休息にはまだ遠く
一目見た時にアレンが思ったことは、懐かしい、というものであった。
何も数年ぶりに返ってきたとかいうわけではないというのに、我が家に懐かしさを覚えるとは、今回のこともまた相当に濃いものであったらしい。
あるいは、帝国から戻ってきたから割とすぐに出ることになったのも理由の一つか。
そんなことを思いながら、アレンは辺境の地にある我が家を眺めつつ、安堵にも似た息を一つ吐き出した。
「さて、と……とはいえ、ここでのんびりするってわけにはいかない、か」
「やるべきことが色々とありやがるですからねえ」
「……まずは、悪魔の件の報告?」
「だね。あの森の管轄はこの辺とは別だからリーズが不在でも問題はないし、あそこを治めてるのは……確か、レイグラーフ辺境伯だったかな? 本来は国にも報告する必要があるんだけど、レイグラーフ辺境伯が調査した後で国に報告するだろうから必要はないかな」
他の細々とした面倒ごとも、報告さえすれば向こうが勝手にやってくれるはずだ。
問題があるとすれば報告そのものが信じられない場合だが……レイグラーフ辺境伯とは直接の面識こそないものの、人格者だという話は聞いたことがある。
少なくとも無碍にされることはあるまい。
「やっぱ問題なのはアマゾネス達ですかねえ」
「ここに住むっていうんなら問題はないんだけど、どこか別の場所に行くならさすがにしっかりとした手続きが必要になるしね。それでなくとも一応報告はするつもりだけど」
「……何人か、ここに住みたいって言ってたけど、それは?」
「さすがにそれは断らせてもらうかなぁ。部屋に余裕はまだあるけど……なんか毎日大変になりそうだしね」
「まあまた毎日挑まれそうですねえ」
「……住んでない人もきそう?」
「まさにそれが懸念してることだしね」
そもそもの話、結果的に皆と一緒に暮らすことになっているものの、アレンはそう意図したわけではないのだ。
それにそこまで互いのことを知っているわけでもないのだし、土地と家は余っているのだから、各々で好きなところに住めばいいと思う。
「ちなみにだけど、どのぐらい残りそうかとか、そういうのって予測出来たりする?」
「……イザベル次第? 多分、イザベルが残るって言えば大半が残るし、どこかに行くって言えば一緒に行くと思う」
「ああ、確かに慕われてるっていうか敬われてるっていうか、そんな感じだったですね」
「んー、じゃあ、全員に聞くよりも、まずはイザベルの意見を聞いた方がよさそうかな。まあこれは少しずつやってけばいい話ではあるけど」
リーズが戻ってきた時に纏めたものを報告できるようにしておいた方がいいだろうが、予定通りに王都に行けたのであれば、今頃はまだ王都にいるはずだ。
家族との団欒もあるはずで、帰ってくるのはもう少し後になるに違いない。
少しゆっくりとやったところで問題はないはずである。
「あ、そういえば、ミレーヌはいいの?」
「……何が?」
「故郷の人達が無事救出されたわけでしょ? 纏まって一箇所にいるみたいだけど、ミレーヌはそっちに行かなくていいのかな、と」
「……ミレーヌ、邪魔?」
そう言って首を傾げたミレーヌの顔には相変わらず感情らしいものが大して浮かんではいなかったが、それでも悲しげだということぐらいは分かる。
そして無論そういうわけではないので、苦笑を浮かべながら首を横に振る。
「いや、邪魔だとか出て行けとかいうわけじゃなくて、元々一緒の村に暮らしてた人達がそうしてるんなら、ミレーヌもそこに行きたいんじゃないかって思っただけだよ」
「……いていいなら、いたい。あと……多分、ミレーヌが行っても歓迎はされない」
「どういうことです? 道中では仲良くやってたように見えたですが……?」
「……皆からは、多分ミレーヌは所属が別になったと思われてるから。ある意味では、村の一員ではなくなった、ということ」
アレン達と共に暮らしているということで、ミレーヌは別の共同体に所属することとなったと思われている、というところだろうか。
辺境の地という場所を一つの大きな共同体だと考えれば、ミレーヌもイザベルも同じ共同体に参加しているということになる気がするが……まあ、その辺はアマゾネス特有のものなのかもしれない。
