔導具で伝えられるのは、僅かな言葉だけだ。
故に今アレンが分かっているのは、リーズが攫われたということと、その時の状況は相手含め不明だということ。
攫われた場所は、王都から馬車で一日程度走ったところという、それだけである。
あとは、連絡してきたことからベアトリスが無事だということも分かってはいるが……何にせよ状況を推測するにはさすがに情報が足りない。
王都から馬車で一日程度の場所だということは、王都を出たにしては少し早すぎるので、王都直前にまで来て攫われたという可能性が考えられるが、状況が不明だというのはどういうことなのか。
以前の件もあるので、護衛は万全を期していたはずだし、その上でベアトリスがリーズの傍を離れるとは思えない。
となれば、有り得るのはベアトリスが何も把握出来ないうちに一瞬で意識を刈り取られ、その後でリーズが攫われたか、あるいは空間転移のようなものでリーズだけを連れ去られたということになるが……さすがに後者は厳しいか。
人を転移させるという手段は、かなり繊細な作業が必要だ。
相手の同意を得ずに転移を行うのは、ほぼ不可能だと思って構わないほどに。
馬車で移動している最中であれば尚更で、停まっていたとしても考慮するには値するまい。
つまりは、実質一択である。
「んー……とはいえそれもなぁ……」
「アレン……? 一体何がありやがったです?」
「ああ、うん、ごめん、ちょっと思考を整理してるから待って」
「オメエがそこまで余裕がなくなってるってことは……リーズが攫われた上に詳細は不明とかって感じですか?」
アレンの様子からそこまで推測するとはさすがと言うべきか、それともアレンがそこまで分かりやすいのだろうか。
まあ、どちらであろうとも、何も言わずとも現状を正確に把握してくれるというのならばありがたい。
こちらから何も言わずとも、アンリエットも推測を重ねてくれるはずである。
端的に言って効率は二倍だ。
本当にありがたいと思いながら、アレンはさらに思考を回転させる。
相手は一体何者であり、何が目的なのか。
そもそもリーズを攫うのが目的だったのだろうか。
そうである可能性が高い。
ベアトリスが一瞬で意識を刈り取られたと推測するのは、相手が危険だと認識した瞬間にベアトリスは緊急連絡をしてきたはずだからである。
そうではなく攫われた後に連絡してきたということは、連絡をする暇どころか相手の脅威度を認識する前に意識を刈り取られた以外にあるまい。
そしてそこまでの腕を持つ何者かが、偶然通りかかったリーズを攫ったと考えるのは無理がある。
リーズを狙って攫ったと考えるべきだ。
ただ、リーズが王都に向かうことは、隠していたわけではないはずだが、知っているのは王国の上層部だけのはずである。
前回の悪魔の事件から、一年も経ってはいないのだ。
神経を尖らせているはずであり、リーズの立場と持っていこうとしていた情報のことを考えれば、周知をするとは考えにくい。
しかし同様の理由から、王国内部の犯行ではないはずだ。
あの件を原因として徹底的に怪しい人物は洗い流されたはずで、少なくとも今の王都には危険な思想を持つ裏切り者であったり、スパイだったりはいないだろう。
だがとなると、どうやって犯人はリーズがそこを通ることを知っていたのかということになるが……これはそう難しいことではない。
ベアトリスに気付かれる前に一瞬で昏倒させることが可能だという時点で、かなり選択肢は絞られるのだ。
その上で本来入手不可能な情報を得られるような存在の心当たりは、アレンには一つしかない。
「――悪魔、かな?」
「――悪魔、ですかね?」
その瞬間、思わずアレンはアンリエットと顔を見合わせていた。
期せずして呟きが重なるだけではなく、まったく同じ結論が出たのだ。
マジマジと互いの顔を眺めた後で、苦笑が漏れた。
「……奇遇だね」
「みてえですね。まあ多分辿った過程は違うんでしょうが」
「だろうね。だけど過程が違うのに結論が一緒ってことは、ほぼ確定でいいってことかな?」
「まだ分かんねえですがね」
「まあ、ぶっちゃけ情報まったく足りてないしね」
ただ、状況が不明と言っている以上は、たとえベアトリスに話を聞きに行っても得られる情報に大差はないはずだ。
とりあえずは悪魔が実行犯だと考えて行動すべきだろう。
「さて、じゃあ一先ずの結論が出たところで……とりあえず次にすべきはベアトリスさんに会いに行くってところかな?」
「ですね。本人は理解してないだけで何か手掛かりとなる情報が得られるかもしれねえですし」
「ちなみに、ベアトリスさんと面識はあるんだっけ?」
「帝国に来る前のリーズと同程度ですかね。ただ、話したことはねえですが」
「んー、アンリエットのことはリーズがある程度は話してると思うし、まあなら問題はないかな?」
肝心のベアトリスの現在地だが、これは問題ない。
緊急連絡用の魔導具から辿ればいけるだろうからだ。
「じゃあ早速……と言いたいところだけど、さすがにまだ駄目かな?」
「せめてミレーヌのことは待つべきですからね。戻ってきたら誰もいないとか、さすがのミレーヌも驚くと思うです」
「アンリエットが待ってればいい話ではあるんだけどね」
「悪魔が関わってる可能性が高いってのに、ワタシを置いてっていいんですか? 多分ワタシ以上に悪魔のことを詳しいやつは中々いねえと思うですよ? 悪魔本人達を含めたとしても」
「分かってるって。……ところで今更だけど、アンリエットついてきてくれるつもりなんだね? 普通についてくること前提で言ってるけど」
「……まあ、同居人ですからね。さすがにここで何もしねえほどワタシは冷酷じゃねえですよ」
「いやアンリエットが冷酷じゃないなんてよく知ってるし、一度も冷酷だなんて思ったことすらないけど?」
どれだけアレンがアンリエットに助けられたかを考えれば、そんなことを思うはずがない。
しかし褒めたというのに、何故かアンリエットからはジト目を向けられた。
「……本当にオメエは」
「ここで責めるような目をされるのはちょっと納得がいかないんだけど?」
「やかましいです。んなくだらないこと言ってる暇があったら――」
と、そんなことを言っていたときのことであった。
不意に扉が勢いよく開くと、息を切らしたミレーヌが飛び込んできたのだ。
非常に珍しい光景に数度瞬きを繰り返し……だが、すぐに気を引き締めて目を細めたのは、何となく予感のようなものがあったからである。
「珍しくそんな焦ってどうかした……いや。もしかして、ノエルが何者かに攫われでもした?」
「――っ!?」
瞬間、ミレーヌは顔を跳ね上げると、目を見開いた。
言葉を聞かずとも、どうして、と尋ねているのが分かる。
しかし、問うまでもなく結果が分かってしまったことに、アレンは溜息を吐き出した。
「そっか……ノエルもか」
「……ノエル、も? ……もしかして?」
「うん、さっきベアトリスさんから緊急連絡があったんだけど、リーズも何者かに攫われたらしい」
「……っ。……そう」
「それで、ノエルが攫われたってのはどうやら間違いないみてえですが、ミレーヌはその場面を見たんですか?」
「……見てない。だから正確には、違う可能性はある。……でも」
「どうしてそう思ったの?」
「……店に行っても、ノエルの姿はなかった。作業場にも。……でも、作業場には火が入ったままで、打ちかけの剣があった」
「なるほど、それは確かに間違いなく異常だね」
ノエルが一度剣を打ち出したら終わるまで作業場を離れないということも、作業場に火を入れたままどこにいくことはないということも、アレン達はよく知っている。
共に暮らした半年の間によくよく思い知らされたし、ノエルの店に行ってノエルと共にいる時間が特に長いミレーヌはさらによく分かっていることだろう。
そのどちらかがあるだけでもおかしいのに、どちらもあるとなれば、確実に何かが起こったということであった。
「まだアンリエットはそれがそこまで異常なことだってのは分かってねえんですが……そこまでなんです?」
「天変地異が起こっても、多分ノエルは鍛冶を続けるだろうからね」
「なるほど、そりゃ相当ですね。ですが、それでどうして攫われたってことになんです? 他の何かかもしれねえじゃねえですか」
「……否定は出来ない。でも、争った形跡も、そもそもノエルが作業場から外に出た形跡もなかった。……ちょっと聞いてみたけど、ノエルの姿をここ最近は誰も見てないって言ってた」
「まあ僕達がいないのをいいことにノエルが引き篭もってたのは容易に想像が出来るんだけど……そのせいで、周囲からは異常があったとは思われなかった、か。しかも火が入りっぱなしだったってことは、ノエルがいなくなったのは最近だね」
「確かに、話を聞いてる限りでは誰かに攫われた……少なくとも、忽然とその場から消え失せた可能性が高いですか。そしてリーズもまた何者かに攫われてるです……これって偶然ですかね?」
アンリエットの言葉に肩をすくめて返したのは、分かりきったことを聞く必要はないだろう、という意味だ。
というか――
「むしろアンリエットは、ここまで予測出来てたんじゃないの?」
アレンがそう尋ねると、アンリエットは真っ直ぐに見返してきた。
そのまま口を開く。
「……どうしてそう思いやがったです?」
「何となく似たようなことに覚えがあるから、かな? 出来ればアキラの安否も知りたいところだけど……」
「まあ別れたばっかとはいえ、さすがに追いつくのは難しいでしょうしね。それに……多分、リーズ達の行方を追ってるうちにそっちも分かると思うです」
明確な返答はなかったが、やはりアレンの推測は正しいようであった。
だがそれ以上のことを尋ねるつもりはない。
今はそれだけが分かれば十分であり、他の情報が必要になったらアンリエットから教えてくれるだろうからだ。
ともあれ。
「ノエルの仕事場から情報を得るのは無理そうだし……やっぱり次はベアトリスさんのところかな」
「ですね。何か分かりゃいいんですが……」
「さて、どうだろうねえ。ああ、そうそうそれで、そういうわけでこれからベアトリスさんのところに情報を求めに行こうと思うんだけど……ミレーヌも来る?」
「……行く。気になるし、ジッと待ってはいられない」
「了解。っと、その前に、一応イザベル達には言っといた方がいいかな?」
「悪魔の件もとりあえずギルドあたりに報告だけでもしといた方がいいんじゃねえですか?」
「……アレンが言えば、後のことはやってくれそう?」
「んー、それはどうかな。さすがにそこまでは無理じゃないかとも思うけど……ま、何にせよ、ベアトリスさんのところに行く前に、ちょっとだけやるべきことがありそうだね」
正直なところ、焦りはあるものの、焦っても仕方ないということも分かっている。
自らに落ち着くように言い聞かせながら、とりあえずやるべきことをやるために、アレンは足早に動き出すのであった。