「んー、ミレーヌが戻りたいっていうんなら、口利きするけど?」
「……必要ない。むしろその方が困る」
「困っちゃうのかぁ……じゃあ素直にやめておくよ」
ミレーヌを困らせようと思ってるいわけではなく、手助けしようと思っての提案なのだ。
困らせてしまったら意味があるまい。
「……とりあえず、ノエルに報告してくる。あと、様子も見てくる」
「あー、うん、そうだね。行く時は不満そうだったけど、これ幸いと一人で引きこもってるかもしれないし、よろしく」
「……頼まれた」
頷き、屋敷を出て行くミレーヌの姿を何となく見送り、扉が閉まると共にその姿も見えなくなる。
それから、さて、と呟いた。
「どうしようかな……」
「どうするも何も、まずはイザベル達のとこに行くんじゃねえんですか? 一番時間かかりそうですし、昼過ぎちまった以上は悪魔達に関する報告書は今すぐ書いたところで運んじゃくれねえでしょうし」
「最初はそうしようかと思ってたんだけどね。でもイザベルの話を聞けば大体何とかなりそうだし、彼女達も休みたいだろうとも思ってさ」
「休みってあいつらに必要なんですか? ずっと元気だったようにしか見えねえですが」
確かに、アマゾネス達は道中元気であった。
子供ですら一日中歩けたし、風呂を用意してやれば歓声を上げながら入っていくほどだったのだ。
アレンに手合わせを挑んできたことなども考えれば、むしろ力が有り余っていたとも言える。
「あの様子が空元気だったとかは言わないし、実際力は有り余ってたんじゃないかとは思う。でも、だからといって疲れていないとは限らないでしょ?」
「あー……言われてみりゃオメエも、身体は元気だけど疲れてるってやつの一人だったですね」
その言葉を否定はしないが、だから休みたいと思ったわけではない。
実際精神的な疲労は今も残ってはいるものの、そこまでではないのだ。
だが、彼女達は故郷を襲撃されたり、悪魔に捕まったり、無理やり使役させられていたりした。
本人達が自覚しているのかは分からないが、相当心に負担がかかったはずだ。
今日だけと言わず、数日の休息が必要だろう。
あるいは、道中の手合わせも、無意識のうちにストレス発散の手段として……いや、あれはやっぱりただの彼女達の趣味かもしれない。
まあ、ともあれ、彼女達は出来ればゆっくり休ませてやるべきである。
「ならオメエも休めばいいんじゃねえですか?」
「いや、だから言ったように僕は……」
「確かにオメエは色々な意味で普通のやつらと比べれば強靭ではあるですがね。オメエも疲れねえわけじゃねえんですよ? ただでさえ厄介事に巻き込まれやすいんですから、大人しく休める時に休んでおくです」
「んー……まあ、アンリエットにそこまで言われちゃったんなら、仕方ない、か」
何だかんだでアレンのことを最もよく分かっているのは、やはりアンリエットだろう。
そのアンリエットが休めと言っているのだ。
ならば一先ずは大人しく休んでおくべきであり――
「――っと?」
そう決めた瞬間、懐に違和感を覚えた。
ただし肉体的な意味ではなく、懐を漁ると、一つの装飾品のようなものを取り出す。
銀色の鎖の先に赤い石が埋め込まれているもので、その石を眺めながら、アレンは思わず目を細めた。
「っ……アレン、それって……」
「うん……緊急連絡用の魔導具だ。万が一の時のためにって、僕が片方を預かってたんだけど……」
これに反応があったということは、リーズ達の身に何かが起こった可能性があるということだ。
逡巡したのはほんの刹那。
すぐにその石に触れると、途端に誰かの意思が流れ込んできた。
緊急連絡用であるため、双方の連絡には使えない。
ただ相手の情報を一方的に垂れ流されるだけだ。
しかし、緊急事態であることを知るには、それだけで十分であった。
――リーズが攫われた。
ベアトリスが伝えてきたその情報を耳にしながら、アレンは手の中の石を壊してしまわないように気をつけつつ、ほんの少しだけ手に力を込めると、一つ深くて長い息を吐き出したのであった。




